第6話 深み
仕事の方は、堅実なクライアントに恵まれ、大儲けもしなければ大損もしなかった。
四〇歳の初夏。取材に出かけ、地下鉄のホームを移動していた時だった。電車を降りてきた紳士の靴を踏んでしまった。紳士は烈火のごとく怒った。ひたすら謝りながらも、小杉には
「なんであれが見えなかったのだろう」
という疑問が渦巻いていた。
その日は仕事に集中できなかった。
「どうも目がおかしい」
妻に明かし、翌日、出勤前に地元の眼科を受診した。
症状を聴いて、眼科医はごく簡単な検査をし、近くの大学病院に紹介状を書いてくれた。
「今日、誰と来てますか」
検査に次ぐ検査で疲れ果てた小杉に、大学病院の医者は尋ねた。
「妻と子供たちです」
答えると、呼んで来るように言われた。
「あなた、失明しますよ」
妻と三人の子供たちを前に、医者は宣告した。
夜盲・視野狭窄に始まって失明にいたる「網膜色素変性症」だった。どの医学書にも「予後不良」とあり、難病に指定されている。
医者は隣接するリハビリテーションセンターに行くように勧めた。
小杉は一度はセンターを訪れたものの、将来に対する希望は見いだせないでいた。
小杉の酒の量が増えた。元気づけようと、酒宴を設けてくれる知人やクライアントもいた。人世横丁で深酒をし、終電に乗り遅れることもあった。
その年の秋、リハビリセンターから一通の封書が届いた。眼科受診者の会を起ち上げるという。
「どうせ大したことないだろうが、毎日くさっていても仕方がない」
小杉は気分転換も兼ねて出かけた。
若い男女が動き回っていた。同じ視覚障害者とは思えなかった。会場の最後尾にいた小杉は、閉会後にスタッフに声をかけていた。
「何か手伝えることがあればやりますよ」
会はピアカウンセリング(Peer-Counceling)の考えをベースとし、患者同士の交流を通じてQOL(Quality Of Life=生活の質)向上を目指すものだった。
月例会、年二回の旅行などのほか、活動を伝える会報も発行された。小杉は会報の担当となり、フットワークがよかったせいか、そのうち推されて副会長職に就いた。
会報の印刷・製本は小杉の事務所で会のスタッフが寄り集まって行われた。社員が帰ってからの作業であり、時間との勝負だった。
その号もなんとかホチキスで製本にこぎつけて、封入し、散会となった。
仲間を家路につかせ、小杉は明るい山村のカウンターでため息をついた。
「あら、どうしたの」
ママが気遣ってくれる。
「明日、会報を郵便局に出しに行かなきゃならないんだよ」
かなりの分量だった。小杉ひとりの力に余った。
「午前中なら、手伝ってあげるわよ」
感激の申し出だった。
翌朝、ママはジーパン姿で、ゴトゴトとカートを押して、小杉の事務所に現れた。
小杉はいくら感謝しても足りなかった。
「いよいよ、人世横丁から足抜けできなくなってきたな」
二人で郵便局に向かう途中、小杉はつくづく思ったものだった。