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3.《傲慢狩り》

 ある国にとても美しいお姫さまがいました。しかしお姫さまはとてもわがままで、他の人をいつも見下していました。そんなお姫さまを心配し、王様は花婿を迎えようと王国中にお触れを出す事にしました。そのお触れに従って、国中からたくさんの高貴な人々が集まりました。

 集まった人々をもてなす晩餐会で、お姫さまはみなに紹介されましたが、彼女は集まった人々を見るなり、文句を言い始めます。

「あなたは樽みたいな体をしているわ。そんなに太って大丈夫かしら」

「あの人は死神みたいにがりがりね」

「派手な人ね。着飾ってるだけじゃない」

「鼻が大きいわ。鼻しか見えないもの。顔が見えない人なんて嫌よ」

「汚い服。そんな格好でよくここにいらしたわね」

 集まった人々はみな、怒りで顔を真っ赤にします。それでもお姫さまは気にも止めませんでした。そんな中、最後の一人が前へ進み出ました。彼は別の国の王子でした。

 笑顔を浮かべる王子のあごは少しだけ尖っています。お姫さまはそれを見て、鼻で笑ってこう言いました。

「あなたのあご、曲がってるわよ。ツグミがひげを生やしてるみたい。あはは、ツグミのひげの王さまね」

 とうとうお姫さまは誰ひとりにも、あいさつをすることはありませんでした。

 お姫さまは、招かれた人々の悪口を言いたい放題に言うだけだったのです。

 あまりの横暴さにあきれはてた王様は、お姫様を国外追放しました。しかし、強情なお姫様は反省せずに、むしろ堅苦しいお城の生活を抜け出せたことを喜びました。

 お城を出た彼女の行方は誰も知りません。


 

「なんてことなの……やっぱりこの私が、私なんかが仕事を受けるべきじゃなかったのよ。ああ、間違いないわ。うん……戻ってキャンセルしましょう。そうするわ」

「待ってください! カレンさん!」

「放して、レコ! それに私なんかに、『さん』付けなんてやめてちょうだい。敬語もダメ。何度言ったらわかってくれるの? 私はそんな大層な人間じゃないの。『さん』付けされるような人間じゃないし、ましてや敬語なんて、私に使うにはもったいなさすぎる。私は本当にダメな奴だし……」

「わかりました……じゃなくって! わかったから落ち着いて!」

「大丈夫よ。私はすごく冷静だもの。ちゃんと現状を把握して、その上で自分をダメ人間だって判断してる……」

「そういう話じゃなかったでしょ!」

「え? じゃあ何の話……あ! そうだ! 私には背負いきれない仕事だって思い至ったところだったわ。そうよ、早く戻って、無理でしたって土下座しないと……」

「だから違うってば!」

「ううっ、ごめんなさい。私ってばホントにダメなやつ……仕事一つまともにできないなんて……だからこんな目に遭うのよ。すいません、できるなんて言っちゃってごめんなさい。自分の力量を見誤るなんて、傲慢だわ。許されないわ」

「カレンさ……カレン、僕の言う事を聞いてくれ!」

「ハッ! あ、ごめん。な、何かしら。わ、私は人の話はちゃんと聞くわ。無視なんてするはずないじゃない」

 カレンさ……カレンはなんとか僕に視線を合わせてくれた。実にビクビク、オドオドした視線ではあったけれど。僕は心の中で深いため息をついた。


 《狩人屋(オリオン)》にとある女性を何とかしてほしい、という依頼が入ったのは昨日のお昼前だった。依頼者は身なりの整った男性で、暗い表情でポツポツと何があったのかを語った。

 要約するとこういう話だ。彼は横暴な女性の心なき暴言に深く傷つけられたそうだ。その被害者は依頼主だけではないらしいが、泣き寝入りした他の被害者とは違い、彼はどうしてもその女性が許せない。自分のためだけではない、他の被害者のためにも、どうか《狩人屋(オリオン)》の力で改心させてほしい。その女性に彼女自身が間違っていたことを分かってほしい、というのが依頼内容だった。

 いつものようにメリアさんが依頼内容を確認する様子を隣で聞いていた僕は、内容からまた《悪女狩り》の出番かな、と思っていた。しかし、依頼を聞き終えたメリアさんが指名したのは《傲慢狩り》という僕とは初対面になる少女だった。

 その少女の名はカレン。つり眼がちで、意思の強そうな表情をした僕と同年代の女の子。白いヘアバンドに濃い金髪。膝丈のひらひらスカートとふんわりしたシャツ、禍々しい程に赤い靴を身にまとった、いいところのお嬢様みたいな雰囲気を持った少女だ。

 彼女は《狩り》の例にもれず気の強そうな感じだったので、声をかけるのに少し緊張したものだ。

 まあ、さっきまでのやり取りを見てもらえばわかるように、カレンは全く気が強くなく、謙虚というよりは卑屈と言って差し支えない有様だった。

 そんな彼女なので、当初は仕事を受ける事をやたらに渋っていたのだが、メリアさんに丸めこまれる形で《傲慢狩り》の仕事を引き受けた。もちろん僕は記録係として今回の仕事にも同行することになった。

