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2.《悪女狩り》

 あるところに小さな国がありました。王様は亡くなっていましたが、賢い王妃がずっと国を治めていました。王妃には一人の娘がありました。王妃は一人娘である王女をたいそう可愛がり、年頃になった王女に遠くの豊かな国の王子との縁談を見つけました。

 嫁入り道具を完璧に整え、お守りに自らの血を三滴落とした白いハンカチを持たせ、ファラダという口がきける賢い馬と一人の侍女をお供に、王女を送り出しました。

「お母さまのお守りをなくしてはいけないわ」

「でしたら肌身離さず持っているのがいいと思いますよ」

「そうね、ファラダ。でもどこにしまっておけばいいかしら」

「でしたら王女。胸のポケットにしまっておきましょう。わたくしめが調整いたします」

 侍女はそう言って、王女からハンカチを受け取り、王女のきらびやかな服にいれました。

 道中、王女とその一行はきれいな川のそばを通りました。喉が渇いた王女は侍女に言いました。

「川の水を汲んでくれる? 喉が渇いてしまって」

「いやです。王女様の奴隷になるつもりはないので」

 王女は黙って馬を降り、自ら前のめりになって川から水を汲みました。

 その時、王女の服から、お守りであるハンカチが川へ落ちてしまいました。王女はそれに気づきませんでしたが、目ざとい侍女はそれに気づいていましたが黙っていました。

 どんどん道を進み、また大きな川の近くを通ります。

「ねぇ。水を汲んでくれる?」

「いやです」

 王女があきらめて馬を降りた瞬間、侍女は言いました。

「そのきれいな服を脱いで、あたしの服と交換しろ。その立派な馬も、家財道具も全部あたしのものだ。たった今からあたしが王女であんたは侍女だ。お守りのハンカチもない。断ったらどうなるかわかるよな?」

 侍女は王女を脅して立場を奪いました。

 目的の国についてからも侍女は王女のふりをして、王様と王子に取り入りました。

「遠いところからよく来てくれた」

「お出迎えありがとうございます。これからよろしくお願いします」

「こちらこそ。そちらの娘さんは?」

「ああ。道中の話し相手として連れてきた下女です。何にもできないバカな娘なので、なにか適当な仕事……ガチョウ番でもやらせておいてください」

 王女はすっかり立場を奪われてしまいました。その様子を悲しそうな表情で賢い馬が見ていました。

 

「よう、レコ」

「あ、おはようございます、赤ずきんさん、フェンリルさんも」

 僕は、眠たげな顔をして寝グセでボサボサな頭を掻きながら現れた赤ずきんさんに挨拶をした。彼女の仕事を記録して数日経ったある朝の出来事だ。

「クハハ。元気そうだな、レコ。……オキナ、俺様にも朝飯を頼む。フェンリルにもいつものヤツを」

 朝食が用意される間に、ざっと身なりを整え始める赤ずきんさん。といっても、手櫛で髪を梳くだけだ。それからトレードマークの赤い頭巾をかぶって、首元の紐をキュッと締める。そうするだけで、彼女の表情はキリリと引き締まった感じがする。

 運ばれてきた朝食をかきこみながら、モゴモゴと赤ずきんさんは口を開いた。口からスクランブルエッグの欠片が飛ぶ。

「はしたないわ、飲みこんでから喋りなさい」

 彼女の足元で肉の塊を噛み千切っていたフェンリルが、相棒をたしなめた。

「ゴクン……で、レコ、仕事の方は順調か?」

「ええ、そうですね。今日もこれから一仕事あります」

「ほぉ……」

「詳しい話はまだ聞いてないんですけど、さっき依頼が入りまして。少し遠い国に行くことになりました」

「ふーん、災難だな。ま、元気でやれよ。……ところで、依頼は? 何狩りだ?」

「確か《悪女狩り》だったと思います」

 パンをかじっていた赤ずきんさんの口が止まった。

「あ、《悪女狩り》? そうかそうか……それは……御苦労さん」

「……ちょっと、赤ずきんさん? その言い方は……含みを持たせすぎじゃないですか? 《悪女狩り》の人は怖い人なんですか?」

 赤ずきんさんの言い方があまりにもあんまりだったので、僕は慌てて確認する。

「いや、別に怖かねぇや……ただ、ちょっと面倒くさいだけで――」

「だれがメンドクサイ奴だって? 赤ずきん?」

 僕達の背後から突然声が聞こえた。パッと後ろを振り返ると、一人の女性が腰に手を当ててこちらを見下ろしていた。

 ツギハギだらけのスカートとブラウス。ボサボサのくすんだ金髪をこれまたツギハギだらけのバンダナで縛っている。十代後半……いや、二十代前半ぐらいか。身なりは粗末だけれど、きちんと整えれば見違えるような美女になるだろう。

「……よう、久しぶりだな、元気そうで何よりだ《悪女狩り》……灰かぶり(シンデレラ)

 灰かぶり(シンデレラ)と呼ばれた女性は赤ずきんさんを見下ろして、ニカッと笑った。

「赤ずきんも元気そうじゃないか」

「俺様はいつでも元気だぜ?」

「まあ、確かに。それで、君は見ない顔だけど、新入りかい?」

 シンデレラさんがこちらに話を振ってくる。

「あ、はい。記録係のレコーダー……レコと呼んで下さい」

 赤ずきんさんがレコと呼ぶ所為で、すっかり僕の名前はレコと定着してしまった。別に悪い気はしない。

「ああ……記憶喪失の……行き倒れてたって子か」

 シンデレラさんは身なりこそボロボロだったが、礼儀正しい人だった。

 彼女が言う通り、僕は記憶喪失だ。自分の事は何も憶えていない。唯一残っている記憶は不思議な光のトンネルだけだ。あれは一体何だったのだろう? 色々と考えたのだが、どうにも説明は付けられなかった。

