41,窮余の策
9月も半ばになり、雨はやんだ。しかし、空には厚い雲が広がっていて日差しが地面に届くことはない。
タタール軍がウガルの丘に撤退してから3日。やっとライナーは自軍の編成を終えた。
「決壊した堤防は修復したのか」
司令官用のテントの中。ライナーが副官のディミトリーに聞く。
「はっ、壊された堤防は元通りにしました。千名の兵を見張りとして残してありますので、敵が同じ手を使うことはできないでしょう」
ディミトリーが直立して答えた。
通常の方法では水をせき止めることが無理だったので、荷馬車に土嚢を積んで流れに沈めたのだ。10台ほど川に突き落として、やっとミュルーズ平原への流出を止めることができた。
「馬はどうだ?」
「はっ、馬にはノミやシラミの忌避剤を使いました。たぶん、アリにも効果があるはずです」
「そうか……」
ライナーは自国の騎馬軍団は無敵だと信じていた。しかし、タケルの策略によって、その自信は揺るぎ始めていた。どんな事にも長所と短所があり、その両方から物事を考えなければならない。
「ライナー司令官閣下。準備は完了しました。決着を付けてやりましょう」
副官の言葉に、ライナーは折りたたみのイスから立ち上がり、大きくうなずく。
「もう、遊びや油断はなしだ。ベルナール軍をボロボロにしてタケルの首をはねてやる」
「はっ」
「進撃だ! 敵を騎馬軍団の蹄で踏み潰し、肝脳を泥まみれにさせてやるぞ」
「はっ」
ディミトリーはテントを出て、各部隊長を集合させた。
昼過ぎ、曇天の空。タタール軍の一万二千名はウガルの丘を下り、再戦を求めてミュルーズ平原に進軍していった。
平原には水たまりが点々と残っていたが、馬の進行には問題がない。
軍が平原の中央まで進むとベルナール公国軍の一万二千人が横陣で待ち構えていた。
横陣とは、部隊を横に一直線に並べた陣形。
「オーソドックスな陣形ですね」
副官のディミトリーが望遠鏡で敵を観察する。
ライナーも馬上から望遠鏡でベルナール軍を見た。
「普通に戦ったら負けると分かっているのに何も作戦を考えていないのか」
ライナーは望遠鏡から目を離し、細い目をさらに細くして言う。
「それはともかく、アリサ部隊の旗が見えないですね」
ディミトリーが敵の全容を確認すべく望遠鏡を左右に振りながら言った。
ライナーも望遠鏡で敵をサーチするが、やはりトルーナン軍の旗は見当たらない。
不安がライナーの思考を肌寒くさせる。また、タケルが何か策を弄しているのではないか。
「タケルのやつは奇襲を考えているのかもしれない。後方と側面の警戒を厳重にせよ」
「はっ」
タタール軍は陣形を整えると、ゆっくりとベルナール公国軍に向かっていく。
射程距離に入り、恒例の弓矢の攻撃合戦が始める。その後、タタール軍はベルナール公国軍に迫り、両軍は激突した。
前の戦いと同じく、ベルナール軍の傭兵部隊の士気は低い。しばらくして、軍は徐々に押されていった。
「よし、今度は容赦しないで完璧に壊滅させてやる」
ライナーの決意は固く、攻撃を強めるよう、全軍に命令を下す。
ベルナール軍の両翼である傭兵部隊は攻勢の圧力に負けて下がり始めた。それを見てライナーは勝利を確信する。
そして、ベルナール軍の陣形が崩壊する寸前のこと。中央のビアンカの部隊二千が突然、反転して逃げていった。慌てた両翼の傭兵部隊がそれに続く。
「なんなんだ、あれは。弱すぎる……」
ライナーは脱力して双眼鏡を覗いた。
「とにかく、追撃しましょう」
副官がライナーに指揮をうながす。
「そうだな……」
唖然として一時的に呆けたようになったタタール軍は、気を取り直して進撃した。
しばらく進むと、向こうにベルナール軍が密集していた。
タタール軍が近づくと、さらにベルナール軍は密度を高める。
不審に思って軍に停止を命じ、ライナーは望遠鏡で様子を見た。
ベルナール軍の背後には大きな池が左右に伸びている。それに阻まれて後退することができずにいたのだ。
「……あれは何なのだ」
ライナーが望遠鏡を下げて副官に聞く。
「良く分かりませんが、自ら退路を断つことにより不退転の覚悟で迎撃するという意思表示かと……」
答えたディミトリーの顔が曇っているのは迷いのせい。
「自軍を窮鼠として我が軍を噛むつもりか」
