乙女咲の平和を守る者たち。
ピピピ……ピピピ……ピッ!
手を伸ばした私は、ベッドの近くに置いてあった目覚まし時計を叩いてアラーム音を止める。
「んんっ……」
今日から二学期か……。
私はいつもより少し早く起きると、ベッドに寝転がったままメッセンジャーアプリのオープンチャットを開く。
<在校生限定1年A組の情報交換(2525)
『新学期楽しみー』
『また今日から、あくあ様に会えるー!』
『私たちにとっては、ここからが本当の夏休みだ!』
『今日何時に来るかなぁ? 偶然装って下駄箱前にいたら声かけてくれないかな?』
『夏休み明け、黛くんも人気でそうだから注意しないといけないね』
『とりあえず不審者いないか確認しながら学校行く!』
『この前、それやってたら私が不審者と間違われた件について……制服着てたのに』
『貴女は私か?』
『あるあるだね』
『仕方ないよ。在校生じゃないのに乙女咲の制服を着てた人いるみたいだし』
『オークションサイトで高騰してるんだっけ? お金ほしくても出品しちゃダメだよみんな』
『この前、侵入一歩手前まで行った人いたよね。風紀委員の西園寺さんと椿さんが捕まえたっていう』
『西園寺さん見た目ヤンキーで怖いし、椿さんは無口クールで怖いけど、こういう時、本当に頼りになる』
『それは校門前の事件かな。裏口から入ろうとした人は、風紀委員長の阿澄先輩が捕まえてた』
『阿澄先輩ってあの小さい人でしょ? いつも寝てるだけかと思ってた……ちゃんと仕事してるんだ』
『どっちにしろ校舎に侵入しても会長がいるから会長がどうにかするでしょ』
『うちの会長まじ有能、正直教師陣より頼りになる』
『先生方も頑張ってはいると思うよ。ただ、乙女咲の平和を守ってるのは会長だけど』
『会長は幼稚園から乙女咲だし、なんなら幼稚園の時から乙女咲を守ってるまである』
『会長……あくあ君の卒業まで学校辞めないでほしい……』
『やめろ、それ言ったらあの人、本気で留年しそうだぞ。ただでさえ飛び級拒否って在校してるのに!!』
『会長、乙女咲の大学に進学予定だから、大学生になってもきそうではある』
『会長は自分でなつきんぐとかつけるあたり痛い子なのを差し引けば完璧』
『おい、やめろって!』
『那月会長、小学生の頃からずっとID変わらないよな』
『だって小学生、いや3歳のまま大きくなっちゃった人だもん。会長、この前、校庭で虫網持ってたよ』
『会長、夏休みに偶然遭遇した時は裏山で川遊びしてたわ……』
『自分1年なんですけど……那月会長ってあの外人の人?』
『そっちは多分、副会長のローゼンエスタさんだね。1年ならA組に庶務のハーフのクレアさんがいる』
『那月会長の次の会長ってローゼンエスタさんでしょ。んでもって次はクレアちゃんだろうし、生徒会長は綺麗じゃないとなれないのか?』
『仕方ないよ。文武両道で綺麗な人が生徒会長は乙女咲の歴史だから』
『メアリーの王女様に対抗するくらいなら、それくらいのレベルはないと……でもローゼンエスタさんって王女様の遠い親戚でしょ。そりゃあの美しさも納得できる』
『ぶっちゃけ、うちの学校であくあくんとワンチャンあるならその3人とクラスメイトの月街さんかな』
『でも綺麗な人が好きとも限らないんじゃない? どうだろう?』
『とりあえずあくあくんが女の子の胸が好きなのは確か』
『あくあくんが胸が好きなのは意外だったな』
『最初気が付かなかったけど、大きい子だとちょくちょく見られてるから流石に気がつくよねー』
『自分そんなに大きくないけど、ちょっとピタ目の水着を着てたら授業中見られて嬉しかった』
『わかってると思うけど、やりすぎはダメだよ。前みたいに規制されちゃうから』
『夏休み前、一斉に薄着になったのはあからさますぎた』
『あくあ様、顔真っ赤で可愛かったなー』
『それですぐに男子生徒抜きで全校集会やって校長先生と理事長に怒られたもんね』
『だって、教師陣までわざとらしく白シャツ着てたのやばいでしょ』
『杉田先生くらいだよちゃんと配慮してたの』
『でも杉田先生もボタン一個多めに外してたよ』
