表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/8

4.《女王狩り》

 あるところに、ゲルダという少女とカイという少年がいました。二人の家はおとなり同士で、ゲルダとカイはいつも仲よく遊んでいました。

 そんなある日『悪魔の鏡』が割れ、その破片が世界中に散らばってしまいました。数多くの破片のうち、二つの欠片がカイの右目と左胸に突き刺さりました。『悪魔の鏡』は目に見える傷こそ作りませんが、人から優しい気持ちをうばい、悪い部分ばかりを引き出す恐ろしい代物です。

『悪魔の鏡』が刺さったその日から、優しかったカイの性格は変わってしまいます。

「汚っねえ花だ! なんだこんなもん!」

 ゲルダと一緒に育てていたバラを踏みつけます。

「うるせぇ、ババア!」

 二人が大好きだったおばあさんのお話も聞くことはなくなりました。

 ゲルダはカイが変わってしまった理由が分からずに悲しみます。ゲルダは懸命に話を聞こうとしましたが、『悪魔の鏡』に毒されたにカイは聞く耳を持ちません。二人は仲良く遊ぶこともなくなり、カイは一人で悪さばかりを働くようになってしまいました。

 そんな中、大雪の降った次の日のことです。

 小さなそりで遊んでいたカイは、一台の大型そりが走っているのを見かけました。

「お、あれに俺のそりを結びつければ、もっと速く滑れるぜ」

 カイはそりが止まっているうちに、自分のそりを結びつけることに成功しました。そりが動き出すとカイのそりもぐんぐんスピードを上げていきます。始めの頃こそ歓声を上げていたカイでしたが、大きなそりは止まるようすを見せず、ものすごい速さでどんどん進んでいきます。町ははるか後ろに過ぎ去ってしまい、吹きつける風は身を切り裂くように冷たい風です。ついにカイは耐えられなくなって泣き出してしまいました。すると、大きなそりはピタリと止まり、そりから氷のように美しい女性が降りて来てカイの方に近づきました。美しい女性は何も言わず、カイの額に雪のように白く、氷よりも冷たい手を置きました。その瞬間、泣き叫んでいたカイは無表情になり、女性に手を引かれるまま歩き出しました。それからカイは女性と共に黙ってそりに乗りこんでしまいました。二人を乗せたそりは滑りだしたかと思うと、突然空に浮かび、真っ暗な雲の間に消えてしまいました。

 さて、雪も消え春のきざしが見え始めるころです。その頃になってもカイは帰って来ませんでした。町の人々はカイは川に落ちたのだ、と言いましたが、ゲルダはカイがどこかで生きているといつも信じていました。

 ゲルダはある日、カイを探しに行く決意を固めました。

 彼女はカラスからカイを連れ去ったのが雪の女王であると教えられ、魔女や、ある国の小さな王子と王女の助けを借りたり、山賊の娘からトナカイをゆずって貰ったりしながら雪の女王の住まう城を目指しました。

 ゲルダはさまざまな人の助けを借りて、いくつもの困難を必死の思いで乗り越えて、雪の女王の城に辿り着いたのです。

「待ってて、カイ。必ずあなたを助けてみせるから」



 

「おや、どうかしましたか、レコくん」

「え?」

「何か、うれしそうに見えますよ」

 オキナさんがコップを拭く手を休めずにそう言った。朝食の時間が終わり、《狩り》達がくつろぎつつ仕事を待つ時間帯だ。現にカウンターに座る僕の後ろの方では、何人かの《狩り》達が談笑している。

「そうですか?」

 僕はただ、食後のコーヒーを飲みながらこれまで書きつけてきた《狩り》の記録を見ていただけなのだが。

 もちろん正式な記録は《狩人屋(オリオン)》に提出済みなので、今、僕の手元にあるのは仕事の最中に走り書きで書いたメモのような物だ。僕も意外と経験を積んできたのでそれなりの分量になっている。記録係の中にはこんな走り書きはさっと処理してしまう人もいるのだが、僕はどうしても捨てられない。おおげさに言えば、この紙束は僕の戦果なのだから。苦労して書いたものばかりだし、愛着がわいてしまう。

「だいぶ仕事にも慣れてきたのでは?」

「さすがにそこまでは……なんとかこなせるようになってきて程度です」

「ほう。三件でそれなら十分でしょう。しかし、君はそうそうたる面子と仕事をしている。実を言えば、レコくんの評価は《狩り》達からも上々なのですよ。また一緒に仕事をしたい、という声もきいています」

「そ、そうですか……」

 自分としてはそんなつもりはなかった。うまくやれているとは思いもしなかったし、必死で食らいついていただけなのだが。正面からそんなことを言われるとすごく照れる。

「自信を持っていいのではないでしょうか。……持ちすぎは困りますがね」

 オキナさんは磨き上げられたコップをしまい込みながら言った。僕は笑って答えた。

「もちろんですよ。そんなことすると《傲慢狩り》に叱られてしまいます」

「確かに」

 古びた給仕係は最後にカウンターを一拭きして、朝の戦いを終わらせた。毎朝毎朝、みんなの食事をつくるのは大変な仕事に違いないだろうに。それを平然とやってのけるのだから、やはりこの老人はただ者ではない。

「それで、レコくん。仕事の方は順調なようですが、記憶の方はどうです? 何か進展はありましたか?」

「いえ、それについては……あまりですね」

 記憶について語るとき、どうしても言葉が鈍る。無くした記憶はさっぱり戻らないし、様々な記憶を積み重ねて来た今となっては、昔の記憶が必要なのかどうかもわからない。仮に記憶が戻ったとして、今の記憶を忘れてしまったら? 昔の僕がとんでもなく嫌な奴だったら?

