ステイツの男、BERYL解体作戦。
俺の名前はベルナール・アイルワード。
スターズのフランスにルーツを持つステイツの人間で、世界最大手の芸能事務所STAR LIGHTS PARTNERで働いている。
今すぐにでも俳優ができるナイスミドルだと自負しているが、最近は血圧と血糖値の高さに苦戦し心なしか腹が出てきたように思う。
「俺もそろそろ50か……」
50歳まで後1年に迫った俺は鏡に映った自分のたぷんと膨れた腹を見てなんともいえない顔をする。
うーむ、この腹の膨らみと頬のたるみが取れたら、俺だって今でもそこそこかっこいいと思うんだがな……。
毎日ちゃんと運動しているはずなのに体型が変わらないのは、きっと妻の手料理が美味しすぎるせいだろう。
「貴方、おはよう」
「ああ、おはよう。マイハニー」
スーツに着替えた俺はダイニングで妻の手料理を食べる。
つい数年前まで食卓には3人の娘達も居たが、みんな立派になってこの家から巣立っていった。
「今日はいつもより早いのね」
「ああ、上司から呼び出されてな。きっとうちに所属してる男性俳優かタレントがまた問題を起こしたんだろう」
世界最大手の芸能事務所、STAR LIGHTS PARTNERは多くの男性が所属している。
きっとその中の1人がトラブルを起こして、俺に対処を求めているのだろう。
あの白銀あくあに強い影響を受けて事務所に入ってきた若手は素直な奴が多いが、それよりも前に所属している奴らは聞き分けがいいのもいるが、わがままなやつやコミュニケーションの苦手なやつも一定数いる。
男性である俺がSTAR LIGHTS PARTNERみたいな大手に所属できているのは、それが理由だ。
「それじゃあ、行ってくるよ。マイハニー」
「頑張ってね。貴方」
俺は変わらない妻の笑顔を見て気合を入れ直す。
元より小心者の俺にとって、あまり押しの強くない彼女と巡り会えたことは奇跡だった。
妻と子供だけの小さな家庭を築き、なんでもない日常を過ごす。これほど幸せな事はあるだろうか。
もちろん俺だって、若い時は冒険をしたいと思った事は一度じゃない。
でも、俺も来年は50歳だ。もう人生の終わりを考え始めてもおかしくない年になる。
今更この人生に波風を立てるつもりもない。愛する妻と、巣立っていった子供達を見守りながら、穏やかに過ごせたらそれでいいんだ。
俺は家を出ると、スターズのドイツで作られた年代物のセダンに乗り込む。
本当は二人乗りの赤いスポーツカーを買おうと思ったが、妻との結婚を控えていた私は子供が生まれて来る事を考えてこの車を選んだ。
俺の人生の中で唯一の心残りがあるとしたら、その時に赤いスポーツカーを買えなかった事くらいだろう。
「おい、嘘だろ……」
自家用車に乗って走り出す事30分あまり。
途中のコンビニで飲み物を買って戻ったら、急に車のエンジンが掛からなくなった。
「あー、これはもうエンジンが完全にイカれてますね。正直、修理するにしても新しいエンジンを探さなきゃいけないし、他も結構ガタがきてるんで、もう新しい車を買った方がいいと思いますよ」
大事に大事にメンテしながら乗っていたが、どうやらこいつも俺の体と一緒で限界を迎えていたらしい。
俺は長年の相棒を撫でると、「よく頑張ったな。今までありがとう」と呟いた。
車の廃車処分をお願いした俺は、アプリでタクシーを呼んで急いで本社に向かう。
「遅れてすみません」
俺は会議室に入ると、ギョッとした顔をする。
直属の上司だけじゃなくて、取締役までいるのかよ。
しかも、その取締役の隣にいる女……確か、うちの大株主だったはずだ。
どうしてそんな奴らがここにいる? もしかしたら、俺が想定した以上のトラブルが起こっているのかもしれない。嫌な予感がするぜ。
俺はポケットから妻が刺繍してくれたハンカチを取り出すと、額に滲んだ冷や汗を軽く拭う。
「早速ですが、貴方に特別なミッションを与えます」
取締役の後ろにあるモニターにBERYLの4人が映し出される。
日本を席巻し、世界をざわめかしている日本のアイドルグループ、BERYL。
そのBERYLが本格的なワールドツアーを発表した事で、STAR LIGHTS PARTNERを含む世界の芸能関係者は強い危機感を感じていると聞いた。
「前例のないBERYLの進撃を切り崩すために、我々のグループは独断でBERYLのメンバー、また、ベリルの関係者を引き抜くプロジェクトを秘密裏に進めるつもりだ」
嫌な予感が的中する。