「はあ、そうですが……。もしかしたら、罠があるのかもしれません」
「罠? 罠とは」
「それは分かりません。ただ、この状況で仕掛けるようなトラップを自分は思いつきません」
「そうだな。仮に罠があったとしても、このような絶好の機会を捨てて戦わずに逃げることはできない」
副官は大きくうなずく。
「よし、総攻撃だ! 両翼を広げて敵を半包囲しろ。逃げ道をなくしたベルナール軍を袋だたきにしてやれ」
タタール軍は陣形を広げると、池を利用してベルナール軍を完全に包囲した。
「進め! 敵を攻撃せよ」
ライナーの命令一下、全軍が攻撃を始めた。
ビアンカの部隊はアイギスシールドで防御する。傭兵達は必死に防戦した。
後ろには泥水の池が広がっており、それを渡ろうとすると深みに足を取られて転倒する。もがいているうちにタタール軍の弓矢によって殺されてしまうので、正面の敵に対して必死に迎撃するしかない。
最初はタタール軍が優勢だったが、次第に戦いは膠着状態に陥った。
給料が少ないので、今までは傭兵部隊の士気が低かった。しかし、自分の命の問題となると話は別。元々、傭兵は戦場を渡り歩く戦闘のプロである。彼らが本気になれば、それを倒すのは厄介なこと。
一時間以上にも渡る戦闘で、両者は次第に疲れ始めた。
「なぜ、敵を倒すことができんのだ」
ライナーが馬上でイラつく。
「敵は追い詰められて必死になっているのでしょう。火事場の馬鹿力というやつで、簡単にはいかないようです」
副官が状況説明をする。
「どうしたらよいと思うか」
「はっ。……このままでは双方の損害が同じくらいに増していくだけで戦術的に何の意味もありません。一度、撤退すべきかと……」
「そうするしかないか……」
ライナーはぎゅっと手綱を握る。どうしても戦果を上げたい彼であったが、今の戦況では致し方ない。
「仕方がないな、撤退だ……」
「はっ」
副官は部隊長に指示を飛ばし、戦闘を停止させた。防御しつつ、ゆっくり後退する。
タタール軍が反転して帰路につこうとしているときに、ベルナール軍の方でラッパの音が響いた。
すると、ビアンカの部隊が二つに分かれて池に通じる道が開かれる。そして、池の方からトルーナン軍の戦旗を掲げたアリサ部隊が突進してきた。
*
戦闘の前。タケル達はシェール川の下流に土木工事の業者を集めた。
上流はタタール軍が警戒しているが、ベルナール軍の後方の土手には誰もいない。
タケルは業者に命じて、前回と同様の溝を掘らせた。溝の両端は大きな板で塞いでおき、すぐに堤防を決壊できるように工夫した。
タタール軍が出立したという偵察兵の報告を受けて、ビアンカが率いるベルナール軍、一万二千がミュルーズ平原の中央手前に陣を張った。
頃合いを見て、板を壊して堤防を決壊させた。濁流は、ベルナール軍の後方に流れていき、大きな池を作る。
やがて敵軍が進行してきてベルナール軍と対峙する。タケルの作戦通り、矛先を交えただけでビアンカの部隊の二千は逃げていく。司令官が逃げたことに慌てた傭兵部隊の一万がそれに続いた。
ビアンカの部隊は池の手前で停止して防御態勢を作る。傭兵部隊は、その周辺に集まった。大池は弓の形になっていて、その内側の中央付近に陣取った。後ろの池に逃げれば泥に足を取られるし急流に流されてしまう。といって、横に逃げれば敵に矢で攻撃される。ベルナール軍は密集隊形で防戦するしかない。
両軍は激突し、やがて膠着状態になった。
疲れてきたタタール軍は戦闘を中止して後退する。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
タケルが馬上で隣のアリサに言った。
「ええ、ライナーと決着を付けましょう」
馬に乗っていたアリサが手綱を握る。
トルーナン軍の百名は馬に乗って池の中央にいた。流れが緩やかで水深の浅い場所に待機していたのだ。
副官のアルベールが旗を振ってビアンカの部隊に合図を送る。すると、号令用のラッパが鳴って、ビアンカの部隊は左右に分かれた。
「よし、行くぞ!」
タケルが馬を走らせる。他の者は直線状になって、それに続いた。
タケルのギフト、聖なるソロモンの指輪は物質を立体的に把握できる。
泥水に隠されたくぼみを把握して、それを避けながらタケル達は、撤退しつつあるタタール軍に向かった。
