39,曲刀ハルパー
ライナーは1万5000余りの兵を引き連れ、小雨の中をミュルーズ平原に向かっていた。
指揮車を兼ねる大型の馬車。テーブルを備えた豪華な車内でライナーは細長いカップの紅茶を飲む。そして、くすんだ銀色の長髪を人差し指に巻いてボンヤリと考えた。
なぜ私は銀髪なのか。義弟のアルミンは黒髪で、タタール帝国の皇帝である父のセルゲイ・フォン・クールバッハも黒髪だ。父の要素を色濃く遺伝しているのはアルミンではないだろうか……。
そんな小さなことでも、王位継承を確実にしたいライナーにとっては気にかかることだった。
夕方、タタール軍はウガルの丘に到着した。
補給部隊は、ライナー司令官のテントを設営し始める。
ライナーは丘から望遠鏡でミュルーズ平原の西側を見た。
平原は直径、三キロメートルほどの湿原で、ところどころに大きな水たまりや池、泥沼などがあり、右側に大きなシェール川が水かさを増して流れを速めていた。西の遠い向こうにベルナール軍の陣地がうっすらと見える。
「ライナー司令官閣下。どうも、トルーナン軍の姿が見えませんね」
副官のディミトリ-・アンドレフがライナーを見上げるようにして言った。
彼は小柄で、背が高いライナーとは身長差がある。だが、子供の頃から30歳の現在に至るまで馬に親しんできており、馬を操る技術に関しては騎馬軍団の中でも突出していた。彼の角刈りの髪は短く、小雨に濡れて頭に張り付く。
「行商人からの情報ではアリサが二百名ほど引き連れてきたのは間違いない。どこかに隠れているのだろうな」
ライナーにとってベルナール軍は脅威ではない。問題はアリサ姫のトルーナン軍だった。
辺りは暗くなり、先ほど降り止んだ小雨は霧に変わって視界を悪くした。
「でも、向こうは1万2000人。そのうちの1万は傭兵部隊です。数から言っても兵の質から言っても楽勝は間違いありませんね」
ディミトリーは、口の端を少し曲げて笑う。
「油断はしない方が良い。なにせ、トルーナン軍にはタケルがいる。あいつは、ひねくれた性格をしているからな。たぶん、夜襲をかけてくるだろう。今夜は警戒を怠るな」
「はっ」
ディミトリーは、かしこまって頭を下げた。
かがり火をたき、夜襲を警戒していたがアリサ隊はやってこなかった。
朝になり、後方からの補給物資が届く。全軍に朝食を摂らせた後、ライナーはベルナール軍に向けて進撃を命じた。
ウガルの丘を補給基地に決め、そこの警護として千名ほどを残し、他の兵はすべて戦いに投入する。1万4000ほどのタタール軍は、ミュルーズ平原の西を目指してゆっくりと行進していった。
やがてタタール軍は曇り空の元、弓矢の射程距離まで近づく。
ビアンカのベルナール軍は木の柵で防御陣地を構築しており、その手前で待ち構えていた。中央がビアンカ軍の二千人で、その両翼には傭兵部隊の1万を展開させている。
ライナーは弓部隊を前進させた。
「ビアンカ姫は一戦した後、不利になったら柵の中に逃げ込むつもりだろう」
指揮車から降りて馬上で指揮を執っているライナーが言った。
「最初から弱気ですね」
副官のディミトリーがバカにする。彼の馬は少し興奮気味で、それをなだめるのに苦労していた。
「よし、始めるぞ。弓を放て」
ライナーの命令を受けてディミトリーは大声で指示する。
「弓隊は攻撃せよ!」
タタール軍から一斉に弓矢が飛ぶ。
間髪を入れずにベルナール軍から反撃の弓が飛んできた。
空が暗くなるほどの弓矢の応酬の後、ライナーは飛び道具の攻撃を中止させた。
「では、騎馬隊を突撃させろ!」
命令を受けて、騎馬軍団がベルナール軍に走り込んでいく。ベルナール側は槍で応戦した。
しばらく戦闘が続き、やがて戦況は明確になる。
ベルナール軍が押され始めたのだ。特に両翼の傭兵部隊が弱くて次第に後退していき、中央のビアンカ隊が取り残されるような形になった。
思わしくない戦局に、指揮車に座っているビアンカの顔が曇る。
彼女は戦場に似つかわしくないピンクのドレスを着ていた。
「ビアンカ様、このままでは敵の中に孤立してしまいます」
馬車の隣に馬を寄せて、副官のミシェル・バルスが忠告した。
「ええ、仕方がありません。アイギスを使いましょう」
ビアンカは木の箱から小さな銀の盾を取り出す。