 そんなのは嫌だ。

「新しく記憶は戻っていません。相変わらず憶えてるのは緑色の光のことだけですね」

「ふむ。まあ、焦ることはないでしょう。ゆったりと構えていればいいのですよ」

 オキナさんは落ち着いた笑みを浮かべた。

「ではレコくん。私はお昼の仕込みがあるのでこれで。今日の仕事予定は?」

「今のところありません」

「ゆっくり休むのもいいでしょ……おっと、もしかすると仕事になるかもしれませんね」

 オキナさんが視線を上げ、入口の方を見た。つられてそちらを向けば、入口のすぐそばに、一人の少女が立っていた。

「メリアは今忙しいようです。レコくん、メリアの手があくまで話を聞いてあげてください」

「わかりました」

 依頼を一人で聞くのは初めての経験だが、依頼者を待たせるわけにもいかない。メリアさんもすぐに来てくれるだろうし、しばらくなら一人でも何とかなるだろう。

「こんにちは。《狩人屋》へようこそ。ご依頼ですね?」

「はい」

 少女は緊張しているのか硬い表情で頷いた。

「僕はレコといいます。こちらへどうぞ。ご依頼を伺います」

「ありがとうございます。わたしはゲルダです」

 ぺこりと頭を下げるゲルダ。僕はそのまま、いつもメリアさんが依頼者から話を聞いているスペースにゲルダを案内した。僕はソファに腰掛け、ゲルダにも座るように勧めると、彼女は何かを決意するかのように深呼吸をした。僕の対面に腰を降ろした少女は固く握った拳を膝に置き、力強い瞳でこちらを見つめてくる。

「それで、ゲルダさん。ご依頼の方は?」

「はい。ある場所から男の子を救い出してほしいのです」

 少女は揺らぎのない口調できっぱりと言った。

「助けてほしい男の子の名前はカイ。わたしの友人です」

 ゲルダはゆっくりとこれまであったことを語り始めた。


「なるほど。性格が豹変ねぇ……それに雪の女王か」

 ゲルダが語り始めてから、数分もしないうちに駆けつけて来たメリアさんがそう言った。

「はい。……わたしにはカイの性格が急に変わった理由も、雪の女王がカイをさらった理由もわかりません」

「雪の女王については私も知った風なことは言えないけれど、性格の急激な変化になら少し心当たりがあるわ」

「ほ、本当ですか⁉」

 ゲルダはテーブルに体をぶつけながら身を乗り出した。

「ええ。しばらく前に『悪魔の鏡』が割れたのよ。たぶんそのせいだと思うわ」

「あ、悪魔の鏡?」

 思いもよらない言葉に、ゲルダはポカンと口を開けた。たぶん、僕も似たような表情だろう。いったい、メリアさんが何を言い出したのか、よくわからない。

「知らないとは思うけれど、それは厄介な代物なのよ」

 メリアさんの説明によれば、『悪魔の鏡』は人の心の闇を映し出し、その思いで人の心を染め上げる。触れただけで心の善悪のバランスを崩してしまう。要するに善人を悪人にし、悪人をもっと悪くする、そんな機能を持った鏡だそうだ。その鏡が割れて世界に散ったらしい。不運にも、その破片に当たってしまった人は突然、性格が悪くなってしまい、暴れ出したり、人を傷つけたりしてしまうらしい。僕はまったく知らなかったが、《狩人屋》にも『悪魔の鏡』事件に関連した依頼が何件かあったようだ。

「もちろん確証はないわ。でも話を聞いている限り、その可能性は高いと思う。破片がすべてそろったという話も聞かないし」

「きっとそうです。だって、カイがあんなに変わっちゃうなんて、そうでもないと説明できない……」

「そうね。カイくんの友人のあなたが言うのならきっと正しいわ。ただし、当面の問題は悪魔の鏡の破片よりも雪の女王ね。噂でしか聞かないけれど、彼女も厄介な存在であることは確かよ」

「それは間違いないと思います。……だって、わたしは雪の女王の城まで行ったのよ。でも城門を守る怪物のせいで門に指すら届かなかった。みんなに助けてもらってやっとあそこまでたどり着いたのに! カイがすぐそこにいたのに! わたしが……!」

 ゲルダはせきを切ったように泣き出してしまった。僕はオロオロするばかりだが、メリアさんはすぐに立ち上がるとゲルダを優しく抱き締め、ゆっくりと背中をさすった。

「大丈夫よ、もう大丈夫。よく頑張ったわ。あなたは聞く者が聞けば震えあがるような相手にたった一人で挑んだんだもの。辛かったでしょう。でももう安心して。ここにはあなたをカイくんの元まで連れて行ってくれる人がいるから。最高の人材を紹介するわ」

「はい、はい……ありがとうございます」

「《女王狩り》! ご指名よ!」

 メリアさんはゲルダを抱きながら、後ろに叫んだ。

「は~い!」

 先ほど談笑していた《狩り》達の中から、一人の女性が立ち上がった。

 十代後半ぐらい、青と黄色を基調にしたドレスを身にまとい、ショートカットながら黒髪は驚くほどに艶やか。そして髪とは対照的に、肌は積もったばかりの雪のように真っ白だ。立ち上がった女性を守るように、彼女の背後、スカートの後ろから小さな七つの頭が覗いた。

 小人に囲まれた雪のような女性はほんわかした微笑を浮かべ、のんびりした口調で言った。

「ご指名ありがとうございますー。《女王狩り》が白雪で~す」

「ハイホー‼」


「初めまして~。《女王狩り》の白雪ですぅ~」

 白雪さんはのんびりと頭を下げた。雪の女王の城へ向かう馬車の中でのことだ。あの後、メリアさんに詳しい紹介してもらう間も惜しく、僕とゲルダと白雪さん、それから白雪さんの付き小人達は雪の女王の城へと向かって馬車で出発したのだった。

「ゲルダです」

「僕はレコです。記録係を務めます」

「ま~、この馬車は速いのね~」

 白雪さんは僕達の返事を聞いていないのか、窓の外を流れる景色を見て、感嘆の声をあげた。確かに馬車の速度はとんでもなく、景色は飛ぶように流れていくが、せめて相槌くらいは欲しいところだ。

