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白銀あくあ、芸能人の1日。

 長野から実家に帰宅した俺を待ち受けていたのは、カノンの出産に備えて今までストックしていた分の仕事だ。

 朝早くに起きた俺は、服を着て迎えに来てくれたスタッフさんに元気よく挨拶する。


「おはようございます!」

「おはようございます」


 会社の車に乗って白銀キングダムを後にした俺は、早朝の丸の内に向かう。

 日中や休日には人で溢れるこのビジネス街も、この時間は人通りも少なく撮影にはもってこいだからだ。

 すぐに目的地に到着した俺は、そのまま車を降りてスタッフの皆さんやノブさんに挨拶をする。


「あくあ君、大丈夫? 寒くなぁい?」

「いやー、寒いけどまぁ、そこは気合いでなんとか我慢します!」


 俺は用意してくれた衣装に着替えると、指示された通りにビルの前をゆっくりと歩いていく。

 今回の撮影は、働いている男性達の希望で一週間の着こなし特集をやるためだ。

 まだ薄暗い時間から撮影がスタートするので、最初は月曜日ではなく、仕事終わりに遊びに行く金曜日を想定したコーディネートから始める。


「アッー! いいわよー! その調子、うんうん、ほら、次はコートを脱いで頂戴。はぁはぁ!」


 最初からテンションマックスなノブさんの指示で俺は脱いだコートを小脇に抱える。

 俺は遊び慣れた大人の男性をイメージした振る舞いをしつつ、ノブさんの要望に淡々と応えていく。


「次は木曜の撮影をやってみようかしら」


 俺は黛から借りたメガネを装着すると、今度は真面目な着こなしで仕事のできる雰囲気のビジネスマンを装う。

 金曜日に定時ですぐに帰れるように、木曜の間に週末までに片付けないといけない仕事を全て終わらせるという鉄の覚悟をイメージしてある。


「次は土曜かしら。プライベート感出していきましょう」


 革ジャンに着替えた俺は、愛車のバイクと一緒に駅前で一緒に撮影する。

 この日の為に、バイクは前日から撮影現場近くのベリル本社ビルに預けていた。


「ノブさん、この写真だけ後でもらえます?」

「もちろんよぉ!」


 帰ったらカノン達にも見せてやろう。

 そしてまだ赤ん坊のかのあを英才教育するために、バイクの写真をたくさん見せて刷り込んでおかないとな。

 もし、かのあが俳優の道とか芸能界の道に進むなら、親子2代のドライバーとかもやってみたい。

 その時は俺も司令役か、先代ドライバー役で出て親子変身とかしたいなぁ。その話を本郷監督とアイの前でしたら、本郷監督は子供のように目をキラキラさせて、アイは現実になんとかって言葉を呟きながらぶっ倒れた。

 今度編集さんに、アイも疲れてるみたいだから、あんまり無理させないであげてねって言っておこう。


「この調子で、残りもじゃんじゃん撮っていきましょう」

「はいっ!」


 俺は次々と用意された衣装に着替えて撮影をこなしていく。

 そうして撮影が終わる頃には、街にも少しずつ人の気配が感じられるような時間帯になる。


「ノブさん、今日はありがとうございました!」

「あくあ君もお仕事頑張ってね!」


 俺は先に車に乗って現場を離れるノブさんを見送る。

 すると、俺の存在に気がついたファンの人達が少しだけ騒ぎ出した。


「あ、あくあ様!?」

「あくあ君が撮影してる!」


 おっと、大きな騒ぎになる前に俺もさっさと移動しなきゃな。

 俺は行きとは違う車に乗り込む前に、撮影に気がついた人達に手を振る。


「来月雑誌出るからSNSチェックしておいてな!!」

「はい!」

「絶対に買います!!」

「自分用と布教用と保存用と捗る用ですね!!」


 ん? 今、最後になんて言った?

 自分用と布教用と保存用はわかる。

 だって、俺もアヤナの水着グラビアとか出たら布教用でカートン買いするつもりだ。

 でも、最後のはか……はか、なんだって?

 ま、まさか……破壊する用とかじゃないよな!?

