深雪ヘリオドール結、過去の自分にさようなら。
本日3度更新します。これは1本目。
その日、私は友人である桐花さんに誘われて、夏コミというイベントに初めて来ていた。
森長のブースで無事目的のものを二つ確保した私は、道すがら会場のテーブルへと視線を向ける。
「茄子天とおうどん……これは一体何の本なのでしょう?」
謎の本を売っていたところには、すごい列ができていました。私はそれを横目に眺めながら目的の場所へと向かう。
残念なことに、ベリルブースの入場券に当選することは叶いませんでしたが、展示場の外には少しでも音漏れを拾おうと多くの人が詰めかけています。幸いにもスタッフの人たちが展示場の窓や扉を全部開けて、外にいる人も音が聞けるように配慮してくれていたり、暑さ対策にテントを張ったり座席を置いたりしてくれました。
展示場の中にいる人には気がついてないかもしれませんが、実は会場のある施設の外の一般道路まで多くの人で溢れています。警察も危険だと判断したのか、周辺の道路がしばらくの間、完全に封鎖されました。
「それじゃあ最後に、僕からみんなに向けて一曲歌いたいと思います」
タブレットの中の、あー様こと、シロくんはステージの中央に立つ。
どうやらあー様の友達もライブに参加するのか、それぞれが楽器の置いてある場所へと向かった。
「は? まさか全員で一曲やるの?」
「おい……もう死ぬ未来しか見えないんだが?」
「とあちゃんドラムしてるのに、たまちゃんどうするのさ?」
「シンセサイザーだからたまちゃんのところは自動演奏じゃない? うまく考えたよね」
「一番ちっちゃな子がドラムとかまじやば、そこで男らしさ見せつけてくる?」
「天我様ギターできるのやばい、かっこいい!」
「あああああアキラくんのルックスでギターやめて、私に刺さる」
「黛くんがベースなのね、頑張れえええええ」
「マユシンくん緊張してそうだけど大丈夫かな? 見てる方がハラハラする」
周囲の人たちもみんな携帯やタブレットの画面に食い入るように見つめています。
まるでその瞬間を待つように、夏のじわじわとした暑さにも勝る熱気が中心のステージから外に広がっていく。
「みんな準備はいいかな?」
シロくんの声に応えるように、外からも大きな雄叫びをあげる。
「作曲、猫山とあ、天我アキラ、作詞、黛慎太郎、stay here行きます」
ステージのスポットライトが5人に集中する。
まずはたまちゃんの軽快なシンセサイザーの音から始まると、それにとあくんの力強いドラムの音が重なっていく。
「僕は君に何度も酷いことをした。だから変わらなきゃいけないって思ったんだ」
まるで最初からそこにあったかのように、天我くんと黛くんのギターとベースの音が加わる。
ポップだけどそれでいて切ない、あくまでもシロくんの声がベースだが、あえてそこから少し背伸びしたような歌声に胸の奥がキュンとした。
「君の代わりなんて、世界のどこを探したっていない。だから僕から離れないで」
歌の歌詞が、私が自ら歩んできた人生にゆっくりと重なっていく。
「間違って、悔やんで、また間違った行動をする。そうして僕は君の時間を奪ってしまった。僕は君がどれだけ僕のことを考えてくれていたのかをわかっていなかったんだ」
この曲は……今まで男の子に期待して、それでも裏切られて、期待をすることをやめてしまおうとしている女の子達に向けての曲じゃないでしょうか。
「僕はもう終わりだよ。君がそばにいてくれないなんて考えたくもない」
世の中の全ての女の子に、まだ男の子の事を諦めないでほしいと、そう訴えかけられているような気がしました。
「僕は君に何度も酷いことをした。だから変わらなきゃいけないって思ったんだ。君の代わりなんて、世界のどこを探したっていない。だから僕から離れないで。僕は君に取り返しのつかない事をしたかもしれない。だから謝らなきゃいけないって思った。だって、君の代わりなんて、世界のどこを探したっていない」
サビで何度も繰り返されるメッセージに胸の奥が苦しくなる。
果たして本当に期待していいのだろうか? あー様は違うってわかっているのに、過去のトラウマが心に深くしがみついて、また裏切られると耳元で囁いてくる。信じたくても信じられない、でも信じさせてほしい。矛盾した感情が心の中に嵐のように吹き荒れる。
「だから僕を待っていて!」
最後の力強いメッセージに、みんなの視線が吸い寄せられる。
5人を照らしていたスポットライトが一つに収縮していく。
きっとくるだろうなって、みんなわかっていたと思う。それでも……たとえ、そうだとしても、みんなが……ううん、私が、貴方がここにきてくれることをずっと待っていた!!
