音ルリカ、宙ぶらりん。
音ルリカ、15歳……いや、今日で16歳、女優。
私は今、1人、学校の屋上で仰向けに寝転がって空を見上げている。
「あ、あの雲……」
わたあめみたいですごく美味しそう。
そういえば、ヘブンズソードの撮影にお呼ばれした時、白銀あくあさんと天我アキラさんの2人が競い合うようにわたあめを作って、共演していた役者さんやスタッフさん達にわたあめを振る舞っていたっけ。
「ミックスフルーツ味のわたあめ……すごく美味しかったな」
白銀あくあさんは、私をイメージして作ったって言ってたっけ。
事務所から活動を自粛させられている私がヘブンズソードの映画に出れたのは、白銀あくあさんのおかげだと会社の人が言っていたのをよく覚えている。
今の芸能界で、白銀あくあさんの意向は絶対的で、彼の要望はスポンサーやテレビ局の意向、視聴者からのクレームをも簡単に上回ってしまうらしい。
「久しぶりの撮影現場、楽しかったな……」
映画の撮影が終わり、映画が公開された後も私を取り巻く環境は何も変わらなかった。
未成年の飲酒喫煙疑惑だっけ。よく知らないけど、私にはそういう疑惑がかかっているらしい。
こういうのって、本人にした記憶がなくても、してないって証拠を出す事ができないから、してない事の証明をするのが不可能に近いんだよね。
かといって批判する方は疑惑さえあれば証明を必要としていないから、どれだけ時間を置いても疑惑の火種はずっと燻り続けるだけだ。
ヘブンズソードの映画が公開された後、私への批判は一旦収まったものの、SNSに出た一枚の写真が原因で私はまた世間からの批判に晒される事になる。
【音ルリカは遊んでいる】
夜の歓楽街を歩く私を盗撮した画像がSNSに拡散された。
居酒屋だったり、大人のお店だったり、そういうところをごく自然に歩いていく私の姿は、世間の人からすると遊び慣れているように見えたのだろう。
【居酒屋で胡散臭そうな大人達とビールを飲んでいた】
【人目のつかない寂れたレコード店の横道でヤニを吸っている】
【中学生の頃からお気に入りのメンズが居る男装バーに入り浸っているって聞いた】
【芸能界を休止していた間に、怪しげなお店で働いていたらしい】
そうして、また噂だけが勝手に広がっていった。
ただ、この噂の全てが嘘かといえば、そうではないのがまた厄介なところだろう。
男装バーではないけど、私の実家はジャズバーを営んでいる。
その左隣は居酒屋さんで、右隣は大人の女性向けのお店だ。
実家の前にはレコード屋さんがあって、そこの隣にある細道ではタバコ休憩ができるようになっている。
そう、だから全てが全て嘘ではないのだ。
私は時間が来たので、お弁当箱を片付けるといつものように1人で教室に戻る。
「ヒスイちゃ〜ん! 助けてぇ〜!」
「はいはい、どうしたの?」
教室に戻るといつもクラスの中心に居る祈ヒスイさんが目についた。
私はスッと自分の席に座ると、悟られないように彼女の行動をジッと見つめる。
人間観察は嫌いじゃない。誰かを演じる時にすごく役立つからだ。
「ヒスイちゃん、ヒスイちゃん! 話聞いて!!」
「うん、いいよ。でも、後でね。もうそろそろお昼休み終わっちゃうから」
役者でもあり、トップアイドルでもある白銀あくあさんがその才能を見抜いただけあって、アイドルとしての彼女の実力は疑いようがないのだろうと思う。
私はアイドルの事はよくわからないけど、彼女は人の目を惹く魅力的な部分と、歩いているだけで自然と人の輪ができてしまうようなカリスマ性があると思った。
