一番目の話「同族(どうぞく)友嗚(ゆうめい)と水鳥の観察記録」
もう一人の菟柄 彪(とずか たけし)が来る。
これから起こりうる未来について、俺に不安はなかった。『未来』が『現実』より良くなるなら、なんだろうと構わない。だからこそ、俺は要求を呑んだのだから。
むしろ「これから変わるであろうこの世界がどうなるか?」はこれにつきた。
新井高校の二年B組の朝はいつも騒がしいのだが、今日は特別にうるさかった。誰か職員室で見かけたのだろう。この夏の暑いときによくも疲れないものだ
教室の空気がガラリと変わった。一年生でも俺の担任だった宇村男性教師が、部屋の扉をガラリと開けたからだ。彼は教壇に向かいながら、生徒に告げた。
「今日、転校生が来る」と
このクラスかよ?、と驚く生徒達。安心しろ。女じゃねぇから。宇村教師の促しで、教室の外に居た影が入ってきた。
飄々とした軽い感じの男。顔つきは鋭角で釣り目なのだが、雰囲気が柔らかい。髪は後ろ毛が散っていて短め。背は普通だが、肩幅は広い。この学校の制服であるシャツと学ランをきりっと着て、ニコニコ顔でその転校生は黒板に自らの名を書きながら、挨拶した。
教室は静まり返り、誰もが驚きを眼に秘めながら、二人の人物を見比べた。
転校生と、俺だ。
黒板に書かれた『菟柄 洸』という名前。それに値する転校生の顔も、髪型も、声も、何もかも全てが俺とそっくりだったのである。俺とそいつは互いを見つけると、ニヤリと笑った。
※
『洸』が転校して来て二日経った。月は七月に入ったころ。さんさんと夏の太陽が窓から降り注ぐなか、二年B組は別にどうということもなく今の今まで、昼休みのランチタイムになるまでは何も無かった。まぁこれからイベントが起こるわけでもあるまい。
俺はその時間、母さんが作った弁当をつまんでいた。隣には全く同じ顔の同じ声の人間がパンを食っていた。宇村担任が(分らないこともあるだろうから~法則を使用して)俺の隣の席にしたのだ。
「どうだ?学校は?」
「別に不便はないよ彪。皆親切にしてくれるし」
なんて帰ってきた息子に何気ない会話を振る父親系の応答を洸としていた。
「もう少し騒ぎや迷惑が起こると思ったんだがな……」
俺の問いに洸は答えた。
「行きたいと言ったのは僕なんだから、それ相応の対応を考えるのは礼儀ってやつだよ。僕のパワーはこういうことに使わないと。僕の持っている知識や価値観なんて、ほとんど彪の脳にあったものしかないしね。事前に知識や常識を用意してなきゃ、その世界の流れに乗れないだろう?」
俺に負担が一切かからないという理由で、コイツの登校を許したわけだが、本当に今の今まで洸は俺にとって重石にはならなかった。
だが、平和は長くは続かない。
「知らなかったわ。アンタに双子が居たなんて」
女の声と共に近くの机に鈍い音と人のけはい。方角は真後ろ。音は重量級弁当箱を置いた(かなり強い力で)ものだろう。
俺は声の主に察しがついた。だからこそ振り向かなかった。
「一文字さん、お早う」
「え? あ、お早う!」
代わりに洸が後ろに挨拶した。女の動揺した声と後ろに座る音。俺は嫌々振り返る。そこには不機嫌そうな女子生徒が居た。
一文字 ゆかり。風でも吹けば飛んできそうな華奢なボディに、ギザギザリボンで二つに結んだ髪。女子制服のブラウスにカーディガン、凝ったデザインのスカートというカスタマイズ。運動部でもないくせに、無駄な腕力を時たまに行使する。性格はツンデレ。いや、デレたのは見たこと無いが。別のクラスだったが一年のころからの付き合いで、二年で同じクラスになってしまったため、メランコリーな限り。
おれは昔は故あって、生物部の知り合いの所で昼食をとっていたのだが、最近になって、これまたとある事情からなのだが、教室で食うようになった。するとこの一文字 ゆかりは俺に好意があるのか、何かとちょっかいをかけながら、一緒に昼食を食べるようになったのだ。
口内で食物をミンチにしながら、俺の聞いた。
「この人誰なの?アタシは二日間、風邪ってたから知らないんだけど……」