 まぁ、いい。のんびりと思い出そう。僕には時間がある。……あるはずだ。

 記憶喪失で行き倒れていた僕は、問題解決のエキスパートが集まる《狩人屋(オリオン)》に拾われて、そこで記録係として働くことになったのだ。エキスパート――《狩り》と呼ばれる人々に付き従い、その仕事内容を一から十まで記録する、それが僕の仕事である。

 今回はこの《悪女狩り》シンデレラさんと仕事をすることになるだろう。

「シンデレラ、レコ。こっちよ」

 メリアさんに呼ばれ、彼女のもとへ向かう。後ろから赤ずきんさんの気だるげな「がんばれよー」という声が聞こえた。

 メリアさんの横には一頭の馬が立っている。

「今回の依頼者よ」

「ファラダと申します」

 賢そうな目をした立派な馬は開口一番にそう名乗った。

「この度はわたくしの依頼を受けていただきありがとうございます。どうか我が主をお助けください」

 ファラダさんは深く頭を下げた。


「――大まかな流れは以上の通りなのです。我が主は、あの侍女に脅迫され、本来享受するはずの幸せも奪われ、する必要のない労働をさせられています。それもガチョウ番などという仕事を!」

「まあ、それなら確かに私の得意な仕事だな。まさしく《悪女狩り》の出番だ」

 シンデレラさんは顎に手を当てて頷いている。

 確かに話を聞く限り、その侍女はとんでもない悪行を行っているようだ。信頼を裏切り、王女に成り代わるなんて許されることじゃない。

「私に任せてくれ、ファラダ。そんな奴はこの《悪女狩り》がきっちり成敗してやるから」

 ツギハギまみれの格好だが、自信に満ちた表情で、シンデレラさんは頼もしく言い切った。


 僕とシンデレラさん、ファラダさんは三人で《狩人屋(オリオン)》を出て、目的の王国を目指した。誰が用意してくれたのか、豪華な馬車での旅だった。それにしても……豪華は豪華なのだが、なぜかカボチャ型デザインの馬車だ。なぜこんなデザインなのだろう?

「王女の実家には相談したのか?」

「いえ、それはしておりません」

 カボチャ馬車の窓からシンデレラさんがファラダさんに声をかける。彼は馬車と並走しているが、話すことは問題なさそうだった。

「確かに王妃様に相談するのが筋かもしれませんが……あのお方にはこれ以上の心労をかけたくないのでございます。我が主もそう思っておられます。我が国は小さなものです。決して豊かな国ではありませんでした。王妃様が様々な方法で暮らしをよくしてくれておりましたが、それも限界があります。王妃様にはもはやあまり力が残されておりません。なけなしの力を振り絞って作られたお守りのハンカチが王妃様の最後の魔法になるでしょう。そんな疲れ切った王妃様にこのような悲しいお話を伝えるのはとてもとても……仮にこんなお話を聞いていまったら悲しみのあまり、王妃様の心臓が張り裂けてしまうでしょう」

 ファラダさんは悲しそうに首を振った。

「お守りか。なくしたってやつだな」

「はい。今思えば、あの侍女がしまっていましたから、落ちやすく細工でもしていたのではないかと疑っています」

 ありそうな話ではある。もしかすると侍女はチャンスを狙っていたのかもしれない。

「あのハンカチが健在であれば、侍女もあのような手段は取れなかったでしょう。お守りが無くなったとわかるや否やあの侍女は行動を起こしましたから」

「あの。少しいいですか?」

「どうかされましたか、レコ様」

「王女様はどうして口をつぐんだままなのでしょう? 誰にも相談できないのですか?」

 嫁ぎに行く国で知り合いがいないのかもしれないが、誰かに助けを求めることもできると思ってしまう。

「それが、あの小狡い侍女のあくどいところでして。我が主に成り代わったあと、暴力をちらつかせながら『このことを、生きたものに話さない。話した場合は死を受け入れる』と天に誓わせたのです。この誓いのせいで、我が主は誰にも相談することができません」

「なるほど。そうだったんですね」

「ふむ。口約束とは言え誓いか……。下手に反故にするのは考え物だな。ちなみにファラダ。その誓いって一言一句正確かい?」

「はい。わたくしが聞いた通りでございます」

「わかった」

「我が主に代わり、わたくしが侍女めを糾弾しようと思いましたが、あやつはそれを見越して、王と王子にすぐさまわたくしの斬首を命じたのです」

「……口封じのつもりか」

 シンデレラさんが吐き捨てる。

 確かに侍女の立場からすれば、すべてを知っているファラダさんの存在は疎ましいものだろう。彼なら真実を伝えるのに何の苦労もない。

「危うく殺されるところだったのですが、我が主が『それだけは』と懇願してくださいまして。二度とあの国に立ち入らないと誓った上で、追い出されたのでございます。ああ、なんと不甲斐ない……主に助けられたのに、守ることも、お傍にいることもできないとは」

 ファラダさんは耐えられないというように速度を上げて、馬車の前を走りだした。

「……落ち込んでますね」

 僕は記録を書く手を止めて言う。

「ファラダにとってはなんとも悔しい状況だろうからね。ただ、まあ、下手に抵抗しなかったのは賢いと思うよ」

 シンデレラさんは高級そうな革張りの背もたれに深々と寄りかかる。

「悔しさを飲んで、国を出たおかげで、《狩人屋(オリオン)》に来られたんだからね。それにおそらく、ファラダが現場で侍女を糾弾しても、あまり意味はないと思う」

「というと?」

「証拠がない。侍女と王女が入れ替わったという証拠が。家財道具すべてが侍女のものになり、王女本人が誓いで自己弁護できない状況だから。ファラダがどれだけ熱弁しても、侍女が『あの無礼な馬をなんとかしてください!』といえば、それでファラダの命はなかっただろうね」

