カノン、ときどき嗜み。
本日2度目の更新です。
あぁ、なんでこんなことになってしまったのでしょう。
「ね、ねぇ……ペゴニア、本当に行くつもり?」
目的地であるあくあ様のお宅の玄関を前にして、私はペゴニアの袖を掴む。
「何を言っているんですか。連絡がないのなら、行動あるのみですよ」
「そ、それならまず電話で……」
「画面の前で白銀様からの着信がない事にため息を吐いて、ろくにメールも送れない乙女が何を言っているんですか?」
「うっ……」
藤百貨店での再会の時に、私とあくあ様は改めてデートをすることを約束しました。
しかしそれ以降、あくあ様のお仕事がお忙しくなられたこともあり、また連絡が疎遠になってしまったのです。
「殿下、私は心配なのです。まさか殿下が恋愛事でこんなにも奥手だったなんて……いつもの殿下でいらっしゃれば、押して押して押しまくってデートの一回や二回、結婚の一回や二回くらいはしてしまわれるかと思ったのですが……」
「け、けっ……そ、そんなの早すぎるでしょ! わ、私たち、まだお付き合いもしてないのよ。それに、結婚式は真っ白なチャペルで大勢の人に囲まれてって! きゃっ、言っちゃった……」
ペゴニアは私の反応を見て、大きなため息を吐く。
なんだか段々と遠慮がなくなってきている気がするのだけど、私の気のせいかしら。
「はいはい、わかりました。それじゃあ押しますね」
「あっ!」
ペゴニアは私の制止を振り切って、あくあ様のおうちのインターフォンを押す。
『はい……』
中から可愛らしい少女のような声が帰ってきました。
一緒に暮らしている妹さんの声でしょうか?
まさかとは思いますが、誰か他の女性を連れ込んでいらっしゃるとか……ううん、大丈夫よ、カノン。例え私の前に誰がいようとも、私が2人目、3人目だったとしても、あくあ様に対する私のこの想いはぶれませんもの。
それにどちらにしろ、あくあ様のような素敵なお方が、お一人の女性とだけ添い遂げるなんてこと絶対にありませんでしょうし。私がいつの日かあくあ様の正妻になれた日には、そういった人たちともいい関係を築く必要があります。お相手の方が捗る並に単純だと御し易いんだけどね。
「事前にご訪問のご連絡をした、スターズのペゴニアです。白銀あくあ様はいらっしゃいますでしょうか?」
事前に連絡? いつの間に連絡なんて撮ってたのかしら……。
『えっ? しょ……少々お待ちください』
声の主は慌てた雰囲気でインターフォンを切る。
しばらくすると、扉が開いて可愛らしい女の子が顔を出しました。
よく見ると目のあたりにあくあ様の面影があります。間違いなくあくあ様の妹さんでしょう。
「どうも、初めまして。私、スターズのペゴニアと申します。そしてこちらが、私のお仕えするカノン・スターズ・ゴッシェナイト殿下です」
「えっ!? カノン様? あっ、あっ、えっと……わ、私、兄様の妹で白銀らぴすって言います。その、よかったら中にどうぞ」
え? そんなすんなりと中に入っていいの? だ、大丈夫なのかしら……。
私がそんなことを考えていると、ペゴニアが小さな声で囁きかける。
「周囲を見てください。例えば隣の家の腰の曲がったお婆さん、一見して畑作業をしているように見えますが、時折こちらに向けるあの視線は間違いなく熟練の戦士そのものです。そして真向かいのお家、二階の窓のうっすらと空いたカーテンの隙間からこちらを窺う女性、あれは間違いなく本物です。まず間違いなく一人はヤっているでしょう。そして、斜め前のお家、空家だと書いていますが、明らかに部屋の中から10人前後の気配を感じます。おそらくはこの国のものたちでしょう。この周辺のお家は、他もだいたいこんな感じですね。だからこのお家は、安全だと思いますよ。さっきもこの区画に入る時に、覆面パトカーと3台くらいすれ違ってますし、外からは見えないように偽装していましたが、明らかに偽装した自衛隊員がいたことから戦車なども配備されているんじゃないでしょうか?」
えっ……ごめん、全然気が付かなかった。
お婆さんは普通に優しそうだったし、斜め前の家って空き家じゃないの?
