白銀あくあ、碧い瞳のカノン。
本日2度目の更新です。
「おい……嘘だろ……」
俺は目の前の鏡に映った自らの姿を見て頭を抱えた。
この諸悪の元凶を生み出したペゴニアさんは、打ちひしがれた俺の姿を見てニヤリと口角を上げる。
「白銀様、よくお似合いでございますよ。これならば、誰からどう見られても白銀様とはわからないはずです」
俺は改めて鏡に映し出された自分の変わってしまった姿を見る。
確かにペゴニアさんのいう通り、この姿の俺を見ても誰一人として白銀あくあとは気が付かないだろう。
ペゴニアさんによって厚めの化粧を施された俺は、らぴすと同じプラチナブロンドのウィッグを頭にかぶり、胸に詰め物を入れた女性物の浴衣を着ている。身長が高いことを除けば、どこからどう見ても女の人だ。
俺は鏡に映った自分の顔を見て、しとりお姉ちゃんや母さんとの血の繋がりをそこはかとなく感じてなんとも言えない気持ちになる。よりにもよって、こんなことで家族の血のつながりを再確認なんてしたくなかった……。
「ペゴニアさん……流石に俺の身長だとバレませんかこれ?」
「いえいえ、大丈夫ですよ白銀様。それよりも俺ではなく私です」
ペゴニアさんは恍惚した表情でにっこりと微笑む。
この人、絶対に俺を弄んで楽しんでやがる。
「それとも白銀様は、お嬢様とのデートの約束を反故になされるおつもりなのでしょうか? あぁ、かわいそうなお嬢様、あんなにも白銀様のデートを楽しみになされていたのに……ああ、おいたわしい」
「くっ……」
そもそもこのきっかけを作ったのは、カノンとのデートの約束を取り付けた俺だ。
カノンの立場と俺の状況を考えたら、まず外で普通にデートするのは難しいだろう。
そうなると選択肢は二つ、一つはお家デート、そしてもう一つは変装してのデートだ。
最初は一つ目を提案されたが、カノンのような美少女と二人きりは絶対にまずい。そもそもまだ誰とも婚約していない年頃のカノンと、同じく年頃の俺が二人きりで部屋に篭るなんて状況になるのは、いくら何でも外聞が悪すぎる。そうなると、必然的に選択は後者に絞られてしまう。
その結果がこれだ。
「白銀様、よく似合っておいでですよ」
ペゴニアさんは、スッと俺に近づく。
「ちなみに今日のお嬢様の下着は、フリルのついた白のレースですよ」
カノンの下着の情報を俺に与えてどうしろと!?
ていうか、いいのそれ、言っちゃって? なんか知っちゃいけないことを知った気がするんだけど……。
そんな事を考えていると、部屋をノックする音が聞こえた。
「あ、はい、どうぞ」
俺の言葉に応えて、ゆっくりと開いていくこの部屋の扉。
その扉の先に現れたのは、光り輝くようなブロンドヘアーを黒い髪のウィッグで隠したカノンだった。
そして、普段は着ることはないであろうカノンの浴衣姿に俺はドキッとさせられる。
よく見ると目の色を隠すためにコンタクトを入れていたり、メイクで幼さをより強調していたりとか、全体的にいつものカノンとは違う感じに仕上がっていた。例えば、普段のカノンがお姫様的な美少女だとしたら、今のカノンはなんというか、同じ学校に通うクラスメイトの女子のような親しみやすさが感じられる。
だからなのか、グッと距離が近くなったカノンに俺は少し動揺した。
