猫山とあ、未来へ。
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僕は卑怯者だ……。
あくあ君と初めて会ったあの日から、僕はずっと彼の事を裏切り続けている。
「ねぇ……君、男の子でしょ」
勇気を振り絞ってあくあ君と外に遊びに出かけた時、あくあ君は知り合いの女の人を助けるために、雑誌の撮影に出る事になった。プロのカメラマンさんに写真を撮られている時のあくあ君のキラキラとした表情に、あの頃の生き生きとしてた自分の姿が重なって見える。
現状から一歩でも前に踏み出したい。そう思ったから僕は、あくあ君との撮影に応じた。でも……その事がきっかけだったのか、写真を撮ってくれたノブさんに、僕は自らが男だということに気がつかれてしまう。
ノブさんは優しい人だから、僕の正体に気がついた後もあくあ君に正体をバラしたりしなかったし、正体がバレた後もずっと僕の相談に乗ってくれた。
「黙っててもとあちゃんが余計に辛くなるだけよぉ。それに……あくあ君なら大丈夫よぉ。あの子の包容力ってきっと半端ないから大丈夫だと思うわぁ」
ノブさんのいう通りだと思った。
でも……秘密を打ち明けようとすると、繭子ちゃんとの思い出が重なって、喉の奥がカラカラと乾いて、冷たい汗が滝のように体中から噴き出るような感覚に襲われた。もし、この関係が変わってしまったら……長らく友達だと、親友だと思っていた繭子ちゃんの豹変した姿がトラウマとなって僕の脳裏にチラつく。
繭子ちゃんとあくあ君は、性別だって違うのに……それでも拭えない何かが棘となって僕の心を締め付ける。
「猫山……無理しなくていいんだぞ。僕も白銀には黙ってるから、お前が一人で気に病む必要はないんだ」
そう言ってくれたのは僕のもう一人の同級生、黛慎太郎君だった。
黛君は事前に同級生の名簿を見ていたから、直ぐに僕の正体に気がついたらしい。優しい黛君はあくあ君に黙っていてくれただけじゃなくって、もしバレても、一緒に謝ってくれると言う。僕は黛君を共犯者にしてしまった事を申し訳なく思った。
それから何度も、何度も、僕はあくあ君に自らが男である事を打ち明けようとしたけど、その度にあの時のことがフラッシュバックして、前に進もうとする体がすくんでその場から一歩も動けなくなる。
「おにぃはさ……どうしたいと思ってるの?」
妹のスバルは、僕の目を見てそう言った。中学2年生のスバルは、目つきが少しつり目なだけで僕とそっくりの容姿をしている。でも今のうじうじとした僕とは違って、サバサバとした性格ではっきりと物事をいうタイプだ。
「でもね、おにぃ、これだけは覚えていて欲しいの。たとえ、おにぃがどういう選択をしようと、私はおにぃの妹で家族だから……だから、一人になったとしても孤独だなんて、そんな悲しいことを思っちゃ嫌だからね」
スバルの言葉に僕はこのままじゃだめだと僕は奮起する。
Vtuberとしての活動を始めたのも、配信という形で皮を被れば、女の人とも普通にお話しできるんじゃないかと思ったからだ。繭子ちゃんとのトラウマを乗り越えるためにも、まずは女の子に対して以前のように接するところから僕は始める。一度配信を始めると、視聴者の皆さんは優しく僕を受け入れてくれた。でもそれは、あくあ君と黛君の二人が手伝ってくれたおかげだと思う。それに途中から配信の管理を手伝ってくれたToookaさんがすごく優しい人で、彼女には何度も助けられた。
このままいけば近いうちに、あくあ君に自分が同級生で男の子だって打ち明けられるかもしれない。そう思っていたら、白銀あくあのプロデューサーだと名乗る人物、有名な音楽プロデューサーのモジャさんから、採用するかどうなるかわからないけど、アイドル白銀あくあの新曲を作ってみないかというオファーをいただいた。
これは秘密を打ち明けるきっかけになるかもしれない。
チャンスだと思った僕は、すぐに曲を作ってモジャさんに提出する。
それがきっかけで僕は。同じくあくあ君の曲を作った作曲家の天我先輩と知り合う。
天我先輩は勘が鋭いのか、喫茶店のバイトの時に、僕が男だっていうことに気がつかれてしまった。
「……猫山、お前も我と同じなのだな」
「え?」
喫茶店でのバイトのお手伝いが終わった後、僕は天我先輩と二人きりになる。
僕はこの日、女性に対してもフラッシュバックすることなく普通に接することができた。