 過激なファンだと、応援してるアイドルが何かやらかした時にCDを割ったりする人達も居ると聞く。

 俺も雑誌を破かれたりしないように頑張らなきゃな。

 車に乗り込んだ俺は、頬を手で叩いて気合を入れ直す。


「次は早朝のニュース番組出演です。ついでに朝食も終わらせましょう」


 番組出演と朝食を一緒に終わらせるってどういう事?

 車が少し走ったところで降ろされた俺は周囲を見渡す。


「あれ? ここって月島?」

「はい。そこのもんじゃ焼きのお店がロケ地です」


 もんじゃってこんな時間からやってるの!?

 えっ? 特別に開けてくれた? なんか申し訳ないな。

 俺はお店に入ると、カウンターで待ってくれていた女将さんに声をかける。


「おはようございます! すみません。こんな朝早くからお店を開けてもらって」


 俺は頭を下げながら、申し訳なさそうな顔をする。


「いいんですよ。それよりも……まぁ。テレビで見るよりも男前なのねぇ。身長も高いし、うちのお店でバイトしてる若い子達が夢中になるのもわかるわぁ」

「はは、ありがとうございます」


 俺が視線を横に向けると、バイトの女の子たちが隅っこからこっちを見ていた。

 みんな女子大生くらいかな? 俺は手を振って「今日はよろしくお願いします」と頭をペコっとさせる。


「きゃっ!」

「生のあくあ様やばい!! 東京にずっと住んでるのに初めて見た!」

「そりゃ嗜みもイチコロですよ」

「あのお硬い姐さんや揚羽さんだってコロッといきますよ」


 俺は笑顔を向けつつ、お店の中をぐるりと見渡す。

 さすが、駅の側にあるだけあって広いお店だな。

 俺はスタッフさんや女将さんと相談して、どこの場所に座るかを決める。


「やっぱりカウンターのここじゃないですか?」

「そうですね。ここが1番画角的にもいいと思います」


 生中継開始まであと10分くらい。俺は席に座るとメニューを見てもんじゃを選ぶ。

 うーん、俺としては朝からガッツリとしたメニューでも大丈夫だけど、視聴者の事を考えたらさっぱりしたもんじゃの方がいいかも。となるとオーソドックスに素のもんじゃか?


「うちはトッピング自由だから、自分用にアレンジしてもらっても大丈夫ですよ」

「あ、じゃあ素もんじゃに梅しそと刻み海苔お願いします!」


 せっかくだからこれを機に朝もんじゃを流行らせよう。

 もんじゃって意外とヘルシーだし、ホットプレートがあれば気軽に調理できるし、おそらくテレビを見ているであろう大多数の女性陣にはウケるんじゃないかなと思った。

 俺は近くに居たバイトの女の子達に声をかける。


「みんなは、どう思う?」

「いいと思います!」

「私も後で同じ賄い食べます!」

「朝もんじゃ、意外とアリかも!」


 うんうん、やっぱり女の子にはウケが良いみたいだ。

 それに少し会話した事で、バイトの女の子達も少しだけ緊張がほぐれた様な気がする。

 良い撮影をするためには、周りが緊張しない環境を作る事が重要だ。

 小雛先輩は逆に周りを緊張させて現場をピリッと締めるタイプだけど、そこは人それぞれによると思う。

 どっちが正しいかではなく、その人に合った現場づくりが大事だ。


「本番開始まで5秒! 3、2……」


 俺は自然な感じでカメラに視線を向ける。

 

『ええっ!? あくあ君!?』


 んん? この少しだけ間抜けな声は楓か!?

 って事はこれ、国営放送のロケだったの!?

 俺は撮影のカメラに貼られたシールを見て初めてこれが国営放送のロケだと気がつく。

 ぉぅ……そこまで見てなかった。


『白銀あくあさん、おはようございます。国営放送のおは日、今週の水曜司会を担当している鬼塚響子と森川楓です!』

「おはようございます! 鬼塚アナ、うちの楓がご迷惑をおかけしてませんか?」

『うちの楓ぇ!?』


 楓? まさか今のだけでびっくりして後ろに倒れたりしていないよな?

