16,異変
ガルガント軍は丘の手前で止まった。
敵は部隊を三つに分けていて、トルーナン軍が待機している丘の先、1キロメートルほどに1万人が陣取っており、コスタリカ軍にも1万が対峙し、さらにエストリア軍の前にも1万が陣取っていた。
同盟軍の5万人とガルガント軍の3万が間合いをとってにらみ合う。
丘の上からガルガントの軍勢を俯瞰してタケルは納得できないでいた。
「なぜ、敵は不利な状況なのに、正面から向かってくるのかな?」
タケルがつぶやくと、アリサが彼の方を向く。
「何か問題があるの?」
「ああ、ガルガントは戦巧者で戦歴が長い。それなのに劣勢だと分かっていても逃げることしないのは……何かあるのかもしれないな」
「何かって?」
「今の状態を続けていても、この戦いに勝つという算段があるんじゃないか……ということさ」
そう言ってタケルは小さくため息をついた。
こんな時にはマリアを使って偵察して情報を集めるのだが、今回は自由になる時間がない。コスタリカ軍の指示に従って動くしかなかったのだ。
まだ本営のコスタリカ軍は動かない。
コスタリカから平地のガルガント軍を攻撃するよりも、敵が丘を登ってきたところを迎撃した方が有利なので、相手が動くのを待っているのだ。
膠着状態になり、双方がにらみっているときに異変が起こった。
「大変だ! マクドリアが動き出した」
望遠鏡で全体の状況をチェックしていたアルベール副官が叫ぶ。
「え、なに! どういうこと」
突然のことにアリサが戸惑う。
マクドリア軍は持ち場を離れて、コスタリカ軍の後ろに回ろうと進軍していた。
「ちっ、やられたな……」
そう言ってタケルが望遠鏡から目を離す。
「なに? どういうことなのよぉ!」
アリサの詰問にタケルは小さくため息をついてから説明する。
「マクドリアのお尻ペンペン姫が裏切ったということさ」
「ベアトリスが私たちを裏切ったというの?」
「ああ……そういうことだ」
アリサは口を開けたまま固まってしまう。
そうこうしているうちに、コスタリカの正面にいたガルガント中央軍が丘を登りだし、マクドリアに対していた左翼軍も坂を上って、三つの部隊がコスタリカを包囲せんとしていた。
その軍隊運動は連携が取れているので、初めから打ち合わせをしていたことは明白。
「進軍よ! コスタリカを助けなきゃ」
アリサがクレーマン副将軍に命じるが、彼は黙り込む。
「なによ……どうしたの? すぐにでも行かなきゃ、コスタリカは全滅してしまうわ」
だが、再度の命令にも答えない。
「アリサ……。今、救援に行っても無駄さ」
タケルが彼女の肩を軽く叩く。振り返るアリサ。
「なによ……」
タケルは表情を曇らせながら言った。
「いいかい、俺たちがマクドリア軍と戦ったら、下で控えているガルガント軍の1万が俺たちの後ろから襲い掛かる。挟み撃ちってやつだ……そうなったらトルーナン軍の1万5000は全滅するだろう」
アリサに言い聞かせるようにタケルは淡々と説明する。
「でも、放っておけば同盟国であるコスタリカは全滅するんじゃないの?」
悲壮な表情で訴える。
「ああ、総勢3万5000で包囲されたら、2万のコスタリカ軍の壊滅は間違いないだろう」
「だったら助けなきゃ! トルーナン王国の名誉と将軍である私の矜持にかけて、命を捨てても参戦するべきでしょ。ここで逃げるのは恥以外の何物でもないわ」
「あのなあ、アリサ……行っても、コスタリカ軍2万の犠牲が俺たちを含めて3万5000に増えるだけだ。犬死ってやつで、戦術的に意味がないことなんだよ」
「でも、でも……」
アリサは目に涙を浮かべている。