あとお向かいさんそんな危険そうな人で大丈夫?
「それと……」
ペゴニアは上空を見上げると、ピースマークを掲げる。
「こういうことです」
こういうことって何よ! えっ、ちょっと待って、このお家の空の上に何があるって言うのよ! そこのとこ、ドヤ顔してないで、わからない人にもちゃんと説明して!
「あ、あの……?」
らぴすさんは私たちを見て不思議そうな顔で首を傾ける。
そりゃそうよね。空に向けてピースとか明らかに不審人物だもの……。
「すみません、失礼致します」
「失礼致します」
ペゴニアは何もなかったかのように、あくあ様のお家の中へと侵入する。
大丈夫これ? 不法侵入とかになったりしないよね?
私はドキドキする胸の鼓動を押さえつけ、あくあ様のお家の中に足を踏み入れる。
ふぉぉぉおおおおお!
この匂い! この香り! ほんのりとお家からあくあ様の香りがしゅるよぉお。
許されるならこの匂いを、ビニール袋の中に詰め込んで持って帰りたい……。
え? だめ? ペゴニアは私の考えていることがわかっているのか、剣呑な目で私を見つめる。
玄関でミュールを脱いだ私は、あくあ様のものと思わしきお靴の隣に並べた。
あっ……なんか新婚ぽい。この並んだ靴の写真撮っちゃだめ? SNSにはあげずに1人で嗜んじゃうだけだからいいよね?
そんなことを考えていると、ペゴニアにさっさとくるようにと袖を引っ張られた。
「こちらの部屋へどうぞ」
リビングに通されると、さらにあくあしゃまの匂いが濃くなった。
ご家族の人たちは、こんな空間で生活してよく正気でいられるなと思います。
流石はあくあ様のご家族ですね。このご一家には、精神耐性でもついているのでしょうか?
私なんて、この喜びをダンスで表現したいと思っているほど浮かれていますのに……。
「ところでその、本日はどういったご用件で?」
らぴすさんは、私たちの前に飲み物を置くと、目の前の椅子に座った。
はぁ……かわいいなぁ、私があくあ様と結婚したら、お姉ちゃんって呼んでくれるかなぁ。うん、いいかも。
お姉さんのしとりさんは見たことあるけど、らぴすさんの方があくあ様の雰囲気に近い気がします。
「まず最初に、度重なる両国の友好イベントへの白銀あくあ様のご協力に対して感謝を申し上げます」
「あ、ありがとうございます……」
あくあ様は今までに、ランウェイのお仕事、藤百貨店の美術サロンで開催したイベントのご紹介、そしてこれから行われるフェスのゲスト出演と、スターズに関連したイベントの出演が多いです。お礼を言うのは当然のことでしょう。
「今回の件につきまして、女王陛下から白銀あくあ様への勲章の授与が打診されております。私たちがご自宅にお伺いしたのは、ぜひとも勲章の授与をお受けしていただきたく、こうして白銀あくあ様ご本人に直接お願いを申し上げに参った次第でございます」
へぇー、そうなんだぁ……って、ちょっと待ってよ! 私、王女なのに全然聞いてないんだけど!?
これはきっとお母様かお父様か叔母さまたちか、誰かがきっと動いたに違いありません。
以前も先走った我が国の大使館があくあ様にご迷惑をおかけしてしまったし、もうそっとしておいてって言ったのに……。これは、後で誰が動いているのか、ペゴニアを問い詰めて大元を調べる必要があるわね。
「そ、そうですか。でも、すみません……兄は風邪をひいてしまって、今は部屋で休んでいるんです」
え? 嘘……風邪なんて、あくあ様は大丈夫かしら。こんなことなら、侍医を連れて来ればよかったわ……。
もしくは外務省を通して、この国の最高のお医者様を用意してもらいましょうか?