つまり今回の件について、社長や他の上層部は承諾していないという事だ。
成功すれば私の上司は社長という立場に近づき、この俺自身も社内でステップアップできる。
だが、失敗すれば俺もこのメンバーも首が飛ぶ。ただ、会社から首を切られるならいいが、相手がBERYL、いや、白銀あくあともなれば物理的に首が飛びかけない。
「ベルナール・アイルワード。君はこれまでうちに所属している男性達のトラブルをいくつも解決してきた。今回のミッションを遂行するメンバーの1人として君に加わってもらう」
「……拒否、したら?」
俺の言葉に取締役はニヤリと笑う。
「拒否した場合は君を監禁する。もちろん君だけじゃない。君の妻や3人の娘もだ。これは我が社の新規プロジェクトに関する機密事項を守るための特別な措置でもある」
「そんな……! 妻達には何も言っていません!」
「君は今朝、妻に上司に呼び出されたと言ったのではないか? ミッションの内容を知らずとも、君が帰ってこない事で君の妻は上司に呼び出された事を本社に報告するだろう」
くっ! ハメられた!
俺はいつも妻に対して誰と会うか言っている。
それを知っている上司が、そこを逆手に取ってきた。
「それでも、娘達は関係ないだろう!」
「3人の娘も同じだ。君がチャットアプリやメール、電話で上司と会うと言っている可能性がある以上、まとめてこちらの監視下に置かせてもらう」
いくらなんでも、そんな事は不可能だろう。
俺がそんな事を考えていると、別の1人がゆっくりと口を開く。
「3人の娘達のうち1人はうちと直接取引のある企業で働いているね。そしてもう1人はここにいる株主の企業と取引がある。彼女達なら今、うちが発注した仕事のために飛行機に乗ってるよ。そして末の娘はまだ大学生だったね。こちらには架空の企業でインターンとして働くために今、こちらに向かっている。君に選択肢はないのだよ。アイルワード君」
俺は青ざめた顔で地面に両方の膝をつく。
「た、頼む。なんでもするから、妻や娘達には手を出さないでくれ……!」
「アイルワード君、ありがとう。君が聞き分けのいい社員で助かったよ。何、我々も君に非合法な仕事を頼むわけじゃない。ただ、君にはBERYLの4人に対して引き抜きの交渉を持ちかけて欲しいだけなんだ。もちろん失敗したっていい。ただ彼の間に少しの傷をつけられたら、それだけでいいんだ」
それでBERYLのメンバーを仲違いするきっかけを作ろうってのか?
下衆なやつらめ!! いや……そんな会社で長年働き、今まさにその悪事に加担しようとしている自分に言えた事じゃないな。
「頼む。妻と娘には手を出さないでくれ」
「もちろんだとも。君が協力してくれるなら、君の愛する妻や娘たちには手を出さないと約束しよう」
取締役はジャケットの内側のポケットから飛行機のチケットを取り出すと、俺の体に押し付けてきた。
「それじゃあ、頼んだよ」
「……はい」
俺は押し付けられたチケットを手に握り締めると、上司からファイルを受け取ってその部屋を出て行こうとする。
「ああ、それと妻や娘達には連絡を取っていいが、余計な事は言わないことだ。もちろん、余計な事をするのも君のためにはならないと忠告しておこう。我々は、常に君達の事を監視している」
「……わかった」
本社ビルを出た俺は、アプリで手配した無人のタクシーに乗り込むとすぐに妻に電話をかける。
「あら、貴方。聞いたわよ。今から緊急の案件で出張なんですって? 大変だろうけど、あまり無理しないでね」
「あ、ああ……」
どうやら俺が電話をかけるよりも先に、上司から妻に連絡があったみたいだ。
この様子だと、娘達にもなんらかの連絡がいってるのだろう。
俺は汗ばんだ手で自分の青ざめた顔を拭うと、妻の前ではいつもの自分を演じて通話を切る。
「やるしか……ないのか」
用意されたチケットで飛行機に乗った俺は、十数時間にも及ぶ長いフライトの末に目的地である日本に到着する。
まず、最初に接触するのは……黛慎太郎か。
BERYLのメンバーの1人で、メンバーの中でも一番平凡……というか一般人の感覚に近い人物とされている。
「演技力、歌唱力、ダンス、トーク、カリスマ性……どれを取っても平均以下か」
とはいえ、それは女性陣も含めた中での評価だ。男性陣の中では平均以上とも言える。
ただ……あまりステイツでウケる顔じゃないのは確かだな。日本人的だから、童顔が好きなステイツの女性には需要があるだろうけど、それくらいだろう。