「この菟柄 洸は別に菟柄 彪の双子でも三つ子でも変装でもなく、正真正銘の俺様。ドッペルゲンガーなのさ」
案の定、ゆかりは頭に?マークを浮かべ止まっている。予想していたが、この女の御脳ミソではご理解いただけなかったようだ。
「ドッペンゲンカツギってアレ? 自分と同じ顔に整形してきたストーカーに会うと、不幸になって二度と受験とか宝くじに当たらなくなるっていう、あの都市伝説?」
「なんかヤな伝説だな……。つか全然違うし。お前こそちょっと顔整形して来い。あと頭も修理して来い」
俺の隣に鎮座していた洸がゆかりに説明した。
「ドッペルゲンガーっていうのは自分と何もかも同じ存在。その自分と同じ顔のドッペルゲンガーに会うと死ぬっていう噂があって、現に有名な小説家とかが死ぬ前に、ドッペルゲンガーを見た!、なんて言うしね」
「じゃあ彪、アンタの天下もこれまでってことね。アタシ大歓迎と大感激と大関白!」
「最後意味分んねぇし」
冗談とも思えないゆかりの発言に俺はジト目で訂正した。
「所詮噂だろ? 現に俺様は健在だ。死んだ人間ってのは元々病気があったような人間が多くて、脳に何かの障害があったってこともあるみたいだしな。洸は別に俺にとって不利益な存在じゃねぇよ?」
むしろ利益があるくらいだしな。
「それはそうとさ、タケシに問いただしたいことがあるわけなんだけど……」
一文字女子生徒はかすかに額に怒りマークを付着させながら、喋った。
「どっちに?タケシは二人居るわけなんだが?」
「勿論、彪の方に決まってるでしょう! アンタさぁ…………教室で食べる前は生物部の瀧さんと生物部の部室で二人っきりで生物食ってたって本当?」
「なんかその台詞だと生物部に飼われている生き物をその日の昼食にしているみたいだぞ?」
「何言ってんの? 男は狼なのよ! 鋼鉄の孤狼なのよ? そんな状況下になったら、アタシだったら隙あらば、瀧さんを昼食にするわ!」
「お前女のくせに言うこと凄いのな? つか何がどう鋼鉄なんだよ?」
「決まっているじゃない? アンタの下半身に付いてる釘のことよ! きっと瀧さんが背を向けたと見るや、ウルフなガイになって瀧さんが非力なことをいいことに力ずくで刺しまくったに違いないわ!」
素晴しい推理だった。何がいいかっていうと、ゆかりの熱弁があまりに大音量だったので、食事中にも関らず御下品な言葉を耳にして、クラスの面々がゆかりを凝視しているという状況を生み出したことがだ。いや~、ゆかりさん迷探偵でいらっしゃる。
「一文字さん、まわりに聞こえているよ?」
洸に言われ、ハッと気付いたゆかりは、顔を真っ赤にして俯いた。
そうこうしている間に俺は弁当を平らげた。
ベルが鳴り、昼休みが終わるころ、ある女子生徒がクラスに入ってきた。いや戻ってきたの方が正しいかな?その女子生徒はするりと音もなく、自分の席に座った。
(噂をすればナントやら……か)
俺は彼女を見る。彼女の周囲の人間は彼女が現れたことすら、気が付いていない。それほど気配が気薄な女だ。意図的にしているのか、無意識にしているのかは知らんが、いきなり背後に立たれるとビックリするタイプ。
少女の名前は、瀧 順子。髪の毛は短めでボブ、雪のように白い肌と綺麗な顔立ち。だがその顔は何を考えているか不明瞭な容態を見せる。体は小柄でほっそりしていて、風が吹けば飛んできそうだが、胸部にある重りがそれを許さない。どれくらいの重りかというと、『バズーカ砲』とだけ言っておこう。小柄でスタイルが良い美少女っとクラスでオモテになりそうなステータスを持っているが、風評はそうではない。
いつも眠そうな表情を浮かべては、何事にも無感動&無関心と周りには思われているのだ。友達を作ろうとせず、いつも一人でポヤ~っとしている。周囲に対して非積極的で、クラスでも居るのか居ないのか分からない始末。いわゆる不思議ガールで、喋ってみると常人とは全く異なった価値観をお持ちということが分かってしまう。変な子というのが周囲の一般見解になっている。
頬ずえをつき、窓の向こうに視線を泳がす瀧。その細められた瞳は、何を見ているのだろうか?