ただの同い年の女の子である事を意識させてくるところまでカノンが降りて来たことで、カノンは王女様だからと、自分の心の中で引いていた一線が揺らぐ。
「あくあ様……素敵」
俺の姿を見たカノンは、うっとりした表情で俺のことを見上げる。
とりあえず、ありがとうとお礼の言葉を返したが少し複雑な気分だ。
「ど、どうですか?」
カノンは少し恥ずかしそうに、俺の目の前でくるりと回ってみせる。
最後はうなじを見せるように俺の方に背を向けると、ほんの少しだけ顔を此方に向けて、チラチラと視線を飛ばす。
控えめに言って最高だよね。普通に綺麗だし、普通に可愛いし……浴衣姿もデート感があって最高だよね。
うなじからゆっくりと視線を下げていくと、俺の視線がカノンのお尻の部分でピタリと不自然に止まってしまう。
『ちなみに今日のお嬢様の下着は、フリルのついた白のレースですよ』
ペゴニアさんの余計な一言を思い出して、つい想像してしまった……。
ごめんカノン……不敬だってわかってるけど、俺だって一応は男の子なんだよ。
俺はそれを誤魔化すように、にこっと笑った。
「浴衣すごく似合ってる。黒い髪もいつもと違って新鮮でドキッとしたよ」
「え……あ……う、嬉しいです」
カノンは真っ白な肌をリンゴのように赤く染める。
可愛いな……俺はそんな純粋で無垢なカノンを邪な目で見てしまった事を悔いる。
居た堪れなくなった俺はカノンから視線を逸らす。逸らした先の鏡に映ったペゴニアさんは、俺の反応を見てニンマリと笑っていた。この人、最初は無表情だったのに、俺の反応を見て楽しんでるような気がする。
でもな、カノンみたいな美少女がどんな下着を穿いてるか聞かされて想像しない方が男として難しいと思う。
だから今も、小さな声で新品ですよとか囁かなくていい! そんな新しい情報は聴きたくなかった。俺だって男なんだよ。どうしてくれるんだ。ちきしょう!
俺は何事もなかったかのように、心を無にして微笑んだ。
「そ、それじゃあ行こうか」
「あ、はい!」
カノンが用意してくれた運転手付きの黒いセダンに乗って、俺とカノンは目的地へと向かう。
今回のカノンとのデートは、夏の定番、浴衣で夏祭り花火デートだ。
花火といっても有名な大きな花火大会ではなく、中規模くらいの花火大会である。
適度に人がいて、かといって多すぎることもないので、ゆっくりとした時間が過ごせるんじゃないかと思う。
お互いに近況を話し合ったり、車の窓から沈んでいく太陽を眺めていると、俺たちの乗った車はいつの間にか目的地のそばへと到着していた。
「ありがとうございます」
「え? あ……はい」
目的地に到着した俺は、運転手さんにお礼を言って外に出る。
先に降りた俺は、後から降りるカノンの方へと手のひらを向けた。
「あ、ありがとう」
カノンは少し戸惑ったそぶりを見せると、俺の手のひらの上に自らの手を重ねる。
しまった……つい普通に手を出してしまったが、カノンみたいなお嬢様にとっては、男と手を繋ぐのも勇気がいることなのかもしれない。あの時はエスコートだから許されたのかもしれないが、気軽に触れちゃってよかったのかな?
「えっと、じゃあ、いこっか」
「う、うん」
そんなことを考えていたせいか、俺はカノンから手を離すタイミングを失ってしまった。
俺、手に汗をかいてたりしてないよな?
