白銀あくあ、天鳥阿古の願いを知る。
俺がお休みを満喫しているその一方で、とあと黛、天我先輩の3人は事務所に出社していた。ベリルの出した求人に想像を超える応募があったみたいで、その書類選考に人手が足りなかったから手伝うらしい。本当は俺も手伝おうとしたのだが、なぜか三人に断られてしまった。
「あくあはなんか騙されそうだから、やめといた方がいい気がする」
「後輩は警戒心がないからな。こういうのは向いてないんじゃないか。まぁ、我に任せよ」
「白銀、休むのも仕事のうちだと僕は思うぞ。こういうことは天鳥社長達や僕達に任せておけばいい」
みんな、なんかひどくない!? 特にとあはもう完全に遠慮がなくなっている気がする。
俺は、近くにあった書類を手に取って、その中から吟味した一枚を取り出す。
「この人なんかどうよ!」
大手商社勤務、32歳、書類に書かれていた文面を読むとすごく真面目そうな感じの人だ。
3人は俺が差し出した書類を疑いの目で覗き込む。
「……この女の人、やばい匂いがする。目でわかるよ」
「我もわかるぞ。最初は普通に優しいが……油断した隙に2人きりになるとってパターンだな」
「そもそも、経歴のところに違和感がある。詐称をしてないかチェックする必要があるな」
うん……まぁ、そういうこともあるよな。
今回はたまたまだと自分に言い聞かせた俺は、他の書類の山を手に取ってパラパラとめくる。
次は失敗するわけにはいかないと、真剣な眼差しでさらに厳選して珠玉の一枚を取り出した。
「そんなことを言うならこれでどうだ!!」
俺が次に差し出したのは大手広告代理店勤務、29歳の女性だ。
3人は俺が差し出した書類を剣呑な目で覗き込む。
「いや、これはもっとないよ。不自然に瞳孔が開いているし明らかにやばいじゃん」
「後輩よ……人には向き不向きというものがある。こういうものは我たちに任せておけ、な?」
「どこかで見た顔だと思って検索したが、過去に男性への誘拐未遂容疑で捕まってるな」
ぐぬぬぬ……。俺はがっくしと肩を落とした。
「なんかね。僕、あくあの事が改めて心配になったよ」
「うむ……後輩が変な女の人に騙されないといいのだが……」
「白銀、学校では僕の側から離れるなよ」
あの時の俺を見つめる3人の目を忘れる事はないだろう。
そんなわけで、俺は家族と共に久しぶりのちゃんとした休日を楽しむ事ができた。
帰りに温泉まんじゅうを買った俺が事務所に差し入れしに行くと、みんなひどく疲れた顔をしていたからよっぽど大変だったんだろう。やっぱり次回からは俺もちゃんと手伝おうかな? あれはきっと疲れてたのもあって、たまたま変なのを引いてしまっただけなのだと思いたい。
そういうわけでみんなのおかげでリフレッシュする事ができた俺は、阿古さんと一緒に、今日のイベントが行われるスタッフさんが運転するバンに乗って、都内のとある場所へと向かっていた。
「そろそろ到着するので、降りる準備をしておいてください。裏口につけます」
「はい、わかりました」
俺は念のために、パーカーを目深くかぶる。
アイドルの、アイドルによる、アイドルのための祭典、全てのアイドルとそのファンのために行われるイベント、アイドルフェスティバル。本来であれば俺がこのフェスに参加することはなかった。
