51、決断
マリア・テンドウはベルナール公国に潜入していた。
彼女はタケルの1歳年上の姉であるが、血はつながっていない。10年前に起こった大陸動乱の戦災孤児であり、タケルと一緒にトルーナン王国の国王であるクリストファーに拾われたのだ。
彼女は記憶が混乱していてマリアという名前しか覚えていなかった。それでタケルと同じ名字のテンドウを与えて姉弟として育てることにした。
今回の大陸動乱の前、マリアは王宮でアリサの専属メイドのような仕事をしていたが、ガルガント帝国がシルバニアに侵攻してからはタケルの下で密偵などの調査関連を受け持っていた。
彼女はビアンカ姫のメイドであるローラに依頼してビアンカと会談の場を設けてもらうように依頼した。それをビアンカは了解し、密かにギルド内の応接室に集まった。
そこは狭くて窓がない部屋で、壁のランプが薄暗く部屋を照らしている。
小さなテーブルにはマリアとビアンカ、それにビアンカの姉のアニエスとギルド長であるクロードが席に着いていた。
「トルーナンの提案はいかがでしょうか」
マリアは、顔のしわをさらに深くして考え込んでいるクロードの表情を探るように聞いた。
彼女は中肉中背で胸は控えめだが、体は引き締まっていた。ブラウンの髪をショートカットにまとめているのは、動きやすくするため。鼻筋は通っていて瞳は深い海のように青く、男を引きつけた。
クロードが無言でうつむいていたので、代わりにビアンカが口を開く。
「タタール帝国を裏切ってトルーナンに協力するというのですか。しかし、それでは怒り心頭でタタールがベルナールを攻撃してくるでしょう」
隣のアニエスが小さくうなずいた。
「ビアンカの言うとおりです。今は傭兵部隊も解散して、公国には1000人の兵隊しかいません。その状態でタタールの猛攻を防げるとは思えません……」
「確かにアニエス様のおっしゃることはもっともです」
そう言ってマリアはチラリとギルド長の方を見た。相変わらず彼は無言で、テーブルの上のティーカップを見つめている。
「でも、アニエス様。先日のユンテ会戦では我がトルーナンが優勢です。タタールの騎馬部隊に損害を与え、初戦で勝利を勝ち取っている。タケルは必ずタタール軍を本国に追い返してくれるでしょう」
そう言ってマリアは視線をビアンカに移す。ビアンカは小さくうなずく。
「タケルさんは確かに優秀な策士です。ミュルーズ平原の戦いでは戦果を挙げてくれました。しかし、彼とて人間です。絶対はありません。敗北することもあるでしょう。それに彼はトルーナン王国の全軍を指揮しているわけではない。アリサ部隊内だけの指揮権ですよね……」
ビアンカはタケルとアリサに絶対の信頼を持っていた。しかし、ベルナール公国の第2王女という立場では、厳しい意見も口に出さなければならない。
マリアは大きな目を細めて、少し困惑した表情を浮かべる。
「ですが、ビアンカ様。もしもトルーナンがタタールに攻略されたらどうなるのでしょうか。次は当然、ベルナール公国の番となります。勝利の余勢を駆って公国に攻め込み、占領することになるのは必定。それで……よろしいのですか」
狭い応接室が無音で満たされた。マリアの言葉は正しいとビアンカ達にとっては熟知されていること。
「分かった……」
今まで無言だったクロードが重々しく言う。皆がギルド長に注目した。
「今の私はギルド長などと名乗っているが、元は商売人だ。この国は自由な商売をするために成立させたのだ。それをタタールなどの蛮族に踏みにじられてたまるものか」
彼は、今までに見たことがない真摯な表情で話していた。
「商売人は争いごとを嫌う。だがしかし、自由な商いを阻害されるなら敢然と立ち向かうであろう。ベルナールはトルーナンと条約を結び、共にタタール帝国と対峙することをここに表明する」
ビアンカの顔が明るくなる。
「分かりましたわ。ベルナール公国はトルーナンと組み、タタールに立ち向かいましょう」
クロードは大きくうなずく。
「ビアンカ姫、今までギルドが公国の全権を握っていたが、これからは貿易などの商売以外の国策は王宮に一任しよう。今まで勝手に決めて悪かった」
ギルド長が頭を下げた。
「いえ、頭を上げてください、クロードさん。あなたはあなたで真剣に公国のことを思って行動していたのでしょう」
ビアンカが小さく手を振って言う。
「分かりました。これからは王宮が責任を持ってタタールに対応します。よろしくお願いしますね、マリアさん」
「はい、こちらこそお願いします。ビアンカ姫」
交渉が上手くいって満面の笑みを浮かべるマリア。
公国の方向性は決定したとして、アニエスが口を開く。
「それで、ベルナールに駐留している1000人のタタール兵をどうしましょうか」
議題を現実的な問題に進める。
クロードは眉をしかめた。
「あいつら我が国で好き勝手に振る舞っているからなあ、ちょっと痛い目に遭わせよう」
「議長、痛い目とは……」
アニエスが訪ねると議長はニヤリと笑った。
「パーティと称して、たらふく酒を飲ませてやる。酔っぱらって眠ったら牢屋に放り込めばよいのだ」
「そうですね……朝になって目が覚めたら驚くことでしょう」
そう言ってビアンカは苦笑した。アニエスが小首をかしげて言う。
「でも、牢屋の部屋が足りるかしら。今から調べてこないと」
冷静で現実的なアニエスだった。