そう考えると、やはり雪白美洲の血が入ってる白銀あくあは別格だ。金髪のウィッグに青い目のコンタクトレンズを入れるだけで、人種差別主義者の女性達ですら一瞬でメロメロになる。白銀あくあのデビュー作だったはなあたの夕迅はそれくらい衝撃だった。
いや、そもそもそういった奴らをメロメロにしてきた雪白美洲の息子って時点で、もう小道具に頼る必要もないのか。実際に、ステイツでもそのままの白銀あくあが受け入れられている事を肌で感じている。
「その白銀あくあの親友か……」
こういう仕事をしてきて、多くの男達と関わってきたが親友と呼べるような奴は1人もいない。
だから少しだけこの黛慎太郎という男が羨ましくなった。
俺はその黛慎太郎と会う為に、ファイルに書かれた場所へと向かう。
「あれがそうか」
仕事の打ち合わせが終わった黛慎太郎がマネージャーを引き連れずに1人で出てくる。
まさかファイルに書かれていた時間ちょうどに、それも1人で出てくるなんてな。
きっと、マネージャーは誰かが引き留めているだろう。
俺は黛慎太郎の後ろをつけていく。
すると黛慎太郎は、自販機のすぐ隣にある椅子に腰掛けた。
きっと、引き留められたマネージャーが戻ってくるまで、そこで時間を潰すつもりなんだろう。
ここしかチャンスがない。そう思った俺は隠れるのをやめて、その隣に腰掛ける。
「コンニチハ〜」
俺はあえて少し片言気味の言葉で話しかける。
すると黛慎太郎は少しびっくりした顔をした後に、穏やかな笑顔を見せた。
「こんにちは。まさかこんなところで外国人の男性から話しかけられるとは思っていなくて、少しびっくりしました。すみません」
「キニシナイデクダサイ」
なるほど、素直で良い子だな。
やはり実際に話をすると、データ化された報告書だけではわからない事が見えてくる。
強烈な個性を放つ白銀あくあの隣に立つと、グループとしてすごく収まりがいいだろうなと思った。
「黛慎太郎さん、率直に言います。貴方は今の環境に満足していますか?」
こういう子にはストレートに言った方がいい。
そう思った俺は、芝居がかったカタコトを止めて誠実に彼と向き合う。
うちには雪白美洲や玖珂レイラといった日本人の稼ぎ頭が所属している。
それもあってうちの男性陣が彼女達の間にトラブルを起こした時のために、俺は頑張って日本語を勉強していたのだ。まさか、こんな事に使う事になるとは思ってもいなかったけどな……。
「貴方は……」
「おっと失礼、私はこういうものです」
少し警戒心を覗かせた黛慎太郎君に、私は自分の名刺を渡す。
自分の身分を完全に明かす事で、さらなる一歩を踏み込むためだ。
「STAR LIGHTS PARTNERのベルナール・アイルワードさん」
「はい。ベルナールと呼んでください。私は貴方をベリルエンターテイメントから引き抜きにきました」
ステイツの人間は回りくどい事を嫌う。
ただ、日本人はそうじゃないとも聞く。
どちらのやり方で攻めるのが正しいのかわからないので、まずは自分達のやり方で攻める事にした。
「僕を、引き抜く?」
「はい」
俺の言葉に黛慎太郎君は驚いた顔をする。
「君は白銀あくあ君の親友だと聞きました。親友として本当の意味で彼の横に立ってみたいと考えた事はありませんか?」
俺がまっすぐな目で彼を見つめると、その瞳が微かに揺れる。
動揺している今がチャンスだと思った俺はさらに踏み込む。
「BERYLに居ても君の隣にはずっとアイドル白銀あくあが立っている。そんな強い光の隣で君がいくら光り輝いたところで、周りはきっと君の事を正当には評価してくれないでしょう。だからこそ、そこから一度離れて1人になってみませんか? うちなら、そのサポートが君の成長の手助けができます」
俺はうちの会社が本格的に日本に進出するつもりがある事、そしてその目玉に黛慎太郎君を据える事を真摯に説明する。
これは決して、彼にとっても旨みがない話じゃないはずだ。
少しだけ考え込む彼の横顔を見て、俺は少なくない手応えを感じていた。
「すみません。僕なんかにすごくありがたい話ですが、そのお話はお断りさせて貰いたいと思います」
まぁ、そう簡単にはいかないよな。
断られるのも想定の範囲内だ。
俺はさらにもう一歩踏み込む。
「君は、本当にそれでいいのか? 今の現状に満足しているわけじゃないんだろ?」
俺は真剣な目で彼の目を見つめる。
さっきの動揺は決して嘘じゃないはずだ。
何か引っ掛かるところがあったんだろう?