 慌てた声を出す楓の事が心配になる。


『ほら、森川、しっかりして。貴女も少しは慣れなさい! もう結婚してるんでしょ?』

『いや、こういう不意打ちには慣れとかないっす……ガクッ』


 おい、楓ー? しっかりしろー!!

 スタジオの映像をモニターで確認していたスタッフさんの1人が俺にカンペを見せる。


【モリカワ ブジ フザケテルダケ】


 なるほど、それなら心配する必要はなさそうだな。

 俺は普通にカメラに向かって手を振る。


「皆さん、おはようございます! 水曜日、週の真ん中日で憂鬱になりがちな日だけど、テレビの前の皆さんは元気ですか? 学校に行きたくないな〜、会社を休みたいな〜、と思ってる貴女に元気を届ける。BERYLの白銀あくあです!」


 ちなみに俺も今日は普通に学校がある日だけど、通常の登校ではなくオンライン授業だ。

 そういえば、今日は七星エレナ先生が担当する外国語の授業がある日か……。

 くっ、あのロケットが生で見れない事が残念だ。


「ところで皆さん、朝からもんじゃって食べた事ありますか? 意外とないでしょ。でもね、朝にもんじゃはヘルシーでいいんじゃないかなと思ってます。脂質も少ないし、野菜も結構入ってるし、手早くできるって事を考えたら、結構魅力的じゃないですか? というわけで……朝早くから、月島にあるもんじゃ屋さんにお邪魔させてもらいました! 女将さん、おはようございます!」


 国営放送は確か企業名をあまり出さない方がいいんだっけ。

 でも、この画角ならお店の文字が入ってるから、番組を見てる人はどこで撮影しているかすぐにわかるだろう。

 俺は女将さんと会話を進めつつ、目の前で焼かれているもんじゃの焼き上がりを待つ。


「美味しそうですね。実はさっきまで撮影の仕事をしていたので、お腹ペコペコなんですよ」

「はい、お待たせしました。ご注文の、素もんじゃ白銀あくあトッピングです!」


 女将さん……この大きな店を切り盛りしてるだけあって、流石に抜け目がないな。

 だから俺に追加トッピングを俺にお勧めしてきたのか。

 俺はテレビの前で見ている人達に向かって、自分が選んだトッピングを説明する。


「はふはふ……ん! うまい! やっぱりもんじゃはこの生地がいいですよね」


 俺はみんなにもんじゃを食べた感想を表情と言葉の二つで上手に伝える。


『あくあ君、いいな〜。私も、もんじゃ食べたくなってきた……』


 お腹を空かせた楓の顔がすぐに頭の中に浮かんできて、俺も思わず笑みを溢す。

 こういうわかりやすいというか、シンプルなところが楓の良い所だよな。


「じゃあ、明日はもんじゃにしようか。楓、あまり無理せずお仕事頑張ってね」

『やったー! あくあ君も無理しないでね!!』


 なんか……いいのかな? 朝から普通に夫婦の会話っぽくなっちゃってるけど……えっ? これでいい? 視聴者はそういうのが見たかった? あ、はい……わかりました。


「鬼塚アナ、楓が無茶しない様にお願いしますね」

『はい! 任せておいてください!』


 鬼塚アナにはいつも楓の事や俺たちの事でお世話になってるから、何かでお返しできたらいいんだけどな。

 何がいいんだろう? カノンは出産直後だから、暇そうに見える小雛先輩かえみり辺りに相談してみるか。


「みんなも朝は俺と一緒にしっかり食べて、この後の学校やお仕事を乗り切りましょう! それじゃあ、またね〜!」


 俺は最後にカメラに向かって手を振る。

 放送が終わった後は普通にもんじゃを食いまくった。

 だって、お腹空いてたし!