 目的地への道中でも、カレンの『自信喪失発作』とでも呼ぶべきヒステリーは数時間おきに発現した。どうしてか急に自信がなくなるらしく、前述のようなやり取りを何度も経験している僕である。

 とはいえ、カレンも落ち着いているときは(気弱ではあるが)普通のお喋りを楽しむことができる女の子だった。それにカレンは依頼書も熟読するタイプらしく、ひまさえあれば何度も何度も熱心に読みかえしている勤勉な少女でもあった。

 この点は赤ずきんさんにも見習って欲しい……。

 ただ、熟読しすぎると自信がなくなってくるようなので、僕はその辺りに気を配りつつ彼女の気を逸らさなければならなかった。


「そうね……確かに一度受けた仕事を私的な理由で断るのは間違いだわ」

 僕は何度目になるのか、カレンの説得に成功し、引き続き仕事に向かってもらえるモチベーションを保つことができた。やれやれだ。

「ふー……危ないところだった。ありがとう、レコ。……あのままだったら傲慢の罪を犯すところだった」

 カレンは青ざめた顔で胸をなでおろした。どうやら彼女は『傲慢』という言葉が心底嫌いらしい。異常に自己評価が低いのも、いつもビクビクしているのも、傲慢な人間になりたくないという思いがあるからのようだ。

「大丈夫です……大丈夫だよ。君は謙虚な人間さ」

「え? わ、私が謙虚なんて、そんな……レコ、あなた私を褒めちぎってどうするつもり? ま、まさか、私を増長させようと……!」

 あ、まずい! 余計な事を言ってしまった!

「ち、違うよ! そんなことより早く進もう」

「え、そうかしら?」

「当然だよ。気にしないで」

「ま、まあそうね。……早いとこ向かいましょうか。目的地ももうそろそろだろうし。それに、この世に傲慢があることは許し難いもの」

 カレンはそんな風に《傲慢狩り》らしい事を言って、依頼書を丁寧にかばんの中にしまい込んだ。

 僕らはすでに、問題の女性が住まうという陰気な森の中に入っている。昼だというのに薄暗く、木々もどこかねじくれているものが多い。絡み合って鬱蒼と茂る草木の間から誰かに見られているような気がしてくる。怪しげな雰囲気満載だが、カレンは臆することなく、確かな足取りで進んでいく。彼女が気弱なのは怖がりだからではなく、やはり自分に自信がないだけなのだろう。

「そう言えばカレン、君に相棒はいないのかい?」

 僕は黙々と歩くカレンに話を振った。彼女に余計な事を考えさせたくないという思いもあったし、何より自分が陰気な森の空気に呑まれたくなかった。

「私? そうね……私にはいない、というのが正解かしら。それに私は人様を相棒と呼べるような立場じゃないし……」

 カレンは顎に手を当てて、しばらく考えてからこう言った。

「でも別にめずらしいことではないのよ。単独で活動する《狩り》なんていくらでもいるから」

「そうなの? 僕がこれまで組んだ人はみんな相棒がいたけど」

「《狼狩り》と《悪女狩り》だったかしら? あの二人は有名な相棒持ちだからね。レコが《狩り》には相棒がいるって思っちゃうのも仕方ないかもしれないわ」

「そうなんだ……」

「私は単独派の《狩り》よ。ま、それでも強いて言うなら私の相棒は……この靴ね」

 少女は歩きながら足元に視線を落とした。僕もその動きにつられ、カレンの足元に目をやった。彼女の足元には赤いヒールがある。禍々しく妖しく光る赤い靴が。

「私の相棒はこの真っ赤な靴。私の力はこの赤い靴によるところが大きい。これは、私の罪の証であり、私を縛る鎖。《傲慢狩り》としてのくさびであり、何よりも、罪を忘れないためのいましめなの」

 そう言いきったカレンの顔に卑屈さはなかった。強い決意と少しの諦めがにじんでいただけだ。これはきっと僕ごときが立ち入ることのできない、カレンの問題なのだろう。

「…………」

「ふふっ」

 カレンは黙り込んだ僕を見て、唇に笑みを浮かべた。

「レコは優しいのね。こんな私の心配をしてくれるなんて。きっと、あなたは傲慢の罪を犯すことなんてないんでしょう」

「……そうかな?」

「そうよ。間違いないわ。……でも大丈夫よ、レコ。私はこれを甘んじて受け入れてるから。後悔してない、とは言わない。悔いることがない、とは言わない。常に後悔して悔恨してるけれど、私は前に進んでいるの」

 そんな事を言って、カレンは急に態度を変え、軽い口調で笑った。

「やーれやれ……私ったら、どうして初対面の男の子にこんな重苦しい話をしてるのかしら? やめやめ。ただでさえ辛気くさい場所なんだから、もっと明るい話でもしましょう。そうね、スイートトークとかどうかしら……って、ごめん。時間なさそう。どうやら目的地に着いたみたい」