だからあくあ君に自分の秘密を打ち明けようと思っていたのに……いざ、言葉を発しようとしたら、さっきまでは出てこなかった繭子ちゃんの影が目の前にチラついて動悸が激しくなる。僕は今日もまた、一歩を踏み出すことができなかった。
「我はな……お前たちが思っているよりも弱い人間だ。だからこういうやり方でしか、本当の弱い自分を誤魔化せない、矮小な人間なのだよ」
僕は天我先輩の言葉に驚く。
空を見上げていた天我先輩は、ゆっくりと僕の方へと顔を向けた。
「我はそんな自分を受け入れた。そっちの方が楽だったからだ。でも……猫山はそこから一歩を踏み出そうとしているんだな。そうでなければ、大切な人に秘密を黙っていることが苦しいとは思わないはずだ」
「え……?」
天我先輩は人差し指を突き出すと、僕の胸の中心を軽くトンと押した。
「我から言える言葉はただ一つ。自分の気持ちに素直になれ。ふっ……自らを曝け出すことを諦めた我が、吐いていい台詞ではないのかもしれないけどな」
自分の気持ち……。天我先輩に押された箇所からゆっくりと、自分の体の中に熱が広がっていく。
僕がどうしたいか、僕があくあ君とどうなりたいか。それを考えた時、僕の答えは非常にシンプルなものだった。
あくあ君と本当の友達になりたい。
僕はもうこれ以上、あくあくんに嘘を吐き続けたくはなかった。許してくれないかもしれない。例えそうだとしても騙していたことを言いたい。ごめんなさいと謝りたかった。そして叶うならば、あくあ君の隣で自分が同級生の猫山とあだって胸を張って言いたい。こんな偽物の関係じゃなくって、心の底からお互いが笑い合えるような本物の友達になりたいってそう思った。
「ありがとう……ございます」
僕は、覚悟を決めてあくあ君に全てを打ち明けようと決めた。
そんな時、僕はあくあ君にドライバーの撮影現場を見学しないかと誘われる。
その場で監督から出演のオファーをもらった時はチャンスだと思った。
毎日現場で会えば、どこかで打ち明けるチャンスがあるかもしれない。
でも……でも……撮影現場であくあ君とずっといると、楽しくて、面白くって、この関係が壊れるくらいなら手放したくないという思いが、僕のずるくて弱い心を何度も強く揺さぶった。
言えないままの日々がずるずると続いていく。
そんなある日、僕は本郷監督に呼び出された。
「こういう脚本で行こうと思っているんだがどう思う? 君が嫌なら変えてもいいと思っている」
僕は本郷監督に自らの性別を打ち明けていた。その上で、本郷監督はあくあ君が僕の事を女の子だと思っていることに気がついている。
本郷監督から手渡された脚本を見ると、僕が演じる加賀美が男だと打ち明けるシーンだった。
「このシーンをやれば、白銀君に君の全てがバレてしまうかもしれない。だから、今なら脚本を変えることができる。それで君はどうしたい。私は君の意見を尊重したい」
本郷監督はすごく優しい人だ。いや……本郷監督だけじゃない。親身になって相談に乗ってくれた中学の頃の担任の先生、高校の担任の杉田先生、ベリルの社長を務める天鳥さん、あったことはないけど掲示板の管理を務めてくれているToookaさん、そしてどんな時も見守ってくれていた母さんや、妹のスバル、それに僕の配信に来てくれる女の子たち……繭子ちゃんに縛られて気がつかなかったけど、僕の周りの女の人たちはみんなとても優しかった。
女の人だからと言って、みんながみんな、繭子ちゃんとは違うんだって今の僕なら理解できる。
その事に、気がつくきっかけを作ってくれたのは他の誰でもない。あの日、あの時、僕の心の部屋の扉をノックして、手をとって外の世界に連れ出してくれたあくあ君だ。
「本郷監督……この脚本は素晴らしいです。だからこの脚本でいきましょう。だから……今日だけは時間をください。僕は全てをあくあ君に打ち明けようと思います」
本郷監督は優しく笑みをこぼすと無言で頷いてくれる。もう後には引けない。そう思った。
でも僕は……ここにきて、まだ一歩が踏み出す事ができないでいる。
「……」
周囲に聞こえる緩やかな波の音。
僕は、薄暗い夜の海辺であくあ君と向き合っていた。
暗くなった空の風景が、あの日、あの瞬間、僕が教室の窓から見た外の景色と重なる。
僕の体の上に跨った繭子ちゃんのあの時の重みが、僕の体にズシリとのしかかった。
何やってんだよ!
言うんだろ、言わなきゃいけないんだろ!!