「現状に満足なんかしちゃいないですよ」
「それならば、なぜ……」
俺の問いに対して、黛慎太郎君は笑顔を見せる。
「僕の親友は最強なんです。アイドルとしても、役者としても、いや、何をやらしても、俺の中じゃあくあが最強なんです」
「そんな彼の隣に隣にずっと居たら君が辛いだろう?」
「ええ、そうですね」
苦笑した黛慎太郎君は俺から顔を逸らすと、真っ直ぐ前を見つめる。
「僕なんかと比べてあいつはカッコよくて、光り輝いていて、こっちが必死に頑張ってるのに全然追いつけなくて、正直辛くないっていった嘘になると思います。でも、そんなあいつが誰よりも僕の事を、黛慎太郎の可能性を信じてくれてるんですよ」
彼はもう一度俺の方へと視線を戻すと、力のこもった目で俺を見つめ返す。
「だから僕は絶対にどんな事があっても、あいつの隣から、このポジションから逃げない。僕は白銀あくあの隣で、いつの日か、あいつが僕の方にもたれかかれるくらいの男になるんです。そしてこう言ってやるんですよ。待たせたな。親友って」
俺は黛慎太郎の言葉を聞いて項垂れる。
やべぇよ。誰だよ、BERYLは白銀あくあだけとかいってやつは。
こいつも普通にかっけぇじゃねぇか。分析班のあの意味のないデータが書かれたファイルは一体なんだったんだ。
しかもメガネキャラって普通クールで斜に構えてるもんだろ! なんでこいつはこんなにまっすぐで熱いんだよ!! そのメガネはフェイクか!!
体が熱くなってきた俺はジャケットのボタンを外す。
「ベルナールさん、こんな僕を気遣ってくれて、ありがとうございます。それじゃあ、マネージャーが来たので僕はここで」
「あ、ああ。頑張れよ。遠くから応援してるから……」
「はい!」
これ以上、俺が何か言っても……いや、誰が何を言っても、黛慎太郎という人間は動かないと思った。
あの白銀あくあの隣に立ち続けるなんて、とんでもない覚悟なきゃ無理だ。少なくとも俺が、黛慎太郎と同じ立場ならすぐに逃げ出してる。
黛慎太郎の説得が不可能だと思った俺は、翌日、次のターゲットである天我アキラの説得へと向かう。
「次はここか」
人気のない道の駅で車を止めて待っていると、バイクに乗った天我アキラが休憩のためにやってくる。
ツーリングのコースといい、休憩場所といい、ピッタリかよ。
俺はレンタカーを降りると、自販機の前にいた天我アキラに話しかける。
「こんにちは。良い天気ですね」
「む……。こんにちは」
俺に話しかけられた天我アキラは警戒心を覗かせる。
まぁ、こんな場所でこのタイミングで外国人の、それも男から話しかけられたら警戒するよな。
「そう警戒しないで欲しい。と言っても無理があるか。俺はただ、君と話をしにきただけなんだ」
「……何の話か知らないが、仕事に関する話なら事務所を通してくれ。事務所を通せない類の仕事の話なら、悪いが遠慮させてもらう」
俺は心の中で軽く舌打ちをする。
やはり高校生組と違って、こういうところはしっかりしてるな。
ただ、こちらとしても、それができないからこうやって話をしに来ている。
だから、そう言われたとして引くわけにはいかない。
「ただ、貴方の個人的な話なら聞いてもいい。迷える男性を導くのも我らの役目だからな!!」
俺は思わずズッコケそうになった。
そこも普通は事務所を通さなきゃ無理ですと言えよ!