 僕達はいつの間にか、曲がりくねった道を抜け、開けた場所に出ていた。

 開けた場所の一番奥、ひっそりと隠れるように一軒のあばら家が建っている。

「レコとのスイートトークはまた今度。さっそくだけど、仕事にかかるわ。あなたは下がってて」

 カレンから荷物を預かり、僕は言われた通り後ろに下がった。

「しっかり記録しててね、レコ。傲慢の罪がまた一つ、この世から消える瞬間を」

 彼女は両足を広げて立ち、あばら家に鋭い視線を向ける。

「《傲慢狩り》の名において、私は罪を断ち切るわ」


 カレンは確かな足取りで、あばら家に向かって進んでいく。あばら家の入口は真っ暗で中の様子をうかがうことはできない。《傲慢狩り》は入口の手前で足をとめ、足を大きく前後に開き、両腕も前後に構えるファインティングポーズをとった。

「神の御前に。神の名に。我がつぐない難き罪をもって、汝が罪を断ち切ろう。赤い(レッド・ヒール)

 カレンの赤い靴から赤く激しい閃光がほとばしった。

 あれが《傲慢狩り》の戦闘態勢なのか。

「ああああああああああああああっ!」

 まるで赤い光に触発されたように、あばら家の中から人影が甲高い奇声を上げながら飛び出してきた。右手に刃こぼれした出刃包丁、左手に錆び付いた薪割りの斧を持っている。その怪しい女性はカレンめがけて、ためらいなく斧を振り下ろした。カレンは慌てることなくバックステップで攻撃を回避した。ガッ、と土くれが舞い上がり、その土の合い間から右手の包丁がカレンの喉元を狙う。しかし、彼女はこの攻撃も危なげなくかわした。

「クソ餓鬼がっ!」

 怪女が刃物を振り回しながら吠えた。動きを止めた女性の姿が、僕の目にはっきりと映る。

 異様な風体の女性だった。汚れきったボロボロの布きれだけを身にまとい、髪は鳥の巣よりもぼさぼさで、体中泥だらけだ。目は真っ赤に血走り、とても正気を保っているようには見えない。

「何をしに来たんだ! 余計な事をするな! もう放っておいて! 私達のことは放っておけ! 私達は誰の邪魔もしていないっ! 私はぁっ!」

 女性は怒鳴り散らしながらカレンに向かって突っ込んでいった。しかし、カレンはひらりひらりとかわし続ける。

「ああああああああっ!」

 女性は雄叫びをあげながら、両手に握った刃物をむちゃくちゃに振りまわす。

「ふっ!」

 カレンが始めて攻撃に転じた。しなるように繰り出された彼女の右足が、怪女の包丁と斧を吹き飛ばした。怪女は両手を押さえてうずくまる。

 圧倒的じゃないか……。

 僕は記録を書き付けながら嘆息する。

 しかし、敵を圧倒しているにも関わらず、カレンの顔は晴れない。うずくまる怪女を見下ろす《傲慢狩り》の顔は悲しみが色濃く浮かんでいるように見えた。

「私が……何をしたって言うの……誰もかれもが私を責める……私を疎ましく思ってる……私を嫌ってる、私の破滅を願ってる私をいじめてる」

 怪女は地面にうずくまったまま、ぶつぶつと呟き始めた。

「一体、いったい私が何をしたって言うの……私は、思ったことを言っただけだった、素直に生きただけだった、迷惑をかけるつもりはなかった……いいえ。本当はわかってる!」

 ガバッ、と女は顔を上げ、悲痛な叫び声をあげた。

「わかってる! もうわかってるのよ! 私の高慢な態度が! 傲慢な言葉が! 他人の事を考えないむちゃくちゃな言動が! どれだけの人に迷惑かけて、心配かけてきたのか! どれだけの人に不快を与えて、何人の人を傷つけたのか! もうちゃんとわかってるのよ!」

 その女性は叫んだ。とめどない涙を流しながら叫んだ。

「父にも見放され、国も追われ、仕事もなくて、知らない場所で独りぼっちで、物乞いでしか生きられなくて、残飯ばっかり食べて、家も服も何もない場所で、たった一人で、みんなに嫌われて軽蔑されて侮蔑されて、もう誰にも気づいてすらもらえなくて! 私は今まで自分がどんなに嫌な奴だったのかわかってるの! だから! 反省もした後悔もした懺悔もした!」

 だけど……と女性は静かに呟いた。

「誰も私を許してくれない。私は嫌な奴だった。でも、その罪は許されることがないの? どうしても償うことはできないの? ずっと苦しんでなければいけないの? 私はそんなに許されないの?」

 力なく顔をあげ、僕達を見つめる女性の目は、傲慢さなど欠片もなかった。そこにあったのは許しを願う、ただそれだけを願う悲しい瞳だった。

「ねぇ、《傲慢狩り》さん。ついにはあなたみたいなプロまで私を殺しに来る始末よ。私は許されることはないのかしら? 傲慢の罪は許されないほど重いのかしら? 永劫許されないの?」

