第1話 着陸地点
まえがき
かつて、人の移動は激しくありませんでした。
「この街から出たことがない」
という話もよく聞きました。
今日では、そういうケースは少なくなっています。
筆者は進学・就職・転勤・結婚・独立・転職などに伴い、これまで二〇回近く引っ越しました。実に多くの街と関係、関りを持ったものです。ターニングポイントとなったところについては、いずれ、書き遺しておきたいと考えていました。
「人は昔話をするようになったら、年老いた証拠」
などと言われますので、敢えて先送りしてきました。
ところが、思い出深い街(地域)が都市再開発により、消滅してしまいました。 そこでは筆者の知る限りでも、たくさんの人生模様が繰り広げられていました。
(街にだって記憶がある。棲んだ人のことを覚えているはずだ)
と思ったとたん、街が愛おしくてたまらなくなりました。我を張っている場合では、なくなったのです。
本作ではフィクションを交えながら、自身の来し方を書いていくつもりです。
「確か、そんな男もいたなあ」
街が思い出してくれれば、何よりの鎮魂になるでしょう。
第1話 着陸地点
池袋はホームグラウンドではなかった。通勤時に忙しく乗り換えで利用するくらいだった。
不動産屋に案内されたのは、東池袋(注一)の雑居ビルだった。
ビルとは名ばかり、木造モルタル二階建て。一階に大家さん夫婦が住んでいた。テナントは五軒ほどで、一階にテーラー、二階には健康食品販売のほか業種不明の事務所も入っていた。
小杉の借りた部屋は階段を上がって右にあった。歩くとリノリウム張りの床がきしんだ。トイレは共同だった。
三坪ほどの部屋に事務机三つとワープロを置いた。前に勤めていた出版社のアルバイト二人が、小杉が独立したので後を追ってきた。
(大変なことになったぞ)
声はかけたものの、二人のスタッフを養っていくだけの仕事などなかった。
事務所は池袋ターミナルから徒歩一〇分ほどのところにあった。
不動産屋的には「大都会ながら、喧騒を離れた閑静な地」と言えなくもなかった。 六ツ又ロータリー(注二)に近く、三越の横を通って、豊島公会堂前の寂れた公園を抜けるのが通勤コースだった。
独立当初、たまにテープ起こしが入る程度だった。二人の女性スタッフは黙々とワープロに向かっていた。
そのうち、小杉が独立したことを聞きつけ、古い知り合いから依頼が入るようになってきた。それでも、小杉がまともに給料を取れる月はほとんどなかった。
「なんだか、大学のクラブの部室みたいですね」
取引先の社員が部屋に入るなり、懐かしそうに言った。確かに、オフィスが入っているようには見えなかった。
二階には経営者が外出している時など、明かりのついていない部屋もあった。
「社長さんとこは女性社員がいて、いいですよね。ウチは定着しない。この前なんか、初日に、収入印紙買いにやったら、それっきり、戻らない。家に電話すると『おかしい会社だから』って言うのですよ。全く!」
トイレで一緒になった代表らしき人物がぼやいていた。
部屋の電気が突然消え、大騒ぎになったことがあった。その日、スタッフの入力した原稿は無に帰した。
小杉が慌てて部屋を出ると、廊下の明かりも消えていた。脚立に乗り、二人の男が電気工事をしている。テナントへの予告もなしに、二階のブレーカーを落としたのだ。
「補償問題になりますよ」
小杉は厳重注意した。それでも、事の重大さをあまり認識している様子ではなかった。
一九八〇年代も半ばを迎えていたというのに、およそありえない技術者たちだった。
(注一)池袋:新宿・渋谷と並ぶ三大副都心の一つ。池袋のある豊島区は東京都の区部では北西部に位置し、JR東日本、西武池袋線、東武東上線、地下鉄丸ノ内線・有楽町線・副都心線が乗り入れる。埼玉県内へのアクセスのよさから、交通の一大要衝となっている。池袋駅を中心に、東西南北の地名が付けられている。豊島区のシンボルはフクロウ。
(注二)六ツ又ロータリー(陸橋):池袋駅の北東側にあり、国道二五四号の側道、都道三〇五号(明治通り)、都道四三五号(環状五号線)、同四四一号(池袋大橋)、その他街路が交差する。都内有数の交通事故多発地帯として知られ、五差路への改良工事が進められている。