「それに、命を捨てても……なんて軽々しく言うべきではない。君の決断には1万5000人の未来がかかっているんだ。彼らの生命を自分の都合で捨ててしまうのは将軍として正しい姿ではないと思う」
アリサは可愛い顔をゆがめて言葉が出ない。
「私も同感です」
副将軍のクレーマンが進み出た。
「兵には家族がある。1万5000人の兵隊には数万の家族がいるんです。それらをすべて不幸に落とし込む権限はアリサ将軍にありません。ここは、卑怯者と言われてもコスタリカ軍を見捨てて逃げるべきでしょう」
平然とした表情で言っているが、握りしめたこぶしが苦悩を物語っている。
苦悶の表情のアリサにタケルが近寄っていく。
「戦って敗北して死んでしまえば、それで終わりだ。しかし、逃げて生き残れば、それは負けではない。逃走は一つの立派な戦術で、再戦の機会を得たということ。生きてさえいれば名誉挽回のチャンスはいくらでもあるさ」
うつむいていたアリサは、ようやく顔を上げた。
「……分かったわ……逃げましょう」
タケルたちは無言でうなずく。
その時、見張りの兵の声が響く。
「伝令です! コスタリカ軍からの伝令の方が来ました」
タケルたちは顔を見合わせる。
「救援要請だな……」
クレーマンがつぶやき、アルベールがうなずいた。
「どうしよう……」
アリサがタケルの方を向く。
「どうしようも何も……適当に受け答えして帰ってもらうしかない」
そう言ってからタケルがクレーマンを見て意見を催促した。
「そうですね……我らに進軍を強制させるかもしれません。コスタリカ軍も必死だろうから、剣を抜いてアリサ将軍を脅すかもしれませんね」
クレーマンが困ったように腕組みをした。
「そのときは私が対処します」
副官のアルベールが腰の剣に手を置く。
「……仕方がないですね」
そう言ってクレーマンが大きくため息をつく。
タケルの方に黄色の布を巻いた馬が駆けてきた。
「伝令! コスタリカ軍のブルーノ将軍からの伝令です」
アリサの前に馬を止めて、ロベール副官が飛び降りた。
「アリサ将軍! ブルーノ将軍からの命令をお伝えします」
黄色のたすきをかけたロベールの後ろにアルベールが回り、剣の柄に手をかける。
「この度は当方の手違いで、トルーナン軍に迷惑をおかけした。アリサ将軍においては、速やかに退却願いたい……以上です」
思ってもいない命令に場が空白になった。
「ブルーノ将軍が……そう言ったのですか」
アリサの顔がこわばっている。
「はい、マクドリアとの同盟はコスタリカが結んだもの。マクドリアの裏切りによる窮地は我らの責任である。だから、トルーナン軍は責任を感じることはなく、真っすぐ自国に帰ってほしいと言っておられました」
ロベールの口調にひっ迫している感じはない。常に冷静沈着な男であった。
アリサは言葉を失い、唇が震える。
「分かりました。すぐに撤退の準備にかかります」
無言になったアリサの代わりにタケルが返事をした。
「では、よろしく」
ロベールは馬に乗った。
「待って下さい」
クレーマン副将軍が止める。
「ロベール副官。言いにくいことですが、今、コスタリカの陣営に戻っても命の保証はありません。ここに残って我らと行動を共にしませんか」
対してロベールは、にこやかな顔で答える。
「私はブルーノ将軍の副官です。将軍が戦っているのであれば、一緒に戦うのが副官の役目。ご好意はありがたいのですが、私は戦場に戻ります」
彼は涼やかな目で敬礼すると、馬を返して必滅の丘に向かって行く。
勇敢な軍人の背中に、アリサを除いた全員が敬礼を送った。
「う、くぅ、く……」
アリサが大粒の涙をこぼす。
「うわーん!」
彼女は人目もはばからずに大声で泣いた。
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