「そうですね……」

「だからね、レコ。私たちは何とか証拠を手にいれないといけないんだ。向こうについたら、色々と調査しないと。ファラダの証言だけで、お城に乗り込んで、偽の王女をぶっ飛ばすことができればいいけど、それだけだと後々禍根を残すことになるだろう。悪いのは向こうだけど、はたから見れば私たちが極悪人になってしまう」

「確かに……王女襲撃事件になってしまいますね」

「可能なら王女本人から証言が欲しいところだけど、誓いのせいで難しいかもしれないな。少なくとも誰か国の有力な人が偽王女に疑念を持ってくれればいいんだけど」

 シンデレラさんはため息をついた。

 僕は今回の依頼を具体的に想像できてはいなかったけれど、確かに、前回僕が同行した赤ずきんさんの依頼とは毛色が異なるようだ。犯人を叩きのめして終わりというわけにはいかないのだろう。まあ、これは赤ずきんさんとシンデレラさんの仕事に対するスタンスの違いなのかもしれないが。

 途中で休憩をはさみながら、カボチャ馬車は二日間走り続けた。

「このまま真っすぐ道を進んでください。わたくしはこれ以上、あの国に近づくことができません。申し訳ありませんが、案内はここまでです。どうか、どうか我が主をよろしくお願いします」

「任せてくれ。《悪女狩り》の名に懸けて」

 ファラダさんに見送られながら、僕とシンデレラさんは目的の王国に到着した。


「さて、まずは馬車から降りよう。うーん、さすがに長時間座りっぱなしだと疲れる」

「シンデレラさん、この馬車はどうするんですか? こんな豪華な馬車を停めて置ける場所なんてあるんですか?」

 城壁に囲まれた街の外で、馬車を置いておくスペースには困らないが、こんなに立派な馬車だと盗まれてしまうかもしれない。それに馬車を引いてくれていた四頭の馬や一切口をきいてくれない寡黙な御者さんはどうするのだろう。ずっと馬車を見てくれるのだろうか。

「あ、いや、それは大丈夫」

「大丈夫?」

 シンデレラさんがパチンと指を鳴らした途端、馬車が煙のように掻き消えた。馬も、御者も同じように消え去った。

「え⁉」

 そこに残っていたのは何の変哲もないオレンジ色のカボチャだ。

「え⁉ カボチャ?」

 よく見るとカボチャの周りに四匹の白いネズミと小さなトカゲが一匹いる。

 シンデレラさんは平然としている。ちちち、と口を鳴らしてネズミとトカゲを呼んでいる始末だ。ネズミたちはこちらに駆け寄ってきて、シンデレラさんのスカートのポケット(たくさん付いている)に飛び込んでいる。

「……何がどうなって? もしかしてネズミさん達が貴女の相棒ですか? 馬や御者に変身できる能力を持った相棒? ……やっぱりフェンリルさんのように喋れるんですか?」

 もし、このネズミ達がフェンリルさんのような知性の持ち主であった場合を考えると失礼な行動はできない。

 しかし、僕の心配は杞憂だった。

「いや、こいつらは相棒というより、アシスタントだよ。勿論、口は利けない。私には特定の相棒はいない。……相棒的な存在がいることはいるんだけど、少なくとも《悪女狩り》の仕事を一緒にすることはないし、滅多に出てこない気まぐれな奴でね」

「そうでしたか」

「……まあ、その相棒的な存在ってのが、いわゆる〈魔法使い〉ってやつでね。そいつが色々と便利なアイテムを与えてくれるんだよ。あの馬車はそのアイテムの一つなんだ」

「そう……ですか。魔法のアイテム、というわけですね」

 この際、何でもござれだ! いちいち気にするのはやめよう。

「じゃあ、行こうか、レコ」

 シンデレラさんはツギハギだらけの大きなバッグにカボチャをしまうと、バッグを背負って歩き出した。荷物は僕が持ちましょうか、と聞いたのだが、大事な物が入っているらしく、どうしても手放せないらしい。

 動物の鳴き声が聞こえる、と思ったらいつの間にか、シンデレラさんのスカートのからネズミが顔を出してチューチュー鳴いているところだった。

「これからどうするんですか?」

 大きな城門を潜り抜け、街の中に入った。シンデレラさんのツギハギだらけの格好が不思議だったのか門番らしき兵士にちらりと視線をもらったが、止められることもなかった。

「とりあえずは聞き込みからかな。街の人に偽王女の評判なんかを聞いてみよう。それと本物の王女のことも。確か、ファラダがガチョウ番をやっているって言ってたよね?」

「はい。確かにそう言っていましたね」

 僕は記録をめくりながら確認する。

「できれば王女本人にも会いたいけど、ガチョウ番なら日中はガチョウを連れて街の外にいるだろうし、夕方になるまで街の中で話を聞いてみよう」

 僕たちは賑やかな喧噪のする方へ足を進めた。

 野菜を売っている露店の前で足をとめ、店番の女性に話しかける。

「や、おばちゃん。どれがおいしい?」

 露店の女性はシンデレラさんの格好に不審げな目を向けているが、シンデレラさんは全く気にせず話しかけている。

「旅の者なんだけど、このあたりの食べ物には詳しくなくて。できれば新鮮なヤツが食べたいんだ。長旅で乾燥した食事ばっかりだったから」

「まあ、新鮮ならこの赤みがはっきりしたやつがいいね。生でおいしいよ」

「そっか。ありがと。じゃあ、それ二つ」

「まいど」

 シンデレラさんは野菜の代価を支払う。

「そういえば、噂で聞いたんだけど、ここの王子様、最近結婚したんだって?」

 野菜を受け取りながらシンデレラさんは何でもない、という風に問いかけた。

「ああ。本当につい最近の話だよ」

「それはおしいことをした。もう少し早く到着していれば、盛大な結婚式に参加できたかもしれないのに」

「……まあ、盛大は盛大だったけどねぇ」

 シンデレラさんの丁寧な姿勢が受けたのか、すっかり警戒を解いたのか女性は苦々しげな表情でつぶやいた。

「どうしたの? ずいぶん含みのある言い方じゃない?」

「そんなことないよ」

「もしかして、あんまり妃様の評判よくない?」

 シンデレラさんが店主にぐっと顔を近づけ、ささやいた。

「正直、いろんな噂が聞こえてくるんだよね。ここに来てからもみんな同じこと言ってるし」

「……大きい声では言えないけど、かなり我がままなお人だよ」

 みんなが言ってるも何も全くそんなことはないのだけれど、すっかり口が緩んでしまった店主はぽろりと本音をこぼした。

「アルカルロプス王から素晴らしい人だって聞いてたけど、なんだかそんな風には思えないんだよ。まったく挨拶もしてくれなかったって話もあるし、侍女なんかの扱いもひどいって話だよ」

