白銀あくあ、初めての電車通学。
「あくあちゃん、今日は天気が悪くなりそうだから学校はお休みしましょ」
母さん……普通に雲ひとつない快晴です。ちなみにさっき見たテレビの天気のお姉さんもここ数日は快晴だと言っていました。
「あーちゃん、顔色悪いよ? ね、今日はお休みしてお姉ちゃんと一緒にベッドでおねんねしよ?」
しとりお姉ちゃん……最近は健康的な生活を送っているので、体調はすこぶるいいです。すみません。
「兄様、さっきテレビの今日の運勢で兄様の星座が最下位だったのでお休みしましょう。きっと良くない事が起こります」
らぴす……そんなことで学校を休んでたらまともに生活なんてできないよ。
学校に行こうとする俺を、家族がなんとかして引き止めようとする。
流石にこれ以上は遅刻してしまうと思った俺は、玄関のドアを開け、家族を振り切るように強引に家を出た。
「それじゃあいってきます!」
今日はついに待ちに待った高校の入学式だ。
俺が入学するのは私立乙女咲学園。
通称オト学と呼ばれる乙女咲学園は、生徒の自主性や幅広い活動を認める自由な校風の高校である。
生徒によるバイトはもちろんのこと、芸能活動もOKだし、乙女咲には基本的なタブーが少ない。俺は高校在学中に芸能事務所に所属して、アイドルとして活動をする事も視野に入れているからこの学校を選んだ。
「ねぇ……あれ……」
「あれってオト学の制服だよね?」
俺が駅のホームで電車を待っていると、周りにいた女の人たちが何やらコソコソと会話をし始めた。
この世界の男女は1対99。高校のクラスに換算すれば3〜4クラスに男子が1人しかいないという計算になる。
それなのに男子は引きこもりが多かったり、外に出る時は車で移動したりするので、こうやって電車に乗って移動する事自体が珍しいそうだ。
そういえば俺がパーカーのフードで顔を隠してランニングしていた時も、早朝と言うこともあったのかもしれないが外を歩いている男性はいなかったな。
「身長高いけど、あれって1年生?」
「今日、入学式だっけ? オト学の子うらやましー」
ざわざわとしだした駅のホームに電車が入ってくる。
俺は前から3番目の車両に乗り込むと、一番端っこの席の前にある吊り革を掴んだ。
満員電車だったらどうしようかと思ったけど、思っていたよりも空いている。
「あ……」
真正面の下の方から何やら声が漏れた気がしたので、俺は自然と顔をそちらの方へと向ける。
するといかにもOL風のお姉さんが、読んでいた本を広げたままの状態で俺の方を見つめていた。
流石にいきなり視線を逸らすのは失礼かと思い、俺はOLのお姉さんにニコリと笑みを返す。
「「「は?」」」
電車にいた複数人の声が重なった。
体をビクッと反応させた俺は、ゆっくりと周囲の状況を伺う。するとどういうわけか電車に乗っていた全ての女の人たちがこちらの様子を見ている。目を丸くしていたり口を半開きにしていたりと、人によって状況は様々だが、全員の視線がこちらに向いているのは少し怖かった。
「あの……」
再び下の方から声がしたので、そちらへと視線を戻すと、OLのお姉さんが手に持ったお札を俺の方へと差し出していた。あれ? 前にもこんなことあったような……。
「どうかされましたか?」
「えっ……あっ、その、これ……」
あっ、ああ! もしかしてお金が落ちていて、俺が落としたものじゃないのと思ったのかな?
俺は自分のじゃないですよとアピールするように、手のひらで拒否するような仕草を見せる。
「ああ、大丈夫ですよ」
俺は笑顔でそう答える。
あまりコミュニケーションが得意そうではないお姉さんは、すごすごと手に持っていたお金を引っ込めた。
お姉さんは手に結構な額のお札を持っていたが、落とした人は困ってるんじゃないのかな?