「今日はお世話になりました! ありがとうございます!!」

「こちらこそ。また、いつでもいらしてくださいね」


 俺はお世話になったお店の人達に手を振ってお店を出る。

 うわっ! 暖簾をくぐってもんじゃ屋さんの外に出ると、テレビを見て気がついたのかご近所さんたちが詰めかけていた。


「あくあ君、朝からありがとう!」

「次は私のお店にも来てください!」

「あっ! 抜け駆けずるい!」

「あくあ様、こっち向いてぇ〜!」


 俺は手を振って笑顔でみんなの声援に応える。

 ロケバスに乗り換えて次の目的地に向かって出発したところで、俺はタブレットのアプリを開いてオンラインの授業を受けた。

 そして俺たちの乗ったロケバスは、朝のラッシュを避ける様に月島から高速に乗って東京の外に向かう。


「あくあさん、目的地に到着しました」

「わかりました。あ、運転ありがとうございます!」


 ロケバスに乗って3時間余り。ちょうど3時間目の授業が終わったところだ。

 俺は休み時間の間に外に出ると、ロケ地となる銚子市の屏風ケ浦の状況を確認する。


「おおっ! 相変わらずここはすごいな!」


 スターズウォーでスターズのドーバーにロケに行った時の事を思い出す。

 何よりもここはヘブンズソードでの撮影にも使った思い入れのある場所だ。

 俺は一足先に現地入りしていたモジャさんに声をかける。


「撮影は日が沈む少し前からだそうだ。今、本郷監督がカメラ担いでロケハンのポイント探してるから、お前さんはそれまでゆっくりしてな。ああ、そうか、それまで授業があったか」


 モジャさんは頭のてっぺん辺りの髪をカキカキすると、俺の背中をポンと優しく叩く。


「お前さんもやる気はあるのがいいが、あんま無茶するんじゃねぇぞ。倒れたら元も子もねぇからよ」

「はい。ありがとうございます」


 俺はモジャさんに素直に感謝の言葉を返すと、ロケバスの中に戻ってオンラインの授業を受ける。

 お昼休みの時間になると、ロケハンから帰ってきた本郷監督とも合流してみんなで海鮮丼を食べに行く。

 外ロケの魅力といえばこれだよな!

 少しの時間だけどスタッフのみんなとの親交を楽しむ。

 俺は合間合間で打ち合わせや確認をしつつ、午後の授業もオンラインで全部受けた。


『あくあ君、お仕事頑張ってね』

『長野から帰って来たばっかりなのですから、あまり無理しないでくださいまし』

『そうそう、あくあ君が倒れたらみんなが心配するんだからね!』

「ああ、うるはもリサもココナもありがとう。3人も部活頑張ってな」


 俺はカメラに映った3人に手を振る。

 そうやって俺はカメラに映ったみんなに手を振っていく。


『あくあ、一応ノートは取っておいたから、必要ならまた後で言ってくれ』

「ありがとな。慎太郎。それとお前から借りたメガネ、助かったよ」


 俺の言葉に慎太郎は照れくさそうに笑う。

 なんだろうな。お前はずっとそのままでいてくれよ。


『あくあ、今日は七星先生の授業だったのに、生で受けられなくて残念だったね』

「な、何の事かな?」


 俺はとあから視線を逸らして口笛を吹く。

 な、なんで俺がいつもエレナ先生のロケットをコソ見していたのがバレたんだ!?


『言っておくけど、月街さんとか千聖さんとか杉田先生は絶対に気がついてるよ。七星先生はちょっとわかんないけど……』

「嘘……だろ?」


 くっそ〜! 次からはもっと気をつけてチラ見しよ!