しばらくして先生が授業に来たので、俺は観察と感慨を止めた。
※
新井高校は近くに森と隣接していて、地図を見ると隣には神社が記され、名前を『業満神社』と言う。
俺は自分とそっくりの顔の男を引き連れて、石が敷かれている林道の下校路を歩いていた。俺は電車通いで、駅と学校の間はこの業万神社が近道となるのだ。。
俺と洸は他愛のない会話をしながら、帰路についていた。
「一文字さんは面白い人だったね。彼女は友達じゃないのかい?」
「お前みたいにどんな馬鹿も『面白い』で括れ(くくれ)ると救われるのな。アイツは友達じゃねぇよ。ただ一文字の奴が下世話してくるだけだ。まさかとは思うが、俺にお熱なのかもな?」
洸は俺の言葉にウーンと悩み、答えた。
「交際しているのかい?」
「まさか。それは絶対有り得ねぇよ。俺の女の好み知ってるだろう? 『俺』なんだしさ?」
「一文字さんのように体つきが未熟で尚且つ(なおかつ)成長の見込みがない女性は異性として見ずらい。付き合うとしても、どうしても子供相手に感情を抱いているような感じになるのが嫌。だから交際するなら年上か、肉体の第二次成長が超発達している女性がいい。
こんなところかな?」
お前今アイツに非常に可哀想な断罪事実を述べたのな・
そういう風に自分の趣向をスラスラ言われると気恥ずかしい気持ちが過ぎったが、一瞬で杞憂に変わった。
菟柄 洸は菟柄 彪なのだ。コイツは俺なのだ。自分は自分。
洸は言わば鏡に映った己。トイレの鏡に自分の姿があっても恥ずかしくないように、洸に何を言われようがそれは自分への問いかけだ。コイツの存在は俺からの第三者目線であって、洸の発言は俺の言葉でもある。
「流石は自分。話が早くて助かるぜ」
だが自分ゆえに、
「じゃあさ、彪が今までお昼を一緒に食べていた瀧さんはどうなんだい?」
的確に俺の急所を突いてくる。
「だってあの子スゴイ大きいよね?背が小さいから益々デッカク見えるよ。瀧さんはあんまり跳んだり跳ねたりする人じゃないけど、今日教室に来たとき外見てたよね?そのとき、机の上に瀧さんの胸がキレイに乗せられてたのハッキリ見たんだ!もうあの子に制服のカーディガンがパンパンになってたね。多分他の見てた男子のズボンもパンパンになってたね」
うちの学校の制服はブラウスに紺のカーディガンを羽織るという具合なのだが、なぜかスカートに上をインしなければならん規則になっていて、多くの女子生徒はあんま守っていない。
瀧は真面目なのか、ちゃんとルールに従っているのだが、上がスカートに引っ張られてるせいで、ただでさえビッグな膨らみがカーディガン上で大変なことになっているのだ。
「あの子なら、彪の好みに該当すると思うけど?」
ニコニコしながら、洸は聞いた。確かに彪の言うとおりだ。
「瀧はそうゆう風に見たくねぇんだよ。あの顔は俺の恩人なんだ。本人は何とも思ってないかも知れないけどな。だから菟柄 彪は、瀧 順子に凄い感謝してるし、彼女をかなり尊敬してるんだ。俺は恩人をそういう色眼鏡で見たくないんだよ」
そうこう話していると、俺たちは業満様が奉られている御堂の前に辿り着いた。前に賽銭箱とカランカラン鳴る鈴がある。
俺と洸はしばらくそのお堂を見ていた。
「行こうか?」
「ああ」
言い出したのはどちらからだろう?