「そう……それは大変だね」

「……おっと口が滑ったね。あんまり言うのもあれだし」

「ごめんごめん。ま、旅の者に対する戯言だよ。誰にも言わない。……そういえば、ニワトリかガチョウを売ってるところないかな? 旅に連れて行きたいんだけど」

「ああ、それならキュルト小僧のとこへ行きな」

「キュルト小僧?」

「この街のガチョウ番の小僧だよ。そういえば新しいガチョウ番の女もいたんだっけか……」

「どっちに行ったらいいの?」

「あっちだよ。でも今はキュルトの奴はいないと思うよ。外に出てるだろうからね。戻ってくるとしたら夕方だよ」

「わかった。ありがとう」

 こうしてシンデレラさんはいとも簡単に王女の居場所を突き止めたのだった。

 ガチョウ番が戻ってくるという夕方までの時間、シンデレラさんと僕は同じような聞き込みを続けた。

「……おおむね、似たような話ばかりでしたね」

「ああ。偽王女の評判はすでによくないらしい。結婚してまだそんなに時間も経ってないだろうに。よほど好き勝手やってるのか」

 多くの人が、偽王女に悪い印象を持っているようだった。いい話は聞こえて来ず、態度が悪くて横柄な感じがするなど、そんな話ばかりだ。

「しかし、ガチョウ番の娘……王女についてはほとんど何も出てこなかったな」

「そうですね……大体の人が、そういえばそんな子もいたなぁ、ぐらいの感想でしたし」

「あんまり人との関わりを持ってないのかもしれないね」

 情報の整理を兼ねて、シンデレラさんと意見をかわす。僕たちは目的のガチョウ小屋が見える位置に陣取って会話を続けた。

「王女は知り合いもいませんし、その可能性も高いかもしれません」

「王女の状況を知れば知るほど不憫になる……」

 暗い表情でため息交じりにシンデレラさんは呟く。

「どうしたものか………これは確かにうまい」

 情報料代わりに買った野菜をかじりながら彼女は言う。

 王女の心境を思うと、苦しくなってくる。僕は茜色に染まりつつある天を仰いだ。

 その時、騒々しい鳥の鳴き声が近づいてくるのが聞こえてきた。

「おっ! 来た! 帰ってきたね!」

 シンデレラさんは食べ残りの野菜を口に詰め込むと、ばっと立ち上がって鳴き声の方へ歩き出した。僕も慌てて後に続く。

「……彼女が」

 鳴き声の出どころはすぐにたどり着いた。やかましくなくガチョウ群れの後ろに一人の女性がいた。よく日に焼けた健康そうな肌に長めの黒髪。着ている服は質素だし、少し疲れた様子で表情も暗いが、かつては輝くような人だったのがわかった。

 その女性は手際よくガチョウたちを小屋へ押し込み、扉にカギをかけた。そのタイミングを見計らい、後ろから声をかける。

「失礼」

「? こんにち……もう『こんばんは』かしら。どちら様ですか?」

「《狩人屋(オリオン)》の《悪女狩り》シンデレラといいます。ファラダさんの依頼でここに来ました」

 その言葉を聞いた瞬間、ガチョウ番の女性は手で口を覆い、膝から崩れ落ちた。

「おっと!」

 崩れ落ちる王女に駆け寄って、間一髪のところで体を支えたシンデレラさんは続ける。

「大丈夫です。心配はいりません」

「あ、あの子は、ファラダは無事なのですね?」

 嗚咽交じりに王女が問う。

「はい。彼はあなたのことを、とても心配していましたよ」

 王女は何度も頷きながら、声を押し殺して泣き始めた。

「お、お見苦しいところをお見せしました」

 数分後、落ち着きを取り戻した王女は恥ずかしそうにそう呟いた。

「大丈夫。あなたの状況を思えば致し方ないかと」

「シンデレラさんといいましたね。《狩人屋(オリオン)》というとあの?」

「そうですよ。私たちはあなたの状況をある程度把握しています。確認ですが、王女様で間違いないですね?」

 王女は困ったような表情をするだけで何も答えてくれなかった。

「……ああ、これもダメか。自分が王女であると、他人の前で認めることは誓いに反するのか」

「……申し訳ありません。正直に言えば、話したいことはたくさんありますが……私から話すことはできないのです。何も説明できなくてごめんなさい」

 王女はつらそうな顔で俯く。

「こうして来ていただけたことには大変感謝をしています。ファラダが助けを求めてくれたことも、とてもありがたい。……しかし、私の境遇を変えることは難しいでしょう。どこからも、何も訴えられない状況です。この状況を疑問に思うような人も、この国にはいないでしょう。あなた方がいくら声を上げてくれようとも、これではあなた方が王女に逆らう逆賊になるだけです」

「そんなことは」

「いえ、いけません。助けに来てくれた方を、犯罪者にするわけにはいきません。私は大丈夫ですとも。ファラダも元気だと知れました。余計なことをしなければ命の危険があるわけではないし、こうして仕事をして生きていけます。ガチョウたちもいますし、キュルト坊やもいたずら好きで少し困りますが、よくしてくれています。それに」