「傲慢の罪は重い」

 カレンは一歩、女性に近づいた。

「だけど、許されないなんてことはない」

 カレンは女性の目の前にしゃがみこみ、彼女の顔を真っ直ぐに見つめた。

「許されない傲慢などないわ。かつては私も同じだった。ひどく自分勝手で、他人に迷惑をかけ続けた。病に倒れた母も、養母のおばあさんが倒れたときも、すべて無視して私は好き勝手に過ごしてた。教会で禁止されていた赤い靴を履いて参拝したし、母のお葬式もお気に入りだった赤い靴を履いて出席したわ。たくさんの人に注意されたのに、それもすべて無視をして。それからずっと傲慢の罪を背負い、生きてきた。もちろん私はまだ罪を償っている途中だけれど、それでも絶対に許されない傲慢なんてないわ」

「なら……なら、私は……?」

 カレンはためらいなく女性を抱き締めた。

「もういいのよ。反省して、自分の罪を心から悔いているのなら、あなたの傲慢は消えたわ。だからもう大丈夫。あなたは誰にも嫌われない。避けられることもない。孤独に耐えなくていい。あなたは自由よ」

 その言葉を聞いた途端、今までずっと苦しみの表情だった女性の顔が緩んだ。女性は自分よりずっと小柄なカレンにしがみついて、声をあげることなく涙を流し続ける。

「私はあなたに危害を加えないわ。だって、私が狩るべき傲慢なんて、あなたのどこにもないから。《傲慢狩り》の役目はどこにもない」

 《傲慢狩り》は優しい表情で、優しく女性の背中をさする。

 傲慢な怪女なんてどこにもいなかった。かつて傲慢だったその人は、自らを省みて深く深く悔恨し、ただ人とつながることを望んだ、ごくごく普通の女性なのだ。

 今回の依頼はこれで大方終了になるだろう。僕は抱き合う二人を見守りながらそう思った。あっけない幕切れではあるけれど、依頼である女性自身に間違っていたと知ってほしい、改心させてほしい、という目的はとっくの昔に果たされていたのだから、依頼者も納得してくれるはずだ。そうなってしまえば、対処すべき対象がいないのだから、僕らが出しゃばる意味はない。

「それは困るなあー! 何をいい話で終わろうとしているんだい、傲慢狩り!」

 突然、背後からガサツな大声が響いた。こんなところに誰が、と振り返ると、そこにはきれいに着飾った男が凄惨な笑みを浮かべてこちらを睨んでいる姿があった。

 あれは今回の依頼者じゃないか! どうしてこんなところに?

「傲慢狩りィ! 俺はそいつをボコボコにしてもらうだけの金を払ってるんだぞ! 依頼主に断りなく勝手に仕事を放棄するつもりか!」

「あなたは……?」

 カレンは訝しげに顔をあげた。そう言えばカレンは依頼者とは顔を合わせていなかったのだっけ?

「カレン、彼は今回の依頼者です」

「依頼者……そうでしたか。しかし、依頼の中断については致し方ありません。我々……私の仕事は金銭だけで結ばれるものではないのです。私は《傲慢狩り》。そこに傲慢がなければ動くことはできない。そして、彼女には傲慢などないのです」

 カレンはそう言いながら、女性を庇うように立ち上がった。

「傲慢などない? ふざけるな! その女は傲慢の化身だ!」

 男は僕には目もくれず、燃え上がるような眼で二人を、いや、カレンの後ろでおびえた表情を見せる女性だけを睨んでいる。

「その女は傲慢だ! 一体全体、何人の人間を傷つけたと思っている! そいつは自分が一番大切で、自分さえよければそれでいいという人間だ! 心のない言動! 相手を見下す視線! 誰よりも自分が優秀だと思い込んでやがる!」

 男は恐ろしい形相で女性に指を突き付けた。

「あ、あなたは……私のお見合い晩餐会に来ていた人ね? あ、あの時はごめんなさい」

 男の剣幕に恐れをなしていた女性は、震える足でカレンの前に歩み出ると、ゆっくりと頭を下げた。

「ごめんなさい。あの時の私は本当に馬鹿だったわ。本当に何もわかっていなかった。あなたを傷付けていたのね。本当に申し訳ありませんでした」

 女性は誠心誠意謝っているように見えた。いや、おそらく彼女は心の底から謝罪しているはずだ。『あの時のこと』なんて僕はまったく知らないが、彼女自身はその頃の自分を悔やんでも悔やみきれないほどに後悔しているのだから。

「はぁ? 何ふざけたこと言ってやがる。謝ったぐらいで、お前の罪が消えるとでも思ったか! お前なんかのために、大国の王子である俺が! あんな弱小国の晩餐会に出席したんだぞ! それをお前は! 何が派手な人だ! 着飾ってるだけとはどういう了見だ! お前は俺を馬鹿にした。その罪は永劫消えることはないんだよっ!」

 男はわめき散らしながら女性の胸倉を掴んだ。女性は涙をこぼしながら顔をそむけた。男の思わぬ素早さに、僕もカレンも動くことができなかった。

「俺を馬鹿にしたお前は苦しまなければならない! これまでずっと裏から手を回して、お前の人生を散々にしてきたのもそのためだ! お前のような奴は! この先、永遠に苦痛の人生を歩んでいかなけらばならないんだ!」

 ガッ!