4月の時点で出演の枠は全て埋まっていたが、その中の1つのグループが複数の不祥事によって活動を休止してしまったからである。なんでも14歳のメンバーが深夜に男性宅の近所を徘徊したりとか、16歳のメンバーが男性とすれ違いざまにわざと体をぶつける、連続タックル事件なるものを起こしたりとか、最年少の12歳のメンバーが、変なものが入った飲料物を知り合いの男性に飲ませようとしたからだとか、そんな事件が芋づる式に出てきたからだそうだ。
テレビでも連日、取り上げられていたが、決め手になったのは18歳から24歳までの3人のメンバーが起こした男性への監禁事件である。なんでもショッピングモールのイベントの最中に、お客として買い物に来ていた40代や50代の男性を楽屋やトイレに連れ込んだのだとか……それって逮捕されるの逆じゃないの? って思ったのは、きっと俺だけなんだろう。スキットの佐藤アナなんて、朝からカチキレしまくってた。
ちなみに事件を起こした女の子3人も、他の事件を起こした女の子も普通にテレビで顔出てたけど、見た目は普通に可愛かったです……。
そんなことを考えていると、俺たちの乗っていたバンが停止した。おそらく目的地に着いたのだろう。
「こっちです!」
車から降りた俺と阿古さんは、待機していたスタッフさんに案内されて資材の搬入経路を通って控室へと向かう。
あらかじめ人払いをしていたのか、すれ違う人はほとんどいなかった。
「こちらが白銀様の控室になります。すぐに運営スタッフが打ち合わせに来るのでしばらくお待ちください」
控室の扉を開けると、見知った顔が自慢のひげを撫でながら椅子に座っていた。
「遅かったな、待ってたぞ」
アイドル白銀あくあの音楽プロデューサーことモジャさんだ。
モジャさんには夏コミの時もベリルステージで手伝ってもらったが、今回も曲の構成などに手を貸してもらっている。俺はモジャさん、阿古さんと一緒に、フェスのスタッフの人たちと打ち合わせをして予定に変更がないことを伝えた。
最終確認の打ち合わせをした後は、衣装を着替えて、メイクとヘアセットをしてもらう。
ちなみに今日のステージのアートディレクションや衣装は、コロールのデザイナーであるジョンが携わっている。
「あ……」
控室のテレビに視線を向けると、ちょうどステージで歌っているアヤナの姿が映し出されていた。
アヤナは努力家だから歌もダンスのクオリティも高い。それに仕事に対して一切の妥協をしない姿には、同じプロとしては励みになる。俺も負けちゃいられないなと気合が入った。
「そろそろね」
時計を見た阿古さんは、緊張した表情を見せる。
俺は席から立ち上がると、阿古さんの前に立った。
阿古さんは不思議そうな顔で首を傾ける。
「あくあ君……?」
最初、阿古さんと出会った時、俺はこんなことになるなんて想像していなかった。
バイトに入った喫茶店で阿古さんと知り会ったから、森長の撮影で俺に声をかけてくれたから、俺はこうやってここに立つことができている。
「阿古さん、俺をここまで連れてきてくれてありがとう。阿古さんはたまたまだって言うけど、あの時、阿古さんが俺に声をかけてくれたから俺は今日ここに立っています。だから……今日のステージ見ててください。いえ、今日だけじゃありません。これからも、この先も、ずっとずっとアイドル白銀あくあの事を見ててください」
この前の夏コミでのステージを経験して、改めて俺は多くの人に支えられているんだなと実感した。でも、そのきっかけを作ってくれたのは、あの時、あの瞬間、俺に声をかけてくれたのが阿古さんだったから、俺は今日ここに立っているんだと思う。
アイドルになりたい、その夢を叶えてくれた阿古さんに俺が何をお返しできるのだろうか?