それをわかってたからお姉さんは、コミュニケーションが苦手にも関わらず勇気を出して俺に声をかけたのだろう。すごいな、俺はそう思うと再び口を開いた。
「お姉さん、ありがとう」
俺が感謝の言葉を口にすると、目の前のOLのお姉さんは固まってしまった。
周囲は一層と騒がしくなったが、スピードを上げた電車の音にかき消される。
「嘘……あのスマイルが0円なの?」
「そんな無料サービスがあるなんて聞いたことがないよ」
「どこかの会社の福祉制度とか? 私、今のクソみたいな会社やめて死ぬ気でその会社はいる……」
「もしかしたら国の新しい政策の実証実験とか……流石にないか」
「しかもありがとうって言ってたような気がするけど気のせいだよね? もしかして、私の耳ついに壊れちゃった?」
「はは……先月お休みがなかったから疲れで自分に都合のいい幻覚でも見てるのかも」
「あんなかっこいい男の子に話しかけられた上に、笑顔で感謝されるとか、あのお姉さんは前世でどれだけの徳を積んだんだろう、ええい、羨ましい!」
ガタンごとんと揺れる電車、急カーブの振動で隣にいた女子高生が俺の方へと倒れかかってきた。
倒れて怪我をしちゃいけないと、俺は隣にいた女子高生を受け止める。
「あっ、すみません」
倒れてきた女子高生は、申し訳なさそうな顔で薄く微笑んだ。
「なっ!? あいつは確信犯だろ!」
「チッ、顔が可愛くて若いからって調子こきやがって!!」
「わざと倒れかかったよね? あざとすぎるでしょ!」
何やら電車の空気が重苦しいような……? うん、流石に気のせいかな。
「大丈夫ですか? 気をつけてくださいね」
「ファ、ふぁい……」
女の子は顔を真っ赤にして、今度はしっかりと吊り革を握りしめた。
「ザマァみろ、自滅だ自滅」
「そりゃあんな至近距離から、あんなかっこいい子に微笑まれたらもうね」
「仕方ないよ。だって、あの笑顔は反則、全てがどうでも良くなる」
「わかる、今日会社行ったら上司ぶん殴ってやろうかと思ってたけど、もうそんなの秒でどうでも良くなった」
「は、あはは……これで後1ヶ月は休みなしでも耐えられる。頑張れ私」
少し険悪になりかけた空気感が薄まっていく。やっぱり俺の気のせいだったみたいだ。
「通ります。ごめんなさい」
どうやら誰かが電車内を移動しているようだ。
俺は後ろを通る人に当たらないように少し前に出る。
しかしそんな俺の背中に、何やら弾力性のある感触のものが二つ押しつけられた。
「ごめんね」
30前後くらいの色気のある人妻っぽいお姉さんが俺の耳元で囁く。
「あっ、いえ、こちらこそすみません」
むしろもうちょっと横にずれるべきだったかな。ごめんね。
「は? おい、ばばあ! ふざけんなよ!!」
「ねぇねぇ、あの男の子、ちょっと赤面してない?」
「いや、気のせいでしょ。大きな胸に興奮してくれる男の子なんて二次元の中だけだよ」
「そんなの二次元でもないって。あまりにも現実離れしている表現は、規制の方向になるかもってこの前のニュースでやってたもん」
「あぁ、それで白龍先生は落ち込んでたのか。あの人の作品に出てくる男の子って、本当にリアリティないから」
再び空気が澱んできたタイミングで目的の駅に到着したので、俺は電車を降りて学校の方へと向かう。
相変わらず学校までの道のりも女の子だけしか見当たらない。
流石にこうも女の子だらけだと、男が恋しくなる……いや、変な意味じゃないよ?
ちなみに俺の通う乙女咲は、今年の新入学生も含めて学校全体で10人近くの男子が在籍しているらしい。
そのうちの一人でも友達になれたらいいな。俺は希望を胸に、乙女咲の門をくぐった。