「すごいわ~。便利ねぇ」

「だてに魔法の馬車を名乗ってるわけじゃない……って、そんなことより依頼人の話を聞いてやれ。相変わらずマイペースな奴だな」

 僕の隣に座っているツギハギだらけの服を着込んだボサボサ頭の女性がボソリと呟いた。そうシンデレラさんである。何を隠そうこの馬車はシンデレラさんのカボチャ馬車なのだ。依頼の場所が遠く、急を要するということで、メリアさんの采配により《悪女狩り》であるシンデレラさんが送迎を手伝ってくれることになったのだ。あくまで送迎を行うだけだとシンデレラさんは断言している。

「シンデレラ、そう急ぐといいことないわよ~? ほら、急いで物を食べたりしたら、喉につめちゃうでしょ? それと一緒よ」

 白雪さんはシンデレラさんの苦言を気にする風もなく、自分の膝の上で爆睡中の小人を撫でながらのんびりと言った。ちなみに僕とゲルダとシンデレラさんが固まって座っており、白雪さんは小人と一緒に僕達の対面に座っている。

「白雪は話を聞くのに向いていない。俺が話を聞こう」

 白雪さんのとなりに、ちょこんと座っている不機嫌そうな小人が口を開いた。

「マーズったら、ひどい」

 白雪さんは頬を膨らませるが、マーズと呼ばれた小人は鼻を鳴らしただけで、僕達に話を振って来た。

「面倒だろうがもう一度、最初から話せ」

「わかりました」

 ゲルダはそう言って、もう一度話を始めた。僕も彼女の話を再確認しながら、気になっていた小人達を観察した。

 まず白雪さんの隣で、静かに依頼書に目を落としている小人。真っ白で立派なひげをたくわえ、鼻の上に小さな眼鏡を乗せている。おそらく彼がリーダーなのだろう。次に話を聞いている不機嫌そうな小人。鼻ばかりかんでいる小人もいれば、ぼーっとした表情で窓の外を眺めている小人、ニコニコと満面の笑みを浮かべている小人もいるし、馬車に乗ってからずっと白雪さんの膝の上で眠っている小人もいる。

 ん? 確か、七人いたはずだが……最後の一人はどこに行ったんだろう?

 最後の一人を探して白雪さんの周りをよく見ると、白雪さんの背後から小さな顔がのぞいていた。

「あ」

 僕が思わず声をあげると、その顔はすぐに白雪さんの背中に隠れてしまった。

「あの小人は照れ屋だからね」

 僕が小人を見ていることに気づいたのだろう、シンデレラさんが小声で耳打ちしてくれた。

「照れ屋は『マーキュリー』。メガネは『ジュピター』。不機嫌なのが『マーズ』。鼻かみが『ネプチューン』ぼーっとしてるのが『サターン』。笑顔が『ヴィーナス』寝てるのが『ウラヌス』だよ。不思議な奴らだけど、悪い奴らじゃない。一緒に仕事をしたことはないけど、有能だと聞いている」

 シンデレラさんは自分の相棒を思い出したのか、微妙に顔をしかめた。

「どんな理由があるのか知らないが、白雪とも長い付き合いのようだ」

「なるほど」

 僕とシンデレラさんが小声でひそひそ話している間に、ゲルダの話は終わりに向かっていた。

「……というわけなんです」

「では、城の内部構造について、詳細は分からないということだな?」

「はい。すみません」

「敵の防衛体制の情報はほんとんどなしか……」

 マーズがあまりにも不機嫌そうに言うので、ゲルダは小さくなって恐縮している。そんな様子を見て、白雪さんがやんわりと言った。

「謝らなくてもいいと思うわ。だって、マーズったら、いつでもそんな調子だもの。たまには笑えばいいのに~」

「余計なお世話だ。地顔なんだから仕方あるまい」

「表情だけの話じゃなくって、よ。女の子には優しくするべきじゃなぁい?」

 マーズはその言葉を無視することに決めたらしい。返事をせずにジュピターに話を振った。

「ジュピター、雪の女王について何か知ってるか?」

「詳しくはないの。噂話ばかりじゃわい。いわく、反抗した者を氷漬けにして飾っておるとか、町一つを一瞬で凍らせたとか、かの? それはそれは冷たい人間のようじゃな」

「ほう。で、どうする?」

「ふむ。いつもと変わらんじゃろ。正面突破でもよいし、掘ってもよかろう」

「さんせーアハハ」

 ヴィーナスがそう言って笑い転げる。マーズは笑い転げるヴィーナスにチョップをかました。……それでも彼は笑い続けていたが。

「話は整理できたかい? そろそろ終着点だ」

 シンデレラさんが窓の外をのぞき、静かに言った。いつの間にか、窓の外は一面の銀世界に変わっている。ついに雪の女王の世界に足を踏み入れたのだ。聞いたばかりの雪の女王の噂を思い出して緊張で喉が鳴った。ゲルダの表情も心なしか暗い。

 そんな中でも白雪さんは相変わらず、おっとりと感想を口にした。

「ホント、速い馬車ね~。さすが魔法の馬車だわ」


 トナカイが引くそりは真っ白な吹雪の中を滑るように進んだ。叩きつけるような風で息をするのも一苦労だ。

「まったくもう~。魔法の馬車なのに雪道はだめなんて……」

 白雪さんは何度目かのため息をついた。

 シンデレラさんが終着点だと言ったのは、雪の女王の城に着いたという意味ではなく、ただ馬車の限界点に着いたという意味だった。要するに雪が深くなると馬車は走れなくなるらしい。確かに、白雪さんの言う通り、「魔法の馬車なのに……」と思いたくもなるが、魔法と言えど万能ではないのだろう。僕としてはシンデレラさんが城までついて来てくれれば心強かったのだが、彼女は他人の職分を侵したくないのだそうだ。まあ、ここまで送り届けてくれたうえ、帰りも待っていてくれるというのだから、シンデレラさんには感謝こそすれ文句を言うのはお門違いだろう。

 馬車が使えなくなったので、仕方なく積んであったそり(シンデレラさんが《狩人屋》の物を積んでいたらしい)をゲルダのトナカイに引いてもらっている。このトナカイはゲルダの忠実な友であり、旅の道連れだという。カイくんを助ける旅の途中で、とある山賊の少女に譲ってもらったのだそうだ。彼(彼女かもしれないが)はとんでもなく優秀なトナカイで、魔法の馬車には遅れをとったものの、ゲルダを追いかけてここまで来てくれたのだ。