こういうタイプは目立ちすぎて役者だと演じる時に自分の存在感が邪魔になって大変だろうな。
同じくアイドルでもあり役者をやっている存在感のあるタイプと言えば、白銀あくあさんと加藤イリアさんの2人だけど、前者はその存在感すらもうまく利用してしまうくらい役者としてのレベルが高い。
それに、加藤イリアさんは、ああ見えてすごく頭脳派だ。
「加藤さん、何やってるんですか!?」
「あれ? 次の授業って体育じゃないの?」
クラスメイトの子達が体操服に着替えようとする加藤さんを止める。
…… “役者としての”加藤イリアさんは、ああ見えてすごく頭脳派だ。
加藤イリアさんは役者として誰かを演じている時には、アイドルである自分を完全に消し去る事ができる。陰陽師を見た時、みんな白銀あくあさんを中心に天我アキラさんや石蕗宏昌さんの演技に注目していたけど、私は加藤イリアさんの演技力と役者としての能力の高さというか、うまく切り替えられる彼女の器用さにすごく目を惹かれた。
アイドルで役者といえば月街アヤナさんもいるけど、彼女はあまり存在感がないタイプだ。むしろ、アレでトップアイドルをやっているところが彼女の人としての凄さなんだろうと思う。そういうところが小雛ゆかりさんとよく似ている。
人に紛れろと言われれば、あの2人はうまく人に紛れる事ができるだろうけど、雪白美洲さんや白銀あくあさんには100%無理だ。変装しようと存在感を消そうと自然と目がいってしまう。
『私、役者としてのオーラが見えるから……』
『はは、ルリカちゃんは面白い事を言うねえ』
前にテレビでオーラが見えるって言ったら不思議ちゃん扱いされちゃったっけ。
雪白美洲、白銀あくあ、玖珂レイラ。
役者として憧れるのは誰ですか?
そう聞かれたら私は間違いなくこの3人の名前を出すだろう。
見ようとしていなくても、他を見ていても、この3人が現場に入ってくると全員の視線が強制的にそちらへと向けられさせてしまう。
あの光景に遭遇して、1人の役者として負けた……そう思わなかった人はいないんじゃないかな。
『うちじゃもうスターは最初からスターって決まってるからね』
謹慎期間にいっそ海外で活動してはどうかと思っていた時に、幸いにもうちのジャズバーに遊びに来たステイツの映画監督とお話しした時の事を思い出した。
『だって、雪白美洲も玖珂レイラも白銀あくあも脇役なんてやらないでしょ。この意味わかるかな?』
『……はい』
最近だと白銀あくあさんの伝説的なデビュー作、はなあたの事を思い出す。
彼の演じる夕迅は人気キャラだ。でも、登場する男性キャラの中ではヒロインと結ばれるメインのキャラじゃない。それでも彼は主役を食ってしまった。
男性役を演じていた石蕗さんだけじゃない。主演女優である綾藤翠さんをも、白銀あくあさんの演じる夕迅が全てを奪ってしまったのである。
【キャ〜っ! あくあ様凄すぎ!】
【5分も出てないのに、あくあ様の事しか記憶に残ってません!!】
【ヒロインもさぁ〜、男の子捨てて夕迅様にしよ?】
【いや、むしろこれでいいんだよ。夕迅様はヒロインと付き合ってない。つまり、フリー、みんなそれでいいな?】
【捗る、お前天才かよ!】
【捗る……生まれて初めてあなたを認めてあげてもいいと思ったわ】
【あの嗜みが捗るにデレただと!?】
……なんか余計なところまで遡って思い出した気がするけど、こんな感じの反応をしていたと思う。
白銀あくあは脇役をやらない。私はこの一言で、それ以上その監督に何かを言う事はできなかった。
果たして自分にそれができるだろうか?