池を抜けてビアンカの部隊に手を振って挨拶してから、疾走しているタケル達はタタール軍の後方から襲いかかった。
意表を突かれ、疲労の極地にあったタタール軍は、アリサ部隊に蹂躙されていく。アリサはエクスカリバーを振り回し、敵兵を斬り殺していった。
無人の地をゆくがごとく、アリサ部隊はライナーに迫っていき、やがてライナーのそばまで肉薄した。
「ライナー! トルーナン王国の第三王女、アリサ・ド・ルシュクエールが決闘を申し込むわ。一対一で戦いなさい」
アリサが挑発する。
「決闘だと……ふざけるな」
ライナーは懐に締めている曲刀ハルパーの鞘に手を当てた。
「司令官閣下。そんな幼稚な誘いに乗ってはいけません」
馬上のディミトリーが自分の馬をライナーの前に出す。
「ライナー。なんだよ、決闘する勇気もないのか。そんなやつには俺が寝床に忍び込んで尻に、1回千ペセタと落書きしてやるぜ」
そう言ってタケルが薄ら笑いを浮かべた。
「アアーン、千ペセタは安いわーん。後でケツを貸してもらおうかしら」
両手を胸の前で組み、馬上でもだえるローレンツ。
ちなみに千ペセタは現代日本の千円に相当する。
「この俗物どもがあ……」
ライナーの細目がつり上がる。
「あなたも王族の端くれならば、ついてらっしゃい」
アリサが馬の首を池の方に向けた。
「そんなヘタレ司令官だと、次期国王はアルミン王子になっちゃうかもな」
タケルが捨て台詞を残して、池の方に去って行く。
その言葉はライナーの心をカチンと叩いた。一番、痛いところを突かれたのだ。
「タケルゥー! お前は許さない」
ライナーは馬を駆ってタケルを追いかけた。
「お待ちください、ライナー様」
副官が追いかけ、それに親衛隊が続く。
タケルが先頭になり、池の中に走り込む。
それをライナーが追いかけるが池に入って、しばらく走った時点で転んでしまう。泥水で分からないが、地面は起伏が多かったのだ。
敵の司令官を発見して、報奨金目当ての傭兵達が集まってきた。
「待て、うかつに近づくな!」
タケルが向こうで怒鳴ったが、傭兵達は構わずにライナーに襲いかかる。
ライナーは懐の曲刀ハルパーを抜くと、それを振り回した。
傭兵達の剣が切断されて、ポチャリと池に落ちる。刃がなくなった剣の柄を握りしめて呆然とする傭兵達。
曲刀ハルパーは何でも切ることができた。鉄の剣でもバターを切るがごとく容易に切断する。
ライナーが振り回すハルパーは傭兵の鎧を切り裂き、兜を両断した。手足を切断してから頭部を切り離す。ライナーの周りの泥水は赤黒く染まった。
「ヒー!」
傭兵達が逃げていく。
「ライナー様、ご無事ですか」
副官達が追いついた。
「全く、無茶ですよ、ライナー様」
返り血を浴びたライナーは荒い呼吸でうなずく。
「このままでは敵中に孤立してしまいます。撤退しましょう」
「ああ、そうだな」
ライナーは自分の馬を呼ぶ。
「なんだよ、逃げるのかライナー君。全く、この卑怯者が」
タケルに暴言にキッと睨んだ。
「その言葉、お前だけには言われたくない。第一、逃げることは卑怯ではないと学校の授業でお前が言っていただろうが」
「そうだったかな……」
苦笑いを浮かべるタケル。
「タケル、お前は絶対に殺してやるからな。首を洗って待っていろ!」
そう言って馬を自軍に向ける。
「だったら、こっちは後でローレンツを行かせるからな。ケツを洗って待ってろ」
ライナーは顔をゆがめたまま馬で走り去っていった。
「ああ、なんとか敵を追っ払ったわね」
アリサがタケルに近寄って言った。
「そうだね、今回はビアンカに貧乏くじを引かせてしまったな。今の状況では、この作戦しかなかった。窮余の策というものだ」
「味方を逃げられない状況に追い込んで、実力以上の力を発揮させる……。今回の戦術はあんたが考えたの?」
アリサの革の防具は返り血で汚れている。それは見慣れたものになっていた。
「いや、背水の陣と言って昔からある作戦さ」
「その戦術は、また使えるかもね」
「背水の陣は積極的に採用する戦術じゃない。下手をしたら全滅してしまうからね。もう、それしか方法がないというときに使用するもので、あまり良い作戦とは言えないな」
「そんなものなの……」
首をかしげるアリサ。タケルはタタール軍の方に目をやって、今後のことを考えていた。