『それくらい許してあげなよ。男の子からそういう目で見られるの、みんなだって初めてだったし、普通に浮かれて当然じゃん』
『中にはそういう男の子もいるって聞いてたけど都市伝説だと思ってた』
『わたくしも白龍先生の作品の中だけかと思ってましたわ……』
『ところで、とあくん学校に来るかな? 1年A組の猫山とあって絶対そうだよね?』
『夏休み明け、とあ君の登校ワンチャンあるよね?』
『流石にないんじゃない? もし学校来たらやばいことになりそう』
『なんかもうこの年の当たりの男の子、全部うちが確保したみたいになってて他の学校のJKに本当に申し訳ない』
『むしろリアル乙女ゲームやらせてもらっているみたいで、全世界の女性に悪いとさえ思ってる』
『来年、乙女咲の倍率やばいことになりそう。よかった私、もう入学してて』
『来年受験の妹に頑張れって煽ったら、口聞いてくれなくなった』
『それはあんたが悪い』
『まぁ、ともかく、夏休み明け、乙女咲の男の子たちが無事に登校できるように、ちゃんと私たちが守ってあげましょう』
『おー!』
『やー!』
アプリ内のオープンチャットは、案の定、あくあ様のお話で盛り上がっていました。
1ヶ月近くもあくあ様と触れ合っていなければ当然の話でしょう。
あくあ様に限らず、黛様、そして渦中の猫山様、私も彼らを守る立場の人間としてぐうたらしている場合ではありません。
私はそっとオープンチャットを閉じると、アプリのグループチャットを開く。
<乙女咲学園の平和を守る会(8)
なつきんぐ
「今日から二学期が始まる。各自気を引き締めて取り掛かるように」
るーな
「おー……Zzz」
なつきんぐ
「お前は、寝るーな!!」
ういちゃ
「るーちゃん、新学期早々に風紀委員長が遅刻はまずいよ。起きて」
ぼたこ
「おはようございます那月会長! 私はもう学校に来ています。委員長も早く起きて!!」
すず
「ぼたんちゃん早すぎwまじうけるんですけどwww」
「って、嘘だよね? え? えっ?」
「今、学校にいるって何時にきたの?」
ぼたこ
「自分は朝5時から学校で待機してます、すずは何時に来ますか? どうぞ」
すず
「ぼwたwんwちゃwんwww」
レオナ
「ぼたこ……お前、頭おかしーんじゃねーの?」
ぼたこ
「うるさい、黙れレオナ! お前も風紀委員ならさっさと来い!!」
るーな
「相変わらず、ぼたこちゃんはまじめだなぁ……Zzz」
ぼたこ
「阿澄委員長も早く起きて学校に来てください!!」
千聖クレア
「みなさんおはようございます」
なつきんぐ
「ああ、おはよう!!」
ういちゃ
「おはよう、クレアちゃん。ぼたんちゃんも朝からお疲れ様」
すず
「クレアちゃん、ユーザーネームがまだフルネームになってるよ。早く直して!」
千聖クレア
「すみません。わたし、きかいにうとくって、どうやってなおせばいいのか……」
すず
「うーん、これはクレアちゃんからナタリーちゃんとおんなじ匂いがするなぁ……」
私はぽちぽちと文字を入力すると送信ボタンを押す。
ナタリア・ローゼンエスタ
「すず、私の事を呼びましたか?」
すず
「相変わらずのフルネーム……あーしは2人が悪い人に引っかからないか心配だよ。国際ロマンス詐欺とか」
ぼたこ
「ナタリアはまだ来ないのですか? 寮なら近いですよね?」
ナタリア・ローゼンエスタ
「流石にさっき起きたばかりなので無理」
レオナ
「まぁ、普通はそうだよなぁ……」
るーな
「Zzz……」
ういちゃ
「だから、るーちゃんは、ねちゃダメだって……」
なつきんぐ
「いや、騙されるな、うい。これはもう完全に起きてるやつだ!!」
るーな
「紗奈ちゃん、今日から二学期ってことは、あくあくん学校くる?」
なつきんぐ
「ああ、今日から車通学になるらしいが、杉田先生からは出席するようだと聞いている」
すず
「車通学ざーんーねーんー。安全上仕方ないんだろうけどさぁ。あーし、あーくんと同じ電車だったのにい!」
「せっかく、あーくんのために、黒い下着買ったのに、これじゃあ偶然を装って見せるチャンスないじゃん!!」
ういちゃ
「すずちゃん、生徒会の役員がわざと見せちゃだめだよ」