握りしめたカノンの手は小さく、手のひらに触れた指先はすごく細かった。
俺はカノンの方へとチラリと視線を向ける。すると、夏祭りの提灯に照らされたカノンの頬が薄くピンク色に染まっていた。それを見た俺が、またカノンにドキッとさせられる。手を繋いだだけでこんなにドキドキしてるのに、これ以上どうしたらいいんだよ。
「あ……」
小さく声を漏らすカノン。
やべっ、俺がずっとカノンの顔を見てたのがバレたか!? そう思ったが、カノンが見つめていた先にあったのはりんご飴の屋台だった。
「りんご飴か、食べる?」
「えっ? あ……はい」
俺は財布を取り出すと、屋台のお姉さんにりんご飴を一つ注文した。
もちろん声で男だってバレちゃいけないので、違和感がないように上手く声を作る。
「あ、お金」
「いや、今日は奢らせて欲しい」
俺は財布を取り出そうとしたカノンの提案を拒否する。
「その……今日はデートを引き伸ばしてしまったお詫びも兼ねてるから、素直に受け取ってもらえると嬉しい」
「は、はい」
カノンはりんご飴を受け取ると、ほんの少し首を傾ける。
ああ、そうか、食べ方知らないのか。俺が食べ方を教えてあげると、カノンは小さく口を開いて、ほんの少しだけ出した舌先で、ぺろりとりんご飴を舐める。
くっそ、色々と可愛すぎるんだよ! ここに壁があったら間違いなく俺は殴っていた。
そんなカノンの姿をずっと見つめていたら、視線に気づかれたのか、カノンが俺の方に顔を向ける。
「あ……ごめんね。一人で食べてて、あく……お、お姉様も食べたかったわよね。はい」
カノンは手に持ったりんご飴を俺の方へと向ける。
え? いいのか、これ? 今、カノンが俺に差し出してる部分は、さっき自分が舐めてたところだけど、そこを俺が舐めたら間接キスとかになったりしない? 俺がそんなことを考えていると、カノンも意図せずにやってしまった事に気がついたのか、羞恥心で顔を真っ赤にする。
恥ずかしがるカノンを見るのはかなり可愛いけど、このままにしておくわけにはいかない。俺は気が付かなかったふりをして、りんご飴を舐めた。
「ん、美味しい」
俺はりんご飴を一口舐めると、カノンにあとは食べていいよって言った。
はぁはぁ……デートってこんなに疲れるものなのか? まだ夏祭りに来て5分も経ってないんだけど、このままじゃ間違いなく俺が持たない。もし俺が女装をしていなかったら、カノンの可愛さにやられて過ちを犯していた可能性だってある。今ですら正直ちょっとやばい。
ぶっちゃけ、ここに来るまでの間に、3回はカノンとキスしたいと思った。いや、カノンがもし俺の彼女だったら、多分5回はキスしてたと思う。それも最低だ。もっとしていた自信しかない。
「あ、あっち行こうか」
「うん」
俺とカノンはゆっくりと屋台を眺めて見て回る。
その道中、俺の女装姿が高身長が故におかしかったのか、それともパッと見、女の子同士で手を繋いでいたのがおかしかったのか、すれ違う人たちに何度かじっと顔を見られたような気がした。俺は素知らぬふりをしてなんとか誤魔化す。どうか、絶対に、バレませんよーに!!
「あ……」
そんなことを考えていたら、俺の目の前を知り合いが通り過ぎていった。
クラスメイトの黒上さん、鷲宮さん、胡桃さんの仲良しグループである。
まさかこんなところですれ違うなんて思ってもいなかったからびっくりした。
「どうかした?」
「あ、いや、クラスメイト」
俺はクラスメイトから顔を背けて、カノンの耳元で小さな声で囁く。
一応お互いの活動範囲は避けて、隣県の夏祭りに来たけどそれでもこういうことってあるんだなあ。
「あ……」
カノンは俺が視線を向けた3人の姿を見て、ほんの少し目を見開く。
もしかして3人の誰かが知り合いなのだろうか? ああ、そういえば鷲宮さんはお金持ちだっけ。
それなら二人が知り合いでもおかしくないのかな?
「どうかした?」
「ん……あの左端の子」
左端?