そして、アイギスの盾をボリュームのある胸の前に構え、精神を集中した。
「アイギスシールド!」
すると彼女の周りに薄青いベールが発生し、それが一気に膨らんでいく。
その半透明のシールドは半径百メートルほどに広がり、大きなドーム状になった。
タタール軍が弓で攻撃するが、それをはじき返し、騎馬で突撃すると石の壁に衝突したように衝撃を受けてひっくり返った。
アイギスの盾は使用者の衣装によって威力を増す。神様はどういった都合で、そのような設定をしたかは分からないが、とにかく、戦闘を有利に進めるためには可愛いピンクのドレスを着なければならないのだ、ビアンカは。
聖なるギフトの奇跡を見てタタール軍の前線は攻撃をやめて後ずさりする。
「敵はひるんでいるわ、この機に乗じて前進よ」
ビアンカの指揮車は周りにベルナール軍を引き連れて進撃する。
彼女が移動してもシールドは健在だった。弓矢を跳ね返し、敵兵を跳ね飛ばす。まるで巨象が疾走しているかのよう。その応用技は、ギフトを研究しているトルーナン王国のシュバーセン校長によるアドバイス。
軍の中央で指揮していたライナーは細い目をさらに細くして口をゆがめる。
「何をやっているんだ」
「はっ、どうやらビアンカ姫はアイギスの盾を使ったようです」
望遠鏡で敵を観測していた副官のディミトリーが答えた。
「ちっ、仕方がない。俺が行くしかないか」
ライナーは手綱を振って馬を走らせる。
「近衛兵は俺に続け!」
「お待ちください、ライナー司令官!」
慌てて追いかけるディミトリー。それに十数名の騎兵が続く。
「道を空けろ! ライナー司令官閣下、直々のご参戦である」
ディミトリーはライナーの前に出て進路を確保した。
前線部隊をかき分けてアイギスシールドの百メートルほど手前に出ると、ライナーは腰の三日月型の鞘から三日月型の曲刀ハルパーを抜く。そして、大きく振りかぶって薄青いベールめがけて投げつけた。
ハルパーはブーメランのように回転しながら円弧を描き、薄青いベールを切り裂いた。
「きゃっ!」
ビアンカが叫び声を上げる。
ピンクのドレスの胸元が裂けて下着があらわになっていた。
「大丈夫!」
指揮車の中、隣に座っていた姉のアニエスが驚きの声をあげた。
「きゃあ!」
二度目の叫び声。今度はスカートが大きく切られてそこからパンティが覗く。ライナーの再度の攻撃であった。
アニエスは慌ててコートをビアンカの膝にかぶせた。
ビアンカは大きく深呼吸して気を落ち着かせる。
「タケルさんの言ったとおり、シールドは私と一体化しているのですね。シールドのダメージが私の衣服に及んでいる」
「撤退しましょう、ここが限界だわ」
アニエスの忠告に、ビアンカはこくりと頷いた。
ビアンカの部隊はシールドを張りつつ、ゆっくりと柵の方に後退していく。
「ライナー閣下。どうやら閣下の攻撃がビアンカ姫の衣服にも影響しているようですね」
望遠鏡で敵の指揮車を見ていたディミトリーが報告した。
「そうか……ふむ……」
ライナーは細目の端を下げてニンマリと笑う。ハルパーはブーメランのごとくライナーの手に戻っていた。
「よし、少し攻撃の手を緩めろ。そして、ビアンカの部隊を半包囲するんだ。彼女の体を傷つけずに、どれくらい衣服を破くことができるか試してみようではないか」
ライナーは軍の攻撃を防御主体に変えて、両翼を前進させた。
「ライナー閣下、大変です!」
伝令係が馬で駆けてきた。
「何事だ!」
ディミトリーがライナーの前に移動して、連絡係を制止する。
「アリサ姫の部隊が攻撃してきて、我が軍の後方は混乱しております」
「何!」
ライナーが馬を前に出す。
「アリサの部隊は二百名だそうだが、それくらい後方部隊だけで対処できなかったのか」
伝令兵は困惑の表情を浮かべる。
「それが……どこからか水があふれてきて、それで馬が錯乱状態になり、手が付けられません」
伝令兵の報告は要領を得ないが、大変なことになっているのは明白だ。ライナーの頭にタケルの憎たらしい笑い顔が浮かぶ。
「どうしますか」
ディミトリーがライナーの顔を覗いて聞いた。
「仕方がない。ビアンカは放っておいて、全軍を引き返す」
「はっ」
ディミトリーは部隊を反転させるように、各部隊長に指示した。