「やっと君を捕まえることができた。この手で君に触ってもいいだろうか? 君のおかげで俺は愛に気付かされた」
ステージの中央、あー様の登場とほぼ同時に、悲鳴にも近い歓声がこの会場を、施設を、いえ、この国全体を包み込むように広がっていく。それと同時に白いサイリウムの光で会場が埋め尽くされた。
「俺は君のことを信じることができなかったんだ。今までの関係を崩したくないから怖くて一歩を踏み出せなかった」
それは私も同じだ。ずっと恋なんてできない。私なんかが誰からも好かれるわけがないとずっとそう思っていた、ううん思い込んでいたの。だから、私はあー様との今の関係を崩すのが怖くて怖くて前に踏み出すことができなかった。歳だって離れてるし、私みたいな出来損ないがあー様と結ばれるなんてやっぱりダメだって……。でも、でも……許されるなら、私だって一歩前に踏み出したい。一度でいいから全力で誰かのことを好きになりたいと思った。たとえそれが失敗に終わったとしても、その恋はきっと自分の生きる糧になってくれる。
「君は俺のせいで前を進むことをやめてしまった。1人取り残された君をみて俺はこのままじゃダメだって思ったんだ。だって君には俺が必要だろ? だからベイビー、俺のそばにいてくれ」
ここにいる女性たちが、中継を見ている多くの女性たちが、きっと同じことを思ったはずだ。
そんなの必要に決まってるじゃないと! ねぇ、あー様、今まで貴方に、ううん、今も貴方に、どれだけの女の子が救われているか知っている? ここにも、貴方に救われた女の子が1人いるんだよ。
「俺は君に何度も酷いことをした。だから変わらなきゃいけないって思った。君の代わりなんて、世界のどこを探したっていない。だから俺から離れないで。俺は君に取り返しのつかない事をしたかもしれない。だから謝らなきゃいけないって思った。だって、君の代わりなんて、世界のどこを探したっていない」
今、私はどんな顔をしているのだろうか? とめどなく流れる涙と、緩んだ表情筋、タブレット端末に反射した私の顔は笑っていた。泣いているのにこんな自然な笑みが溢れるなんて、少しは笑顔の練習をした甲斐があったのかなぁ?
「だからそこで待っていて、俺が君を迎えに行くから!!」
軽快でいて爽やかなポップスに、アップテンポなダンス、でもその中にほんの少しの切なさというスパイスがある。それがどうしようもなく心を締め付けた。曲の終わりに、あー様が私たちに向けて手を差し出す。その手を掴もうとみんなが手を伸ばした。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ わだしっ、わたじっ、もう絶対にあー様にづいでぐ!!」
「よがった、よがっだね、わだしたち、ここにきで、よがった……」
「そっか、私たち、まだ……諦めなくていいんだ」
「今度こそ、今度こそ信じていいんだよね? もう裏切られたりしないよね?」
「白龍先生……今までリアリティがないとか言ってごめんね。リアルの男の子はもっとすごかったよ……」
「はは……やっぱ、あくあ様はすごいよ。一瞬で女の子の心、全部持ってくんだもん」
「マユシンくんの歌詞、めちゃくちゃ刺さったよ……こんな素敵な歌詞を書いてくれてありがとう、あーくんにピッタリの歌詞を書いてくれてありがとう……!」
「とあちゃんと天我くんの曲も良かったよ。今だって、心からちゃんと笑えてるのは、この軽快なリズムのおかげだと思う。泣いてないで笑ってよって言われてる気がする」
「ありがとうあーくん、ありがとうシロくん、ありがとうたまちゃん、ありがとうとあちゃん、ありがとう黛くん、ありがとう天我先輩、ありがとう阿古社長、ありがとうベリル……このイベントに携わった全ての人にありがとう!!」
至る所からありがとうという感謝の言葉が聞こえる。わたしも震える声で何度もありがとうと叫んだ。
「みんな、ありがとう! 改めて、ベリルエンターテイメント、アイドル部門所属の白銀あくあです。本当はここで終わりだって阿古さんから言われてるんだけど……なんかね……みんなも、もう一曲くらい、いいよね?」
あー様は、私たちに向かってマイクを突き出すと、舞台袖の方へと視線をチラリと向ける。おそらくそこに阿古社長か関係者の誰かがいるのだろう。
「お願いしまぁぁぁああああす!」
「阿古社長、スタッフさん、お願いします!!」
「嘘でしょ!? まだもう一曲聞かせてくれるの?」
「うわぁぁぁあああああああああ!」
「アンコール! アンコール!」
「「「「「アンコール! アンコール!!」」」」」
私も空に向かって何度も声を張り上げた。こんなに大きな声を出したのは子供の時以来かもしれません。
会場の中からも、そして施設の外からも声が重なって、一際大きな一つの声になっていく。
声が枯れるほどのアンコール、あー様はインカムに手を当てて、舞台袖の方に向けて小さく頷いた。