 疲れているであろうに、三人を一頭で引かせることになってしまって申し訳ないと思う。しかし、雪の女王の城はそう遠くないということだ。ゲルダもそう言っていたし、そりと並走する小人達の情報もある。彼らは「ハイホーハイホー」と言いながら、そりよりも速く走って偵察まで行ってくれた。その情報通り、しばらく進むと急に吹雪が止み、どんよりと曇った空をバックに、そびえるような城が見えて来た。辺りにひとけはまったくなく、離れていても城自体が冷え切っているのがわかる。

 適度な距離でそりを止め、寒さに震えながら城へと歩み寄った。雪に足が取られて進み辛かったのは一瞬で、七人の小人があっという間にツルハシやスコップで雪道を固く整備してくれた。近づけば思った以上に巨大な城だ。当然のように城門は固く閉ざされている。

「気をつけて下さい。門に手を触れると氷の竜が現れます」

 無造作に伸ばされた白雪さんの手を握り、ゲルダが慌てた様子で言う。しかし、小人の長がやんわりとゲルダの裾を引いた。

「よいよい。総員、戦闘準備じゃわい。レコ殿とゲルダ殿は下がるがよかろう。かまわん。白雪姫、触れてよい」

「ハイホー!」

 ジュピターの言葉に呼応して小人達から雄叫びが上がる。僕は慌てるゲルダの手を引いて、城門から距離を取った。さすがに何度も危険な目に遭うと、危機回避能力が向上するらしい。

 許可を得た白雪さんは嬉々として、城門にタッチした。

 瞬間、城門が光ったかと思うと、吹雪をまといながら三本首の竜が現れた。

「わ」

 白雪さんが城門の近くで吹雪に巻き込まれた!

「し、白雪さん!」

 ゴオォォォォォォォォ!

 咆哮をあげる竜。

「心配無用! かかれ!」

 マーズの号令で、小人が竜に飛びかかる。しかし、体格差という言葉では言い表せない程、大きさに差がある。どう見ても小人達に勝機があるようには見えなかった。竜の透き通った氷でできた巨大な体は彫刻であれば、さぞ見ごたえのある代物だっただろう。だが、あれは動き回っている。

 小人達が竜の首やら鉤爪やらをかいくぐって、勢いよくツルハシを振り下ろす。しかし、もどかしいほど小さな欠片しかはがれ落ちない。しかも、敵が巨大すぎるので、攻撃できる部分は足の甲までだ。彼らの懸命な――命がけの攻撃もまるで無意味に思える。それでも小人たちはツルハシとスコップを振り続けている。

 三つ首の竜はちょろちょろ動き回る小人がうっとうしくなったのか、大きく口を開けると、激しいブリザードを吐いた。氷のブレスだ。

「ぐわっ!」

「ギョハッ! アハハハハハハ!」

「ぎゃー!」

 木の葉のように舞い散らされる小人達。彼らはボスッという意外と重い音を立てて雪にめりこんだ。

「オイッ! ウラヌス! サターン! まだか! 早くしろ! 俺はもうあのでかいトカゲに我慢ができない!」

 真っ赤な顔になったマーズが、雪をかき分けながら立ち上がって怒声を放った。雪がクッションになったのか、怪我もなく元気そうだ。それに猛烈に怒っているらしい。ただ、その怒りっぷりと、たっぷりとしたひげに粉雪をくっつけた彼の姿は、こんな状況なのに吹き出しそうになるほどアンバランスだった。

「バラバラに解体してやる!」

 マーズがわめきながらツルハシを竜に突きつける。次の瞬間、竜の足元が崩落した。

 ゴォオ!

「あれ、どこだここ? 外じゃないのか⁉ まっくらだぞ!」

「終わったよ。ふぁー……寝ていい?」

 巨大な穴に落っこちてジタバタする竜を尻目に、穴の縁から小さな頭が二つのぞいた。ヘルメットが目元まで落ちて来ているサターンと、あくびを連発するウラヌスだ。

「まだだ! とっととそのトカゲを粉砕しろ!」

「わかったよ……でもそれが終わったら寝るからな……」

 ウラヌスは目をこすりながらそう言った。彼はすぐに竜に向きなおり、竜の目に向かってスコップを叩きつけた。竜の絶叫が響きわたる。小人の掘った穴に落とされた竜の頭は地面よりわずかに高いだけだ。あの位置なら小人にとって一番殴りやすい高さになるだろう。ウラヌスは眠さを感じさせない猛烈なラッシュで、竜の頭を滅多打ちにする。その度に竜は吠えるが穴の中で自由が利かず、思うように動けないようだ。

「おお。今の風は? うわっ! 竜だ! ぎゃー!」

 竜が暴れる風圧に押され、サターンのヘルメットが頭から転がり落ちた。いきなり眼前で竜を目撃した彼は、一声叫んでツルハシを別の頭に突き刺した。

「よしっ! よくやったぞ二人とも!」

 残りの小人も勢ぞろいし、当たるを幸い、竜をボコボコに削っていく。ウラヌスとサターンに攻撃されなかった、比較的軽症の頭はブリザードを吐くために大きく口を開けた。

「マーキュリー! 竜がお前を見つめとるぞ!」

「ええ⁉ や、やだ! 恥ずかしい! やめてー! 見ないで!」

 顔を真っ赤にしたマーキュリーは、今まさにブレス攻撃を加えようとした竜の横っ面をツルハシでたたき割った。あの大きな頭が一撃で粉々に吹き飛ぶ。どうやら照れるあまり、とんでもない力が発揮されたらしい。僕もゲルダも口をあんぐり開けているが、それをやってのけたマーキュリーは雪に顔を突っ込んで必死で隠れようとしている最中だった。

「今だ、やっちまえ!」

 ガツンガツンと振り下ろされる掘削道具の破壊力に押され、氷の竜はあっという間にアイスブロック程度の大きさにまでバラされた。

「ざまあみろ!」

「怒りすぎじゃよ、落ち着けい」

「ハアハア……す、すまん」

 マーズは肩で息をしながら、ツルハシを握り直した。

「は~い、みんなご苦労さま。それでは先に進みましょう~」

 竜との戦闘は見守るだけだった白雪さんがのんびりと言った。彼女はペースを乱すということを知らないのだろうか。それとも小人達の勝利を確信していたのだろうか?

