48,許嫁
タタール軍はベルナール公国で補給をした後、トルーナン王国に向かって進軍した。
大陸歴1538年の10月、ライナー王子が率いる1万2000人の大軍は秋晴れの下をトルーナン王国との会戦を求めて粛々と行進していた。
騎馬隊の4000騎が先を進み、続いて歩兵の8000人が続く。そして、後方には補給物資を積む荷馬車が列をなしていた。
ベルナール公国から各国への道は良く整備されていた。公国は国家間の通商を主な収入源としているので、物資の輸送などを滞りなく行えるようにしていたのだ。
だから、タタール軍の進軍は、シルバニア帝国からトルーナン王国に侵攻する場合とは比較にならないくらいスムーズだった。
数日後、タタール軍はトルーナン王国の手前、数キロの地点に到着した。そこはミールの丘と呼ばれ、そこからはトルーナン王国の城塞都市が遠くに小さく見える。
ライナーはミールの丘を補給基地と定め、防護柵を作って軍隊を休めた。
追いかけてきたガルガント軍の連絡兵がミールの丘に着いたのは、指揮官用テントの設営などが済んだ翌日のこと。
ライナーは野営用のテーブルに着き、連絡兵が届けてきたバウンティーからの親書をじっと見つめていた。
「バウンティー将軍は何と言ってきたのですか」
狭いテントの端に立っているディミトリーが心配そうな声で聞く。
「うーん……」
答えずにライナーは手紙をテーブルの上に放り出した。
ディミトリーが近寄って手紙を見る。
「トルーナン王国のメリッサ姫を知っているか、ディミトリー」
「いえ……いや、聞いたことがあるような……」
手紙を持ったままディミトリーは視線を横にして記憶を探った。
「ほら、士官学校でアリサと一緒にいただろう。そばかす顔で赤い髪をした少し背の高い女だ」
「ああ、ああ、いましたね。アリサ姫の義理の姉だとか。それで、そのメリッサ姫がどうしたのですか」
ライナーは大きくため息をついて上を見上げた。
「俺たちがトルーナン王国を攻略したら、他のことはどうでもいいからメリッサ姫だけには手を出すなと言っているのだ」
「はあ?」
ディミトリーが口を開けたまま黙り込む。
「なんでも、メリッサ姫はバウンティーの婚約者であるから、王国を取った後には姫をガルガント帝国に送り届けて欲しいとある」
「はあ、そうなんですか……。まあ、軍事的な要求でなくて良かったですが」
「ああ、トルーナン王国の一部をよこせとか言ってくるかと思ったが、それほどまでにバウンティーはメリッサ姫に惚れているのか」
ライナーは、とても美人とは言えないようなメリッサの容貌を思い出して、頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。
「ライナー様。バウンティーはメリッサのどこが良いと思っているのでしょうね」
「さあー? 人の好みは分からんな」
ライナーはブンブンと首を横に振った。
「それで、どうしますか。ライナー様」
「トルーナンにはアリサやクリステル姫などの美人がたくさんいるのに、どうしてメリッサ姫に執着するのか分からないが、そばかす女が欲しければくれてやるさ。リボンで飾って丁重に送ってやる」
「……はあ、そうですね」
ディミトリーは気のない返事をした。
*
ベルナール公国からミールの丘に最初の補給物資が届いたときには、防護柵などの設置が終わっていた。
ライナーは自分のテントに、副官のディミトリーと大隊長たちを集合させた。
司令官用のテントは大きいのだが、ライナーの寝室などを区切っているので作戦室は狭い。そこの小さい机の中央にライナーが座り、隣にはディミトリー、後は大隊長が座っていた。アルミン王子もいたが末席で所在なさげにしている。
司会役のディミトリーが最初に口を開く。
「敵は2キロ先、ユンテの丘に布陣したようです。我がタタール軍が直進すれば岩場を登ることになり、馬で行くのは危険があります」
ライナーは「そうか」と言って、机に広げられた地図を見た。
「だが、左は深い森だし、右の草原を回るとなると、かなり遠くなるな……」
「はい……」
「ディミトリー副官は、どうしたら良いと思うか」
「はっ、私は直進して最短距離で進めば良いと考えます」
ライナーは小さくうなずく。
「岩場と言っても、そんなに険しくはありません。緩い坂道なので我がタタール軍の手綱さばきを持ってすれば何のことはないでしょう」
「そうだな」
ライナーは大きく首を縦に振る。
タタール帝国は遊牧民が集合してできた国家である。そのため馬の扱いには慣れていた。特にディミトリーの馬の扱いは名人の域にあると騎馬隊の皆が評価している。
「よし、では、まず騎馬隊が先行して岩場を通りユンテの丘の手前に布陣し、それから歩兵部隊を続かせよう」
そう言ってライナーは地図の上に指を置き、現在地からユンテの丘までスライドさせた。
「お待ちください」
端の席に座っているアルミンが手を挙げた。
小さな声だったのでライナーは聞こえない振りをする。彼は弟に少しの手柄でも立てさせたくないのだ。
ディミトリーはチラリとライナーを見てからアルミンの方を向く。
「何でしょうか? アルミン様」
「はい。敵の迎撃部隊はタケルさんが指揮を執ると思います。前の戦いと同じように奇策を考えているのは間違いありません。もう少し慎重に作戦を考えたらよろしいかと……」
ライナーが睨んでいたので続けることができない。
「そんなにタケルのことを怖がっているのか、アルミン。では、おまえはどうすれば良いというのか」
語調がきつい。
「……はあ、まずは斥候を送るべきです。敵の様子をうかがって、問題がなければ歩兵を進めて岩場の前に橋頭堡を作る。安全を確認してから騎馬隊を少しずつ送り込むのです」
「何を面倒なことを言っているか!」
ライナーが机を叩く。
「そんなにチマチマやっていたら日が暮れる。それに、戦力の逐次投入は各個撃破にあう危険性が高い。そんな兵法の基本も分からずに意見を言うやつがあるか」
「……」
アルミンは、うつむいて黙り込んだ。
「お待ちください、ライナー司令官」
ディミトリーが取りなすように言う。
「アルミン様の意見も聞くべき価値があります。岩場を騎馬隊が登っているときに攻撃してくるかもしれません。歩兵を先に行かせて安全を確保するのは良い作戦と言えるでしょう」
ライナーは横目で副官を見て口を結ぶ。
しばらく考えてから口を開いた。
「そうだな、ディミトリーの意見に従うことにしよう。歩兵が先だ……」
「はっ、了解しました。では、隊長たちには後で細かい指示を与えておきます」
「ああ、よろしくな」
少し気まずい雰囲気で作戦会議は終了した。