 叫びながら女性を力任せに殴ろうとした男の拳を、二人の間に割って入った無表情な《傲慢狩り》の右手が止めた。

「お待ちください。残念ながら中断中の仕事が復活しました。ここには私が狩るべき傲慢がある」

「ほう。やはりこいつが傲慢だと気づいたようだな。俺のおかげか、感謝しろ」

 男はカレンを見下ろしながら鼻を鳴らした。胸倉を掴まれたままの女性は絶望の表情で瞳を閉じる。

「確かに、あなたのおかげかもしれません。ただ、あなたの望む結果にはならないでしょう。私が狩るべき傲慢は、あなただ」

「何?」

 カレンが男の女性を掴む腕を振り払った。次の瞬間、赤い閃光と共に、カレンの蹴りが繰り出された。

「ごっ!」

 男はわだちを残しながら地面を転がった。

「ゲホッ……な、何のつもりだ、傲慢狩り!」

「何のつもり? もちろん、傲慢を狩るつもりですよ」

「俺が傲慢だと? 傲慢なのはその女だ!」

「いいえ。彼女はもはや傲慢ではありません。しかし、あなたは違う」

 カレンは静かに、諭すように語った。

「あなたは《狩人屋》に義憤で来たような事を話したそうですね。しかし、今までのあなたの言動を見る限り、あなたが考えているのは自分の事だけです。自分のプライドを傷つけられた復讐しか考えていない」

「ハッ! くだらねえ! もういい。話が通じない馬鹿と喋るのはうんざりだ。まったく……その女の薄汚れた血で俺の手を汚すのは嫌だったから、わざわざ金まで払って手を下してもらおうと思っていたんだが。それを眺める俺の計画がパーだ。だが、もういいさ。他人に頼るのはやめにして、俺が直々に殺してやる。最高に苦しみながら死んでもらおう。だが、その前に役に立たねえ《傲慢狩り》から殺してやる!」

 男は袖口から細身のナイフを二本取り出して、両手に構え、腰を落とした。戦闘態勢になった男に対し、カレンも足を大きく前後に開いた独特の構えで対峙する。

「ご、傲慢狩りさん……」

「私に任せてあなたは下がってて。私なら大丈夫よ」

 カレンは男から目をそらさずに、後ろにいた女性に優しく声をかけた。

「だって、ここが私の生きる世界だもの」

「ぬかせっ!」

 男の怒号と共に《傲慢狩り》の第二ラウンドが始まった。


 男は目を見張るスピードでカレンとの距離を詰め、容赦なくナイフを振るう。カレンは体を沈めてその攻撃をかわす。彼女はそのまま相手の足元に鋭い蹴りを放った。男は軽く跳んだだけでその蹴りを回避する。

 男のナイフがひらめき、カレンの足は赤い軌跡を描く。刃物と靴がぶつかって、まばゆいばかりの火花を散らした。

 あの男の戦闘力はまぎれもなく一流だ。カレンと張り合うことができるあいつは、ただ口だけがでかい男じゃない。実力に裏打ちされたプライドの持ち主なんだ。

 そして、それは自体は悪い事じゃない。実力のないプライドは何の意味もないし、実力にプライドを持つことは当然のことだ。そのプライドを大事に思う感情も正しい。

 それでもきっと、彼は間違っている。傷ついた自分のプライドを、他人を傷つけることだけで癒そうとするのは間違っている。

 もちろん、彼のプライドを傷つけたあの女性にも非はあるだろう。どちらが悪いのかという話になれば、結論を出すことは難しくなるに違いない。どちらも悪い、というありがちな結論になるのかもしれない。

「傲慢狩りィ! お前は自分の利己的な判断で! 俺を傲慢だと断言する! 人さまの感情価値を個人的価値観で判断する! それこそが真の傲慢だ!」

 男は両手に持ったナイフだけでなく、言葉のナイフを使い出した。そのまま男はカレンが絶対に言われなくないであろう言葉で、彼女を切りつける。

「お前は一体、何を持って俺を断罪する! その判断基準はどこにある! 俺を傲慢だと言っているのはお前だけだ! お前がそう思っている、ただそれだけで、お前は人を裁こうと言うんだ! その考え方が傲慢でなくて何なんだ! 《傲慢狩り》を名乗るお前こそ、真っ先に断罪されるべきなんだ! お前は誰よりも傲慢だ!」

「知っている」

 カレンは言った。

「そんなことはお前に言われるまでもなく知っている。私は誰よりも傲慢よ。人を傲慢だと判断するのは私の意思。傲慢だと決めつけるのは私の意思。人を自分勝手に裁くのは私の意志。だから私は罪深いのよ。だから私は許されないのよ。だから、私は!」

 カレンが蹴りあげた赤い靴が、男のナイフを粉々に吹き飛ばした。

「《傲慢狩り》なのよ」

 武器を失った男の腹に、赤いヒールが食い込んだ。悲鳴も上げられずにぶっ飛んだ男はねじくれた木に叩きつけられ、呻きながらうずくまった。《傲慢狩り》は砕かれたナイフの刃が降ってくる中、ゆっくりと男に近づいて行く。