「うむ。白雪姫の言う通りじゃわ。みな、進もうかの。ゲルダ殿もレコ殿も行きましょうか」

 楽しそうな白雪さんを先頭にぞろぞろ連なる小人を追って、僕とゲルダは慌てて足を踏み出した。


 城門をくぐると行く手を阻むものは一切なかった。扉に鍵すら掛かっていなかった。僕としては次に何が出てくるのだろうと、身構えていたので拍子抜けした気分だ。もちろん、何も出ないに越したことはないのだけれど。

 城の中は吐く息が氷付くほどに冷え切っていた。風を避けられる屋内に入ったというのにどんどん温度が下がっているようだ。雪の女王の城だと聞いて、完全装備で来たつもりなのに、それでも手がかじかんでうまくペンが動かせない。

「ずいぶんと冷えてるのねぇ。雪の女王って暖炉とか恋しくならないのかしら?」

 いつの間にかすっかり熟睡してしまったウラヌスを抱えた白雪さんが首を傾げる。しかし、彼女の姿も暖炉が恋しくなるような格好だった。普通のドレスに肩掛けを羽織って、マフラーと手袋を装備しているだけなのだ。彼女は寒さを感じさせないが、見ているこっちが寒くなる。

 ただただ冷え切った城内を進んでいくと、あきらかにこれまでとは作りの違う重厚な扉にたどり着いた。

「ここかの? 玉座の間っぽい扉じゃし」

「鍵がかかってる。他の場所とは違うな。ここにいるんじゃないのか? 中に何が待ちかまえているのかは知らんが」

「ふむ。鍵をぶっ壊してもよいが……内部までまとめてぶっ飛ばした方が安全かもしれんな。ネプチューン、出番じゃ」

 ジュピターに名指しされたネプチューンは「へっぷし!」とくしゃみをしながら前に進み出た。彼は足を大きく広げて仁王立ちになる。その背中を、叩き起こされたウラヌスを含めた小人六人が支える。

「じゃ、いくわよ~」

 そう言った白雪さんがネプチューンのひげを握りしめ、彼の鼻の下をさっと擦った。

「は、は、は、は……ハッッックション!!」

 鼓膜が破れそうな大音量で、猛烈なくしゃみが放たれた。背中を支える小人達が一メートルほど後退する。あの巨大な竜を粉々に砕く力の持ち主たちが、だ。そのくしゃみによる衝撃波は扉を吹き飛ばすどころか、扉の周囲の壁まで巻き込んで、跡形もなく破壊しつくした。これでは扉の内にトラップがあったところで、まったく役に立たないだろう。

「……無粋な」

 ひどく冷たい声がした。

 扉をぶち破った部屋は大きな広間になっており、入口から長く赤いカーペットが続いていた。広間を突っ切るように敷かれ、数段の階段の中心を赤く染めている。そして、階段を登ったカーペットの終わりには巨大な玉座が鎮座している。そこに座っているのは……

 真っ白なドレスを身にまとった、凍てついた美貌を持つ女性だった。扉を粉々にされたからだろう、青い唇は不機嫌そうにゆがみ、僕らをにらむ視線は刺すように冷たい。間違いなく雪の女王だ。

「なんとも無礼な奴らよ……妾の城をこうもめちゃくちゃにしてくれるとは」

「あなたが雪の女王さん?」

 白雪さんは雪の女王を前にしても、まったく態度を変えなかった。実にあっけらかんと問いかける。まるであいさつするかのような気安さだ。

「いかにも。妾こそが雪の女王」

「そうなの。私は白雪。またの名を《女王狩り》。じゃあ、要件を言うわね~。あなたがさらった、カイという男の子を取り返しにきたの。その男の子は、この女の子の大切な友人なのよ。返してもらうわ」

「……あの少年か。それは無理であろうよ」

「やだ。ゴネるの~? 面倒じゃない。仕方ないわねー。どう考えても勝手にさらったあなたが悪いし、ここは強引に取り返すとしましょ~」

 白雪さんはウラヌスとサターンからスコップとツルハシを受け取ると、雪の女王に向かってかまえた。

「よかろう。できると言うのなら、やってみるがよい」

 その言葉が終わるやいなや、雪の女王が腰かける玉座から猛烈なブリザードが襲いかかって来た。

「っ!」

 僕達は一瞬にして吹き飛ばされた。くしゃみ砲で破壊されなかった壁に背中から叩きつけられる。床に落ちて悶絶していると、上からゲルダが降って来た。

「ぐえっ!」

「あ、ご、ごめんなさい!」

 落下から女の子を守ったという事にして、今の情けない悲鳴をごまかそう。僕のお腹の上に馬乗りになっているゲルダを見ると、どこにも怪我はしていないようだった。

「こ、小人さんが……」

 僕とゲルダの周りにはあちこち押さえながら呻いている小人達の姿があった。どうやら彼らがゲルダをブリザードから庇ってくれたようだ。

「み、みなさん、大丈夫ですか?」

「も、問題ない……それより、白雪は?」

「私は平気よ~。心配してくれるなんて、相変わらず根はやさしいわね、マーズ」

 声の方向に目をやると、こちらを向いてにっこり笑っている白雪さんの姿があった。彼女の立ち位置は一歩もズレていない。もしかして、あのブリザードを耐えきったのか?