僕は何度も自分の心を鼓舞する。
でも鼓舞すれば鼓舞するほど、僕の心は冷え切って体が硬直していまう。
そんな僕を見て、今まで何も言わずに見守ってくれていたあくあ君がゆっくりと口を開く。
「俺さ……実は誰にも言っていない秘密があるんだよ」
「え?」
あくあ君の言葉に僕はびっくりする。
「今と違って、あの時の俺には何にもなかったんだよ。そう、最初から何にもなくって、どうして自分は生きているんだろう。なんで生まれてきたんだろうって思ってた。希望も目標もなくって、ただ生きているだけ、生かされているだけの人生。俺は一人薄暗い部屋の中で、あぁ、早く終わってくれないかなってそんなことばかりを考えていた」
まるでここではないどこか遠くを見つめるように、あくあ君は目を細める。
「でも、そんな時に、垂れ流していたテレビにあの人……アイドルの人が出てさ、その人、幸せそうな顔でダンスを踊ったり、楽しそうに歌ったりしてさ……俺は最初、もしかしたらあの人を見て腹が立ってたのかもしれない。俺はこんなにも不幸なのに、なんでこいつはこんなに幸せそうなんだって思ったんだよ」
それまで強い人だと思っていたあくあ君の姿が、なぜか弱い自分の姿と重なる。
「それが知りたくって、俺はその人を追うようになった。だけど……ある日を境に、その人はテレビに一切出なくなったんだよ」
「え?」
あくあ君は小さく体を揺らせると、ゆっくりと息を吐く。
「数日後、俺はテレビでその人が亡くなった事を知った。俺は知らなかったんだけど、どうやら長く病気を患っていたらしい。それでもあの人は、最後の最後までステージに立ち続けていた。それをテレビ越しに見ている人には苦しいところなんて何一つ見せずに、ただ誰かを元気にするために、最後の最後まで誰かに向けて必死に笑顔を送り届けようとしていたんだよ。そんなあの人の遺書には、本音を言うともっと生きたかった、もっと生きて一人でも多くの誰かを笑顔にしたかったと、激しい文字で書き殴っていたそうだ。俺はそれを聞いて、自分のことがすごく恥ずかしくなった。それまでの俺は自分のことだけで、誰かの事なんて考えたことなんてなかったから」
あくあ君はいつものように僕に向けて笑顔を見せてくれた。
でもその笑顔の裏に、深い悲しみがある事に僕は気づかされる。
「単純かもしれないけど、俺がアイドルになるきっかけを作ってくれたのはその人だった。俺もそんな人になりたいって、その人の果たせなかった未来を受け継ぎたいって思ったんだよ」
あくあ君はゆっくりと僕の方へと近づく。
そしてその力強い視線で、真っ直ぐと僕の目を見つめた。
「今、俺はこの世界の誰よりも目の前にいる友達に心から笑って欲しいと思っている」
あくあ君の言葉に、僕は目を見開く。
「何かを打ち明けようとすることは勇気のいることだと思う。何かを乗り越えようとすると痛みを伴うことだ。それでも……それでも! あえて言わせて欲しい! その分厚い壁をぶち破って俺のこの手をとってくれ!」
あくあ君は、僕の目の前に大きく手のひらを広げる。
小さな僕の手と違って、なんでも包み込んでくれるような温かみを感じる大きな掌だった。
僕はその手を掴もうと手を伸ばす。
『ねぇ、私のことを誑かした癖に、自分だけ幸せになるつもり?』
頭の中に響く繭子ちゃんの声に反応して、差し出そうとした僕の手の動きが止まる。
まただ、また一緒だ……乗り越えたいのに、乗り越えられない。
そんな時、誰かの手がそっと僕の背中に触れた気がした。
『猫山、どんな結果になっても、僕はずっとお前の友達だからな』
そう言ってくれたのは僕のもう一人の友達、黛君だ。
僕は目を閉じる。すると僕の背中に一つ、また一つと、誰かの手が重なっていく。スバル……それに、天我先輩も……あぁ、そっか、僕はもうあの暗い部屋の中に一人じゃないんだ。
『ごめんね繭子ちゃん……僕は、この手をとってみんなと一緒に行くよ。たとえこの関係がまた失敗する事になったとしても、僕はあくあ君の隣にいたいんだ』
僕がそう言うと、繭子ちゃんは小さく何かを呟いて空へと霧散していく。
さっきまでの苦しみが嘘のように、急に軽くなった僕の手がゆっくりとあくあ君の掌に重なる。
「1年……A組……猫山、とあ……です。白銀君、僕と……僕と……友達に、なってくれませんか?」