「がはっ! くそっ……」

 男を見下ろす《傲慢狩り》の顔には何の表情も浮かんでいなかった。ただ、靴から発せられる赤い光が膨れ上がり、辺りを赤く染め上げただけだ。

「お、おい……おい、何するつもりだ? 俺をどうするつもりだ、傲慢狩り?」

「神の御前に汝の罪を。我が罪を振り下ろされる刃に変えて……」

「こ、殺すつもりか? 俺を、殺すつもりか! や、やめろ、やめろ!」

 男は《傲慢狩り》の迫力に気押され、地面を引っ掻きながら後ずさろうとした。しかし、彼の背後には古い大木が立ちふさがる。

「……私は誰も殺さないわ。私が断ち切るのは命ではないのだから」

 《傲慢狩り》は眼がくらむような赤い光を放ち続ける右足を、勢いよく振り上げた。

「……我が罪を振り下ろされる刃に変えて、汝の罪を断罪しよう。神の戦斧(レッドヒール)……大断円」

「うわあああああっ!」

 高々と掲げられた右足が、赤い流星のごとく振り下ろされた。


「ふう……終わったわ」

 靴から発せられていた赤い光がしぼむように消えて、カレンは大きく息を吐いた。男はというと泡を吹いて白目で倒れている。見たところ何も外傷はないようだった。

「ご、傲慢狩りさん……」

 おずおずと話しかけた女性に、カレンはほほ笑んで答えた。

「大丈夫ですよ。もう何も心配いりません。彼は死んでいませんし、彼の中の傲慢は狩り取りました。彼はこれから、私が狩った傲慢の分だけ、本人にしかわからない罪悪感を覚えて生き続けるしかありません。ただ、傲慢を狩ったからと言って、この男性の性格が急に激変するというようなことはありません。これは彼が長い時間をかけて向き合うべきものだからです」

「それは……きっとそうでしょう」

「だから、今、この瞬間に彼がこれまでの行いを深く深く反省するとか、あなたに泣いて謝るというようなことは残念ながら、ないと言わざるおえません」

「構いませんよ、そんなことは」

 女性は少しだけさびしそうに笑った。

「どうせ、今さら二人で謝りあって、仲良くなるなんてことは夢のまた夢。きっと私たち、お互いを許すには時間がかかる」

「自らの傲慢を見つめるのは時間を要するものです。でも、それは時間をかける価値がある。私はそう確信しています」

「ありがとう、《傲慢狩り》さん」

 薄汚れた姿のままだったが、女性は今日一番の澄んだ笑顔を浮かべた。

「私、もう一度やり直してみようと思うの。迷惑をかけた人、傷つけた人に謝ってまわるわ。それですべてが帳消しになるなんてことはないと思うし、謝罪だって受け入れてもらえないかもしれない。でも、けじめはつけなきゃいけないもの」

 それにね、と女性は続けた。

「私はこれまでずっとずっと、何をしても許されないと思ってきた。どれだけ反省しても責めても許されないと思ってきた。でもそれはずっと留まってるだけだったのよね? 暗闇なかで他人と関わることを拒否していた。これ以上、失敗しないように、これ以上悪くならない同じ場所にいられるように。でも、それは傲慢だわ。人は前に進まなければ、反省してるなんて言っちゃいけないんだから」

 と、そこまで言って女性は不安げな表情を浮かべた。

「ねえ、私は本当にこんな決意をしても大丈夫なのかしら? こんなことを思って許されるのかしら?」

「許されるよ」

 その言葉は、カレンが発したわけでも、伸びている男が言ったわけでも、ましてや僕の発言でもなかった。

 その優しい言葉は、朽ちかけたあばら家の中から聞こえて来た。

 誰だ? いや、そう言えばさっき、カレンと戦っていたときに女性が「私達」と言っていた。なら、あの家には彼女の同居人がいるのか?

 僕の疑問に答えるように、あばら家から女性と同じようにみすぼらしい格好をした男性が姿を現した。男性はこちらに、というより女性に歩み寄って来ると、もう一度同じ言葉を告げた。

「許されるよ。君は許されて当然だよ」

「あ、あなたは……」

 女性は驚きの表情を浮かべ、パクパクと口を動かす。しかし、うまく言葉を発することができないようだった。

「もし、か、してっ」

「やっと思い出してくれたかい?」

 いきなり現れた男性は、汚れた顔を拭ってにっこりと笑った。

 八重歯が印象的な優しい笑顔。ちょっぴり泥が残ったあごが、少しだけとんがっている。

「ツグミの人……あっ! ごめんなさい!」

「いや、いいよ。謝らなくて。そんなことより、あなたにどうしても言っておきたい事がある」

 それを聞いた女性は慌てて頭を下げ始めた。

「ごめんなさい! あの時は本当に失礼なことを……! 今も失礼なこと言っちゃったけど……でも、あれ? どうしてあなたがこんなところに? え? 今まで私が一緒に暮らしてたのはあなたで、あれ? あれっ?」