俺たちは神社を抜けて駅へと続く道を歩いていった。
※
「何しているのですか?」
「うわ! お……俺は……その……」
「貴方の手に持っているのはこの学校の購買部で販売している『鯛焼きパン』とお見受けします」
「ん……? あ、ああそうだよ! 悪かったな!」
「はい。最悪です。私は甘いのが嫌いです」
「べ、別にアンタの好き嫌いは聞きたくないけど」
「私の好きなパンは『商品名、マザコンヌレヌレパン』です」
「……そんなパン売ってるのか? 僕は見たこと無いけど」
「裏購買部というものが存在しまして、そこの会員になると一日一人一個の限定品、『AV食品』が購入可能になります」
「へぇ、そのパンどんな味がするの?」
「お母さん特有の熟れた母乳の味がします。熟女の濃厚な甘さです」
「甘いの嫌いなんじゃ……?」
「何故、部室棟の吹き抜け廊下で昼食を? 確かにここは学校より高い位置になっていて、校舎を眺められる見晴らしの良い場所ですが」
「なあ、この後ろの部屋ってアンタの部室だったのか? 目障りだって言うなら、俺は消えるよ」
「目障りだから、お待ちなさい」
「えぇ?」
「私に提案があります。ですが、まず名乗りなさい」
「俺は菟柄……」
「私は瀧という名前じゃなかったり」
「違うの?」
「いえ、今のはモスクワジョークです」
「どこらへんが?」
「話が逸れました。ところで菟柄さん」
「何だよ?」
「良かったら、私とお昼をご一緒しませんか?」
俺はそのころ一人ぼっちだった。
※
どうも眠っていたらしい。覚醒する意識の中で、己の居場所を確認すると、どうやら自宅の二階に位置する自分の部屋のようだ。
聴覚に扉を開く音が聞こえた。そこを見やると自分とそっくりの人間が顔を覗かせた。洸は俺に夕食が出来た旨を伝えた。俺は洸と一緒に階下に降りた。
家や学校での洸の立ち位置は俺の双子の兄弟というものらしい。ドッペルゲンガーの力とやらで、会った人間にそう暗示させてるらしい。ゆかりに話したように自分からバラさない限り、相手には洸の正体を認識できないそうだ。
家では俺と洸は一緒の部屋を使っている。就寝の際にはベッドは俺が使い、洸は床で寝ている。互いのプライバシーもクソもないが、洸は俺なのだ。自分相手に何を恥ずかしがる必要があるんだ? 空いてる部屋は無かったし、目の届かない場所に自分の体がウロウロしているのも、イヤな気分だった。
俺は洸のことを菟柄 彪に付随する体の一部と考えていた。手足や臓器を置いていく人間がどこにもいないように、俺は洸をどこに行くにも連れて回った。トイレや風呂までは一緒じゃないが、ほとんどの場合、俺と洸は一緒に行動した。行く先々で洸は俺に助言し、助けてくれた。俺は洸を頼っていたのだ。
※
次の日の学校の四時間目は自習だった。課題とされたプリントを早々に終えた者達は、各々に好き勝手していた。
女子は宇村教師の計らいで、自習は体育となっていた。夏の体育授業といえばプールだ。
俺はゆかりに言われたわけじゃないが、『今の』瀧のことが少し気になった。もしかしたら、行かなくなってからも、俺のことを待っているかもしれない。
俺はとある理由から、瀧と会うことを忌避しているのだが、洸と二人なら、そんな気兼ねもいくらか楽になっていた。久しぶりに生物部に行ってみるか。
俺は洸を伴って教室を抜け出した。女子はプールから帰ってきてないから、瀧が先に部室にいることはないが、待ってやるのもアリだろ。
部室棟は新井高校の裏手にあり、さらに奥に進むと山中の林道が広がっていて、そこをずっと歩いてゆくと、駅に出る道につながる。俺が登下校で使っている道だ。
部室棟はかなり年季が経っており、ややボロボロ。ほとんど外に居る運動部は使っておらず、文芸部や生徒会が主として使用している。
以外にも生物部の鍵は開いていた。俺達二人は顔を見合わせて、部室の扉を開く。
生物部は広さはそれなり。壁の棚にはケースが有って、よく分からない昆虫やら何やらがひしめいている。あと本棚にはいくつかの本が。図鑑とかマニュアルだろうか?