私は役者としては存在感がある方だと言われるし、独特な雰囲気や自分だけの世界観を持っていると言われているけど、この3人は明確に自分の上だってわかる。
そんな事を考えていると、授業を担当する先生が教室の中に入ってきた。
私は教科書を机の上に出すと、一旦思考を止めて授業に集中する。
「みんな、またねー」
「ね、ね。ヒスイちゃん。今日、お仕事ないなら一緒に遊びに行こ!」
「うん、いいよ」
「カラオケ? ボーリング? どっちにする?」
「いや、ここはバッティングセンターでしょ」
「うんうん、将来、あくあ君と草野球するためにも!」
「でも、あくあ君、この前、フットサルしに行ってたよ」
「じゃあ、フットサルだ!」
「あれ? さっきバスケットするって情報が私のところに……」
「よし、バスケットにしよう!」
掃除の時間が終わると、クラスの中心グループが真っ先に出ていった。
それに続いて部活があるクラスメイトたちや、加藤さんのように用事があるクラスメイト達が続いて教室を後にする。
人間観察をしながらゆっくりと帰る準備をしていた私は、荷物を持って席を立った瞬間に隣の席に座っていた皇くくりさんと目が合う。
存在感があると言えば彼女もその1人だと言える。
ただ、祈ヒスイさんと違って、彼女は近寄り難い雰囲気があるのか、人だかりができているを見た事がない。
「さようなら」
「さようなら」
手短で簡単な挨拶を皇くくりさんと交わした私は、1人で教室を後にする。
するとこの学校……いや、この世界の中心人物が周りに人だかりを作っていた。
「おい、慎太郎! 今の見たか!?」
「どうした、あくあ?」
「どうしたもこうしたもないだろ。今、七星先生のスカートが風で捲れそうになってたんだぞ! お前は男して胸がときめかなかったのか!?」
「スカートが捲れて胸がときめく? くっ……! 悪い、あくあ。僕には何を言っているのか、まだよくわからないみたいだ」
周りに居た女子達が一斉に暑いだのなんだの言ってスカートをパタパタさせる。
これって私もしておいた方がいいのかな?
ううん、10月にスカートぱたぱたさせていたら、頭のおかしな子に見えるからやめておこ。
「慎太郎、わからなくていいよ。また、あくあがバカ言ってるだけだから」
とあちゃんは周囲の生徒達をキッと睨みつけると、あくあさんの耳を引っ張って校門へと向かう。
「と、とあ!?」
「僕、カノンさんが来るまでの間、あくあの管理をお願いって頼まれているから。ほら、慎太郎も行くよ」
「ああ」
私は3人の後ろ姿を見ながら駐輪場へと向かう。
ここから自宅まで20kmもあるから本当は電車通学なんだろうけど、うちのお店は流行ってるわけじゃないのでそんなにお金があるわけじゃない。
ましてや姉妹も多いから、交通費の節約のために自転車は必須だ。
私は近所の人からもらったお古の自転車に跨ると、乙女咲名物の坂道を下って自宅に向かって走り出す。
「ただいま」
「あっ、ルリカお帰り!」
帰りに頼まれていた買い物をして帰ったら、思っていたよりも遅くなっちゃった。
私はお店の冷蔵庫の中やに頼まれていたものを入れると、手慣れた手つきで消耗品を補充していく。
「ルリねぇおかえり〜」
「おかえち」
「おかえちじゃなくておかえりだよ」
「ね、ね、ルリねぇ。今日のあくあ様はどうだった?」
自宅のある3階に上がると、先に帰ってきていた妹達に囲まれた。
私は妹達の話を聞きつつ、学校の制服を脱いで仕事場の服に着替える。
「それじゃあルリカ。お店の方はお願いね。私、今日は隣の居酒屋さんでバイトしてるから、何かあったら言って。あ、もちろんアルコールメニューは出さなくていいからね。立て看板にもそう書いてあるから」
「うん、わかった」
私の母はお人好しだ。
ここにいる姉妹達は勿論のこと、私だってお母さんとは血が繋がっていない。
お母さんは、このネオンの明るい町で行き場のなくなった子供達を引き取って1人で子育てをしている。
『お母さんも昔、ここで助けられたから』
お母さんはそう言って、笑顔で育児放棄されて1人で街を彷徨っていた小さな女の子の手を引いてきた。
私もそんな母親の助けになれたらいいと思ったのはいつの時だっただろうか。
『君、芸能界に興味ない?』
私をスカウトした人は、私が小学生だって聞いて驚いたって言ってたっけ。
そんなに老けているとは思えないけど、スカウトした人曰く、大人びた雰囲気がすごく出てたから高校3年生くらいだろうと思ったって言われたのを良く覚えている。
服を着替え終わった私は、1階に降りてロッカーの中にある箒とちりとりを取り出す。
「ルリカちゃん、おはよ」
「おはようございます」
隣のお店で働いているメンズ役のお姉さん? ん? お兄さん? 達と軽く挨拶を交わす。
彼女達はお店で何かトラブルがあるとよく助けてくれる。