 女性は軽くパニックをおこしている。しかし、男性はそれにはかわまず彼女の両手を強引に握り締めた。そして、さっと跪くと、思いもよらないセリフを大きな声で言いきった。

「スピカ王女、この僕と、リゲルと結婚して下さい!」

「む、無理です!」

 彼女の名前はスピカというのか、ってしみじみ思ってる場合じゃないぞ! 僕も焦っていたが、焦り具合から言えばスピカ王女ほど慌てた人はいなかっただろう。

「な、何をおっしゃるのですか! 無理に決まっているじゃありませんか! いえ! あなたは素敵な男性です。でもだからこそ、私なんかでは釣り合うはずがないではありませんか! そ、それに私はもう王女ではないし……」

「関係ない! 僕はあなたが好きだ!」

「な、そんな、あの、どうして私なんかを……私はあなたにひどいことしか言ってないんですよ? お互いのことなんて何も知らないし……」

「一目惚れです。一目見た瞬間から運命の人だと思ってます。ひどいことを言われたぐらいではめげません。お互いのことを知らないのなら、これから知り合えばいい。陳腐だろうがなんだろうが、僕は心の底からそう思ってます」

 戸惑うスピカに、リゲル王子ははっきりと言いきった。

「でも、私は、あなたのことをツグミのひげなんて馬鹿にして……」

「馬鹿に? おや、それには気づきませんでした。ツグミは僕の国の国鳥なんですよ。ツグミの国の、ツグミのひげの王さま。素敵じゃないですか」

 リゲル王子はにっこりと笑った。その笑顔をにつられるように、スピカ王女はおずおずと切り出した。

「……本当に私でいいのですか? こんな私で?」

「そんなあなたを愛しています」


 なんだか幸せな展開になってしまったが、一体全体、何がどうなっているのやらさっぱりだ。隣を見ればカレンも不思議なほほ笑みを浮かべているだけだった。状況は分からないけど、幸せな二人を祝福しています、そんな笑顔だった。

 そんな僕達を見やり、リゲル王子は苦笑いを浮かべた。スピカさんもそこで僕達の存在を思い出したらしく、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「まだ色々と言いたいことはあるけれど、まずは貴女の恩人である《傲慢狩り》さん達に説明をした方がいいかな」

 リゲル王子はこちらに向かって、ぺこり、と頭を下げて続けた。

「僕はリゲルといいます。先ほど《傲慢狩り》さんがやっつけてくれた奴と同じように、スピカ王女のお見合い晩餐会に参加していまして。そこで彼女に一目惚れしました。まあ、その時は話をあまり聞いてもらえなかったので、プロポーズはできませんでした。ならば日を改めて、と思ったのですが……彼女はすでに外の世界に出てしまっていて、またも伝えることができなかったのです」

「外の世界に出た、と言えば聞こえがいいですけれど、実際は追い出されたようなものです。いえ、私が悪いのですが……それからの私は……まあ、その……」

 俯いたまま説明を付け加えるスピカさん。しかし、その身の上話は語るのもつらかったのだろう、すぐに口ごもってしまう。そんな彼女にカレンが助け舟を出した。

「諸事情、お察しします。端折って下さい」

「はい、ありがとうございます……それで、ここに流れ着いたのですが、しばらくして、いつの間にか男の人が住みついていたことに気付きました。私も生きるのに必死でしたので、邪魔にならないなら別にいいや、と思っていたのです……」

「僕はずっと彼女の事を探していたのですよ。それこそプロポーズのためだけに。それからほうぼう手を尽くしてこの場所を探し出したのです。しかし、彼女は罪の意識にさいなまれ、僕の言葉では届かなかった。彼女にはなぜか不幸が続いていたので――今は理由がわかります。腹立たしい限りですが――せめて彼女を守りたい、と思いました。でも、王子としての権力を使えば彼女が嫌がることに気付きました。ならば、せめてそばにいたい、例え、僕の存在に気づくことがなくても、僕の言葉が届くことがなくても、一緒にいることで彼女の気持ちがすこしでも和らげば、と思っていました。……まあ、僕の力は微力すぎましたけど」

「ごめんなさい……私、気づかすに」

「いいんだ。僕は何もできなかったんだから」

 リゲル王子はスピカさんの手を優しく握る。その仕草にはまぎれない愛情がこめられているように見えた。

「あなた方が来てくれなければ彼女が気を持ちなおすことは難しかったでしょう。本当に感謝しています。ありがとうございました」

「ありがとうございました、本当に」

 リゲルさんとスピカさんはそろって、僕達に向かって頭を下げた。

「私達は背中を押しただけですよ。スピカさん、前に進む力はずっとあなたの中にあったんです。かつて、あなたは確かに褒められた人間ではなかったのかもしれない。でも、今からなら褒められる人間になることができます。あなたは自分の良くない所を知っている。それは悪い事じゃなくて、とてもいいことです。そこが分かれば改善する努力ができる。そうやって人は前に進むのでしょう」