私がそんな事を考えている隣で、ペゴニアは細めた目を鋭く光らせると、わざとらしいオーバーリアクションを見せた。
「まぁ! それは大変です。よろしければ是非ともお見舞いさせてください!!」
「え? でも……」
「白銀あくあ様は我が国にとって大恩人、何かあっては我々の責任問題になります!!」
「あ……ぅ……」
「ご無事であることを、確認したらすぐに帰りますから、一目だけでも、ね、ね?」
「あっ……あっ……」
うわぁ……ペゴニアったら、相手がまだ子供だと思って本当に大人気ない。
でも流石にこれではらぴすさんが可哀想です。私はペゴニアを嗜めるように、将来の義妹になる予定のらぴすさんにそっと助け舟を出した。
「ペゴニア、あまり無理を言ってはいけませんよ」
ペゴニアは、私がらぴすさんに助け舟を出したことに対して、余計なことをという顔をする。
もう! 貴女の主人は一応私なんですよ。それに、らぴすさんの瞳の美しさはあくあ様と一緒で、いじめられているのを見ると、なんだか可哀想に見えるんだもん。仕方がないでしょ。
「殿下……」
らぴすさんと目があった私は微笑みを返しておく。
「あ、あの……殿下、よかったら兄のことをお見舞いしていってください。殿下との話は、兄から少しは聞いてますから……」
「ふふっ、それでしたら、お言葉に甘えて……」
私は至って平然を装う。しかし心の中は穏やかではなかった。
え? 待って、あくあ様が私の事を家族に話してる? それって、えっ、えっ、もしかして私と結婚したいとか? そんな……私たちまだお付き合いもしてないのに、結婚のご挨拶なんて早いよ……。ううん、待ってカノン、もしかしたら付き合ってないと思ってたのは私だけで、本当は私の知らない間に、私とあくあ様はお付き合いしてたのかも……。まぁ、やっぱり私たちって両想いだったのね。
そんなことを考えていると、隣にいたペゴニアは余計な一言を囁く。
「きっと普通に、連絡先交換したとか、たまにメールでお話ししてるとか、そういうのだと思いますよ」
もぉーーー! わかってるってば!! ちょっとは夢見させてくれたっていいじゃない!!
「こちらが兄の部屋になります」
らぴすさんはゆっくりと、あくあ様のお部屋の扉を開ける。
その瞬間、濃厚なあくあ様の匂いが私の全身を駆け抜けていく。
あっ、だめ……私、今、あくあ様にぎゅって抱きしめられちゃってる……。
できれば素の私で今の状態を堪能したい!! でもそんなことが許されるわけはありません。
私は自らの願望を抑えるために、理性を高めて必死に痛みに堪えた。
大丈夫よカノン、貴女はやればできる子、そう私はやればできる子。呪文のように自らに暗示をかける。
「兄様は……まだ寝ているようですね」
あ……あああああああああああああああああああああああああ!
あくあ様! あくあしゃま! 生のあくあ様が、私の前で眠ってらっしゃる。
はわわわわわ、このままベッドで眠るあくあ様の隣で寝たら、コウノトリさんがキャベツ畑から赤ちゃんを運んできてくれたりとかしませんか? 私、それくらいなら頑張れるかも。
「あ……」
どこか遠くから電話が鳴る音が聞こえる。
「すみません。電話に出てきますからごゆっくり」
らぴすさんは電話を取るためにリビングの方へと戻っていった。
「流石は白銀あくあ様の妹さんですね。ここまでうまくいくとも思っていませんでしたし、何よりも私たちを部屋に残していくなんて、なるほど、ご近所の方々が包囲網を敷いていらっしゃるのもよくわかります。それと、白銀あくあ様の警戒心が薄いところはご家族の遺伝かもしれませんね」
私はうんうんと頷く。らぴすさんもかわいいなぁ。義理の妹になったら膝の上に乗っけていっぱいなでなでしてあげたい……。
「さて、それは置いといて……って、殿下? ゴミ箱なんて手に持ってどうしたのですか?」
「えっ?」
私は無意識のうちに、あくあ様の部屋のゴミ箱の中を覗き込んでいた。
「殿下……スターズの王女ともあろうものが、好きな男の子のものとはいえ、ゴミ箱の中を漁ろうとするのはどうかと思いますよ」
「ち、違うもん! た、たまたま、ゴミが落ちてたから捨ててあげただけだもん」
セ、セーフ! ペゴニアは胡散臭そうな顔で見ているけど、まだ中を漁ってないからどっからどう見てもセフセフだもん!
