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 時間にしてどれほど経ったであろうか。体感的には酷く長い間、地べたに寝転がりながら悶え続けたように思える。

 激しい胃の痛みがようやく落ち着いた頃、ベアトリーチェは冷えた汗を手の甲で拭いながら肩を大きく上下させて深呼吸をする。不思議と地中の中にあるのに空気はやけに澄んでいて、吸い込んだ新鮮な空気で肺が満たされる感覚に強張っていた力が抜けた。

 首を落とされても生き返ったベアトリーチェだったが、まさか水を飲んだだけで死にそうになるとは思いもよらなかったであろう。

 どっと体力を消耗してしまったが、渇きが潤わされたお陰で随分と身体が楽になった。

「……ここも、神殿……よね」

 規模は最初にいた場所の方が圧倒的だったが、どちらも神殿であることは変わりないだろう。ただ、こちらはもう何百年も経過したように造り自体が古く、あちこち崩れ壊れて今は忘れ去られた場所のようだ。

 穴の開いた洞穴とは違って天井に外へと繋がる穴はなかったが、崩れて首のない女神像の真向かい側からは、光の筋が差し込んで濃い影を落としている。出口かもしれないと期待したベアトリーチェだったが、その期待は直後にあっさりと打ち砕かれることとなった。

 折れた支柱が倒れた上に、崩れた瓦礫が積み上がっていて塞がれていたからだ。

 ほんの僅かな隙間から漏れている光を覗き込んで見ると、青く生い茂った草木の合間からぴょんぴょんと跳ねる野ウサギの姿が数羽見えた。どうやらこの場所は小動物たちにとって、他の外敵から身を隠せる格好の水飲み場らしい。

 流石にこの隙間を潜り抜けられる自信はベアトリーチェにはなく、非常に脆い状態の瓦礫を見るに、下手に無理をすればたちまち雪崩のように瓦礫が崩れて圧し潰されてしまうかもしれない。もちろん無事に抜け出せる可能性もあるだろうが、命を賭けた博打に挑むほど賭博にのめり込んでいた訳でもない。

「はぁ……駄目ね。やっぱり、地道に土台を作って穴から抜け出すしかないかしら」

 地道、という言葉がこれほど似合わない人間もいないだろうとベアトリーチェは自らを自負するが、動ける人間が自分一人しかいないのだ。餓死するよりも生存確率が高い方を選ぶべきである。

 ――いや。正確に言うと、もう一人いる。それも力仕事がお似合いの、見るからに野蛮な男が……。

 素直に言うことを聞くとも思わないし、そもそも言葉が通じない相手にどう命令を下せばいいのか悩むところではあった。

「…………まだ生きているわよね?」

 穴を潜り抜ける前はまだ息があったが、容体が急変して死んでいる可能性も否定しきれない。

 こんな状況でなければいくらでも野垂れ死んでくれたっていいが、せめてベアトリーチェの役に立ってから死んでほしい。

 再び這いながら狭い穴を潜り抜けるのに嫌気が差しつつも、様子見も兼ねて男の生死を確かめることにした。

「……!」

 幸か不幸か、男の生死はベアトリーチェが抜け穴から顔を出した時点で早々に確認できた。

 目覚めていた男は妙に焦った様子で不自由な脚を引き摺り這いながら、しきりになにかを探しているように見える。何度か身体の重心が崩れて倒れ、そしてその度に折れた脚が痛むのか顔を苦渋に染めつつも、何故か一向に捜索を諦めてはいなかった。

 ……剣でも探しているのかしら? と、嫌というほどベアトリーチェの網膜へ刻まれたあの長剣の存在を思い出す。崖から落下した際に手放してしまったのか、この洞穴には男の剣はどこにもなかった。

 仮に剣も一緒に落下していたとしても、先に目覚めたベアトリーチェが素直にそんな危険な物を放置しておく筈がない。男の手に渡れば、真っ先に自分の首が狙われるかもしれないのだから。自分に殺意を向ける男の武器など、この場にあればとっくに隠している。

 自身の折れた脚を気遣うよりも必死に剣を探すということは、きっと男にとってはとても価値がある物なのだろう。

 大事な剣を失くした上に骨まで折っていい気味だと溜飲を下げつつ、ベアトリーチェはさも何事もなかったかのように表情を取り繕いながら――非常に屈辱的ではあるが、ずる……ずる……と腹這いになって地中から姿を現した。

 その気配をいち早く察知した男は、弾かれたように顔を上げて――……。


「――っ!?」


 ばちりと、地面から這い出た直後のベアトリーチェと目が合った。


「…………」

「…………」


 ……そんな目でわたくしを見るな! と、叱責を飛ばしたいのはやまやまであったが、泥だらけの服をばさばさと払う真似をし、男の突き刺さる視線にはあくまで気付かない振りを続けて身だしなみを整える。

 整えたところでなに一つとして綺麗になる訳もなかったが、こういうものは表面上の体裁が重要なのである。

 二人の間を流れる絶妙に居た堪れない空気など無視して、ふぅ……と一息吐いてから男の方へようやく向き直る。ここにお気に入りの扇子があれば更に優雅さを演出する事ができたが、代わりに毅然とした態度で「なにかご用かしら?」と示すように顎をしゃくり。

 もしもあの見下すような顔をしていたのならば、躊躇なく折れた脚を踏み付けてやろうと算段していたベアトリーチェだったが。


 金色の目を大きく見開いて驚き固まっていた男は、何故だか酷く安堵したように――ほっと、その表情を緩ませていた。


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