「胡桃さんのこと?」
「ええ……て、もしかして気付いてないの?」
「なんのこと?」
俺は首を傾ける。
胡桃さんとカノンが知り合いなのもびっくりしたけど、俺は一体何に気がついていないというのだろうか。
「そっか……そうよね。あの時、あくあ様が彼女の事を見たのはほんの一瞬だもの、それにあの時とは違うし……そっか、うん……元気そうで良かったわ」
「カノン?」
「ううん、ごめん、なんでもない。ね、それよりいこ! そろそろ花火が始まっちゃうよ」
「あ、ああ」
今まで俺が引いていた手がカノンによって前に引っ張られる。
その時のカノンの笑顔はすごく眩しくて、思わず後ろからぎゅっと抱きしめたくなった。
正直なところ、見た目を抜きにしても仕草とか表情とか声とか、カノンは俺のドストライクなんだよな。まぁ見た目はもっとドストライクなんだけどさ。そんな子に、気がある素振りを見せられたら普通に意識するし、どうしようもなく胸の奥が締め付けられる時がある。
もしカノンと付き合えるなら付き合ってみたいと思う。でも、カノンは王女だし、そんな安易に手を出していい存在ではない。だからなんとか踏みとどまることができている。耐えろ、耐えるんだ俺、と何度も自分に言い聞かせた。
「あ……」
俺の手を引いていたカノンが急に立ち止まる。
「あの子、迷子かしら」
カノンが見ている方向に視線を向けると、幼稚園の年長組っぽい女の子が不安そうな顔で周囲をキョロキョロと見渡していた。周囲の人たちは、花火を見ようと顔を見上げていたせいか、誰も気がついてないっぽい。
「えっと……」
カノンは声をかけたそうな顔で俺のことを見つめる。
「声かけよっか」
俺はカノンの顔を覗き込むようにして応える。
「う、うん」
俺は女の子のそばに近づくと、怖がらせないように、腰をかがめて女の子と視線を合わせる。
「こんばんは。花火見にきたの?」
「う、うん……でも、お母さん、どっか行っちゃって……」
女の子は今にも泣きそうな顔で俺のことを見つめる。
俺はカノンの方を見つめると、探すのを手伝ってもいいかなと視線を送った。
するとカノンは、優しげな表情でコクリと頷く。
「そっかぁ、お母さんどこ行ったんだろうね。よかったら、お……お姉さんたちにも、お母さんを探すの手伝わせてくれないかな?」
「うん……いいよ」
「それじゃあよろしくね……えっと……」
「しぃ」
「しぃちゃん、よろしくね。お……私の名前は、え、えぇーっと……」
流石にそのまま名乗るわけにはいかないし、何か適当にちょうどいい偽名でも……そんなことを考えてると、しぃちゃんはとんでもない事を口走った。
「ママ……」
「ママ!?」
俺だって普通の男子高校生だ。
ママと呼ばれる事には抵抗があったし、何よりこんな小さい子にママなんて呼ばせてたらただの変態じゃないだろうか!? アイドル白銀あくあ、幼女誘拐で逮捕なんて笑えないぞ!!
「マ、ママはちょっと……」
「じゃあ、パパ」
パ……パパか……うん、まだそっちの方がいいか。
女の姿でパパと呼ばれる事には違和感があるけど、この世界ではそれも珍しくはない事なのかもしれない。
「ふふっ、パパだって」
俺の反応を見て、カノンはクスクスと笑う。
それを見たしぃちゃんは、再びとんでも無いことを口走った。
「お姉ちゃんはママ」
「ふぇっ!?」
カノンは三度顔を真っ赤にした。
流石にこれには俺も顔が熱くなる。きっとカノンのことを言えないくらい俺も顔が赤くなっているんじゃないだろうか。それくらい化粧を施した顔が熱かった。
「え、ええっと、それじゃあ、しぃちゃん、しぃちゃんの本当のお母さんを探そうか」
「うん!」
俺はしぃちゃんが再び迷子にならないように手を繋ぐ。するとしぃちゃんはもう片方の手をカノンに差し出す。
カノンは俺と繋いだ手を離すと、しぃちゃんの小さな手を優しく握り返した。そしてそのまま、優しげな声でしぃちゃんに話しかける。
「しぃちゃんは何歳?」
「6歳……この前、年長さんになったばかりなの」
「そっかぁ、幼稚園は楽しい?」