「みんなは休んでて。ここは私がはりきっちゃうから!」

 白雪さんは玉座に向かって疾走する。階段を駆け上がってくる白雪さんに向かって、雪の女王は軽く右腕を振った。ひらひらの袖口から、鋭く尖った何本ものつららが飛び出してくる。

「わお!」

 軽い悲鳴を上げながら、白雪さんは飛んでくるつららをスッコプとツルハシでたたき落としていく。全力疾走に比べれば格段にスピードは落ちているものの、白雪さんはじわじわと雪の女王と距離を詰めていく。

「捉えたわよ~」

 つららの間を突くように、ツルハシが振り下ろされる。しかし、雪の女王はその一撃を座ったまま、氷の剣で受け止めた。

「甘いわ。フッ……!」

 小さな吐息と共に吹雪が吹き出され、無防備な白雪さんに襲いかかる。白雪さんは荒々しく吹き荒れる雪と氷に飲み込まれた。

「白雪さん!」

「他愛もない」

 雪の女王は少し残念そうにそう言った。だが、次の瞬間、余裕を浮かべていた雪の女王の表情が慌てたものへと変化する。吹雪を切り裂きスコップとツルハシが繰り出されたからだ。雪の女王は玉座から転がり落ちるようにしてその攻撃を避ける。掘削道具の鋭い一撃は豪華絢爛だった玉座の座面を割った。

「あらら、残念無念~」

 白いもやの中から、ケロリとした顔の白雪さんが現れる。吹雪の直撃を受けたはずなのに、まるでダメージが見られない。

「お主、一体に何者だ? なぜ妾の攻撃が効かん?」

「何者だ、ですって? 名乗ったはずよ~? 私は白雪。またの名を《女王狩り》!」

 二度めの名乗りあげと共に、白雪さんの猛攻が始まった。ツルハシとスコップが唸りをあげて、雪の女王に襲いかかる。雪の女王はその攻撃の嵐を辛くも受けきっているように見えた。

 しかし、何だろう。

 僕は白雪さんの戦い方に少しだけ違和感のようなものを感じている。何か、こう……僕が今まで見てきた《狩り》達をは少し違うのだ。

 ……攻撃と防御の差か?

 白雪さんの確かに攻撃は鋭い。しかし、この場面にいたるまでに発揮された、彼女の防御力の高さに比べると圧倒的に見劣りする。攻撃の手数は少ないように見えるし、破壊力も普通レベルだ。相手の攻撃を真正面から受けてもケロリとできる防御力とはスペックが違いすぎる。

 これまで仕事を共にした《狩り》達は、程度の差こそあれ、攻守にここまで明確な差はなかった。攻撃に比重を置いていた人が多かったような気もするが、それでも、その攻撃力に見合うだけの防御力や回避力が備わっていた。だが、白雪さんは違う。能力のパラメーターが一つだけ飛び出している。

 それとも、白雪さんは防御力に突出した《狩り》なのだろうか? それが彼女の特性?

「お、おかしい……き、貴様は……」

 雪の女王の動きが徐々に鈍くなっていく。それに対するかのように白雪さんの攻撃は熾烈を極め、ついには氷の剣を砕き、雪の女王をひざまずかせた。

「男の子はどこ?」

 白雪さんはスコップの先端を雪の女王に突きつけて問いかける。雪の女王は苦笑いのようなものを浮かべ、ゆるゆると首を振った。

「貴様は……魔法耐性者か。道理で相性が悪いはずだ」

「そんなこと、どうでもいいわよ~。男の子はどこ?」

「……そこまで言うのなら案内してやってもよい。……無駄だとは思うが」

「無駄かどうかはあなたの判断するところではないわ~。そもそも何が無駄だって言うの~?」

「……来ればわかる」

 雪の女王はそれ以上、何も言わずにさっそうと立ち上がった。

「じゃ、みんな、行きましょうか~」

 黙ったままの雪の女王の後に続き、壊れた玉座の後ろに隠されていた小さな扉をくぐった。人一人がやっと通れるような薄暗い通路を進むと、開けた空間に辿り着いた。

 巨大なベッドがポツンと置かれただけの部屋だ。一面に光を反射していると思ったら、床や壁、天井にいたるまですべて氷で覆い尽くされている。そのせいだろう、吐く息はもうもうと白くなり、部屋の温度はどこよりも低そうだった。広い部屋に置かれた唯一のベッドに横たわるのは真っ白な肌になった少年だ。あの子が……

「カイ……!」

 ゲルダは悲鳴のような声を上げ、ベットに向かって走り出した。

「ならん!」

 走りだした少女の腕を、雪の女王が掴んだ。

「放して!」

「あなた~…… まだ抵抗するの?」

「違う! あの少年に触れてはならんのだ!」

「いいから放して!」

 ゲルダは自分の腕を掴む雪の女王の体をめちゃくちゃに叩いている。しかし、雪の女王は少しも怯まずに、強い口調で言った。

「ならん! あの少年に触れるのは危険なのだ! あの少年には『悪魔の鏡』が刺さっておる!それに触れれば、そなたまでおかしくなるぞ! あの少年を気遣う心もなくなる!」

 雪の女王の言葉に、ゲルダは突き飛ばされたようにふらつき、唇をかんで力なく腕を降ろした。

「あの少年に触れてはならん……」

 雪の女王は小さく呟いて俯いた。

「あれにかすっただけでも、とてつもない影響がでるのだ。妾ですら戻ってくるのにとてつもない力を消費した。一般人ではひとたまりもあるまい。……あの少年から『悪魔の鏡』を取り出す方法を探した。しかし、どの方法もうまくいかん。あれは人智を超えた異物なのだろう……魔法も知識もまるで歯が立たぬ。妾にできたのは、これ以上鏡の毒が回らぬよう少年を凍結させることだけだった」