このお店から出ていくお客さん達がみんないつもいい笑顔をしているのが店内から見えるから、きっとこの人たちはいい人達なんだろうなと思う。
「もしかして今日はお留守番かな?」
「はい」
私は顔の半分を隠すヴェネツィアの仮面をつけた勤務前のお姉さん達と、他愛もない会話をしながら掃除を続ける。
ああいうお店では、少しでも女性らしさを隠すためにこういった仮面を着用する事が多いらしい。
「気をつけてね。なんかあったらうちのお店に逃げてくれていいから」
「はい、ありがとうございます」
私は会話していたお姉さんにぺこりと頭を下げる。
外の電気をつけて店内に戻った私は、掃除道具をロッカーに片付けて店内に置いてある看板を持ってもう一度外に出た。
看板を出したからといってもちろんすぐにお客さんが来るわけじゃない。
私は店内に入ると、拭き仕事をしたり、料理の下拵えをして時間を潰す。
「邪魔するよ」
「いらっしゃいませ」
常連のお客さんが来たので、私はいつも座っているカウンター席にいつものコーヒーを提供する。
いいな。店内に流れるジャズのレコードと、コーヒーの香り、この静かで穏やかな時間が私はたまらなく好きだ。
続けて何人かの見知ったお客さんがやってくる。
あれ? この人、初めてかも……。
お店を開店して2時間くらいが経ったくらいだろうか。
仮面をつけた男装のお姉さんがお店の中に入ってきた。
その人は私を見た後に、慌ててポケットから携帯端末を取り出して何かを打ち込む。
【ここのお店でピアノを弾いても大丈夫ですか?】
ああ、この人は徹底している人なのだとわかった。
いくら男装して輪郭が隠れるマスクを身につけていても、声で女性だってわかる事は多々ある。
だから実際にプレイを徹底して喋らない人もいるって、話を隣のお店で働いているお姉さんから聞いた事を思い出した。
「もちろんです。ただし、ドリンクだけワンオーダーお願いできますか?」
お姉さんは私にもう一度何かを打ち込むと、その画面を私に見せる。
【ありがとうございます。それでは、アップルジュースでお願いします】
ふふっ、大人びた雰囲気なのにアップルジュースだなんて、この人、結構可愛い人だなと思って思わず笑みが溢れそうになった。
スーツを着た男装の麗人にお客さん達の視線が向けられる。ああ、この人、モテるだろうな。
立ち居振る舞いがものすごく落ち着いた大人の男性のように見えるからだ。ふふっ、でもアップルジュースって。まだ、ミルク多めのコーヒーの方が格好がつくけど、こういうところも女性の心理をくすぐるんだろうなと思った。
【美味しかったです。このお礼に貴女にこの曲を送らせてください】
なんの曲だろう?
その人はピアノの椅子に座ると、高さを軽く調整して、そっと鍵盤に指を乗せる。
あっ……。
暗闇の中に零れ落ちていく光の雫が目の前に見えた。
実はピアノって最初の音で、自分の好きなタイプの弾き方かどうかがわかっちゃうんだよね。
最初の優しいタッチで、この人のピアノの弾き方は私の好きな弾き方だなと思った。
ドビュッシーの月の光を思い出す旋律だけど、一体なんの曲なんだろう。
綺麗……。でも、それ以上に悲しい。でも、この悲しみは嫌な悲しみというよりも、ノスタルジックでどこか懐かしい感じがする。
時間はわずかに3分少々……。その場に居たお客さんが全員、恋に落ちてしまうほどのうっとりと聞き入ってしまうような演奏だった。
【続けても?】
もちろん、好きなだけ弾いてください。
店内に心地のいい時間が流れる。お母さんにも聞かせてあげたいな。
そんなことを考えていると、少し騒がしいお客さん達が店内に入ってきた。
「あ、音ルリカだ」
「へぇ、こんなところでバイトしてるんだ」
お店に入って私だと気がつく人は少なくない。
私は変に反応する事なく、至って普通に応対する。
「あれ? 高校生がこんな時間にバイトしていいんですか?」
「また炎上して休止期間が伸びちゃいますよー」
ここは実家だし、今日はアルコールを提供してないから別にいいの。
でも、ここでそう言い返したら私の実家がバレちゃうし、それはそれで面倒臭いから黙っておこう。
「こんな小洒落た夜のお店でバイトしてるなんて、やっぱり音さんって遊び慣れてるんだ」
「じゃあ、あながちSNSの情報も嘘じゃないのかも」
はぁ……。せっかく今日はいい気持ちだったのにな。
私は他のお客様達に迷惑にならないように、2人組の女性達に声をかける。
「すみません。静かにしてもらえますか?」
「なんで? ここって楽しくおしゃべりできるところじゃないの?」
それは、その日の雰囲気ってものがあるでしょう。
今日はおひとりさまのお客様が多いし、2人組で来られた方もすごく静かにしています。
お姉さん達は良い大人なのに、周りを見てそんなのもわからないんですか?