「御機嫌よう」
部屋の中に一人の男子生徒がいた。肩幅が広く、やたら厚い胸板が制服の上からでも分かる体つき。分厚い唇と、太くかつ鋭い眉。タレ目のくせに無駄に強い眼差し。ここまでゴリ属性を持つ人間が、今は巨体を縮めて、椅子に座って読書してやがる。こんなアンバランスな奴は俺の知っているなかでは一人しかいない。
「…………風見 孜朗乎」
「イエス。久方ぶりだね?」
忌々しげに呼んだ名前は風見 孜朗乎。女の子みたいな名前。順子と同じ数少ない生物部員で二年。
この男とは何回か放課後に会ったことがあるのだが、非常に苦手なタイプだった。なんというか、あの威圧的な外見とあの強烈な眼光と間近に対峙すると、身がすくんでしまうのだ。図体がデカイくせに運動オンチでかわりに成績優秀。しかも顔がもろに大型猿人類型なのだが、なぜか女子生徒にモテる。ムカつく。
「お前が昼休みにここにいるなんて珍しいじゃねぇか?」
「ふふ、ボクは今日、授業が早く終わってね。ふと気が向いてここに足が来たわけさ。む?そこの彼は?」
俺に続いて洸が入ってきた。そっくりさんは風見に会釈する。
「僕は菟柄 洸。彪の双子なんだ。最近この学校に転校してきたんだ」
「どうもご丁寧に。ボクは風見 孜朗乎と人に呼ばれている。コンゴトモ ヨロシク」
何故にカタカナか? 恭しく頭をたれる文学ゴリラ。どっしりと椅子に座った奴の隣の机には、高そうなティーセットが置かれている。まさかこんな生物臭煙たいここで昼休みティータイムを楽しんでいたわけじゃあるまいな?
「ん……?それ何?」
洸の質問に風見は答えた。
「これはボクの趣味でね。洸君。家から持ってきたわけさ。でも今は置きに来ただけさ。現時点は別の目的がある」
「…………? そういえばさっき洸のこと下の方で呼んだな?」
「無論だな。ボクにとって君は菟柄君。新たに現れた君の双子も同じ苗字と名前だ。なら判別のために、洸君には下の名前で呼んだのだが、御気に召さなかったかな?」
どっちでもいいけどな。俺と洸は風見に促されるまま、残った椅子に座った。部屋の住人はゴソゴソと棚からあるものを取り出した。それは大きめの双眼鏡で二つ出して、一つは俺達に渡した。
「これが別の目的か? 何見るんだ?」
「野鳥の観察だよ。今回は水鳥だがね。君達も見るかい?」
なるほど。生物部らしいな。確かに部室棟は林や木々に囲まれている。鳥なんかもいるんだろう。でも水鳥なんかこんな所にいるのか?俺は生憎、鳥に興味は無い。洸に譲るよ。
「野鳥だって! しかも水鳥? そんなものがココから見えるわけ……」
洸は俺の意図を察してくれたのか、意気揚々と双眼鏡を掴んだ。そして風見と一緒に外に出て行った。俺も一人で部室に残るのもつまらなかったので、後をついていった。
外といっても部室の前である。ここは部室棟の端っこで人気ない部室棟の中でさらに寂しい場所だった。
しかし、双眼鏡を覗く二人の情熱は大変お熱いものであり、口々に唸ったり、感嘆の声を鳴げている。へぇ、風見の奴もこんな少年のような顔をするんだな。
二人の見ている方角は学校の方で、何故かその周りだけ林や木が少なかった。開けた視界の中に鳥の姿は無く、二人はそんな遠くのものを見ているのだろうか?洸はやけに血走った目で。風見はフッとニヒルに笑いながら。
俺はその遠くの方へ目を細めて見る。
「おい洸。貸せ」
「いいよ」
双眼鏡の中はブルー。その青を弾く肌色。無防備なダブルカラーの群れ。
「ボクは前日からこの時間が自習になることを知っていた。そしてそれが宇村教師のクラスだと。異性に甘い彼がどんな自習をするかを。これらの情報を元にボクは事前に双眼鏡の視界を確保するため、この林に工作を施した」
双眼鏡から見える世界。それは延長された自習授業。プールで無邪気に遊ぶ女子達の水着姿だった!