 王女は顔を上げてほほ笑む。あまりにも悲しい笑顔だ。泣いているようにしか見えない。

「助けに動いてくれる人がいる。それだけで十分です。私は一人ではないと知ることができましたから。本当にありがとうございます。私は大丈夫です。では、これで」

 止める間もなく、王女は身を翻して駆けて行ってしまった。

「シ、シンデレラさん!」

「……まいったね。彼女が諦めてしまっている。これは難しいぞ」

「追いかけた方がいいんじゃないですか?」

「いや、今は彼女を説得する材料がない」

 確かに、これ以上会話を続けても平行線になるだけのような気がする。王女は頑なだったし、こちらにも状況を進展させるだけの材料がない。

「本当にまいったね……せめて『助けて』という言質だけでも取れればやりようはあるんだけど。彼女はもうどうにもならないと思い込んでいる。何か、突破口が見つかればいいんだけど」

「少しよろしいか」

 腕組して唸るシンデレラさんの背後から、突然声がかけられた。

「背後から失礼。あなた方二人に聞いておきたいことがあるのだが」

 現れたのは恰幅の良い初老の男性だった。質素ではあるが、上品な服装で、なんというか箔がある装いだった。

「あのガチョウ番の娘と知り合いかね? 盗み聞きのような形なって申し訳ないのだが」

「……どちら様?」

 不審げな顔で尋ねるシンデレラさん。片手がツギハギバッグへ伸びている。

「これは申し訳ない。名乗ることもせずに。急いてしまったな。わしはアルカルロプスという者だ」

「ん? どこかで聞いたような?」

「この人、王様ですよっ!」

 市場の店主が言っていた王様の名前と一致してる! な、なんで王様がこんなところに⁉

「ああ。その通りだ。わしはこの国で国王をしている者だ」

 僕とシンデレラさんの前で、この国で一番偉い人が肩をすくめていた。

「それであのガチョウ番の娘と知り合いかね?」

「……なぜあなたがそれを気にするのか聞いてもいいですか?」

「むう……気になるのだよ。あの娘の素性が。詳しい話は言えんが」

「……どうしたものか、困るな」

「困るような内容なのかね?」

「場合によっては」

 二人の腹の探り合いが繰り広げられる。先に折れたのはシンデレラさんだった。

「まあ、こうしていても埒が明かないな。私はシンデレラ。ある人物から依頼を受けて、あの娘を助けに来た者だ。知り合いかどうかと言われると、会ったばかりだが、彼女の背景は知っている」

「その背景を教えてはくれまいか。どうしても必要なことなのだ。とても大切なことだ」

 王様の表情は真剣だった。ふざけているようには見えない。

「そちらが譲歩してくれたのはわかる。こちらを腹を割ろう。しかし、シンデレラさん。このとは口外しないでくれ」

「約束する」

「……実は、王女の件なのだ。知っているかどうかわからないが、息子が妻をめとったばかりなのだ。古馴染みの国の女王の娘で、器量がよく、母譲りの不思議な力を秘めた娘だと聞いていた。もちろん、その女王本人から聞いたのだが」

 王様はためらいがちに口を開いた。

「それが、息子と結婚してから、王女の人物像が聞いていた話と一致せんのだ。いや、もちろん、それが本来の性格なら仕方ないのだが、どうにもあの女王の人物評が食い違う。自分の娘だからと言って目が曇るような女性ではないはずなので、余計に疑問なのだ」

「なるほど」

「……確かに不思議な力はある。しかし、それだけだ。自分勝手で、人を見下しておることが多い上に、自ら連れてきた侍女を捨てるように、そばから追い出しておる」

 苦悩が滲んだ表情で王様は続けた。

「悩んでおったところ、偶然、ガチョウ番のキュルト小僧が話しているのを聞いたのだ。新しいガチョウ番の娘――あの王女の侍女も不思議な力を持っていると。いたずらをしようとすると、あの娘が呼び出した風に邪魔されるのだと」

「風?」

「ああ、それこそ女王から聞いていた王女の不思議な力なのだ。いや、今の息子の妻も風のような力を少し使っているのだが」

「わかった。アルカルロプス王」

「何かね」

「あなたが感じていることは正しい。あなたの息子の妻は偽物だ。本物の王女はあのガチョウ番の娘だ」

「やはり!」

「私は王女の馬から依頼を受けた《狩人屋(オリオン)》の《悪女狩り》だ。偽の王女を止めに来た」

 驚きに目を見張る王様に、シンデレラさんは事の経緯を説明した。

「――ならば王女の口から真実を語ることは出来ないのか?」

「難しいだろうね。誓いがある以上、無理はできない」

「わしは王女になんと申し訳ないことをしたんだ……こんな道理は許されん。何としてでも、あやつの化けの皮を剥がさねば。しかし、単純に奴を追い詰めてもしらばっくれるだけで意味がないだろう。下手すると外交問題になりかねん。王女のふりをして祖国に手紙でも出されれば、最終的にどうなるかわからんが、面倒なことが起こりすぎる。間違いなく縁談はご破算だろう」

「状況は自体は先ほどよりも好転しているよ。王が味方に付いてくれれば、やりようはある」

「本当か?」

「ああ。アルカルロプス王、今から私が言うような部屋ってあるかな?」

「それは……あることにはあるが?」

「上々だ。今から、そこで準備してくれ。できれば息子もいた方がいい。私とレコはなんとか王女をそこまで連れていくから」



 アルカルロプス王との密談後、僕たちは王女を捜して歩き回った。そして、ガチョウ小屋から少し離れた物陰でしゃがみこんでいる王女を見つけた。

「やあ。また会ったね」

「……あなたはシンデレラさん」

 王女は涙で濡れた顔を上げて言った。

「全然、大丈夫そうには見えないよ」

「そ、そんなことはありません」

 王女の言葉は尻すぼみになる。

「いきなりあなたは助けるのは難しい。でも、あなたの気が少しでも楽になれるように協力してくれる人がいる。私たちについてきてもらえるかな」

 王女はまだ迷っているようだった。

「お願いだ。その人はあなたをすごく心配している」

「……わかりました」

 そうして僕たちは王女を連れて、王様が準備している部屋へと進んだ。

「あ、あの! お、お城の中に入るんですか?」

 思わぬところに連れて来られたせいだろう。王女様はガチガチに緊張している。それもそうだろう。今の自分はガチョウ番で、ここにはこの境遇に追いやった本人がいるのだから。でも、それは王様がばれないようにしてくれているはずだ。

