50、ビッグ・ボブ再び
「それで、どうするの。このままじゃ負けちゃうわ」
アリサが馬上で黒い瞳を曇らせた。
彼女は姉のクリステル同様、美しい顔をしていたが、姉よりもボーイッシュな雰囲気があるのは多くの戦闘を経験してきたせい。細目の体だが胸は大きい方で、馬が足踏みする度にバストも揺れた。
「そうだなあ・・・・・・撤退するか」
タケルが平然と言うので、アリサは少し驚く。
「ちょっと、タケル。全軍を後退させてユンテ砦に逃げ込むというの? でも、それじゃあ敵も砦になだれ込んでくるでしょ」
タケルは小さく笑って首を横に振る。
「大丈夫だよ。トルーナン軍が後退すればタタール軍は撤退していくさ」
「……どうしてなの、タケル?」
アリサにはタケルの考えが理解できない。
「敵の歩兵部隊は騎馬隊を逃がすための防護壁になっている。だから、俺たちが砦に引き返せば騎馬隊は安全となり、戦う理由はなくなるのさ。敵の将軍が有能ならば絶対に撤退する」
「本当にそうなるかしら。こちらを壊滅させるためのチャンスとして突撃してくるということは考えられないの?」
「その見方を変えれば、敵中に孤立するということだ。そういうことをするのはバカな将軍で、百戦錬磨のタタール軍には凡百の将軍はいない。名将とは、明確な戦術目的を持ち、それが達成されたならば未練なく整然と撤退する。歩兵部隊の将軍は、まず、騎兵部隊と合流してライナー君の指示を待つことを選ぶだろう」
「そんなものかしらね……」
完全に納得できなかったが、アリサはタケルを信じることにした。
そこにローレンツが寄ってきた。
「それで、ボブちゃんはどうするのかしらん」
ため息をついてタケルが望遠鏡を覗く。
ボブは疲れるということを知らずかのように暴れ回っていた。近くに敵がいれば鉄棒で殴り倒し、それが味方であっても鉄棒で殴り飛ばしていた。
タケルは双眼鏡を下げて近くの兵に、ある命令をした。
しばらくしてトルーナン軍はタケルの命令により後退し始めた。
防御しつつ、ゆっくり砦に向かっていく。対するタタールの歩兵隊は、ある程度の距離を取ったのを確認してからミールの丘に撤退していった。
しかし、ボブだけは戦場に取り残されていた。
近寄ると殴り殺されるので、怖くて声をかけることができない。タタールの兵はボブを放置して帰還していったのだ。
タケル達は馬でボブに近づく。
「やあ、ボブ君。元気だったかい」
明るい顔で声をかけるとボブは不思議そうな顔でタケルを見た。
「おめえは誰だ」
ボブはバーサーカーの様に暴れ回っていたはずだが、息切れもしていない。
「俺は軍師のタケルだ。あんたの親分のライナー君とは敵同士ということかな」
そう言ってニヤニヤ笑う。
「じゃあ、オレの敵だな」
鉄棒を振り上げて、殴り倒す体勢を取った。
「まあ、こっちに来なよ」
タケルは馬を駆って近くの林を目指した。
「私を覚えているかしら、ボブちゃん。私が欲しかったら捕まえてごらんなさーい」
ローレンツも続いて馬を走らせる。
「待ちやがれ、こらー!」
ボブは人間離れした速さでタケル達を追いかけた。
タケル達の3騎が林の中に入り、それにボブが続く。
しばらくボブがタケルを追いかけていると開けた場所に着いた。
正面にはテーブルが置いてあり、その上には料理が並んでいる。
ボブは訳が分からずにテーブルの前で立ちすくむ。
「なんなんだ、これは……」
パンとスープ、それに焼き肉などが大量に用意されていた。
「ボブ君、どうぞ、食べてくれよ」
タケルが木の陰から出てきた。
「あんたの敢闘をたたえて食事に招待するよ。どうぞ遠慮なく」
笑顔でタケルが料理を手で示す。
「そうか、食っていいのか」
ボブは強靱な肉体をしているが、知能は低い。テーブルに近寄って料理を手づかみで、むさぼり食い始めた。
タケルとローレンツ、それにアリサが見ていると、底なし沼のような食欲で料理はたちまちボブの胃袋に収まってしまった。
「ところで、あんたのお守りをしていた門番はどうしたんだ」
タケルが聞くとボブは地面に座り込んで言った。
「あいつは俺が襲っちまったんで、気落ちして田舎に帰っちまったよ」
アリサは両手で耳を押さえる。
「あー、聞きたくない」
「なんか、自分の人生を見つめ直してくると言って軍から出て行った。その後は知らねえな」
「ああ、そう……」
タケルは微妙な表情でうなずく。
ボブは目を細めて体を揺らし始めた。そして、ばったりと後ろ向きに倒れる。
「ああ、やっと薬が効いたか」
タケルが足でこづくとボブは、いびきをかきながら横を向く。
「馬でも速攻で寝てしまう睡眠薬なのに3頭分入れても、なかなか効かなかったわねえ」
そう言ってローレンツが棒でつついた。
「それで、どうするの……これ」
アリサが腕組みをしてボブを見る。
「そうだなあ、戦闘では使いにくいし……鎖でつないで農奴として使ってもらうしかないかなあ」
仕方なさそうにタケルは首を振った。




