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45,まな板の魚


「私はここよ、ミッシェル隊長」

 アリサが軽く手を上げた。

 ミッシェルが彼女の横に進み出て頭を下げる。

「アリサ姫、急に失礼いたします。これからの作戦行動について、お伺いしたく参上しました」

 隊長の後ろのユベールが続いて礼をする。彼の肩まで届く金髪が揺れた。

「これからの作戦なのだけど、ウガルの丘を攻めようと思うの……まあ、とにかく座ってちょうだい」

「はっ」

 アリサがイスを勧めると、ミッシェル達は返事をしてローレンツの席に歩いて行き、彼の両隣に座った。

「ローレンツ殿、今日も見目麗しく、ご健勝でございますね」

 そう言ってミッシェルはローレンツの左手を握る。

「お元気そうで何よりです、ローレンツ様」

 ローレンツの右に座ったユベールが彼の右手を両手で握って、揉みしだくようにスリスリ。

「ああーん、何かしら。なんてことでしょう……」

 ローレンツは右と左を交互に見て顔を上気させた。

「私は前からローレンツ殿と、ゆっくり話をしたかったのですよ」

 左手を握ったままミッシェルがローレンツを見つめる。

「ぼくもですよ、ローレンツ様。今度は二人きりで長い一晩を過ごしたい」

 右手のユベールがローレンツに熱い視線を送出。その二人は美形なので、何も知らない他人が見ればホモカップルとして成立していると思うだろう。


 自分に用があるはずなのに無視されているアリサは口を開けたまま思考停止した。

「ローレンツ殿、私と付き合っていただけませんか」

 ミッシェルが握った手を自分の胸に引き寄せる。

「ああ、ずるいですよ、隊長。ぼくがローレンツ様と仲良くなるんですから」

 ユベールが握っている右手を手前に引く。

「ああーん、モテ期だわー! 私にモテ期が到来したのねー」

 左右から攻められているローレンツが激しく身もだえする。


 アリサ達の見張り役であるギルド直属のダニエルは、突然のことに目を丸くして何も言えない。だが、タケルは目を細めて仲良しトリオを冷静に観察していた。


「そうだ、私からローレンツ殿にプレゼントがあるんですよ」

 ミッシェルがポケットの中を探る。

「あーら、何かしら。楽しみだわん」

「これです」

 差し出したのは薄いピンクのパンティ。

「これをどうぞ。ローレンツ殿にお似合いだと思うのですが」

 さすがのローレンズも顔が少し引きつる。

「隊長の言うとおり! ローレンツ様にぴったりです。ぜひ、お受け取りください」

 ユベールが激しく同意している。

「これって女物よね。私には小さいわーん」

 眉をひそめて目の前に差し出されたパンティを注視する。

「そんなことはありませんよ。ローレンツ殿には、ピチピチの下着で決めていただきたい」

「その通りです。それを着けた姿を想像すると……ああ、興奮する」

 そう言ってウンウンとうなずくユベール。

「でも……」

「それでは、私がはかせて差し上げましょう」

 困っているローレンツに構わず、ミッシェルは彼のズボンを脱がせ始めた。

「アーレー! イヤーン。みんなが見ている前で恥ずかしいわん」

 身をくねらせるが、両手をユベールに押さえられているのでローレンツは拒否することができない。

「いいから、いいから」