私は何もなかったかのように、ゴミ箱をそっと置く。
「殿下……あくあ様の服を手に持ってどうしたんですか?」
「え?」
だって、こんなところに脱ぎ捨ててるのは、どうぞ匂いを嗅いでくださいって言ってるようなもんじゃないの?
ほら、お店に置いてある香水のサンプルみたいな感じのものだと思ったんだけど……。
「殿下、あくあ様の服は香水のサンプルじゃないですよ」
「わ、わかってるし! 脱ぎ散らかしていたから畳んであげようとしただけだもん」
私はあくあ様のジャージを畳んで重ねる。あっ……やばい。今のお嫁さんっぽいかも……。
「殿下って本当に想像力が豊かですよね。たまに羨ましくなります」
「なんか褒めているように思えないんだけど?」
「いえいえ、そんなことありませんよ」
なんだか、あくあ様と最初に会った時以来、ペゴニアと私の距離感がすごく近くなった気がします。
あの時、あくあ様がご指摘してくださったおかげでしょうか? 本来であれば不敬なのかもしれませんが、私としては悪くない気分です。
「ところで殿下、クローゼットの引き出しを開けて何をやってるんです?」
「え? そんなの下着を見ているに決まってるじゃ……あっ」
私は、何事もなかったかのように、あくあ様の下着の引き出しをスッと閉じる。
「殿下、そこまでするなら自分の穿いてる下着を突っ込むとか、下着のトレードするとか」
「そ、そんな淑女としてはしたないことできるわけないじゃない!」
「いや、好きな男の人が眠ってる横で、下着をチェックしている人が言うべき台詞ではないかと……」
「ぐっ……」
だって、下着見たかったんだもん……。
「それで、殿下は携帯を取り出して何をやってるんです?」
「そんなの決まってるじゃない。寝顔を壁紙にして、寝息を録音して後で自分で使えるようにって、ち、ちがうからね。ちがうもんね」
「いえ、まだ何も言ってませんが……」
「ぐぅっ」
もうやだぁ。だって、私だって女の子なんだもん。これでも思春期を迎えた女の子なんだから、ちょっとくらい、いいじゃないのよ。
「そんなしょーもない事をするよりも、さっさと告白してお付き合いしてくださいよ。お付き合いさえしてくれれば、後は私がなんとかしますから」
「え、やだ、告白なんて無理、そんなの振られるのが怖くてできないよ……」
「文句ばかり言って、こんな良い男、自分から言わなきゃ落とせませんよ!!」
「やだったらやだ、付き合う時はあくあ様から告白してもらうもん」
「殿下……妄想と現実を一緒にしてはだめですよ。欲しい男の子がいたらもっと自分からガツガツ行かなきゃ、レッツ、パーリィ、大丈夫、私も一緒にお妾さんにしてもらいますから」
「ちょっと、そこは遠慮しなさいよ!!」
さっきまで我慢してヒソヒソ声で話していましたが、気がつかないうちに徐々に声が大きくなってしまったのでしょうか。あくあ様は寝返りをうって、小さく声を漏らす。
「んん……」
しまった! 起こしちゃったかもと、私たちは慌てて口元を両手で塞ぐ。
でも気がついた時点で時すでに遅し……ベッドで眠るあくあ様の目がゆっくりと開き始める。
私たちは慌てて、ベッドの近くのテーブルの周りへと腰掛けた。
そして、タイミングを見て声をかける。
「あくあ様、お目覚めですか?」
私は何事もなかったかのように、にっこりと淑女の笑みを取り繕ってあくあ様にお声がけした。
ではまた明日。ノクターン版は23時以降に更新の予定です。