 俺はこっそりとそれを教えてくれたとあに心から感謝する。


「あれ? ところでアヤナは?」

『月街さんなら一番最初にさっさと帰ったよ。だって、こういうのを見られるの絶対に恥ずかしがるだろうし』


 マジか……。

 少し残念な気持ちになったけど、周りにニヤニヤした顔で見られながら、顔を赤くして1人教室から出ていくアヤナを想像しただけですごく満たされた気持ちになった。

 ありがとう、アヤナ。アヤナは想像でも俺の事を満たしてくれるんだな。

 俺はオンライン授業用のアプリを切ると、用意された衣装に着替えてロケバスの外に出る。


「何、オンライン授業終わった? あんた、サボったり授業中によそ見してないでしょうね?」


 アヤナからのこの落差である。

 ロケバスの外で待っていた小雛先輩を見て俺は回れ右をしたくなった。


「ほら、バカやってないで太陽が沈む前にさっさとリハするわよ!」

「はいはい。わかってますって」


 俺は赤いドレスを着た小雛先輩の横顔を見ながら少し後ろからついていく。

 うーむ。こうやってみるとやっぱり女優なんだよなぁ。

 俺と小雛先輩はモジャさんと本郷監督が待っている場所へと向かう。


「それじゃあ少しだけリハした後に、CMとCMに使う曲のPVを同時に撮影する事になるけど大丈夫かな?」

「「はい!」」


 今回のCMは俺が契約しているコロールのジュエリーラインを宣伝のためのものだ。

 俺達がリハを終えると、ジュエリーの入ったアタッシェケースを手に持ったスーツ姿の女性達が近づいてくる。


「絶対に落とさないでくださいね」

「「はい」」


 こういうCMで使うジュエリーは通常に販売されているものではなく、一点ものの値段のついてないものが多い。

 俺と小雛先輩は白手袋をしたスーツの女性達に、ン億円もするであろうジュエリーを体に着けて貰う。


「2人とも準備はいい?」


 本郷監督の言葉に俺と小雛先輩は頷く。


「勝負は一発限り! 太陽が沈んでいく時間帯だけです! 日が暮れる前に全てを終わらせましょう!!」

「OK! あくあ、気合い入れるわよ!」

「はい!!」


 リハまでの和やかな雰囲気と違って、俺と小雛先輩のスイッチが入る。

 それを見たスタッフさん達の間にも、ピリッとした空気が張り詰めていった。


「シーン1、小雛ゆかりさんは素っ気のない態度を取りつつあくあ君の事を誘ってください」


 コロールが今回の撮影相手に小雛先輩を選んだのはこれが理由だろうな。

 男性に靡かない孤高の女というイメージが小雛先輩にはぴったりだ。


「はい、カット! 2人とも完璧! この調子でどんどん次のシーンに行きましょう!」


 俺と小雛先輩は順調よく撮影をこなしていく。

 そして今回の撮影で最大にして最後の難関と呼ばれるシーンの撮影に差し掛かる。


「日没までもう時間がないから一気に行くよ! 2人とも怪我にだけは気をつけて!!」


 ふぅ……。俺は軽く息を吐いて、隣に居る小雛先輩へと視線を向ける。

 すると小雛先輩も俺の方へと顔を向けた。


「信頼してるから」

「任せてください」


 ラストシーンは俺と小雛先輩のコンテンポラリーダンスだ。

 その中にはアクロバットなダンスもあるので、崖上で披露するには結構危険だったりする。

 そういう意味でも、このシーンの撮影は失敗するわけにはいかない。


「ラストシーン! 5、4、3 、2、1……!」


 俺と小雛先輩は曲に合わせてダンスのシーンを撮影する。

 小雛先輩……運動が苦手で体も硬いのにこんなにできるようになるなんて、沢山練習したんですね。

 その小雛先輩の頑張りに応えたい。ダンスの得意な俺が上手くリードをして小雛先輩の身体と動きをしっかりと支える。

 俺達のコンビはリフトやターンのシーンも上手くこなし、いよいよダンスのシーンもクライマックスに近づく。

 最後のシーンは日没に合わせて、崖の上で小雛先輩が俺の体を軸にしてターンをする。

 そこで問題が起こった。


 危ない!


 小雛先輩が手を滑らせて掴んでいた俺の体を離してしまう。

 そのシーンを固唾を飲んで見守っていたスタッフ達の顔が恐怖に変わる。

 誰しもが最悪の事態を想定したのだろう。

 しかし、楓に負けない俺の動体視力と反射神経を舐めてはいけない。

 咄嗟に小雛先輩の腕を掴んだ俺は自分の方に抱き寄せて、上手くダンスシーンに昇華する。


「あっ……」


 小雛先輩の視線が俺から逸れる。

 俺はその視線の先に自然と手を伸ばすと、崖から落ちて行こうとした小雛先輩のイヤリングを手のひらでしっかりとキャッチした。

 あ、あっぶねぇ〜!

