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31,未練


 タケル達は盗泉に向かって走って行く。

「泉に行ってもいいの?」

 アリサが不安そうに訊ねた。

「ああ、いいから、いいから」

 息を切らせてタケルが答える。


 三重の防護柵の二つは壊され、最後の柵の中に大勢の敵が侵入してしまった。

 アリサの副官、アルベールは入り口付近のガルガント兵を排除して、やっとの事で柵の扉を閉めた。


 タケル達は敵の近衛兵を引き連れて盗泉を目指す。

 しばらく走って泉が見えてきたときにタケルが叫んだ。

「左右に分かれろ!」

 見方は二手に分かれて、茂みの中に逃げ込む。


 追いかけてきたガルガント軍の百名あまりの近衛兵は、盗泉にたどり着いた。

「よし、泉を奪い取ったぞ。バウンティ様が来るまで、ここを死守する!」

 隊長の命令によって、全員が泉を囲む。


 太陽は真上に登り、暑さが増す中でガルガント兵は乾きの限度を超えていた。隊長の許可も得ずに皆が泉に頭を突っ込んで水を飲み出す。

「こら! 命令していないのに水を飲むやつがあるか!」

 平時において隊長の命令は絶対なのだが、喉の渇きが理性を吹き飛ばしていた。

「……仕方がない。順番に水を飲め。水を飲んだやつは周りを警戒するんだ」

 そう言う隊長もフラフラと泉に近づいてガブガブと水を飲む。

 しばらくすると、全員が大量の水を飲んでグッタリしていた。


 皆の気分が弛緩していた。そこを狙って一本の矢が上空から飛んでくる。

 それはタケルの特殊能力による射撃で、密集している木の枝をすり抜けて放物線を描き、隊長の胸に突き刺さった。

 ソロモンの指輪の状況認識による正確無比な射撃。

 その直後、茂みの中からトルーナン軍の槍隊が飛び出して、指揮官を失い動揺している近衛兵に襲いかかった。


 近衛兵はとっさに反撃するが、水を飲み過ぎて体が思うように動かない。そして、気持ちも緩んでいたために、即座に対応することができなかった。

 瞬く間に倒されていく近衛兵達。


「ちょっと待て! ちょっと待ってくれ。アリサ将軍はいるか!」

 近衛兵の一人が剣を下げて大声で呼んだ。

 トルーナン軍の攻撃が止まる。後方からアリサが進み出た。

「私がアリサよ。もう、降伏しなさい」

「俺は副隊長のエルンストだ。アリサ将軍と一騎打ちを所望する」

 そう言って剣をアリサに向けた。

「いいわ。受けましょう」

 アリサが剣を上段に構える。慌ててタケルが駆け寄ってきた。

「待てよアリサ! アリサ、アリサ、アリサ、アリサ」

 後ろから彼女の肩を引く。

「いいかい、アリサ。もう、勝負は着いているんだ。この期に及んで、どうして決闘をしなければならないんだよ」

「敵が正式な決闘を申し込んでいるのよ。これを受けなければ王族としての恥になるわ」

「あー……」

 タケルはあきれて上を向く。

「まったく、王族というやつは……」

 大きなため息をついて離れていくタケル。


「では、私が勝ったら全員降伏してもらうわよ」

 アリサがエルンストに言う。

「いいだろう。俺が勝ったら皆を解放してもらうぞ」

 条件を告げてエルンストが剣を構える。

「いいわ」

 アリサは上段のエクスカリバーをさらに大きく上げる。


 両軍に沈黙が訪れた。

 静止してにらみ合うアリサとエルンスト。

 先に仕掛けたのはアリサの方だった。

 大剣を敵の頭上に振り下ろす。相手が剣で防いでも、それごと頭を叩き割るつもり。

 しかし、それは読まれていた。エルンストは素早く横に移動するとアリサの横っ腹に剣を打ち込もうとした。だが、アリサは重量をものともせずに大剣を返して防ぐ。