 カレンは一歩、二人に近づいた。

「スピカさんとリゲルさんが体験したことは得難い経験となったでしょう。お二人であれば、どちらかが罪深い誘惑にかられたとしても、もう一人がそれを止めることができます。二人で助けあって進んで下さい。最後に、スピカさん。あなたは傲慢の罪を知り、そして反省した。罪は消えて、あなたは前に進んでいます。それは《傲慢狩り》が保証します」

「ありがとう」

 二人はもう一度、カレンさんに向かって深く頭をさげた。


 スピカさんとリゲルさんは手に手を取って、リゲルさんの国へ向かって出発した。そこで身なりを整えて、迷惑をかけた人々に謝るつもりだそうだ。きっと困難の多い旅路になる。それでもあの二人なら乗り越えてゆくだろう。

「さて、私達も帰るとしましょう」

 二人を見送ったあと、カレンがぽつりと呟いた。

「そうだね」

 僕は周りを見まわして、忘れものがないか確認する。

「あれ? カレンがやっつけた人は?」

「話している間に意識を取り戻して、風のごとく逃げて行ったわよ。まあ、しばらくは何も手につかないほどの罪悪感に襲われることになるのだけれど」

「そうだったのか……気づかなかったな。それはそうとして、今回の依頼はどういう風に記録すればいいのかな? 依頼は中断? 変更?」

「そのまま記録してちょうだい。私は傲慢を狩っただけよ。記録はあなたの仕事。微妙な案件だったから、ちょっとややこしいと思うけど、がんばって。まあ、私も実際のところ、始めは今回の依頼は《悪女狩り》じゃないのかなって思ってたのよ。結論から見れば、私の仕事でぴったりだったけれどね。もしかしたら、メリアはこれを見越していたのかもしれないわ」

「勘ぐりすぎだよ」

「ふふ。レコは日が浅いから知らないでしょうけど、メリアとオキナには気をつけなさい。あの二人はただの案内係と給仕係じゃないわ。《狩人屋》を仕切ってるのはあの二人なんだから。おそろしく鋭いのよ」

「そ、そうなんだ……」

 驚きの表情になっているであろう僕を見て、カレンは満足そうに笑った。しかし、次の瞬間、彼女は急に不安そうな様子を見せ、辺りをきょろきょろし始めた。

「ど、どうしたの⁉」

「レ、レコ、わ、私、だ、大丈夫だったかしら?」

「な、何が?」

「今回の依頼よ! 私ったらあの二人に偉そうなことばっかり言って……嫌な奴にうつってなかったかしら? 私が人様に教えることなんてないのに! ホントだめだわ。私はダメな女の子なのよ! 謙虚になろうって、いっつも思ってるのに、毎回毎回、嫌になるぐらい傲慢――」

「じゃないよ」

 何事かと驚いたが、恒例の発作のようだった。僕は放っておけばいつまでも続きそうだった彼女の言葉をさえぎった。

「君はいつだって謙虚だったよ。あの派手な男と戦っているときもずっとさ。スピカさんも、リゲルさんも君に本当に感謝していたよ。僕の数少ない記録係の経験だけでもわかるぐらいにね。それは自信をもっていいことだと思う」

「……本当にそう思う?」

「断言するよ」

 僕はためらいなく頷いた。ためらう必要はみじんも感じなかった。ひどい焦りを浮かべていたカレンの顔がふっと和らぐ。

「もっと自信をもっていいよ。だって、君は前に進んでいるんだろう?」

 カレンは自身に言い聞かせるようにつぶやいた。

「……そうね。私は前に進んでる。おばあさんに迷惑ばかりかけていたあの頃の少女じゃないもの。何をしても許されると思っていた頃でもない。神様からの罰で赤い靴に踊らされていたあの頃とは違う。足を斬られる前に、償いとして《傲慢狩り》を始めた頃とも違う。……私は確かに前に進んでる」

 カレンは微笑んだ。まるで天使のように。

 でも、きっと天使なんて言葉はカレンにとって、苦痛でしかないのだろう。人間以上の存在に例えられることは、彼女にとって居心地が悪いに決まってる。

 彼女はいつだって等身大の人間なのだから。

 自分のやっていることに疑問を持ち、それが正しいかを迷い、答えの出ぬままに、限りない決意をもって挑んでいる。そこに傲慢さなど、つけいる隙もありはしない。

「ありがとう、レコ。あなたのおかげで、また一歩前に進めたわ」

「僕は背中を押してすらないよ。進んだのはカレンの力さ」

 ぼくはちょっぴり格好つけてそう言った。自然に言ったつもりだったが、どこか照れがあったのだろう。カレンはニヤッと笑って僕の手を取った。

「レコの言う通り、なのかも。一緒に仕事ができてよかったわ。また機会があれば、ぜひよろしくね」

「こちらこそ」

 僕もカレンの手を握って、がっちり握手を交わした。

「じゃ、帰りましょうか」

 そう言ってカレンは歩き出した。僕も遅れず隣に並ぶ。

 赤い靴の少女と記録係は《狩人屋(オリオン)》へと帰還する。



 ツグミのひげの王様――赤い靴


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