この学校のプールは林側に作られていて、周りから見られる可能性も低く、代わりに葉っぱやら木片やらが落ちてきて、やや汚い。
だがこの暑い時期に文句を言う奴はいないし、そもそも男子と女子は分けられて別々に授業をするため、風紀の面でも問題は無かった。
だが例外が二つあった。一つはこの水泳が自習であるということ。普通、片方が水泳だともう片方は暑い中、グラウンドでランニングという地獄を味わうことになるので、女子がプールでも覗くような暇はない。だが今は俺達野朗はメンズフリーである。
二つ目は場所である。近くから覗きに行っては見つかってしまう。そうなると女子達のパシャパシャのプシャプシャ拝むには当然遠距離からの狙撃が必要となってくるが、林や細い木々が如何せん邪魔になってくる。
しかし、この障害は部室棟の絶妙な場所と、一人の男の努力と汗で解決されてしまった。
「何てこった! 風見お前は神か?」
「誤解しないでくれたまえ。今この瞬間に双眼鏡が万華鏡に変わったのも、何かボクに特別な才能が備わっていたわけじゃない。それは……」
俺と洸は英雄の口から語られる真理に耳を傾けた。
「それはボクが、『漢』だったからさ」
風見 孜朗乎。俺はこの男が気に入らなかった。だがそれは嫉妬だったのかもしれない。こんな凄いことができる人間を妬まないわけはない。今認めよう。菟柄 彪はコイツに出会ったときから、敗北していたんだ。
俺は崇拝と畏敬の念をこめてその名を呼んだ。
「孜朗乎様!」
「止してくれたまえ菟柄君。今はこの奇跡を共に堪能するとしよう」
「そろそろ僕にも見せてよう?」
洸の言葉を無視して、俺は覗キングを再開した。
ちなみにこの学校は一応、高校生用学校指定水着と水泳帽が販売されている。上と下が一緒になっている健全なアレだ。新井カラーは青色。プールで授業延長をカワイク訴える生徒達の半分は色気もそっけもないコレを着ていた。
だが稀に、身体的成長の乏しい者や、買うのが面倒だった者は、中学時代のものをそのまま着用している。上と下が別になっていて、人の潜在意識に誤作動を起こさせているのか、なぜかイヤらしく見える旧式水着。あの全時代の至宝(スク水)を着してらっしゃる女子生徒がいるのだ!
「どういう……事だ? どうして今どき旧スクが?」
「ほう、菟柄君、君も意外と通だね?」
風見は俺の発言に妙な笑みを浮かべ、ウンウン頷いた。俺は変態ではない!
だがそう言いつつも自然と眼球は旧型水着を着ている生徒を追っていた。炎天下の中、水の中を踊る女体。弾ける水飛沫。聞こえるはずの無い黄色い声。キラキラと太陽を反射する少女たちの肌。水に浸かり湿った水着は透けるはず無いのに、中身に目を凝らしてしまうのは、何故だろう?
一人の女子生徒が水からプール端のコンクリートに上がってきた。水泳帽とゴーグルをかけたその子ははたから見るからに恐ろしくデカかった。明らかにCやDじゃきかないサイズ。どうして分ったかというと、彼女の柔肌を包むのが、あろうことか旧タイプの方だったのだ!明らかに体の成長に合わない水着の胸元は大変なことになっており、なんと鎖骨の少し下にご立派な谷間が出来てるという奇跡。これは夢か?
「おお…………!」
水滴が彼女の水泳坊から水中ゴーグルを通り、首から鎖骨へ。数多の水が青の領域へと入り、パンパンにパッケージングされたν(ニュー)の上を駆け巡った。しかし、いくつかの水分は中央に流れ、肌と青の境界に出来た山脈に溜まり、ダムが……。胸の坂を下った水滴は下腹部の布地に染み渡り、最後はムッチリとした太股の間の闇に消えた。水滴のユクエは誰もシラナイ。
いったいこの少女の正体はと気になり始めたところで、横から双眼鏡を取られてしまった。
「隙アリ」
「あ、お前! 洸返せ!」
俺の声を無視して水着観賞を始める洸。だが、しばらくして嬌声をあげ始めた。
「何てこった! 予想はしていたけど、これ程とは!」
もう一人の自分の思考に心当たりがあった俺は洸に問うた。
「もしかして、胸がやたらデッカイかつ、何を間違えたのか旧スクで着ちゃってる子か?」
「ハハッ、よく分かったね? いやぁ、凄いよ彼女。普段も凄いけど、脱いだらもっと凄い。もう瀧さんユサユサ揺れてるよ」
「……………?」
洸の報告を聞いて、俺は血の気が引いた。下の部分の血液も。アレは瀧だったのか?