芸能人が気軽に一般人の相談に乗ろうとするんじゃない!!
全く……多分、こいつ、普通に根がいいやつなんだろうなと思った。
初手からペースを握られて俺は頭をポリポリと掻く。
「なるほど、それじゃあ君の個人的な話ならどうだ? 天我アキラ君」
「我の話だと?」
俺は彼の言葉に力強く頷く。
「ああ、君は本格的なアクションスターを目指しているんだろう? それならうちに来るといい。うちなら君のために制作費2億ドル以上の超大作アクション映画の主演を約束しよう」
制作費2億ドル以上のハリウッド産映画となれば、それなりのキャストとスタッフが揃うし宣伝費も半端ないのでほぼほぼヒットが約束されていると言っても過言ではない。
俺は彼にゆっくりと近づくと、自分の名刺を差し出す。
「君ならタッパもあるし目力もあるから、間違いなくうちでスターになれる。それほどの才能があるのに、今の事務所にいたままだと、そういった大きな仕事は優先的に白銀あくあ君に回されるだろう。君はそれでいいのか?」
俺の言ってる事は決して嘘じゃない。
実際に今撮影しているフォーミュラの映画でも、彼を含めた日本人のキャストはうちの雪白美洲や玖珂レイラを除いて、白銀あくあのおこぼれで選ばれただけだ。
ステイツでも既にざわつかれている雪白えみりならまだしも、小雛ゆかりも、月街アヤナも、天我アキラも、日本でのプロモーションを考えて配置されたにしか過ぎない。
だが、うちなら白銀あくあの抱き合わせじゃなくて、彼に、俳優天我アキラに単独の主演映画を用意できる。
「それは我にまだそこまでの実力がないからだ。それは我が一番わかっている」
「本当にそうだろうか?」
勝負に出た俺は更に一歩を踏み込む。
「俺は新人で超大作の主演にキャスティングされて成長した女優がたくさんいる事を知っている。立場が人を作るというように、役が君に更なる成長を促してくれるんじゃないか。俺はそう考えている。だから俺たちと一緒に、アクションの本場で仕事をしてみないか?」
嘘はついてない。
それに彼の出演したドラマや映画を見たが、十分にアクションの土台はできてる。
体を鍛えているおかげか、ヘブンズソード初期の線の細さも無くなってきてるし、うちが専属のトレーナーをつけて上半身をもっとバンプアップさせれば、見栄えはもっと良くなるだろう。
それに、アクションシーンの少ない日本のドラマや映画より、派手なアクションシーンの多いうちの映画やドラマの方が彼は輝くと思った。
「確かにその話は魅力的だ。だが、我はここを離れるわけにはいかない」
「BERYLのために、アイドルという仕事や後輩のために自分を犠牲にするのか?」
俺は正直、アイドルの天我アキラに関して、他の3人のような熱量を感じていない。
だから勝負をかけるならここのポイントだと思った。
俺の問いに対して、彼は首を左右に振る。
「違う。我は誰の犠牲になってもいない。むしろ我らは色んな人達の犠牲と期待の上に成り立っているんだ」
「どういうことだ?」
俺の問いに対して天我アキラは真剣な顔でこちらに対して一歩を踏み込む。
「我らが勝手にやり始めた事をサポートしてくれているスタッフさん達がいる。それに対して応援してくれているファンや、背中を教えてくれている家族がいる。みんなは自分達の人生の中で、限られた時間を使って、お金を工面して、我らの活動をサポートしてくれているんだ。その人達に蔑ろにして自分たちのやり始めた事を投げ出して、個人的な理由でやめていく奴を誰が応援できる? 少なくとも我が憧れた世界一かっこいい男はそんな事をしたりなんてしない」
あ……。俺は天我アキラのまっすぐな言葉に視線を背ける。
俺もこの仕事に長くいすぎたのかもしれない。
一番大事なところが完全に抜け落ちていた。
「我はそういった周囲の期待に応えてこその真のスターだと思う。我がなりたいのは只のアクション俳優じゃなくて、後輩のような真のアクションスターだからな!」
そう言われるとぐうの音も出ない。
俺は天我アキラに対して頭を下げる。
「すまない。君に対しても、君を支えてくれている人達にとってもさっきの提案は失礼だった」
「謝罪の言葉を受け取ろう。それに、我をそこまで評価してくれてありがとう」
俺は天我アキラと握手を交わして、その場を後にする。
おい、こんなの引き抜くとか絶対に無理だろ!!