「ああ、もちろんだとも。俺は1年A組、白銀あくあだ。今日からよろしくな、とあ! あと俺のことはあくあでいいぞ。嫌だって言っても俺もとあって呼ぶからな」
自然と涙が溢れた。あくあはそんな僕に、そっと胸を貸してくれる。
「ねぇ、僕の事、いつから気が付いてたの?」
「何度かプリント届けた時にさ、名前に猫山とあって書いてるのが見えて気がついたんだよ」
「あ……」
そっか、そうだよね。
僕は普通に気が付いてないと思ってたけど、こんなに経っていたら普通にどこかで気がついていたっておかしくはない。それこそ杉田先生に聞けば一発でわかってしまうことだ。
「じゃあ、なんで……?」
「ん……もしかしたら言いたくない理由があったりするんじゃないかなと、ほら、最初会った時も女の子の格好してただろ? だからとあが言ってくれるまで知らないふりをしておこうと思った」
あくあ君は、僕が同級生の男子だって知った上で、自分が気がついていることを、黛君や天我先輩にも口止めしていたらしい。これは後からお母さんから聞いたけど、お母さんは僕とあくあ君の両方を思って、あくあ君に全てを打ち明けようとしたけど、あくあ君は僕の秘密は僕の口から聞きたいと言って、お母さんからの提案を拒否したそうだ。
「なんだよそれ、カッコ良すぎでしょ」
「ごめんな……俺の方こそ、ずっと聞いてあげられなくって……むしろ俺が最初に女の子の服を着てたからって勘違いしなきゃ良かっただけなのにな」
「うん、でも、仕方ないよ。僕はスバルに似て可愛いから」
「くっ……正直、最初の頃の俺のドキドキを返してほしい」
「やだ」
海岸線を歩いて二人でバイクを置いてある場所へと向かう。
道中のくだらない会話に、自然と笑みが溢れる。
気が付いたら僕の涙は止まっていた。
「そっか、それじゃあ妹のスバルちゃんと仲良くしようかなぁ。まだ会ったことないけど、とあにそっくりなら可愛いだろうしなぁ」
「あくあのエッチ、スバルはあげないもん」
「じゃあ、仕方ないな。その分、とあに付き合ってもらおうか」
「え?」
あくあくんは僕をバイクの後部座席に乗せると、無理やり頭の上からヘルメットを被せる。
「せっかくだからどっかで飯食っていこうぜ。親子丼とかどうだ?」
「……あくあ、まさかとは思うけど、僕のお母さんのことも狙ってるの?」
「え、あ、いや、そうじゃなくってだな、その、今、ほらCMでやってたじゃん、今サンキューキャンペーンとかで390円で食べられるって」
慌てるあくあの姿を見てクスリと笑みが溢れた。
何にも変わらない……ううん、以前よりもお互いにもっと本音で喋れるようになったと思う。
もしかしたら、また、何かの機会に繭子ちゃんが僕の目の前にチラつく時があるかもしれない。
例えそうだとしても、次もその壁をぶち破って僕は前に突き進むだけだ。
だって、僕にはもうこんなにも大切な人がいる。一人じゃないって事を知っているから。
「ふふっ、わかってるよ。僕もうお腹ぺこぺこだから今日は大盛りを頼むぞー!」
「よし、せっかくだし、天我先輩と黛も誘おうぜ。あいつらきっと、この辺でうろついているだろうし」
そう言ってあくあは、二人の携帯に電話をかけた。
すると近くの茂みから電話の音が聞こえる。
びっくりした僕たちは、恐る恐るとそちらの茂みへと目を向けた。
するとバツが悪そうな顔で、黛君と天我先輩が茂みから出てくる。
どうやら二人は僕達のことが心配でつけてきてたみたいだ。
「よく……頑張ったな」
「良かった……本当に、良かった!」
二人に言いたいことはいっぱいあった。
でも、自然と一番シンプルな言葉がこぼれ落ちる。
「みんな、ありがとう」
改めて僕は、みんなにお礼の言葉を述べた。
そんな僕をみんなは暖かく受け入れてくれる。
僕達は他愛もない会話をして、ちょっと遅くなっちゃったけどみんなで親子丼を食べて帰った。
その日の夜、帰ってきた僕を玄関で待ってくれていた家族が抱きしめてくれる。
あの日、家に帰ってきた僕は何も言わず、すぐに自分の部屋の中に籠ってしまった。
だから今、お母さんとスバルの二人にこの言葉を伝えたいと思う。
「ただいま」
二人は僕の体を抱きしめて、何度もおかえりと言ってくれる。
僕もまた二人を抱きしめ返して、何度もただいまと言った。
前話と比べてほぼ修正点なかった……繭子ちゃんさあ……。