ナンテコッタ。俺は瀧を恩人だから、そういう対象にしたくないと強く思っていたのに、俺はさっきまでもの凄い欲情の眼を向けていたってゆうのか?
幸福だった時間が一瞬にして居心地の苦しい場となった。自己嫌悪した俺は居た堪れなくなり、そっとその場を後にした。
嫌な気持ちを抱えて教室に戻った俺は、弁当箱をぶら下げていることに気付き、弁当を自分の机の上に置いて遅めの昼食を取ろうと思った。時計の針は昼休みが半分経過したことを告げ、女子が何人か帰ってきた。教室に水の残り香が香る。
食事を進めていると、横に気配が。顔を上げると、そこには瀧 順仔が立っていた。運動によって熱がこもった肌と、髪が少し濡れて顔にかかった姿が、どこか扇情的だった。
俺の悶々とした気持ちを少しも知ったようはなく、彼女は無表情に親指をクイッと教室の外に向けた。付いて来いってことか?
廊下に出て少し歩き人のいない所に出ると、瀧は言った。
「もう一人の貴方は連れていないんですか?」
「あ、ああ。アイツはそのぅ、別のことしててな」
流石に、さっきお前の部室で覗いてましたよ、とは言えない。ん?もう一人って?
「そうですか。彪君、貴方に言っておかなければならないことが有ります」
イヤに真面目な顔して瀧はそう切り出した。でも俺にもお前に昼休みのことで、言っておきたいことが…………。
「彼らに何も頼まないでください。貴方の状況を悪くするだけです」
「彼ら? おい瀧、何のことだよ?」
彼女は言いずらそうに口を開こうとしたが、急に視線を俺の後ろに向けると目を細めた。瀧は俺の問いに答えないまま、方向を変えて歩き去って行く。
俺は瀧が去った逆の方向、後ろを振り返る。ずっと奥に曲がり角があった。見える光景の中に誰も居なかった。
瀧の先ほどの表情。あれは何かを警戒する顔だった。その答えがあの向こうに有るのか?
ゴクリと息を呑み、冷や汗をアクセに、俺は問題の曲がり角に目を凝らした。だが向こうに進もうと思っても足が動かない。
おいおい、何を考えているんだ? 何に怖がっているんだ? 俺はあの角を曲がった先
に『恐ろしい(何か)もの』がいると思っているのか?。
「……なんだそりゃ? ハハハッ、俺ってビビリだな」
後ろに気配。
「ふんっ!」
振り向きざまに出した裏拳『タケシ=オーシャンナックル』は相手の鼻面に直撃した。空気中に血を撒きながら、後ろの人間は地に倒れた。まいったか!
その男は自分とソックリの顔をしていて、目をパチクリしながら俺を見ていた。
「何すんだよ! いきなり殴るなんて」
「何でここにお前が? スク水天国に鼻血ものだったか?」
「彪に殴られたんだよ!」
俺は申し訳なくなり、洸に手を貸して起こしてやる。ティッシュを出して、鼻を拭いてやった。
「俺の後ろに立つな。命が惜しければ。それはそうとお前、ちゃんとお昼を生物部で食べたか?」
「食べてないよ。最後に方になって風見君が大きなカメラ使い始めたからね。その写真を吟味するだけで昼休み終わったよ。まあある意味、かなりお腹オッパイだね」
「それ字、間違いな?」
コイツ本当に俺のドッペルゲンガーか? 俺はこんな犯罪者ではなかったような気がするが…………多分。
俺達二人は授業のベルが鳴る中、大急ぎで教室に戻った。