 目的の部屋の前にたどり着く。その前にはアルカルロプス王が待っていた。

「お、王様………」

「すまなかった。わしは何も言えん。あなたもそうだろう。そう聞いている。わしはずっと疑問だったのだ。助けられずにすまない」

「……大丈夫です。王様。言えない私が悪いのです。顔を上げてください」

「せめてもの償い……あまりにもささやかな償いだが、この部屋は誰もおらん。この部屋にはストーブが一台あるだけで、誰も、何もおらん。この部屋なら中で何も言っても部屋の中でいきものに聞かれることはない。せめて、ここで思いを吐き出しておくれ。こんなことしかできない王ですまない」

「そんなことはありません。感謝します、アルカルロプス王」

「私も力になれず、申し訳ない」

「大丈夫ですよ、シンデレラさん」

「君が部屋に入ったら、廊下も誰にも近づけさせない。本当にすまない」

 王は涙を流しながら頭を下げていた。


「悔しい! 何もできない私が悔しい! ううっ……どうしてあんな……こんなことに! お母さまに会いたい! ファラダに会いたい! 王女は私だっ‼ お母さまが用意してくれた物が奪われた! ファラダが殺されかけた! 悔しいっ! みんな助けてくれようとしているのに! 私があいつに丸め込まれたせいで! 助けを求めることもできない! うう、ぐすっ……誰かに、助けてほしい! 助けてほしい……だれか、お願い、助けて……」


「言葉にならないっ‼」


 どん、と石畳の床を叩いたのはアルカルロプス王の息子、ネッカル王子だった。

 僕とシンデレラさん、アルカルロプス王と王が呼んだネッカル王子がこの場にいた。

 王女の慟哭が響く部屋――そのストーブの排気口がつながる場所だ。

 シンデレラさんが言うにはこうだ。王女の誓いは『このことを、生きたものに話さない。話した場合は死を受け入れる』である。今、王女が部屋で話しているのは置物であるストーブ。王女はいきものには、この話を話していない。『私たちはストーブの煙に乗ってきた、王女の声を偶然聞いているだけ』という理論らしい。

「誓いとは強力な反面、融通が利かないんだ。言葉通り、額面通りでしか効力を発揮しない。穴をつくことは容易いよ。この状況をそろえるのに王の協力が不可欠だったけど」

「僕は、今の今まで偽物を妻として扱ってきたのか⁉ それもあんなに残酷なことをしでかした女を⁉」

 背景の説明をすでに受けている王子は血がにじむほどに拳を握りしめている。

「許せない! 絶対に許せない!」

「お気持ちはお察ししますよ、王子。これで私の依頼も果たせる。二人には一芝居打ってもらいましょうか」

「あの性悪女を叩きのめすことができるなら なんでも協力する! なんでも言ってくれ!」

「ここからは《悪女狩り》の出番だ」



「そういえば父上。《狩人屋(オリオン)》というものをご存じですか?」

 広間の長いテーブルに三人の人物がいた。彼らの前に豪華な夕食が置かれていて、食事をしながらの雑談、という形でネッカル王子がアルカルロプス王に問いかけた。

「聞いたことはあるな」

「その中には《悪女狩り》というものがあるらしく、ひどいことをした女を成敗してくれるらしいんです」

「面白いな」

「悪女とはどのような者をいうんでしょう? 君はどう思う?」

 ネッカル王子が対面に座る女性に声をかける。その女性は冷たい、興味のなさそうな表情で答えた。

「さあ? 興味ありません」

「そんなバッサリ切らなくてもいいだろう」

「別段、悪女がどうとかどうでもいいのですが。答えろと言われれば。ま、人を騙くらかして、財産を盗んだり、とんでもない迷惑をかける輩ではありませんか?」

「そんな奴がいたら君はどうする?」

「ハハッ。そんな無粋な女は樽にでも詰めて、市中を馬で引きずり回したらいいのでは? 死刑ですよ。死刑。それかその《悪女狩り》なんて者がいるのなら、その者に任せてしまえばいいでしょう」


