マスク・ド・ドライバー ヘブンズソード
いつもと同じ変わり映えのしない朝。
私はその日も朝早くに起きて、大事な1人娘の朝ごはんを作っていました。
「お母さん、おはよう!!」
「おはよう。しぃ、お母さんちょっと忙しいから、1人でテレビ見て待ってられるかなー?」
「うん! 大丈夫だよお母さん!!」
「すぐに朝ごはん準備するからねー」
一人娘のしぃは、母親の私がいうのもなんですが、とても優しい子です。
この前は私が少し目を離した時に迷子になってしまいましたが、優しい女の子2人組が助けてくれました。
背の小さい女の子の方は可愛らしい感じの子でしたが、身長が高い方は女の私から見てもドキドキするくらいの美人さんで私もびっくりしたのですが、彼女はどこかの事務所のモデルさんなのでしょうか?
あの女の子はあまり気が付いてなかったみたいですけど、周りにいた女の子たちもみんな彼女を見ていました。
私は女子校出身ですが、女子校に1人はいるであろう王子様系の女子たちと比べてもすごくかっこよくて、年甲斐もなくキュンと胸を締め付けられたのを覚えています。何やってんでしょうね。私にはもう娘がいるのに……。
とはいえ私だってまだまだ20代後半、ほんの少しくらいはときめいたっていいですよね。
「わー!!」
ふふ、しぃがテレビを見てはしゃいでいる声が聞こえてきました。
なんでもない変わらないいつもと同じ日常、ホッとした幸せを噛み締める。
そうよね。娘がいるだけでもありがたいことなのに、この上さらに潤いまで求めちゃダメよね……。
そんなことを考えていたら、リビングから一際大きな声が聞こえてきました。
「パパー! お母さん、テレビにパパが出てるよー!!」
「えっ?」
パパ? パパってなんのこと!?
私の娘しぃは、男性の冷凍した生殖細胞を使って生まれた子供です。
男性の身元を明らかにしないという条件の下、男性の提供した生殖細胞と相性の良かった私が配合者に選ばれました。娘のしぃはもちろんのこと、私だって男性の身元や名前すら知りません。
だからパパと聞いて思い浮かんだのは、あの身長の高い女の子の事です。
あの日から、娘のしぃはよくあのお姉さんの話をするのですが、その度にお姉さんの事をパパと呼んで私は少し困りました。やはり父親がいなくて寂しいのでしょうか……ごめんね、しぃ……。
「お母さん、はーやーくー!」
この時間帯だと、しぃは何時もマスク・ド・ドライバーを見ている時間帯ですが、確か今日からは新しいシリーズでしたっけ? もしかしたらあの時のお姉さんがドライバーに出演しているのでしょうか?
あれだけ綺麗だと、もしかしたらドライバーの主役にでも抜擢されているのかもしれません。
毎回、ドライバーの主役に抜擢されるお姉さんはかっこいい系ですし、あのお姉さんなら納得です。
しかもあのお姉さん、そこはかとなくあくあ様に似ていらっしゃったし、もし起用されていたら結構盛り上がるんじゃないでしょうか?
