第2話 怪しき群像
ある日、データ入力会社の社長が訪ねてきた。
前職時代、付き合いのあった会社だ。近くのビルの一室に何人かのオペレーターを雇い、本人は自転車で営業していた。
「団体の名簿を発行したいという人がいるのですよ。ウチで入力しますから、編集・出版をお願いできますか」
社長は切り出した。願ってもない案件だった。
入力データがあがってくると、スタッフが校正した。校了になり、依頼主と池袋から一つめ、地下鉄丸ノ内線新大塚駅で会った。
「どこかで一杯やりながら、打ち合わせしようぜ」
依頼主は近くの居酒屋に入ろうとした。
「ウチなんか、一字一円にも満たない金額で入力してるのですよ。接待したら、赤字になりますよ」
社長は及び腰だった。すでに何回か付き合わされているようだった。
「なに言ってんだよ。名簿出したら、カネが入るじゃねえか」
依頼主は鼻で笑った。
「昨夜は警察で泊ってよう。飲み屋でやくざと揉めて、ぶちのめしてやったんだよ。今朝、奴ら『昨夜はすみませんでした』だって。『当たり前だ。オメェたち、けんかする相手が悪かったんだよ』って言ってやったんだ」
いきなり、武勇伝を披露した。
官庁にも顔が利くと言っていた。なんとも得体の知れない人物だった。
下町の店らしく、賑やかだった。
隣の席では男がふたり盛り上がっていた。
「オレはよう、あの野郎の正体、知ってんだよ。あの野郎、百均に入りやがったんだぜ」
癪に障る男でもいるのだろう。鬼の首でも取ったような口ぶりだった。
そういえば、池袋駅の近くに百円均一ショップが開店した頃だった。
メインストリートからは遠く、店の品ぞろえも少数。床は板張りで倉庫を改装したような造りだった。百均も草創期には「怪しげな店」と断じる向きがあったのだ。
名簿が発行された。社長が依頼主とともに小杉の事務所を訪れた。
二人の様子がおかしい。元の名簿が古くて、印刷物を団体から突き返されたという。
「それに、こりゃなんだよ。この黒丸はどういう意味だよ。相撲の黒星を連想させるので、嫌がられるんだぜ」
都道府県名の頭に付けたアイキャッチのことを言っていた。
「オレはえれぇ迷惑だよ」
自分で原稿の名簿を持ち込んでいながら、どこまでも被害者気どりだった。
社長も困り果てていた。データ入力代と印刷代金は、小杉が持つことになった。 小杉が生まれて初めて覗いた世界だった。
信用調査会社がやってきたこともあった。
「あるところから、御社に関する調査の依頼がありまして」
周年事業の出版について、見積もりを出していた学校があった。大きな仕事だった。
「どこの依頼ですか」
訊いても、もちろん答えない。
調査員に対応する間、その学校のことが小杉の頭から離れなかった。
「了解いたしました。堅実に経営されている様子、ご依頼主様にはお伝えしておきます。ちょっと、お電話を拝借してよろしいでしょうか。上司に報告しなければなりませんので」
調査員は会社に電話し、何度も太鼓判を押していた。
「ところで、弊社では月間レポートを発行しておりまして。これをご縁に定期購読をお願いできませんか」
カバンから申込書を取り出し、サインを求めた。
記事は新聞の経済面からの、単なる寄せ集めだった。その上、決して安くない料金だった。この時点でも小杉は調査員を一〇〇%疑っているわけではなかった。
その男とは池袋の路上で、一度だけすれ違ったことがある。獲物を漁っていたらしく、小杉には気づかなかった。
有象無象の衆が棲息していた。