「じゃあ、任せてもらおうか」


 広間の扉を開け放ち、シンデレラさんが宣言する。

「《狩人屋(オリオン)》の《悪女狩り》シンデレラだ。成敗しに来たよ、悪女さん?」

 偽王女は一瞬だけ、あっけにとられた表情を見せたが、すぐに冷たい嘲笑に変わった。

「ふっ……何やら下手な会話が始まったと思ったら、そういうこと。何を言い出すのかと思ったわ」

「この性悪がっ! ぐっ⁉」

 テーブルを叩いて立ち上がったネッカル王子が、飛んできた皿に胸を打たれて椅子に倒れこむ。

「あら。ごめんなさい、あなた」

 偽王女が指を王子に向けて言う。

「貴様に……あなたと言われる筋合いはないっ」

「いや、筋合いはあるでしょ。あなたとあたしは結婚してるんだから」

「そんなものは破棄する!」

「一方的。後でじっくり話し合いましょう、あなた。王様と三人で一緒にねっ!」

 偽王女が両手を振ると椅子ごと王様と王子の体が吹き飛んだ。

「大丈夫よ。時間はあるから。あの《悪女狩り》を追い返した後に、たっぷりと」

「へえ。自信満々じゃないか」

「これでも一応、祖国じゃ優秀だったのよ?」

 テーブルの上に飛び乗った偽王女が両手を広げると、テーブルの上の食器が彼女の周りに浮き上がり、シンデレラさんに狙いを定めた。

「どれだけ耐えるか、見ものだわ」

 その言葉と共に、凶器と化した皿やナイフ、フォークがシンデレラさんに襲いかかった。

「おっと」

 急襲する食器を軽く体を捻ってかわすシンデレラさん。続く攻撃もアクロバットな動きでかわしていく。

「ほっ!」

 いつの間にか拾っていたらしいナイフを偽王女に向かって投げる。偽王女が指を顔の前に立てると飛んできたナイフが空中で止まった。

「なるほど。物体を操るのか」

「口ほどにもないんじゃないの、《悪女狩り》」

「うーん、その能力でハンカチを王女の服から落としたのかな?」

「どうでもいいことね? あんたは避けるだけの力?」

「大口叩くだけはあるじゃないか……私も本気でいこう」

 シンデレラさんは背負っていたバッグから、うやうやしくある物体を取り出した。

 明かりを透かして輝く靴――ガラスの靴だ。

 ボロボロだった靴を脱ぎ棄てて、そっとガラスの靴に足を入れるシンデレラさん。

灰かぶり(シンデレラ)、ヴァージョン悪女狩り。……変身(ビブリ・バブリ・ヴゥ)

 カッと光りを放つガラスの靴につられるように、ツギハギだらけだったシンデレラさんの服が薄い水色の美しいドレスに変化していく。バンダナもかき消え、代わりに小さなティアラが現れる。ボサボサだった髪も完璧な状態にアップされて、顔も化粧がばっちりだ。

 そこに居たのは光り輝くような美しさを持った女性。

 あれが……シンデレラさんの本当の姿なのか……。

 手に持ったガラスの(つるぎ)を偽王女に突き付けて、シンデレラさんは言った。

「もう、お前に勝目はない」

「着替えたから何だっての?」

 イラついた表情で両手を振る偽王女。

 飛び出す食器をシンデレラさんは避けなかった。

 恐ろしい速度で向かってくる食器を一つ一つガラスの剣で叩き落していく。そのまま一歩ずつ偽王女に歩み寄っていくシンデレラさん。

「大道芸ね!」

 食器だけでなく、椅子まで飛んできた。シンデレラさんは表情を変えずにあっさりと椅子を切り捨てた。

「っ⁉」

 偽王女の近場にあるものがことごとくシンデレラさんを襲うが、シンデレラさんはものともしない。剣一本で凌ぎきっている。

「くそっ!」

 長いテーブルがひっくり返り、シンデレラさんを叩き潰そうとするが、ガラスの剣がひらめくとまるで、紙を切るかのようにテーブルが真っ二つになった。

「こいつっ……」

 あっという間に偽王女の喉元に剣の切っ先が突きつけられる。

「で?」

 偽王女は薄ら笑いを浮かべる。

「どうするの?」

「私はお前たちみたいなのが嫌いでね。ひと様の善意に付け込んで、自己中心的な考えと行動を押し通す奴が」

 シンデレラさんの表情が冷たくなる。そのあまりの変化に偽王女の薄ら笑いが凍り付いた。

「あ、う」

 偽王女がガタガタ震え始めている。僕もシンデレラさんのあまりの迫力に背筋が凍り付きそうだった。

「一度しか言わない。すべての誓いを破棄しろ」

「破棄する。あたしが交わした誓い、そのすべてを破棄する」

 偽王女は迷わず言った。

「よし。お前、悪女は死刑でいいって言ってたもんな。じゃ――」


「もう結構です!」


 ガラスの剣に力が籠められるまえに、凛とした声が広間に響いた。

「もう結構です。シンデレラさん」

 結末を見届けるために、広間の外で待機していた本物の王女が歩いてきていた。

「そっか。あなたが言うなら」

 シンデレラさんはにこやかに笑って剣を収め、テーブルから飛び降りた。

「……なに、助けたつもり?」

「いいえ? あなたごときの血でここを汚すのは忍びないだけです」

 偽王女と王女が向き合う。

「私に一つ、誓いを立ててくれませんか」

「あんたっ……」

「『金輪際、私とその知り合いにかかわらない。二度とこの国と私たちの祖国に足を踏み入れない』。天に誓っていただけますか?」

「そ、そんなことでいいのか、君はひどい目に合わされたんだぞ。もっと言ってもいい」

「いいえ。これで十分です」

 椅子ごと吹き飛ばされた王子が拘束から解かれて寄ってきたが、王女は押しとどめた。

「……『金輪際、私とその知り合いにかかわらない。二度とこの国と私たちの祖国に足を踏み入れない』。天に誓う」

 王女の身分を失った侍女は力なくそう言った。


「皆様、ありがとうございました」

 誓いによって追い出されるようにいなくなった侍女を見送り、王女がこちらに頭を下げた。

「君がお礼を言う必要はない。こちらは当然のことをしたまでだ」

「息子の言う通りだ。君には何をしても償えんぐらいにひどいことをしている」

「いいえ。そんなことはありません。これは本心です。さっきまでのような強がりでもありません」

 くすっと王女は笑った。

「それでも、何かしたいというならば」

「ならば?」

「もう一度、結婚式をしてくれませんか。私が主役の。本物の結婚式を」

「当たり前だろう!」

「いや、むしろこんなことがあっても息子と結婚してくれるか?」

「余計な事言わないで父上! せっかく彼女がその気になってるのに!」

「もちろんです。今回の件でとても素敵な人だと知れましたから」

 にっこりと王女は笑う。花が咲いたように美しい笑みだった。その笑顔を見て、王子はすっかり赤くなっている。

「王女様‼」

 突然、広間に聞き覚えのある声が響いた。この声は……。

「ファラダ⁉」

「王女様! ご無事で! よかったよかった!」

「ファラダ、お前、なぜここにいるの!」

 駆け寄ってきたファラダに飛びつきながら王女は歓声を上げた。

「シンデレラ様のお知り合いという方が連れてきてくれたのです。もうすべて終わったからと! 誓いはずべて破棄されたと!」

「うわあ、よかった、無事だったのね! 本当に心配で心配でぇ!」

「王女様こそ、ご無事でよかったです! あなたを思うと心臓が張り裂けそうでした!」

 ファラダさんと王女は泣きながら抱き合っているが……シンデレラさんの知り合い?