「お母さーん、ほら、パパ! パパだよー!!」
「はいはい、ちょっと待ってね」
私はコンロのスイッチを切って料理を中断すると、しぃのいるリビングへと向かう。
今でも、その時のことは忘れません。
子供が……しぃが生まれた後の私は幸せでした。
でも子育てはすごく忙しくて、日々の生活で女としての時間はだんだんと少なくなっていったのです。
潤いのある生活は遠のき、女としてではなく母親として生きる日々。
贅沢だってわかってる……でも、女を捨てるには私はまだ若すぎて、ときめきくらいあっていいじゃないと1人、愚痴を吐いた夜だってありました。
そんな私に、ときめきが! うるおいが! 向こうのほうから走ってきたのです。
おそらく全国のお母さんは同じリアクションをしたことでしょう。
私は目の前のテレビの中の衝撃に、手に持っていたフライ返しを床に落としてしまいました。
「に、逃げてください! ここは危険です!!」
テレビに映った女性の隊員は、瓦礫に埋もれながらも守らなければいけない男性を救うために声を振り絞る。
しかし、テレビに映った男性は、一歩、また一歩とその声を無視して前に進む。
男らしい立ち姿と、堂々とした歩き方、その身に纏った圧倒的なオーラ。
ただ、歩いているだけなのに、その姿を見ただけで多くの女性はうっとりした表情を見せるでしょう。
今まで私を……いえ、女の子たちの横を、こちらを見ようともせずに通り過ぎていった男性たち。
そんな苦い記憶を根底から上書きするように、ただ……ただひたすらに、真っ直ぐとその力強い視線を私たちに向けてくれる唯一の男性。
彼を知った瞬間、私たちが出会った今までの男の子たちとの辛い思い出を全て過去にしてくれるような存在。
その男性の顔は、この国の女性であれば、おそらくほぼ全ての人が知っています。
「あくあ様……」
私は溢れ出る感情を押し殺すように彼の名前を呟く。
どうして彼がドライバーに? まず最初に浮かんだ疑問。今までのマスク・ド・ドライバーの主人公は全てが女性でした。それでもゲスト出演ならあり得るかもしれない。普通に考えたらその答え以外に辿り着くことはないでしょう。はっきり言って、それだけでも十分に嬉しいことです。ましてや出てくれたのがあのあくあ様なのですから、誰も文句なんて言いません。
でもきっと、この時、この瞬間、同じ時間にこの番組を見ている全ての女性は同じことを思ったのではないでしょうか。
ベリルエンターテイメントなら……あの、白銀あくあならやってくれるかもしれないと……。
おそらく誰1人として、男性がドライバーをやるなんて想像していた人なんていなかったと思います。
男性は女の子が守るべき存在だから、ドライバーは女がやって当たり前。その常識が今まさに1人の男性……突如としてこの国に現れたヒーローによって崩されようとしている!
「オソエー、ラチダー!」
怪人のボス格が、手下の怪人に向かって指示を出しました。
それに応えるように、手下の怪人たちがあくあ様の方に向かって走っていく。
私はいつの間にやら祈るように、両手をがっしりと組んでいました。
「お母さんが言っていた」
お決まりの変身アイテムを手に持ったあくあ様。
ああ……そのお姿を見て、感じていた予感が確信へと変わっていく。
その瞬間。私は、熱くなった目頭を押さえるように両手で口全体を塞いだ。
抑えようのない感情が涙となって溢れ出す。
「男でも、いつかは戦わなきゃいけない時がある。それが今だということを俺は知っている」
あくあ様……貴方は、私たち女の子たちの過去を上書きして、今を幸せにしてくれるだけじゃないの?
それだけでも十分なのに……! 今、テレビに映ったこの人は、私たちの世界の未来までも変えようとしている。
私の言っている事は、大袈裟なのかもしれません。でも……でも、もうこの胸の奥から溢れ出すときめきは、もう誰にも止められない!
「いけ……」
私は小さく呟く。
あくあ様が手を大きく回すと、マスク・ド・ドライバーではお馴染みのベルトがあくあ様のズボンの腰の部分に装着されていました。
高鳴る鼓動、揺さぶられた心が大人になるにつれ忘れ去っていた感情を熱くさせる。
「いけー!」
私はテレビのその先に向かって、しぃに負けないくらい大きな声を出す。
あくあ様は、そんな私たちの手に応えるように手に持ったカブトムシ型の機械を腰のベルトに当てる。
ああ……ああっ! やっぱりこの人は!! 私の……ううん、私たち女の子全ての期待を裏切らないんだ!!
時代が変わる。その瞬間はもうすぐそばまで来ている。
このテレビを見ていた全ての視聴者は同じ事を叫んでいたでしょう。
だから私も心の中で叫ぶ。年はとったかもしれないけど、私の心はまだ老け込んじゃいない!
いけ! 白銀あくあ!! 私たちの世界の常識を壊して!!
「変……身……!」
視聴者にその瞬間を焼き付けるように、360度ゆっくりと回転しながら変身していくあくあ様のお姿。
私は隣にいたしぃとハイタッチする。
今まさに世界が変わった。それなのに私は、画面の前のあくあ様にほんのちょっぴり不埒な感情を抱いてしまう。
あ……すごく引き締まったお尻……あぁ、いけません、私としたことが変なところに目が奪われてしまいました。
番組に集中しないと……!
「オトコダー! オトコダー!」
襲い掛かる怪人たち、ここで右下に小さく文字が出る。
※本人希望により、アクションシーンも全て白銀あくあ本人が演じております。
うえあえおあああえええええええええええ!?