 ズボンを下げてからパンツに手を伸ばすミッシェル隊長。

 伝言の書かれたパンティをローレンツに装着させてしまえば、まさか監視役のダニエルでも、それを脱がせてチェックすることはないだろうと思ったのだ。


「何をやっているか!」

 ダニエルの怒号が広い部屋に響く。

 少し離れたテーブル。立ち上がった彼は仁王立ちして仁王のような目でミッシェル達を睨みつけていた。

 ダニエルはギルド本部長の副官的な立場なので、ミッシェル隊長よりも権限が大きい。

「お前達は何をふざけている! それでも、栄光あるベルナール公国の軍人のつもりか」

 ツカツカと歩いてきて、ミッシェル隊長とユベールの襟首をつかむ。ミッシェルはパンティをこっそりとローレンツの上着のポケットにねじ込んだ。

「ちょっと、お前達に話がある。外に出ろ!」

 ダニエルは、そのままミッシェル隊長達をドアの方に連れて行く。ミッシェルはドアから出る前にジッとタケルを見た。

 思い切り強く閉められたドア。部屋の中には呆然として何も言えないアリサ達が残った。

「ああーん、モテ期だわー、モテ期だわー」

 脳天気なローレンツを無視し、タケルは顔を曇らせて考える。


「いったい、今の出来事は何だったの? 二人ともローレンツのことを好きになっちゃったの?」

 アリサがうつろな目でタケルに聞く。

「そんなわけがないだろ」

 軽く否定した。

 副官のアルベールが寄ってくる。

「私も彼らのことを良く知っていますが、あのような人間ではありませんよ。何かを伝えたかったのではないのでしょうか」

「伝えるって何を?」

 アルベールの方を向いて疑問を呈するアリサ。彼は困ったように顔を傾けた。

「たぶん……」

 タケルがつぶやく。

「たぶん……何よ?」

「たぶん、ベルナール公国が俺たちを裏切ったということだろうな」

 淡々としたタケルの言葉にアリサは絶句する。

 真空状態のように静寂になった休憩室。そこにローレンツの声だけが流れた。

「ああーん、やっぱりこれは小さいわん。食い込んで、はみ出しちゃうわよーん」

 彼はパンティを自分の股間にあててサイズを確認していた。

「さっさと自分の部屋に戻りなさいよ。この変態ホモヤロー」

 アリサのキツイ口調にローレンツは「自室で試着してみるわ」と言って部屋を出て行った。


「ベルナールが裏切ったってどういうことよ」

 アリサは攻めるような視線でタケルに聞く。

「小さな声で話してくれ……。いいかい、あの二人がローレンツを取り合ったというのは、ベルナール公国とタタール軍が共謀してトルーナン軍を攻撃するということを表しているのだろうと思う。直接的に俺たちに伝えると、以前から監視しているギルド直属のダニエルに感づかれてしまう。だから、あんな回りくどい小芝居を演じたのさ」

「そんな……」

「今、俺たちが無事なのは、タタール軍との戦闘において不運の戦死という結果にしたいのだろうな」

 アリサは少しのけぞって小さなため息をつく。そして、少し考えてから勢いよく立ち上がった。

「ビアンカに聞いてみるわ!」

 タケルはアリサの前に立ちはだかって制止する。

「ちょっと待ってくれ。この謀略にビアンカ姫が加担しているとは考えられない。知っていたら絶対に俺たちに連絡してくるはずだ。これはギルドが単独で決めたことで……考えたくないがビアンカ姫は軟禁でもされているんじゃないかと思う」