「うん……ママは、楽しい? しぃ、邪魔じゃない?」
「楽しいわ。それにね……」
カノンは身を屈めて、しぃちゃんに顔を寄せる。
「しぃちゃんのおかげでね。ママ……今すごく、パパにドキドキしてる」
「しぃのおかげ?」
「うん、しぃちゃんのおかげ。やっぱりパパしかいないって再確認しちゃった」
残念ながら周囲の音がうるさくて、カノンとしぃちゃんが何を喋っているのか、その内容までは聞き取れなかった。でも、二人がこそこそと内緒話している姿は可愛くて、いいなって思ったし、なんだか本当の親子のように見えて心が安らぐ。
「あらぁ、仲の良さそうな親子ねぇ」
俺たちの姿を見た誰かがそう呟いた。
それを聞いてしまった俺とカノンの顔がより一層赤くなる。
これはまずい、一刻も早くしぃちゃんのお母さんを探してあげないと、俺たちの方が先にやられてしまう。
俺とカノンは、とりあえず迷子の受付をしている本部に向かう事にした。
「あ……」
しぃちゃんは空を見上げると目を輝かせる。
俺たちもそれに釣られて空を見上げた。
すると大きなドーンという音と共に、綺麗な夜空に花火が次々と打ち上がっていく。
星空という名のキャンバスに描かれた儚くも幻想的な彩りに俺たちは目を奪われた。
空を見上げてぼーっとしていた俺の手をしぃちゃんがくいくいと引っ張る。
「パパ、抱っこ」
あぁ、そっか、しぃちゃんの身長じゃちょっと見えづらいか。
俺はしぃちゃんを肩車した。
「おおー! パパ、花火、しゅごい!!」
「うんうん、そうだね」
空を見上げたしぃちゃんは、花火の美しさに興奮してキャキャっと声を出していた。
しぃちゃんは、さっきまでまだ少し不安そうな顔をしていたが、それを一瞬で笑顔にするなんて、すげぇよな花火って。俺もアイドルとして負けてられないなと、花火を作った職人さんたちに対抗意識を燃やす。
「わぁ……」
隣に視線を向けると、カノンも夜空を見上げてうっとりとした表情を見せていた。
なんだか花火にカノンを取られたみたいで悔しくなった俺は、カノンの空いていた手をぎゅっと掴む。
「え……あ……」
流石にちょっと子供っぽかったかと反省したが、カノンは花火ではなく俺の顔を見つめてまた顔を赤くしていた。
これが嫉妬ってやつなのかな。それとも独占欲ってやつなのか? カノンの表情を見て、改めてカノンにそういう顔をさせるのは俺だけでいいって思った。
「しぃ!!」
俺たちが花火を見上げていると、後ろからしぃちゃんを呼ぶ声がした。
声の方へと振り向くと、頭の上のしぃちゃんが大きな声を出す。
「お母さん!!」
俺はその場に屈むと、ゆっくりとしぃちゃんを地面に下ろす。
「よかった、ごめんね、しぃ。目を離して……一人で心細くなかった?」
「ううん。パパとママが一緒だったから寂しくなかったよ」
しぃちゃんのお母さんは俺たちの方に視線を向けると、立ち上がって深く頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしてしまってすいません。私が目を離したから……」
さっきの憔悴したお母さんの顔を見てたら、どれだけしぃちゃんの事が心配だったのかすぐにわかった。
「気にしないでください。それよりもよかった、お母さんが見つかって。ね、しぃちゃん」
人間誰しもが常に完璧なわけじゃない。どっかで集中力が切れて、子供から目を離してしまう瞬間だってあるはずだ。そういう時に、気がついた他の人がカバーしてあげられたらいいなと俺は思ってる。そういう優しい世界なら、きっとみんなが幸せなんじゃないかなと思う。少なくとも俺はそういう世界に住みたいと思った。
「ありがとう、パパ、ママ」
「本当にありがとうございました!!」
俺とカノンは手を振って、しぃちゃん親子を見送った。
そして俺は、カノンに頭を下げる。
「ごめん、せっかくのデートだったのに……」
「ううん、すごくよかった。私、今日ここにこれて本当に良かったと思ってる……だから、ね。またデートしてくれたら嬉しいな」
「もちろん。俺で良かったら、また二人でどこかに行こう」