「……そう、ですか」

 ゲルダはそう呟くのがやっとで、深く俯いてしまった。

「あれ? じゃあ、あなたはカイくんを誘拐したわけじゃないの?」

 白雪さんは小首を傾げる。しかし、雪の女王はゆるゆると首を振った。

「……いや、誘拐は誘拐であろうよ。断りなく連れ去ったのだから」

「でも悪さをするつもりはなかったのでしょう~?」

「……それはそうだが」

「なーんだ。あなたってば、いい人だったのね~。それならそうと早く言えばよかったのにー。ならこんな回りくどいことしなくて済んだのにね~」

 白雪さんは状況を理解していないかのようにのんびりと小人達に言った。小人達は顔を見合せて気まずい表情を浮かべた。マーズが舌打ちをしてぶっきらぼうに言う。

「今は状況を読んで言葉を慎め……と言っても無駄か。……白雪、早くしろ」

「はいはい、わかったわよ、マーズ」

 白雪さんはツルハシとスコップを持ち主に手渡し、凍てついた少年に向かって足を踏み出した。

「みんな、ちょっと待っててね~」

「おいっ! そなた何をするつもり――」

 雪の女王は歩きだした白雪さんを制止しようとした。だが、腰の高さまで上げられたツルハシを見て言葉を飲み込む。

「止まれ。白雪は、お前ができなかったことをしようとしているだけだ。あいつにすべて任せておけ」

 マーズは雪の女王に見向きもせずに、白雪さんの背中だけを見つめている。当の白雪さんはと言えば、のんびりとベッドに歩み寄り、シーツを引きはがしている。僕らはそれを見ていることしかできない。

「……マーズさん。大丈夫なんですか?」

「問題ない」

 マーズはそっけない。しかし、彼はチラリとこちらをうかがい、青い顔で白雪さんの一挙一動を見つめるゲルダを目にして、苦虫を噛み潰したような表情になる。

「白雪を信じてやれ。あいつは人の話を聞かないし、空気を読むことも大の苦手で、共感するとか、心情を汲むということから縁遠い人間だが、こういう事に関して言うならば、誰よりも信頼できる」

 小人達はマーズの言葉に黙って頷いた。彼らの表情は真剣だ。ウラヌスですらちゃんと起きて事のなりゆきを静観している。

「白雪姫の強みは戦闘能力ではないのじゃ。それなりに戦える人間ではあるがのう、その実力は一般レベルを大きく逸脱せん。白雪より戦闘力の高い奴なんぞ、掃いて捨てるほどおりますわい。それでも姫が一流の《狩り》なのは理由があってのこと」

 ジュピターがゆっくりと口を開いた。

「奴の強みは、『毒されない』ことだ」

 ジュピターの言葉の後をマーズが引き継ぐ。

「魔女の作った毒薬ですら白雪の命を奪えなかった。毒物そのものに対する抵抗性もさることながら、奴の対毒性はそんなところに留まらない。白雪は影響を受ける、ということがないんだ。何物も何者も白雪に影響を与えることができない。どんな毒物も魔法も、どんな思想も感情も意見も、奴に影響を与えることはない」

 マーズは一旦言葉を切った。

「アハハ。君達も経験済みでしょ。ここにいたるまでの彼女の言動を見ていれば一目瞭然。彼女は何が起こっても、仕事に関係なければ――自分の目的にそわなければ――意にも介さなかったでしょう。どんな場面でも平然としていた。もちろん、あっは、初対面の人には気分がよくないだろうね。理由を知れば納得してもらえるかな」

「……いつでものんびりだもの」

「姫は一切の影響を受けず、流されず、心を動かされず、毒されん。常に自分の意志だけを貫ける。その恐るべき対毒性が白雪姫一流の狩りにするんじゃわ」

 マーズが一言、感情を押し殺した声音で呟く。

「白雪姫はまるで白無垢な雪のように、何色にも染まらない」


 白雪さんは横たわる少年に顔を近づけた。

「あー……これかしら? 目に刺さってるのと、胸に刺さってる鏡があるわね~。見た感じ、普通よ~? もっとこう、まがまがしい感じだと思ってたわ~」

 僕らの目には『悪魔の鏡』の破片が見えない。しかし、白雪さんの目には、はっきりと映し出されているようだ。彼女は、カイくんの胸元に向かって、無造作に手を伸ばし、見えない何かを掴んだ。

 何も起こらない。

「なんと……」

 僕の隣で雪の女王が息を飲んだ。雪の女王がどうしても触れられなかった鏡に、あっさりと白雪さんは触れてしまったからだろう。

「よいしょっと」

 こちらの気が抜けるような軽い掛け声と共に、白雪さんはあっさりと破片を引き抜いた。カイくんの体から鏡が抜かれると、僕らも目にも破片が見えるようになった。想像よりもずっと細長く、鋭い。白雪さんにが持つ銀色の破片は、まるで剣のようだ。彼女は鏡を眼の高さまで持ち上げ、ニコニコ笑っている。

「わたしって実は……魔法の鏡が嫌いなの。もうホントに大嫌いなの~。魔法の鏡なんてロクな物じゃないし~」

「白雪! 鏡を砕くなよ! それは後処理が重要だ」

 鏡を床に叩きつけようとした白雪さんを、マーズが間一髪でそれを制止する。

「あ、そうだった。危ない危ない。ゲルダ、もう大丈夫よ。こっちに来ても――」

 ゲルダはすでにカイくんに駆け寄っていた。僕と小人達、雪の女王も後に続いた。

「カイ! カイ!」

 少女は探し求めた友人を力いっぱい抱きしめる。雪の女王がさっと手を振った。少年を凍りつかせていた魔法が解け、少年の眼がうっすらと開いた。

「カイ! わたしよ! わかる?」

「……ゲル……ダ? ……わかる、よ。ぼくが君を、忘れるとでも?」

「そうよ! 大丈夫⁉ 大丈夫なの⁉」

「ああ……たぶん。ひどい気分だけど」

「会いたかったわ」

「ぼくもだ。……なにか……長い夢を見てたみたいだ……悪い夢だった」

「そうね……でも悪夢はもう終わったわ。今はゆっくり休んで。全部、その後でいいから」

「うん……ありがとう、ゲルダ」

 カイくんはすうすうと寝息をたて始めた。ゲルダは彼の額にキスをしてから、そっとベッドに寝かせた。

「一件落着ね~。よかったわ~。これで今回の仕事も終わりね~」

「ありがとうございます。白雪姫さん。小人さん達も」

 ゲルダは深々と頭を下げる。

「いいえ~。仕事だから気にしないで」

 白雪さんはにっこりとほほ笑んだ。


 ぐっすり眠るカイ君を小人達がゆっくりと運んで行く。僕らは雪の女王の城の玄関口まで来ていた。

「ねぇ、ゲルダ。本当にいいの~?」

「はい。雪の女王さんは、カイを助けようとしてくれただけですから」

 ゲルダは隣に立つ雪の女王を見上げる。白雪さんはゲルダが望むなら、雪の女王に何かしらの罰を与えることもできる、と言った。どういう理由であれ、少年を誘拐したことに変わりはないからだという。雪の女王本人もゲルダが望むなら罰を甘んじて受けよう、と言った。しかし、ゲルダは罰なんて必要ない、と言いきった。