 ちらりと横目で伺うとシンデレラさんは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。

 ひとしきり再会を喜んだあと、王女はこちらに向き直り、深々と頭を下げた。

「ありがとうございました。シンデレラさん。レコさん。あなた方のおかげで私はすべてを取り戻すことができました」

「いえ。気にしないでください」

「僕は何もしていませんから」

 僕は本当に何もしてない。記録していただけだ。王女を助けたのはシンデレラさんだ。

「仕事ですから。あなたの苦境が無くなって本当によかった。明るい未来があなたを待っている。これからは幸せになってください」

「はい。もちろん」

 王女は再会の涙を浮かべたまま、にっこりと笑った。

 それはさっきよりも美しい、太陽のような笑みだった。




「はぁい、お元気、シンデレラ?」

 王女たちに見送られ、街の外まで戻ると、見知らぬ若い女性が近くの石に腰かけていた。それを見たシンデレラさんが「ンげぇ!」という似合わない悲鳴を上げる。

「お前、ビビティ⁉ なんでここに⁉ やっぱりファラダを連れてきたのはお前だったか! なに企んでやがる」

 トンガリ帽子に紺色のふんわりしたワンピース。灰色の髪はさっぱりしたショートカット。大きな瞳でこちらを見下ろし、口元には微かな笑みを浮かべ、手に持った杖をくるくるともてあそんでいる。

「まー失礼しちゃう! サービスついでに、仕事を終りの相棒をねぎらいに来たのよぉ! どうせあなた、あたしがあの馬を連れてこなかったら、自分で探すつもりだったでしょ?」

「当たり前だろう。依頼人だぞ⁉」

「だからその手間を省いてあげたのよ。あら? 君が噂の子? 初めましてぇー、魔女っ娘、ビビティですぅ」

 片手をヒラヒラ振りながら、ビビティなる魔法使いは言う。僕は頭を下げた。

「で? 何の用だよ。契約の更新か? いや、それはこの前、やったばかりか……」

「違うってば! ねぎらいに来たの! あなた、ちょっとは相棒のこと信用しなさいよ!」

「こいつが前に話した、私の相棒だ。見かけより老けてるから騙されるなよ、レコ」

「余計な事を言うな! 誰があなたを助けてあげたと思ってるの!」

 ビシッと杖を突きつけるビビティ。

「助けた? シンデレラさんをですか?」

「……さらっと説明すると、私は昔、継母と義姉にひどい扱いを受けてたんだ。そこに現れたこの魔法使いがいくつかの条件と引き換えに、私に継母達の支配から逃れる力を与えてくれた。条件とは常にボロボロの服を着ておくこと。それから《悪女狩り》として働くこと。……私は条件を飲み、現在に至る、というわけだな。以上、説明終わり」

 口を挟むな、とシンデレラさんの全身が訴えていたので、僕はとりあえず、その説明で納得する。いずれ、機会があれば詳しく知ることが出来るだろう。

「……で、とにかく、あたしはあなたをねぎらいに来たの!」

「具体的な方法は?」

「馬車旅いらずで、《狩人屋(オリオン)》に帰してあげる。とりあえず、馬車出して、それに乗りなさいな」

 シンデレラさんが仏頂面でカボチャを取り出して、パチンと指を鳴らした。カボチャは瞬く間に大きな馬車へと変化する。僕とシンデレラさんは言われるままに、馬車に乗りこんだ。後ろからビビティさんもついてくる。

 座席に座った魔法使いは杖を大きく振り上げる。ポシュッと杖から貧相な火花が散った。

「行くわよ~、しゅっぱ~つ! ひょーい! ……はい、着いた」

「嘘ですよね? 今のジョークですよね?」

 僕は慌てる。だって、馬車は全く動いた気配がないんだ! 本当にぴくりともしてないよ?

「ま~このあたしを疑うの?」

 プクッと頬を膨らませるビビティさん。

「レコ、降りてみればはっきりするぞ」

 一足先に馬車から降りていたシンデレラさんが、外から僕を呼んだ。僕はすぐさま、外へ飛び出した。

 唖然とするほかない。

 そこは《狩人屋(オリオン)》の前だった。

 夜も更けているのに《狩人屋(オリオン)》からは明りが漏れ、賑やかな声が聞こえてくる。

 言葉を失う僕に、胸を張ったビビティさんが上からもの言う。

「オホホホ……いかがかしら? これがビビティちゃんの実力よ。……それじゃ、シンデレラ、あたし、この後、美容室の予約入ってるから。レコくんもね、ばっはは~い!」

 ポンという音と共に、魔法使いの姿は消えた。

「……すごい、人ですね」

「ああ、すごい大変な奴なんだ。会うと疲れるんだよね。仕事終わりに相手にしたい奴じゃない」

「……お礼も言い損ねました」

「そんな事、気にする奴じゃないよ」

「……何にせよ、長旅がなくなったことは、万万歳です」

「そうだね」

 シンデレラさんはハァ~と深いため息をついて、顔を上げた。

「どうあれ、一件落着ってことさ」

「お疲れさまでした。シンデレラさん」

「レコもな。また、一緒に仕事ができるといいな」

「そうですね。機会があればぜひ」

「おっしゃ、帰ろう、《狩人屋(オリオン)》へ! ま、目の前だけど!」

 歩き出したシンデレラさんを追いかける。

 僕らはいつでも賑やかな《狩人屋(オリオン)》へと、帰還した。


 ガチョウ番の娘――シンデレラ


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