 もう少しで崖の上からン億円のジュエリーを落として失くしてしまうところだった。

 俺と小雛先輩がもう一度目を合わせたところで、本郷監督のカットの声が現場に響く。


「2人ともすごく良かったよ〜! 最後のシーンは焦ったし、予定にはなかった感じになったけど、こっちの方が全然いいよ!!」


 本郷監督やスタッフのみんながめちゃくちゃ褒めてくれたけど、俺の隣に居た小雛先輩は少し不服そうだ。

 多分、完璧にできなかった自分を戒めているのだろう。

 小雛先輩は本郷監督やスタッフのみんな、コロールのディレクターの人たちに謝る。


「ねぇ」


 服を着替えるためにロケバスに戻ろうとしたところで、俺は小雛先輩に呼び止められる。


「さっきはありがと。あんたのおかげでうまくいったわ」

「気にしないでくださいよ。だから小雛先輩もあんまり……って言っても気にするんですよね」

「ふん! よくわかってるじゃない」


 本当にこの人は負けず嫌いなんだから。

 自分にも負けたくないなんて俺か小雛先輩くらいですよ。


「小雛先輩、この日の事はいつかどこかでリベンジしましょう」

「いいわね。その話のった! 次は私があんたをリフトで支えてやるんだから!!」


 いや、流石にそれは無理でしょ。

 世の中できる事と絶対にできない事があって、小雛先輩が俺を支えられるとはとてもじゃないけど思えない。

 でも、この人ならワンチャンあるのかもしれないとも思わせてくる。


「期待せずに期待してますよ」

「何よそれ。どっちかはっきりしなさいよ!」


 はは! 俺はプンスカする小雛先輩の頭を撫でる。


「ほら、そんな事よりさっさと着替えて晩御飯を食べに行きましょう。俺、もうお腹空いちゃって」

「そうね。切り替えましょ」


 小雛先輩は女優モードから、いつものだらしのない小雛先輩に戻る。

 俺と小雛先輩は服を着替えると、撮影を手伝ってくれたみんなと一緒に、ロケ地となった銚子市の人が予約してくれた地元のお店に向かう。

 やっぱり海が近い街は海鮮がうまいなぁ! 俺は新鮮な魚料理に舌鼓を打つ。


「皆さん、今日は本当にありがとうございました! おかげさまでいい撮影ができたと思います! お疲れ様でした!!」


 俺が最後の音頭を取って、晩御飯兼打ち上げが終わりになる。

 小雛先輩を抱えた俺は、マネージャーの小町ちゃんが手配してくれた帰りの車に乗り込む。


「ほら、小雛先輩着きましたよ。しっかりしてください」

「んん、わかってるわよ。もう」


 はは……最後のミス、本当に悔しかったんだな。

 俺はぐでぐでになった小雛先輩の手を掴んで、みんなの待っている白銀キングダムに帰ってきた。


「あー様、お帰りなさい」

「ああ、ただいま、結」


 夜遅いし、流石にみんな寝ちゃってるか。

 って、えみり!? 今、すーっと俺の後ろを通り過ぎて何事もなかったかのように結の隣に並ぼうとしたけど、こんな時間まで何してるの!? 妊婦なんだから夜更かししすぎちゃダメだよ!


「えへへ、すみません。昼に寝過ぎちゃったせいで寝れなくて庭で散歩してました……」


 あ、ちゃんとりんちゃんと一緒だったわけね。それならヨシっ!

 琴乃には内緒にしておいてあげるよ。


「それじゃあ結、悪いけど小雛先輩をよろしく。俺はちょっとだけ子供の顔を見てくるから」

「はい」


 俺は結に小雛先輩を預けると、もうスヤスヤモードに入っているだろうカノンの部屋を少し開けた扉の隙間から覗く。

 おっ、かのあやあのんもちゃんとスヤスヤ寝てるな。いいぞ。寝る子は育つから、沢山寝るんだぞ!!

 流石に今日は疲れたけど、愛する妻と子供の顔を見て一瞬で疲れが吹き飛んだ。

 俺は扉を閉めると、そのまま大浴場に行って風呂に入ってから自分の部屋で眠りにつく。

 

 さてと、明日からも頑張りますか!

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