なつきんぐ
「ういのいうとおりだ。あくあ様に限らず男子生徒に迷惑をかけるなよ、すず!!」
すず
「はーい」
るーな
「そっかぁ……じゃあ面倒臭いけど学校に行こうかなぁ。今まで嗅げなかった分、あーくんの匂い充電したいし」
なつきんぐ
「るーな、風紀委員長である事を忘れるーなよ?」
るーな
「あい」
ぼたこ
「現在校舎内に異常なし! 不審者もいません、どうぞ!!」
レオナ
「いや、不審者はこんな時間に学校にいるお前だろ……」
ぼたこ
「レオナちゃんの正論パンチwwwww」
ナタリア・ローゼンエスタ
「はぁ……ぼたんが1人なのは可哀想なので、ちょっと早いけど私も準備します」
千聖クレア
「わたしもそろそろじゅんびします」
私は寝ぼけた目を擦りながらベッドから足を下ろすと、小さな握り拳を天井に振り上げて、体をググッと伸ばして強制的に眠気を覚ました。
「んんーっ」
昨日は少し暑かったから寝汗をかいてしまったのでしょうか。少し汗ばんだパジャマが肌に吸い付いてなんとも言えない気持ち悪さを感じた。
「はぁ……ベタベタして気持ち悪い。あと少しで9月なんだから、ちょっとは涼しくなってくれたっていいんじゃない?」
私は、汗を流すのと眠気覚ましの両方を兼ねて、パジャマを脱いで自室の中にあるシャワールームに入った。
天井から降り注ぐシャワーの心地よさに私は身を委ねる。
お気に入りの蜂蜜の香りのボディーソープを手に取った私は、汗が溜まりやすい場所を念入りに洗う。
もし学校であくあ様とすれ違った時に、あの女……汗臭いな、なんて思われたくはありませんしね。
あくあ様が汗の匂いを気にしない人ならいいんですけど、流石にそれはないでしょう。
「はぁ……」
シャワーを浴びてさっぱりとした私は、鏡に映った自分の姿を見る。
先ほどのオープンチャット内でも噂になってたけど、本当にあくあ様は、こんなただの脂肪の塊が好きなのかな?
私は中学の時に、スターズから乙女咲に留学してきましたが、中学時代は陸上をやっていました。競技に打ち込んでいた時は、大会で優勝したりとか将来は有望だと言われていましたが、胸が大きくなったせいで走るのが辛くなって、仕方なく陸上競技を辞めることになったのです。
胸を手術で小さくすることも考えましたが、成長期はやらない方がいいと言われたのと、やっぱり手術は怖いので私は陸上競技の方を諦めました。
そうして残った。ただの肉の塊が役に立つかもしれないなんて、まだ自分の中では半信半疑で信じられません。
「まさか……ね」
私はシャワーブースから出ると、この日のために一応準備しておいた新しい下着に着替える。
すずじゃありませんけど、私だって期待してないわけじゃないんです。
「さ、流石にちょっと気合を入れすぎたかも」
夏にみんなと一緒に買いに行った水色の下着。あくあ様と初めての夜に着るならどれがいいだろうってみんなでそれぞれの下着を選びあったあの日は、私にとってはかけがえのない大切な思い出になりました。
「うう……あくあ様に破廉恥な女だって思われたらもう学校に行けないかも」
私は恥ずかしさを誤魔化すように、乙女咲の制服に着替える。
高校に上がってすぐの頃、陸上部を辞めてどうしようかと思ってた時に声をかけてくれたのは、中学時代から面倒見てくれていた佐倉うい先輩でした。当時、図書委員だったうい先輩は今は図書委員長を務めています。
そんなうい先輩が私にある人物を引き合わせてくれました。
「ローゼンエスタ君! どうだろう。私と一緒に生徒会をやってみる気はないかね?」
うい先輩が紹介してくれた那月会長は、当時から既に生徒会長をやっていました。
私も特にやることがなかったので、そのお話をお受けすることにしたのです。
「私でよろしければ」
「そうか! ありがとう、ローゼンエスタ君。ところで君の事を今日から親愛を込めてナタリーと呼んでも大丈夫かな?」
生徒会の日々は充実感に満ち溢れていて、気がつけば私はいつの間にやら生徒会の副会長になっていました。
そしてこのまま他に立候補者が現れなければ、私が乙女咲の次期生徒会長を務める事になってしまうでしょう。