空に打ち上がった花火の音が大きくなる。時計の時刻を見ると、花火の打ち上げ終了時間まで20分を切っていた。
ペゴニアさんからは、花火が終わる少し前、10分前に所定の場所に迎えに来るからと聞いている。
つまりこのデートもあと数分、いや、移動の時間を考えるともうここから移動しなくてはいけなかった。
そう思うと、胸が苦しくなる。
俺とデートしたいと言ってくれたカノン。
デートしたいという事は、少なくとも俺のことをほんの少しは異性として見てくれているのだとは思う。
でも俺は、そんな彼女の本当の気持ちが知りたかった。
「カノン、嫌だったら、遠慮なく突き飛ばしてくれていいから」
「え?」
俺はゆっくりとカノンに顔を近づける。俺が何をしようとしているのか気がついたカノンは、ゆっくりと目を閉じて俺の胸に手を置く。そしてほんの少しだけ、俺に向かってつま先立ちをするように背筋を伸ばした。
もうここまでくればお互いに余計な言葉はいらない。
カノンの背中に手を回した俺は、その柔らかな唇にそっと自らの唇を重ねる。
みんなが花火を見上げる中、俺たちは、たった二人だけの空間でほんのりとりんご味のするキスを交わした。
「あくあ様……」
「二人の時は、あくあって呼び捨てで呼んでほしい」
「は、はい……あ、あくあ」
もう何度目かもわからない。
俺のことで顔を赤くした彼女の体を、ぎゅっと抱きしめた。
今になって思うと、俺はおそらく最初に会った時からカノンに一目惚れしていたのだと思う。
だけど彼女は王女殿下で、おそらく俺と結ばれることはない。
俺がエスコートする時も、母さんや阿古さんはそういう話をしていた。
だから自分の中で、好きになっちゃいけないと一線を引いていたのだろう。
俺は自らのこの感情を無かった事にして、カノンからのデートのお誘いから逃げ続けていたのだ。
『あくあ様は……もしかしたらですけど、誰かと深い関係になる事に対して一歩引いてしまっているのではないですか?』
俺が倒れた時、お見舞いに来たカノンが俺に言った一言は、俺の中の核心をついてきた。
王女だから、アイドルだから、そんな言い訳はもういらない。
それに気付かされた瞬間、俺は自らが最初に抱いたカノンへの感情を素直に認めることができた。
そして今日、改めてカノンと一緒に過ごしてみて、すごく楽しいと思った。
何度も俺に対して顔を赤くしてくれたカノンを見て、同じだけ俺の心が締め付けられた。
ちょっとした仕草が愛おしいと思った。
しぃちゃんにすぐに気がついて、優しく話しかけていたカノンの姿を見て、もっと好きになってしまった。
俺はこの国のただの庶民で、アイドルだ。
カノンは違う国の王女様で、俺とは身分が違う。
この恋は報われないものなのかもしれない。
いつの日か、カノンは自分の国に帰って、誰かきっと、俺ではない誰かと結婚してしまうだろう。
そんな事は、きっとお互いにわかってる。
それでも俺たちは、今この瞬間、お互いの気持ちを確認せずにはいられなかった。
「おかえりなさいませ、花火大会は楽しかったですか?」
「はい。ペゴニアさん、今日はありがとうございました」
あのあと、もちろんホテルに行くわけでもなく、俺たちは迎えにきてくれた車に乗ってカノンが住んでいる家に帰ってきた。迎えにきたペゴニアさんが少し残念そうな顔をしていたのはきっと気のせいだろう。
俺とカノンは車内でもずっと手を握ったままで、お互いにあまり会話を交わすことはなかったけど、何度も車内で視線があって、そのたびにドキドキした。
「今日はありがとうカノン。良かったら、また今度、二人でどこかに行こう」
「はい。次のデート、楽しみにしていますね。あくあ」
カノンと次の約束を交わした俺は、一人、タクシーに乗って家に帰る。
さっきまですぐ隣にカノンがいたせいか、触れ合った肩に重みがなくて寂しさを感じてしまう。
その寂さを紛らわせるかのように、俺はタクシーの窓から外の景色を眺めた。
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