って言いたくなったけど、酔っているお客さんに何を言っても無駄だ。
「お代は結構です。申し訳ありませんが、お店から出てもらえないでしょうか。他のお客様のご迷惑です」
「はあ? 芸能人だからって調子に乗っているんだろ!」
1人のお客さんが凄い剣幕で立ちあがろうとしたのを、常連客のお客さんが止める。
「おい、良い大人が酔って子供に向かって何やろうとしてるんだよ」
「うるさい。私は客だぞ!! こんな廃れた場末のカフェバーに来てやってるんだからむしろ感謝しろ!」
悪かったわね。廃れてて。
それでも今日だってお客さんでいっぱいだもん。
「はぁ、これだから育ちの悪いガキは。あっ! もしかしてここ、お前の実家か? は! こんなところの生まれだから飲酒喫煙で活動休止になるんじゃないかぁ〜?」
育ちが悪い? それってもしかしてお母さんの悪口を言ってるの?
確かに計画的に子供を引き取ってくれば良いのに、って子供の頃に考えた事はあるよ。
でも、ここには親の育児放棄で戸籍のない子供達だってたくさんいるの。
市役所や警察だって実の親の権利関係や法律を考えたら簡単に動けないし、支援する団体にだって限りはある。
じゃあ、行き場のない子供達をそのまま放置しておくの? うちのお母さんはそんな事をしたりなんてしない。
私が言い返そうとしたら、誰かが腕を広げて私とそのお客さんの間に入った。
「な、なんだよ?」
あ、ピアノの人……。って、この人、身長たっか!
酔っていたお客さんも男装の麗人を見て怯んでしまう。
私を庇うように立ったその人は、携帯電話に入力した言葉を音声ソフトで読み上げる。
『人の人生において生まれや育ちが全く影響がないとは言わない。でも、重要なのは、自分がどう生きて、どう生きたいかだ。自らの人生と魂、心の在り方を決めるのは親でもなければ神様でもない。それはその人自身のものだ。なぁ、君はどう生きたい?』
自分を決められるのは自分だけ……。
スーツを着た男装の麗人は、その人にゆっくりと顔を近づける。
『君はお酒に酔った大人が、子供に絡む事が正しいと言えるのか? 君を立派に育て上げた親御さんはどうだった? そうじゃなかっただろう? もし、そうだったとしたら、君も同じようになりたいのか? もう一度君に訪ねよう。君はどう生きたいんだ?』
スーツを着た男装の麗人に詰め寄られたお姉さんは、冷静になったのか私に対してからみ酒をしてしまった事を謝る。私も特に大きい問題にしたいわけじゃなかったので、お代金だけをもらってその場を諌める事にした。
私がスーツを着た男装の麗人にお礼を言おうとすると、その人はポケットのお財布からお金を出してカウンターの上に置く。
【今日の代金と、お客さん達にそこから一杯奢ってあげて。お釣りはチップで】
いやいや、チップにしては明らかに多いんですけど!?
私が慌てて止めようとしたら、その人はさっさとお店を出て行ってしまった。
「自分を決められるのは自分だけか……」
お店を閉めた後、コップを洗ってる時にあの人の言葉を何度も反芻した。
今、女優として活動できない状態の私にあの人の言葉が深く刺さる。
このままじゃ、私はいつまで立っても女優として活動する事ができない。
私は実家の手伝いをするのも好きだけど、女優をするのもすごく好きだ。
一度、ちゃんと事務所に話さなきゃいけない時が来たのかもしれない。
私は覚悟を決めると、水道の蛇口を捻って水を止めるとお店の電気を消した。
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