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幸せな思い出  作者: 厚揚げさん
ネリネ
6/43

1-6

地下の通路は、外の混乱が嘘のように静かだった。

遠くで金属がぶつかる音と、

人々の叫びが反響している。


アルドはミアの前に立ったまま動かない。

背中は血に濡れ、呼吸は荒い。

それでも、そこに“壁”のように存在していた。


ミアは一瞬だけアルドを見上げてから、

ゆっくりと騎士に向き直った。


指が、動く。


――なにが、あったの?


騎士団員-セオドアは一瞬言葉を失った。

彼女は怯えていない。

ただ、“知ろう”としている。


「……この場所は、もう終わる。

 ここにいる人たちは、外に出られる。

 もう、殴られなくていい。」


ミアはその言葉を必死に追い、意味を拾おうとする。

彼女は、小さく頷いてからまた指を動かした。


――みんな?

――ここのひと、ぜんいん?


「ああ。子どもも、大人も。

 君も、ここから出られる」


ミアの目が、少しだけ大きくなる。

それから、

彼女はそっとアルドの方を仰ぎみた。


血に塗れた背中。

剣の柄に手をかけ黙って立つ、その人。

ミアは強ばった顔をしたセオドアを見る。

今度は少し微笑んで指を動かす。


――このひと、こわくない。

――やさしい。


セオドアは息を呑んだ。

目の前にいるのは、

幾人もの命を奪ってきたであろう世間を騒がす闘技奴隷。

剣を抜けば、自分を含め何人倒れるか分からない存在。


それを、

彼女は迷いなく「やさしい」と言う。


「……君は、

 この者が、何をしてきたか……」


言いかけて、

セオドアは言葉を止めた。


ミアは首を傾げて、穏やかに笑った。


――このひと、

――わたし、まもる。

――いつも。


その指は、

震えていない。

ただ当たり前のことを語るように、

滑らかに動いている。

この国で学のある者しか学ぶ機会のないはずの手話を使いこなして。


その乙女の前で血に濡れた青年は何も言わない。

ただセオドアの目を、

暗く光のない瞳で静かに見つめ続けていた。


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