「じゃあ、もう言わないわ~。ま、罰なんて与える方も面倒だしね~」

 白雪さんはそんな風に言って、玄関扉を開け放った。眩しい光が差し込んでくる。どんよりと空を分厚く覆っていた雲はなくなっていた。

「さらばじゃ、お主ら」

「ええ。あなたも元気でね~」

 白雪さんは実にあっけらかんと手を振った。さっきまで激しい戦いを繰り広げていた相手だというのに。

「雪の女王さん。ありがとうございました」

「礼などいらぬ。妾は何もしてやれなかった。そなたから友人を奪っただけだ」

「いいえ。方法はちょっと変わってたけれど、あなたもカイを助けてくれた人の一人です」

「…………」

「また……来てもいいですか」

「なに?」

「だから、またここを訪ねて来てもいいですか?」

「な、何のためにこんな所に来る必要がある? おそらく少年は鏡が刺さっていた期間の記憶はあいまいになっていると思う。こんな所に来れば、嫌な記憶が思い出されるかもしれん。無理にそんな事をする必要はなかろう。そなたらはこの場所など忘れて楽しく暮らすがよい」

「だめですよ。そんなこと。例え、どんなに嫌な記憶だとしても、それはカイが向き合うべき記憶です。そこからは逃げられません」

「それで少年が潰れてしまったらどうする? 少年にとっては辛い出来事になるだろう」

「大丈夫ですよ。カイはそんなにやわじゃありません。万が一、カイが潰れそうになったら、私が支えます」

「……そなたは」

「それに、カイからもあなたにちゃんとお礼を言わせないといけませんし。だから、またここに来てもいいですか」

 ゲルダは長身の雪の女王を見あげ、にっこりと笑った。雪の女王は少女の笑顔に気押されたように緊張した表情を浮かべていたが、やがてフッと息を吐き、ぎこちない笑みを浮かべた。

「好きにするがよいわ。どうせ妾が何を言ったところで、そなたはあきらめはせんのだろう」

「わたしってしつこいんでしょうか?」

「それには両手をあげて賛成しよう。そなたほどあきらめの悪い人間はそうはおらん。ただ、悪くはあるまい。あの少年のことにしても、そなたがあきらめなかったから助けられたのだ。だから、あきらめの悪さは、おそらく、そなたにとって、よいことなのだろう、と思う」

 雪の女王はぎこちなく、ゆっくりとゲルダに語った。そのぎこちなさは雪の女王の真摯さを表しているように思えた。

「ありがとうございます。思えばあなたに迷惑をかけていたのでしょう。何度も何度も城を訪ねましたから。……やっぱり、ここに来るのは迷惑ですか?」

「……わからぬわ。一度試してみんことには、わからぬ」

 ぶっきらぼうに言われた言葉に、ゲルダの顔がほころんだ。

「では、また来ます」

「歓待はできぬ。期待せぬように」

「それでも構いません。さようなら、雪の女王さん」

「さらばだ……強き者よ」

 その言葉を最後に雪の女王は踵をかえし、一人で城の中へと戻って行った。ゲルダはペコリと頭を下げて、その姿を見送った。



 ガタゴトと馬車に揺られている。《狩人屋》への帰路だ。座席の半分を眠ったままのカイくんが占領しているため、僕は向かいの座席に白雪さんと座っていた。ゲルダはもちろん、カイくんの頭元には座っている。人数が多い小人達は床に座り込み、シンデレラさんはどこかと言えば、外の御者席に追いやられている。

「白雪姫さん、ジュピターさん、マーズさん、ヴィーナスさん、ネプチューンさん、ウラヌスさん、サターンさん、マーキュリーさん。本当にありがとうございました」

「何度も言うな。価値がなくなる」

「またまた、マーズったら~。ホントは嬉しいくせに~」

「そんなこと思ってない!」

 小人達と白雪さんが騒ぎ始めたので、ゲルダのお礼は宙ぶらりんになってしまった。ゲルダは気にする様子もなく、その喧騒を眺めて笑っている。

「そうだ、レコさんにもお礼を言っておかないと」

 僕は慌てて手を振った。

「そんな、僕は何もしてないですから」

「そんなことありませんよ。一番最初に、わたしに声をかけてくれたじゃないですか。あの時、この人はちゃんと話を聞いてくれるって思って、すごく安心できたんです」

 こんな風に面と向かって褒められたことはあまりない。僕は恥ずかしくなって意味もなく頭をかいた。

「ありがとうございました、レコさん」

「どういたしまして。カイくんが無事で本当によかったです」

 ゲルダはコクンと頷き、すやすや眠るカイくんの額をなでた。

「はい。本当に、本当によかっ……」

 突然、カクンとゲルダの頭がふらついた。何が起こったのかと慌てて腰を浮かせたが、何のことはない。ゲルダはすうすうと寝息を立てていただけだった。おそらく緊張の糸が切れたのだろう。ずっとがんばっていたのだから、当たり前だ。

「ほらほら、マーズ。ゲルダが寝ちゃったから静かにしてよ」

 白雪さんにたしなめられ、マーズは舌打ちをして、荷物を漁り出した。何をするかと思えば、彼は毛布を取り出し、優しくゲルダにかけてあげたのだった。

「ほ~ら。やっぱり優しいんだから」

 マーズはその言葉を無視し、不機嫌きわまりない顔で床に座り込んだ。それを眺める白雪さんの顔は楽しそうだ。

 ニコニコ顔の白雪さんと様々な表情を浮かべた小人達、幸せそうに眠る少年と少女を乗せて、魔法の馬車は《狩人屋》を目指して進んだ。



 雪の女王――白雪姫


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