そして再び、マイクを自分の方へと向ける。
「それじゃあ最後に一曲、皆さん、花さく貴方へ、というドラマを見たことがありますか?」
「「「あるー!」」」
「ありがとうー!」
「「「「「私たちの方こそありがとう!!」」」」」
「そのテーマ曲、乙女色の心を歌いたいと思います! 良かったら聞いてください!!」
「「「「「「「「「「わぁぁぁああああああああああ」」」」」」」」」」
乙女色の心は、さっきの曲と違ってすごく大人の曲だ。
初めてテレビで披露された時よりも、はるかに色気が増したあー様の声に、私の心がワイングラスのように揺らされる。さっきまでのテンションが嘘のように、周りにいた女の子たちはまるで初心な乙女のように顔を真っ赤にした。
「この歌……生歌やばすぎでしょ」
「えっ、えっ? この曲、こんなに色気のある曲だっけ」
「どうしよう、まるで隣にあくあ様がいるみたい」
「歌詞があくあくん仕様に微妙にアレンジされてるの、絶対にマユシンくんのせいでしょ」
「天我先輩のギター、エロすぎ……ずっと指先見れる」
「とあちゃんドラム叩いてる姿、急に男の子の顔しないで、こんなの意識しちゃうよ」
「やばい、歌だけで孕みそう、ワンチャン、妊娠するかも……」
言いたいことはいっぱいあったけど、もう声にならなかった。それくらい胸がいっぱいになって、切なくて苦しくて愛おしくて……この感情に何か名前があるのなら教えてほしい。
あー様は、乙女色の心を最後まで歌い切ると、会場に向かって叫ぶ。
「みんなー! 今日は最後までありがとう!!」
あー様は近くにいた天我くんとグータッチをすると、黛くんとハグして、とあくんとはハイタッチした。
その度に、至る所から悲鳴に近い黄色い声が漏れる。
4人は手を繋ぐと、ステージの一番前に出てきて感謝の言葉と共に一斉にお辞儀をした。
「「「「ありがとうございました!」」」」
それに対して私たちも、ありがとうと感謝の言葉を返す。
「またねー!!」
あー様は両手を大きく上げて観客席に向けて手を振る。他の3人もそれに続いて手をブンブンと振った。
「行かないでー!」
「あくあ様、好きー! 大好きー!!」
「愛してるよ、あー様!!」
「マユシンくん応援してるよー!」
「とあちゃーん! 配信見にいくからねー」
「天我! 天我! 天我!」
会場の中や外、本当に至る所から悲鳴に近い叫び声が上がる。
4人はそのまま出ていくのかと思ったが、あー様はポケットから徐に携帯を取り出す。
一体何をするのかと思っていたら、ステージの上で4人は顔を寄せあって自撮りし始める。
なにそれ、仲良すぎでしょ!! そんなことを考えていると、スマートフォンの通知がピロリンと音を鳴らす。
『みんな、今日のライブ見てくれてありがとう!! by 今日はバイクできた!』
SNSには笑顔の4人の画像が添付されていました。それを見て周囲の人たちが、バタバタと倒れていく。
声をかけるべきかとも思いましたが、みなさん一様にいい笑顔で倒れているのできっと大丈夫でしょう。
私は再び視線をタブレットの画像へと戻す。するとちょうど、舞台袖に引っ込んでいくあー様と目があった。
こんなこと、ただの偶然だってわかってる。あー様だって会場かカメラを見ただけで、私を見たわけじゃないってわかってるよ。でも……でも! この心臓の高鳴りを止めることはもう不可能だ。
あー様に、私だけを見てだなんて言わない。でももっと、私のことを意識して欲しいと強く思った。
「一歩を踏み出すことを躊躇っちゃいけない……これだけはもう、後悔したくないから」
職権乱用? 公私混同? 大いに結構。私はもう我慢することをやめる。ずっと担当官としてあー様の傍にいられれば、それだけで幸せだって自分に嘘を吐き続けていた。
でもそれは自分の本心なのだろうか?
ううん、そうじゃない!
諦めてた!
怖かった!
だから自分の心に嘘を吐いた。ずっと嘘を吐き続けていたの。
お母様にもお祖母様にも、お父様にも愛されなかったけど、これだけは諦めたくないって思ったから。
私だって、私だって……!
誰かに……ううん、自分の好きな人に、あー様に、白銀あくあに、愛されたい!!
躊躇って一歩を踏み出せない私とは、今日ここでさよならする。だって、私は、あくあ様が欲しいから。たとえこの想いが報われなかったとしても、挑戦しなきゃなにも得られないし、なにも掴み取れない。欲しいものは掴み取らなきゃダメだって、あー様が教えてくれた。だから私はもう迷わない。
深雪ヘリオドール結、一生に一度の恋、本気で行かせていただきます!!
次回21時に更新です。
Twitter、一気にフォロバしたのがフォロバ上限に何度も当たってスパムと認識されて凍結されたみたいです。
臨時のサブ垢だけど、こっちが本垢になるかもしれません。
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