そう考えた時、俺にできることはアイドルとして、みんなを幸せにするその瞬間、それを誰よりも近い場所で阿古さんに見てもらうことなんじゃないのかと思った。
「阿古さんは約束通り俺をアイドルにしてくれた。だから今度は俺がお返しする番です。アイドル白銀あくあが誰かを幸せにする瞬間、それを誰よりもそばで見ててくれませんか?」
俺の言葉に瞳を潤ませた阿古さんは、手の甲でそっと目元を拭う。
そしてゆっくりと唇を開いた。
「あくあ君……あくあ君は、アイドルをすることで誰かを笑顔にしたいって言ってたよね?」
俺は無言で頷く。
「あくあ君、私はね……天鳥阿古は、アイドル白銀あくあをナンバーワンのアイドルにしたいと思ってる。だって、そんな素敵な景色を特等席で見させてくれるのよ。それだったらもっと見晴らしのいいところで見たいと思わない? 私ね、あくあ君が頑張っている姿を見て、アイドル白銀あくあを一番にしたいと思った。一番とか二番とかに意味はないのかもしれないけど、私は目標に向かって努力する貴方を見て、一番を目指すことに意味があるんじゃないのかとそう思ったの。ねぇ、あくあ君。貴方の一番最初のファンである私を笑顔にしたいのなら、この国一番、ううん、この世界で一番、この宇宙で一番のアイドルになってくれる? それが私の、そう、天鳥阿古のたった一つの願いよ」
阿古さんは俺に向かって手を伸ばす。
俺は阿古さんの手を取ると、握手した手を包み込むように両手でぎゅっと握りしめる。
「約束するよ阿古さん。阿古さんがそれで笑顔になってくれるのなら、その願い、俺が絶対に叶えてみせる」
「ふふっ、ありがとう、あくあ君」
俺が阿古さんと見つめあっていると、コホンというわざとらしい咳払いの音が聞こえてくる。
その音の方に顔を振り向けると、モジャさんが席から立って髪をぽりぽりと掻いていた。
「おいおい、ちょっと待てよ。水を差すようで悪いが、俺がいることも忘れてもらっちゃ困るぜ」
モジャさんは俺たちの繋いだ手の上に自らの掌を重ねる。
「それに、今は、他にももっといるだろ? これは今日来れなかったそいつらの分だ」
モジャさんはさらにもう片方の手も上に重ねる。
これはきっと、今日来れてない、とあ、黛、天我先輩の分なのだろう。
俺たちは再び顔を見合わせると、三人を代表して阿古さんが口を開く。
「今日のステージ、絶対に成功させるわよ!」
「「おおっ!」」
気合を入れ直した俺たちは、控室から出てステージの裏へと向かう。
情報を伝える人間を最小限にしていたのだろうか、すれ違ったスタッフの人たちの何人かはびっくりした表情を見せていた。
「ステージの方は既に準備できてます。いつでもいけますよ」
俺は受け取ったマイクを使って軽く発声練習する。
最初に俺が歌う曲は、とあが作曲してくれた曲、HOT!HOT!HOT! OVER Limitだ。
「きゃあっ」
俺の羽織っていたマントの下に着ていた衣装がチラリと見えて、1人の女性スタッフが卒倒した。
ジョンがデザインしてくれたこの服はすごく前衛的で、着ている俺もぶっちゃけ少し恥ずかしい。
いくら夏とはいえ、脇腹や肩の生地がなかったりするのは如何なものか。
心なしか、阿古さんにもスッと視線を逸らされてしまった。
「い、行ってきます!」
「う、うん、頑張ってね」
居た堪れなくなった俺は、阿古さんとモジャさんに挨拶するとそそくさと舞台袖へと向かう。
パネルの隙間からちらりと外を見ると、お客さんの数はまばらだった。
HPにもシークレットゲストとしか書かれていないし、誰が出るかわからないんじゃ、まぁそんなものなのかなと思う。ましてやここはサブステージ、大体のお客さんはメインステージのある方へと向かっているはずだ。
だからこそ余計に心が燃える。俺はサブステージだからといって、メインステージに負けるつもりなんか一切ない。阿古さんを笑顔にするために、俺は最高のステージでお客さんの心を掴んでみせる。だからこの曲を最初にセレクトした。
俺は近くにいたスタッフさんへと視線を向ける。
「行きます」
俺の合図と共にステージに曲のイントロが流れる。
さぁ、ここからは俺の、アイドル白銀あくあのステージだ。
既に心の準備は整っている。俺は舞台袖からステージへと一歩を踏み出した。
本日は2回更新します。次回は21時です。
ツイ垢です。主に更新日時などを連絡しています。
https://mobile.twitter.com/yuuritohoney