 エルンストは態勢の整っていないアリサに剣を突き出した。

 なんとか避けるアリサ。さらに剣が何度も襲ってくる。

 アリサは冷静に剣を受け流しながらチャンスを待ち、エルンストの攻撃に疲れが見えたときに素早く懐に潜り込み、エクスカリバーの柄で強く顔面を打ち付けた。


 白目をむいて倒れるエルンスト。

「さあ、私の勝ちよ。降伏しなさい」

 荒い息でアリサが近衛兵達に勧告するが、彼らは剣を構える。

「副隊長のかたきー!」

 一斉にアリサに襲いかかってきた。

「何よ、嘘つきー!」

 慌てて防戦する。

「アリサを助けろ!」

 タケルの命令で槍隊が攻撃する。しばらくの戦いの後に、したたかで勇敢な近衛兵は全滅した。


 柵の内側に敵兵がいなくなり、トルーナン軍は防御に徹する。

 今回の防御戦で一万人のうち千人が死傷したが、敵のガルガント軍は一万人以上の死傷者を出しており、その総数は二万人余りとなっていた。


 最後の防衛戦。区画が小さくなった分、兵を密集させることができるので防御力は増す。それに対してガルガントは大軍でありながら、入り組んだ森の中において遊軍を作ってしまい、人数ほどの攻撃力を発揮できない。


 日が傾いた頃、ガルガント軍は去って行った。


  *


「追撃しましょう」

 副官のマンフレートはアリサに進言した。

「アリサ将軍。今なら、渇して弱くなったガルガント軍を追撃して粉砕できるでしょう。やつらは、またトルーナン王国に侵攻しているでしょうから、今のうちに叩いて兵の数を減らしておいた方が良い」

 それに対してタケルは首を振る。

「俺は反対だな……敵のバウンティ将軍は有能だ。たぶん、追撃を見越して待ち伏せしているだろう。現在の戦略目的はガルガント軍を撤退させることであり、それは果たしている。変な欲や未練は持たない方がいい」

 二人は無言でアリサを見つめ、答えを求めた。

 彼女は下を向く。

 森の中は雑草が茂り、戦いが終わって静まりかえった戦場に夏の虫が鳴く。

 夕日がアリサの横顔を照らしていた。

 彼女は顔を上げる。

「追撃はしない。……このまま柵を守って、敵が確実に去ったと分かったらトルーナン城に凱旋しましょう」

 キッパリと言った。

 マンフレートはため息をつき、タケルはにこやかな顔で大きくうなずいた。


  *


 バウンティは山の上でトルーナン軍を待ち伏せしていた。

 敵が追撃してきたら逆襲して壊滅させる。その後で盗泉を占拠し、補給を整えた後でトルーナン王国に侵攻するというもくろみだった。

 しかし、アリサ軍はやってこない。


「バウンティ将軍。もう、飲み水が底をつきました。早馬を走らせて補給物資を早く届けるように指示はしていますが……」

 見ると、副官のマンフレートの暗い顔。

「分かっている……」

 そう答えてバウンティは口を結ぶ。


 このまま帰れば敗軍の将である。

 おめおめと帰還して、王である父になんと復命するか。バウンティの悩みは大きい。

 一矢でも報い、なんとしても戦果を上げてから王宮に戻りたいのだ。

 しかし、それは王族としての名誉の問題。今、大事なのは預かった兵をなるべく損なわずに帰ること、それが司令官の使命だとバウンティは熟知していた。

 彼は凡百の将軍ではない。


「未練だな……」

「はっ?」

 マンフレートが聞き返す。

「よし、撤退だ。全軍、シルバニアを目指して出発する」

「はっ」

 マンフレートは兵を呼んで、大隊長を集合させるように命じた。


 バウンティはトルーナン王国の方角を見つめる。なぜか、脳裏にメリッサの顔が浮かんだ。


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