俺なんかもう来年で50になるけど、さっき間違って天我先輩! って言いそうになったぞ。
くっそ〜、他のスタッフが小雛ゆかりの引き抜きに行ってるみたいだけど絶対に無理だわ。
今、考えたら、あの白銀あくあが先輩呼びしてる奴らが手強くないわけないんだよ。
だって、あいつ、他の年上には先輩なんて呼ばないもん。小雛ゆかりと天我アキラにしか、先輩って言ってないもん!!
「一応、猫山とあにもちょっかい出しておくか……」
俺は日を改めると、猫山とあと遭遇できるポイントへと向かう。
確かこの辺だったよな? おかしいな。どこにもいないぞ。
俺はお腹が空いたので、近くのお店でハンバーガーを買って外のテラス席で齧る。
すると、目の前の席に見覚えのある奴が座ってきた。
「ねぇ、おじさん。僕の事、探してたでしょ?」
「ぶふぉっ!」
食べてたバーガーのピクルスで喉を詰まらせそうになる。
すると、それを目の前で見ていた猫山とあが私の背中を優しく摩ってくれた。
「ごめんね。びっくりしちゃった?」
「ゴホッ、ゲホッ、な、なんで……?」
俺の問いに対して、猫山とあは笑顔を見せる。
「慎太郎や天我先輩と接触したって話を聞いたから、次は僕かなって思ったんだよね。そしたら、怪しそうなおじさんがいたからさ、つい話しかけちゃった。あー、よかったぁ。僕だけ誘われなかったら、どうしようって思ってたんだよね〜」
俺はなんとか心臓の鼓動と呼吸を整えると、口元をティッシュで拭いてから、猫山とあに自分の名刺を差し出す。
「ストレートに言う。うちの事務所に来ないか?」
もはや行動がバレてる時点で、回りくどいやり方をする意味はないだろう。
「ありがたい話だけどやめておくよ。僕は天我先輩やあくあみたいにステイツ向きじゃないと思うし、慎太郎みたいにメンタルが強いわけじゃないしね。それにさ、おじさん。僕があくあの傍から離れると思う?」
「全然」
自分でも恐ろしくなるくらい即答だったね。
なんとなくだけど、猫山とあはどう誘ってもBERYLから動かないと思った。
だからうちの事務所の引き抜きリストでも一番優先順位が低い。
「おじさん、もう回りくどいやり方なんてやめて、あくあを引き抜いちゃいなよ。そしたら、僕もついていくからさ」
「ええっ!?」
まさかそっちからそれを提案するのか!?
俺は完全に猫山とあという人物に翻弄されていた。
「いいのか?」
「いいも何も、おじさんもあくあに会えばわかるよ。少なくとも僕の人生は、あくあに出会って天地がひっくり返るレベルで狂わされたからさ。だから、おじさんも会ってみなよ。あ、でも、腸捻転しちゃったらごめんね。たまに、あくあに会って腸捻転して救急車で運ばれちゃう人いるからさ、おじさんも気をつけて」
猫山とあはそう言うと、俺に手を振ってその場を後にする。
ここまで言われたら、会うしかないよなあ。
そんなに簡単に会えるとも思えないが、白銀あくあ出没ポイントの一番上から当たってみるか。
「って、最初の予想ポイントに普通にうろついてるんかい!」
俺は思わずファイルを地面に叩きつけた。
なんで、日本の大スターが普通にそこら辺を歩いてるんだよ!!
普通なら、もっと取り巻きとか護衛とかゾロゾロ引き連れて歩くもんだろ!?
こいつはなんで1人で普通に歩いてるんだ!?
俺の頭が混乱しそうになる。
「あっ、そこのおじさん。ファイル落としましたよ!」
落としたんじゃなくて、自分で叩きつけたんだよ。って、白銀あくあ!?