え? ちょっと待って、男性がドライバーというだけでも、私の中では世界が変わるとか恥ずかしいこと言ってたのに、えっ……ええっ!? 男の子がアクションとか、そんなの危険でしょ? 男の子は体力がないから、そんな激しい動きしちゃダメだって言われてるのに……。
アクション? あくしょん? 私の頭の中は更に混乱した。
「クッ! オトコ、ノ、クセ、ニ!」
呆けた私の目の前で、あくあ様は激しいアクションシーンで敵を薙ぎ倒していく。
その凄まじい迫力は、今までのドライバーと比べものになりませんでした。
つい先日、娘のしぃが寝静まった後に、こっそり1人でサマスタの映像を見た夜の事を思い出す。
おそらくこの激しいアクションシーンは、あの引き締まった筋肉があるからこそ成せる技でしょう。
あくあ様は、私の知っている男の人と比べると筋肉質で、一児の母にも関わらず、映像を見た深夜に体の奥が熱くなった事を覚えています。
「ミロ、コレガ、ワタシ、ダ!」
敵の怪人のボスは、トレンチコートのような外套を開いて、中からビームのようなものを飛ばしてくる。
「あっ、危ない!」
「パパ、避けて!!」
私と娘のしぃは食い入るようにテレビに齧り付く。
あくあ様は床に転がるようにして敵の攻撃を華麗に回避すると、ベルトに装着されたカブトムシのツノを掴む。
ドライバーを見ていた私にはピンと来ました。これは必殺技のシーンです。
あくあ様は少し低い声で、躊躇いを滲ませながらも必殺技の名前を呟く。
「ドライバー……キック!」
あくあ様はすごい跳躍力で空へと舞うと、その長いおみ足を画面に向ける。
ああ……なんて綺麗なんでしょう。吸い付くような生地で作られた部分から浮き出たあくあ様の足の筋肉に、女としての甘い吐息が漏れた。
こんな足になら蹴られてもいい。そう思った女性は私だけではないと思います。
「グギャァァァアアアアア!」
ドライバーキックをくらった怪人のボスは、断末魔を上げながら地面に仰向けになって倒れた。
「やったあ!」
「パパ、つよーい!!」
私は年甲斐もなく娘のしぃと一緒になってはしゃぐ。
しかしあのあくあ様がこれで終わるはずなんてありません。
はしゃぐ私たちとは違って、画面の中のあくあ様は、ゆっくりと哀愁を帯びた後ろ姿で怪人の方へと向かっていった。
「あくあ様?」
「パパ? 危険だよ? だって、そいつ敵なんだよね?」
あくあ様はまるで恋人を抱えるように、その怪人の体を優しくゆっくりと起こして抱き抱える。
その慈愛の心に満ち溢れたお姿、大きな後ろ姿に胸の奥がキュンキュンした。
なんでしょう? なんなんでしょう? 男性の背中にドキドキしてしまう私はおかしいのでしょうか?
さっきまで騒がしかったしぃですら、あくあ様のその何かを語るようなお背中を女の子の顔で見つめていました。
ふふっ、小さくてもしぃもちゃんと女の子なんですね。
「ワタシ、ハ……ココ、にいるのに……」
あくあ様に抱き抱えられた怪人の過去の記憶がフラッシュバックする。
この怪人の名前は、ロ・シュツ・マー。
彼女もまた私でした。いえ、私たちでした。
すれ違っていく男性たち、誰も彼女のことなんて、私たちのことなんて見てない。
だから誰かに見られたかった。本当はこんなやり方じゃなく、ただ、目を合わせて欲しかっただけなのに……。
きっと、誰か1人でも、彼女のことを見てあげれば、異性じゃなくてもいい、ただの人として、目をあわせて会話してくれるだけでも彼女は救われたはずです。
結局、彼女は誰からも救われることなく、哀しい結末に至りました。
隣にいた娘のしぃはまだ理解できないかもしれませんが、私たちのような世代には怪人の想いが心に響く。
もう彼女が救われることはないのだろうか……。
誰しもがそう思ったことでしょう。
でも忘れてはいけません。
目の前のこのドライバーを誰だと思っている?
