【25】雪に転ぶ
こんなに、こんなに緩やかな傾斜なのに、いざ体が前に進んで坂を滑り始めるとかつてない程に恐怖が募る。ええー?初心者用ゲレンデってこんなに怖かったっけ?
と、とにかくスピードさえ出さなければなんとかなるはず。足を八の字に開いて…む、難しっ。そんなに上手にボーゲンができているとは思えないが、なにせ傾斜が緩いのでスピードはさほど出ない。よたよたじわじわと下ってこのペースならなんとかなるかなぁと思い始めた時、「わーー!ごめんなさーい!!」と叫びながら脇すれすれを子ども滑走隊員が滑り抜けていった。
あぁ…私も昔よくあんな風になってたなぁ。ぶつかったり転んだりはしないんだけど見通しが甘いんだよね子ども…。あの頃ご迷惑をかけた大人の皆さんごめんなさい…その中にもしゾンビになっちゃったけどスキーがんばっていた人がいたら特にごめんなさい…。そんな走馬灯を頭に浮かべながら、私は反動でよろりと倒れた。
昨日たっぷり降ったので雪は柔らかく、ぼふぅっと少し埋まる。滑りも倒れもスローペースだから体は問題ないだろう。しかし一人では起き上がれそうもない。視界は一面の青だ。冬山の空気は澄んで透き通るような空が広がっている。ゾンビにならなければ、転んでぼんやりと空だけ見てるなんてこともなかっただろうなぁとちょっと面白く思っていると、視界に神野くんの顔が現れた。
とても心配そうだったので、「へへ、起きれない」と笑いながら言ってみた。神野くんは少しホッとした顔になると、「痛いところない?」と聞いた。「うん、大丈夫」と答える。
仮に折れてても自分ではよく分からないからね。神野くんから見てあり得ない方向に捻じ曲がったりしていないならたぶん大丈夫だろう。手を引っ張ってもらってゆっくりと起き上がっていると、上から香澄が、下からはえっこらと井田くんが登ってきた。
「あかり大丈夫?」
「暴走ガキンチョだったな。惜しかったな、へっぴりながらもまあまあのペースだったのに」
「うん、まあお子様はあんなものだから。そうなんだよへっぴりながらもなんとかなりそうかなってちょっと調子乗り始めたところだった。でも下まではゆっくりなら降りられそう」
ここで「足をくじいた」と嘘でもつけばこれ以上スキーをせずに済むだろうけど、それではますます気を遣わせてしまう。
「体力的には2往復くらいが限界かなー。みんなをヘタクソに付き合わせるのも悪いし、私は休憩所でのんびりお茶してるよ」と言ってそこそこ滑ってからレストランに退避しようとしたら、神野くんが「俺も付き合う」と一緒に来ようとする。
「え、いいよ。神野くんはまだまだ元気でしょ」
「いや、一人だとし…寂しいだろうし」
「有、そこは『一人にしてナンパとかされたら心配』とはっきり伝えるんだ」と後ろから茶々を入れた井田くんが神野くんの雪玉ストレートを顔面に食らって後ろに倒れこんだ。
その隙にとばかりに香澄が「じゃあまた後でね、あかり」とするすると滑っていく。
「セ、センパイっ!待って!香澄センパイにも絶対ナンパ男なんかオレが!近付けませんから!!」と慌てて立ち上がって追いかける井田くんに遠くから名前で呼ぶ許可はしていないといつも通りの声が響いてきた。
二人でそんな様子を見送って、そして神野くんが「行こっか」と言って一緒にレストランへ。さほど混んでおらず、飲み物だけでも大丈夫そうだったのでホットのカフェオレを頼んだ。実際には別になんでも同じなのだが、暖かいところで温かい飲み物を飲んで人心地、という雰囲気を出すべきだろう。私もなかなかゾンビ上級者になってきたのだ。
井田くんの馬鹿話とか、最近読んだ推理小説の話とかでひとしきり盛り上がり、ふと会話の途切れた瞬間に、神野くんがポケットからゴソゴソと小さな箱を取り出して、私の目の前に置いた。綺麗にリボンがかかっている。
「えっと…貰ってほしくて…」とちょっと照れた様子の神野くん。思わず「え、なんで?」と言ったらしばしの無言の後に「…クリスマスだから」と答えられた。
く…クリスマス??!今日が??そういえば…そんな気も…。ヤバい、ゾンビ的にあまりに無関係感が強すぎて頭からすっぽり抜け落ちていた。仮にも若い女子の分際でクリスマスを忘れ去ってるとかダメだろうそれは。と言うかこの空気どうすればいいの神野くんがなんとも言えない表情してるよ。と、とりあえず!
「あ…開けてみてもいい?」
「…どうぞ」
リボンをほどいて取り出した箱をゆっくり開けると、中からは綺麗なブレスレットが出てきた。とても繊細で可愛い…つけてみようと思ったが、ブレスレットというのは片手だけでつけなければならない。元来さほど器用ではないが、ゾンビになって以降は特にこの類の動作がなかなか難しい。モタモタしていると見かねた神野くんがつけてくれた。
手首に巻かれた金色の鎖は、ゾンビにはきっと可憐すぎるものだろう。でも。
「ありがとう…。すごく綺麗」
「あ、いや、そんな高いものでもないし」
「ごめん、私なにも用意がなくて」
「ああ、それはまあ、うん。そうだと思ってたし」
なんかすみません…最初からクリスマスなんて頭から飛んでる女だと思われてるよ…。
「あーそれから。言っておかないといけないんだけど」
と神野くんが渋い顔を作って話しにくそうに言うには。
「井田がさ…あ、それ一緒に買いに行ったんだ。あいつが女の人の好むもの分からないから参考にさせろってついてきて。それで俺が買った後に高村先輩に同じのをあげるって言い始めてさ…。さすがに全く同じのはやめさせたんだけどお揃いのになっちゃって…」
…なるほど?
「…だから、あいつが先輩に無事受け取ってもらえた場合にはその…」
私と香澄でお揃いのブレスレットになると。
「なんかごめん」
「ううん。なんというか井田くんらしい」
「まあ受け取ってもらえるとも限らないし」
「ぶっちゃけ10%くらいだと思う」
「俺は3%もないと思う」
なかなか厳し目の評価だ。
それから数日間。別荘で寛ぐ香澄の方へプレゼントを持った片手を後ろ手に、「セ、セ、センパ…」と挙動不審気味に近づく井田くんを何度か神野くんと共に見守ったのだが、その度に香澄のお父様が「やあ、井田くん!」とお声をかけて。
「君、チェスはできるかい?」
「ヒエっ?む、無理です。将棋なら一応…」
「そうか、じゃあ将棋でいいよ。香澄は相手をしてくれなくてね」
と井田くんをなにかしらボードゲームに誘い、コテンパンにしていた。
「私よりチェスの弱い男には香澄を嫁にやらないと、常々言っているんだよ」
「そ、そうなんスか…」
「まあ将棋でもいいかな」
「……」
結局。井田くんはプレゼントをポケットに入れたまま、「麻雀とか桃鉄じゃダメかな…」と倒れこんで旅行を終えた。
たぶんあのお父様には、桃鉄でも勝てないと思う。
(続)