「まさか……自国の姫を捕らえたというの……」

 アリサは口を開けたまま停止。タケルはアリサの両肩を押し下げてイスに座らせる。

「ベルナール公国では、お飾りの王宮だからな。とにかく、騒ぎを起こして俺たちが謀略に感づいたことをギルドに知られるのはマズイ」

「じゃあ、どうすればいいの?」

 アリサがタケルの顔を見上げた。

「逃げるしかないだろう」

 タケルは、あっさりと言う。

「逃げる……の?」

「ああ、さっさと逃げてトルーナン王国に戻ることが得策だ」

「でも、でも……ベルナール公国の関係者に一言でも伝えておかないと……黙って帰るのも……」

 それを聞いてタケルが大きなため息をつく。

「あのなあアリサ。まな板の魚が、これから私は逃げますよサヨウナラと料理人に挨拶したりしないだろう」

「でも、タケルの推察が間違っている可能性もあるわよね」

「確かにそれもある。そのときはトルーナン王国に戻ってからピエール将軍を説得して1万人くらいの兵を連れて来ればいいさ」

「でも、でも……」

「生きてさえいれば、いくらでも取り繕うことはできる。だが、殺されてしまったらそれきりだ。今は生き残ることだけを考えよう」

 副官のアルベールがアリサの方を向く。

「私もタケル殿の意見に賛成です。とにかく今は撤退すべきかと」

 アリサは深呼吸をして気分を落ち着かせる。

「分かったわ、逃げましょう。アルベール副官は準備をしてちょうだい」

 アルベールは敬礼をして部屋を出て行った。


  *


 トルーナン部隊が出立の用意を終えて宿泊所の外で部隊編成をしていると、さすがにベルナール公国の歩兵に見とがめられる。

「副官殿、どちらにいらっしゃるのですか」

「いや、なに、ちょっと偵察だ」

 そう言って馬に乗るアルベール。

「私どもは何も聞いておりませんが」

 若い兵は困ったように表情を曇らせた。

「タタール軍の動きがない。それで何をやっているか探ってくるよ」

「トルーナン部隊が全員で行くのでしょうか」

「ああ、偵察中に小競り合いになるかもしれないからな」

「はあ……」

 その兵はギルドから見張り役を命令されているが、トルーナン部隊が出て行くのを力尽くで止めるようにとまでは言われていない。黙って見送るしかなかった。


 アリサ達はトルーナン王国の国境を目指して行軍を急ぐ。

 もう少しで国境に達するというときに後方から騎馬隊が追いかけてきた。

「アリサ姫、お待ちください」

 止めたのはギルドのダニエル。森の小道で部隊は停止した。

「アリサ姫、どうしてお帰りになるのですか。まだ、戦いは終わっていません」

 ダニエルが馬から下りて、アリサ姫が乗った馬車に近づく。彼に従っていた騎馬隊の兵達も下馬した。

 馬車からタケルが降りてきて、ダニエルの前に立つ。

「戦線が膠着状態になったので、トルーナン王国に帰って援軍を要請しようと思う」

「私は何も聞いておりません」

 ダニエルは口をとがらして言った。

「ビアンカ姫の了解は得ている」

 すました顔でタケルが答える。

「そんなはずはない!」

 大声で否定した。

「どうして、そんなことを言えるんだ。その根拠はなんだい?」

 ダニエルは困惑して目線を下げる。

 ああ、やはり、ビアンカ姫は軟禁されているのか。そうタケルは断定できた。

「とにかく、我々はトルーナンに帰らせてもらう。それとも、力尽くで止めるつもりかい?」

 両手を握りしめてダニエルの顔がゆがむ。


「本当は私を帰したくないんでしょ」

 しゃしゃり出てきてローレンツがダニエルを後ろから羽交い締めにした。

「放してください、ローレンツ殿」

 もがくがローレンツの力は結構強い。

「そんなに私が欲しいのん。嫌らしい兵隊さんねえ」

 ローレンツが彼のズボンを脱がせ始めた。

「やめて下さい。やめて、ああ、やめて。……やめろって言ってんだろ。この変態野郎があ!」

 ダニエルが殴ろうとしたが、ローレンツは彼の体をくすぐった。

「ギャハハハハ! やめないか、このド変態ローレンツ。グハハハハハ……」

 ローレンツが体を離すと、ダニエルは崩れ落ちて地面に四つんばいになった。

「私が欲しかったら、捕まえてご覧なさーい」

 ウフフと笑ってローレンツは馬車に乗り込む。アリサ達は国境に向けて出発した。

「待て!」

 立ち上がろうとしたが、体勢を崩してビターンと地面に倒れる。いつの間にかダニエルのベルトが外されて彼の足首に絡んでいた。

「止めろ! やつらを逃がすな」

 ダニエルの命令に騎馬隊の兵は困惑する。

「止めろと言われても向こうは200名以上、こちらは10人だけです……ちょっと無理だと……」

 部下に言われなくても分かっている。ダニエルは思いきり顔をゆがめて、森の奥に消えてしまったアリサ達を睨みつけた。


  *


 アリサ達は国境を越え、無事にトルーナン王国の王宮にたどり着いた。

 ローレンツがアニエスのパンティに書かれた文字に気がついたのは到着後、しばらくしてからだった。


この話は、織田信長の金ヶ崎退き口のエピソードにおいて、妹のお市の方が浅井長政の裏切りを信長に知らせようとした俗説を参考にしています。


お市の方は、袋に小豆を入れて両側を縛り、それを陣中見舞いのお菓子として信長に渡すように依頼した。

それを受け取った信長は、浅井の裏切りによって挟み撃ちになると判断する。信長は家康と秀吉にしんがりを命じ、急いで京に撤退した。

あくまでも俗説ですが、本当にあったようにも思えます。


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