無理を通して道理を蹴っ飛ばすのが、私たちの白銀あくあなんだ。
だから、目の前のこの女性を救ってちょうだい、あくあ様!
モシとか……タラとか……レバとか……そんなんじゃない。
貴方にしか……ううん、私たちが選んだ貴方だからこそ、きっと救ってくれるってわかってるから!!
「変身……解除……」
あくあ様がドライバーから普通の生身の人間へと戻っていく。
私の心が跳ねる。
ヒーローと悪じゃない。ただの男の人として、1人の人間としてロ・シュツ・マーと向き合っているのだ。
「あ……ああ……」
ロ・シュツ・マーは吸い寄せられるように、あくあ様に向けて手を伸ばす。
その手を、あくあ様が力強くも優しげな暖かい手で握り返した。
瞬間、今まで誰にも見られる事がなかったロ・シュツ・マーの目とあくあ様の視線が重なり合う。
「ああ……知ってるさ、君がいたことは、俺が覚えておく……だから……」
あくあ様のお言葉に、怪人だったロ・シュツ・マーが元の人間だった頃の姿へと戻っていく。そして、あくあ様に向けて穏やかな表情を見せる。その顔に、怪人だった頃の悲しみと怒りを滲ませたような面影はない。
「ありが……とう……」
ゆっくりと消滅していくロ・シュツ・マー。
結果的に彼女は救われたのだと思う。でも、あくあ様はいなくなったロ・シュツ・マーを抱きしめるような仕草で背中を震わせる。あくあ様はロ・シュツ・マーを救えなかった悔しさを台詞ではなく背中で語ったのだ。
あくあ様にとってこれは救いじゃない。そう言われているようだった。
彼女が怪人化する前に、誰かが彼女を救っていれば……ううん、自分が彼女を救えなかったことに、やりきれない感情を抱いたのだと思う。
「すごい……」
私はテレビの画面に向かってそう呟く。
テレビに流れるスタッフロール、それと共に、あくあ様の歌う主題歌が流れる。
作曲は天我アキラ、作詞は黛慎太郎、編曲は猫山とあ……まさしくベリルの総力を持って作られた曲だった。
私はただただ、それをぼーっと眺めている。でも心は熱くて、感情に体が追いつかない。
「お母さん……パパ、かっこよかったね」
隣にいたしぃがそう呟く。
ふふ……あの時のお姉さん、そこはかとなくあくあ様っぽい雰囲気あったもんね。子供のしぃが、お姉さんとあくあ様を勘違いしたって仕方がない。それを否定するのは簡単だけど、しぃには良い思い出にして欲しかったから私はあえて何も言いませんでした。
「そうね。パパ、かっこよかったね」
「うん! だからね、お母さん、しぃ、パパと結婚する!!」
「え?」
「今はまだ子供だけど、あと10年も経ったらしぃは美少女になると思うの。だってお母さんちょー綺麗だし!!」
「お母さんが綺麗?」
「うん! お母さんは世界で一番綺麗だよ!! だからしぃも絶対に将来は美人さんなの!」
「まぁ……ありがとう。しぃ」
私はうるませた瞳を擦る。
たとえ男性に綺麗って言われなくても、娘に綺麗って言われるだけでもこんなにも嬉しいことなんですね。
ありがとう、あくあ様、あの時のお姉さん。
「だから、ずっと綺麗でいてねお母さん」
「うん! わかったわ! お母さんも今日からまた綺麗になる努力するね。ずっとしぃに綺麗なお母さんって思われたいから」
食生活を見直すのは当然として、今日からランニングとか運動もしっかりとしたほうがいいかもしれませんね。
肌のケアだって……そうよ、私だってまだ20代後半、女盛りだもの!!
そんなことを考えていた私の隣で、しぃはブツブツと呟く。
「その為にはあの隣にいたお姉さん、王女殿下を攻略しないとね。頑張るのよしぃ、それでもってお母さんもちゃんとパパにもらってもらわないと……」
この時の私は知らなかった。
10数年後、娘のしぃが、あのあくあ様と世間様を賑わせる歳の差婚をするなんて……。
本日は2話更新です。次回は21時更新になります。
また今回の話を記念して、fantia、fanboxにて「俺たちの夏、本郷監督達とバーベキューをするぞ」を特別に公開しました。もちろんこちらも無料で読めるので、興味があったらぜひお読みください。
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