私みたいな留学生が生徒会長なんて、普通の学校ならまずありえません。でも、乙女咲はそこらへんを気にしないくらい校内の雰囲気がオープン、悪く言えば緩いんですけど、私はそういうところも含めてここの学校の事が好きなんですよね。だからそういう意味では、この学校の校風を守れる生徒会は私にとっては合っていたのかもしれません。
本当は私なんかよりも、同級生で生徒会の書記兼会計を務めるすずこと、同じ2年生の御子前すずの方が生徒会長に向いているんですけどね。でもすずはそういうことはやりたがらない性格だから……。
ちなみに生徒会のメンバーは会長と、すず、私の他に、書記を務めている千聖クレアという生徒がいます。
クレアは私とは逆に、中学時代はスターズに留学していました。今年帰国した彼女は、入学式から少し遅れてあくあ様と同じ1年A組に通っている。そんな千聖クレアに私は今少し悩まされています。
「ナタリア様の学校に通っている千聖クレアは、聖あくあ教の聖女に近しい人間、最低でも幹部クラスの可能性が高いです。聖あくあ教は本国でも勢力を拡大しつつありますので、ナタリア様も十分にお気をつけくださいませ」
家の者からその情報が伝達された時には頭を抱えました。
だって……だって……私、聖あくあ教に入信しようかと思ってたのに……。
え? あれって善良で崇高な目的を持った潔白な宗教団体じゃないんですか?
前に覗いた掲示板でも、聖あくあ教の社会貢献が持て囃されていましたし……SNSでも聖あくあ教に入ってよかったとか、聖あくあ教に入信してから、仕事が上手くいくようになった、事業が成功した、友達ができた、あくあ様と目があったとか、あくあ様が意識してくれるようになった気がしたとか、毎日夢にあくあ様が出てくるようになったとか、信心が強くなれば夢の中であくあ様がデートしてくれるらしいとか書いてありましたし、とてもじゃないけどこれが全て嘘だとは思えません。
現に私が体験ミサに参加した時も、聖あくあ教のミサは本国の宗教よりもよっぽど神秘的だったし、優しくしてくれた教団の人からもらったいい夢が見れる草を室内に飾ったところ、私の夢の中に、ちゃーんとあくあ様が迎えに来てくれたもん。
さ、昨晩だって、私の夢の中であくあ様は……。私は昂る胸の鼓動を抑えると、大きく咳払いをする。
「コホン! と、とりあえず、今はまだ入信したわけじゃないし、様子見ってことで……あ、ああ、とりあえずクレアさんとはこれからも仲良くしておきましょう。うん、絶対にそっちの方がスターズにとってもいいし……あ、あわよくば私も幹部に……」
私は引き出しの中を開けると、三回目の体験ミサの時に配られた特別で希少な薄茶色の粉を取り出す。
この薄茶色の粉には、あくあ様の聖分が詰まっているらしく、どうしようもなく切ない気持ちになった時は、これを舐めれば心が落ち着くよって教団の人から言われました。
そんな貴重なものを無料で頂けるなんて、なんて慈愛に溢れた素晴らしい教団なのかと感動したくらいです。
昨今、我が祖国ではカノンのような素晴らしいボランティア精神を持った上流階級の人間がいる一方で、私腹を肥やす人たちがそれ以上に多いのが問題視されている。そういった人たちとスターズの国教であるスターズ正教とはとても根強い結びつきがあります。
そんなスターズ正教に比べたら、聖あくあ教のなんと素晴らしいことか!!
「そうか……そういう事だったのね!」
私の中で一つ一つの点だったものが、一筋の光となって繋がっていく。
この国に私が来たのも、そして聖あくあ教に出会ったのも、全てはあくあ様のお導きだったのですね。
「見ていてくださいね、あくあ様。必ずや曇った家族の目、この私が覚まして見せます。そして全世界の女性たちに、聖あくあ教の素晴らしさを伝えていきますわ!」
私は薄茶色の粉をカバンの中に入れると、ルンルンとした気持ちで学校へと向かう。
この数日後、私は正式に聖あくあ教へと入信した。
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