白銀あくあは、俺が地面に叩きつけたファイルを拾い上げると、そのまま俺に手渡してくれた。
「あ、ありがとう」
「ははっ、気にしないでくださいよ。それよりも旅行ですか?」
しかも普通に話しかけてくるのかよ。普通逆だろ……。
俺は白銀あくあから叩きつけたファイルを受け取る。
「いや、君を引き抜くために来たと言ったらどうする?」
俺は自分の名刺を白銀あくあに差し出す。
「グループなんてやめて、ソロでやってみないか? 君なら十分にソロでやれるし、君ほどの人間がグループを組む必要なんてないだろ?」
黛慎太郎、天我アキラ、猫山とあ。
3人と接してみて、3人それぞれに魅力があるのはよくわかった。
でも、その上で断言できる。
やっぱりこいつは別格だ。
今だって、目の前にいるこいつから視線が逸らせねぇ。
生まれ持ってのスター、雪白美洲が男に生まれ変わったとかいうレベルすら超えている。
こんな奴がグループなんて組んでる意味がわからない。むしろソロで好き放題やってた方が人気に拍車がかかるだろう。
「君は絶対にソロでやるべきだ。君がいなくてもBERYLは3人でやっていけるし、君がBERYLを背負う必要はないだろう? 君だってソロでやってみようと最初は思っていたんじゃないか?」
かなり踏み込んだ俺の問いに対して、白銀あくあはまっすぐな目で俺を見つめる。
「確かに、貴方の言う通り、俺は最初、ソロアイドルとしてデビューしようと思った。でも、俺は気が付いたんです。この世界の男女比の偏りは、男女間のすれ違いは俺1人が抱えすぎるにはあまりにも大きすぎるって」
世界の話? こいつは一体何を……。
俺の脳裏に、BERYLが世界に対して宣戦布告したあの時のPVが流れる。
「俺はアイドルって存在に救われた。だから今度は俺がアイドルとしてみんなを救いたい。でも、俺だけじゃこの世界の全てをカバーするには広すぎる。だったら、俺がグループを組んで共に戦う仲間を育てればいい。ちゃんとした会社を作って、俺が先駆者としてこれからの時代を紡いでいく後進を育てていく。これしかないと思いました」
それはもう戦争じゃないか。
この世界の全てをぶち壊して再生するための聖戦と言っても過言ではない。
「あ、貴方は、そんな大それた事を1人でしようと言うのか!?」
「いいや、1人じゃない。今の俺にはBERYLのみんなが居る。丸男や孔雀、はじめ達、後輩だって居る。だから、俺は、俺たちは世界を変えて見せるよ。少なくとも俺はその事に、この命と今世を賭ける価値があると思った」
無理だ。覚悟の決まり方が違う。
こんなやつを引き抜けるわけがない。
俺は会った事がないが、白銀あくあとパートナーを組んでる天鳥阿古って女も頭のネジが全部飛んでる女に違いないと思う。
「俺にも……できるだろうか? こんな、50手前のおっさんに……」
俺は何を言ってるんだ?
白銀あくあに見つめられると、理屈も理性も全部吹っ飛んで自分の中の本音が勝手に出てくる。
「年齢なんか関係ないさ。いつだって、誰だって、決意さえあればなりたい自分になれる。そうだろ?」
白銀あくあは俺の胸を拳で軽く叩く。
その瞬間、その熱が俺の魂に伝わってきた気がした。
「わかった。俺も覚悟を決めるよ。俺の話を聞いてくれて、ありがとう。悪いけど、俺は用事ができたからこれで失礼するよ」
俺はそう言うと、白銀あくあと別れて聖あくあ教団の日本支部に駆け込む。
ここなら俺の妻と娘たちを保護してくれると思ったからだ。
「よく事情を話してくれました。あとはこちらにお任せてください」
「いや、俺も行く! 愛する家族がピンチなのに、俺1人がここで待ってるだけなんてできねぇ!!」
俺は自分で飛行機を手配すると、貯金を全部下ろして近くの車屋で新しい車を買う。
もちろん4人乗りのファミリーカーじゃなくて、雪白美洲や玖珂レイラが映画で載ってるようなツーシーターのかっこいい真っ赤なスポーツカーだ。
俺は店員さんがサービスでつけてくれたパイロットサングラスをかけると、エンジンをふかして軟禁されている妻と娘達を助けに行く。
待ってろよ。みんな、今、俺が助けに行くからな!!
Twitterアカウントです。作品に関すること呟いたり投票したりしてます。
https://x.com/yuuritohoney