92、100人斬りの女。
本日二本目の投稿になります。
株式会社ベリルエンターテイメント@公式SNS
お知らせ。
本日15時より急遽、当社所属のVtuber星水シロの先行お披露目テスト兼お知らせ配信をトゥイッチにて配信します。配信は1時間ほどを予定していますが、状況によっては変動する可能性がありますのでご了承くださいませ。
会社での休憩時間、SNSの通知を見た私はびっくりした。
時計を見ると時刻は14時55分、私は私用のノートパソコンを開くとイヤホンを耳に装着する。
掲示板の方を先にチェックすると、相変わらず住民たちが慌てていて吹き出しそうになりました。
Vtuber好きの私としては、大好きなあくあさんが所属する事務所ですからチェックしないわけにはいけません。
しかも下の名前はシロ……以前、たまちゃんの配信にあくあさんが出ていた時もシロと呼ばれていましたし、これは期待が膨らみます。
私が配信のアドレスをクリックすると、配信待機画面が映し出されました。
『wktk』
『ここって、あくあくん専用の事務所じゃないの?』
『一体何が始まろうとしてるんです?』
『シロちゃん? シロくん?』
『またなんかやらかすつもりじゃないだろうな?』
ふふっ、配信画面のコメントがあまりにも疑心暗鬼で、私は社内にいるにも関わらず吹き出してしまった。
それを見た遠く離れたテーブルの子たちが私を見てコソコソと話し始める。
「やべぇ……桐花さん、今笑ってなかったか?」
「誰かヤルつもりかな?」
「いや……あれはもうヤッた後の顔でしょ」
「だね、あれは乙女の顔じゃないよ。100人斬りの桐花の名前は伊達じゃない」
「まじ!? 桐花さんカッケー!!」
全部聞こえてるんですけど……。
言っておくけど、100人斬りはそんなかっこいいことじゃなくって、1人でクレーム対応100件処理した時のエピソードなんだから! 悪かったわね、こんな顔でこの歳まで処女で!!
「ヒィッ!」
「桐花さんがこっち見てる……」
「やばい、私たちも斬られちゃう」
「え? えっ? 桐花さんってそっちなんですか?」
「あっ……私、桐花さんとならいいかも」
ちょっと、一番端の若手社員、頬を赤く染めるんじゃありません。私にそういう趣味はありませんからね。後、変な噂を流すのもやめてもらっていいかな? 私、そろそろ本気で転職するよ?
まぁそれは置いといて……配信が始まりそうですね。私は周りの雑音をカットし、画面の映像とイヤホンから聞こえてくる音に傾注する。
ノートパソコンの画面のカウントダウンの数字が0になると、目の前に水色の髪の男の子があらわれた。
私好みの可愛い感じが母性と庇護欲に刺さる。
「ん? あれ? これもう繋がってるー?」
わーい、あくあさんの声だー!!
もしここが会社じゃなかったら私は両手を広げて大喜びしていたでしょう。
しかも予想通り、星水シロの中身はあくあさんでした。
私が心の中で感動に打ち震えていると、画面の前のあくあさんの顔が近づいてくる。
え? 待って、待って! シロ君、ここ会社だよ? お姉さんにそんな顔近づけて何をするつもりなのかな?
「みんなー? 聞こえてるー? これちゃんと映ってるのかな? 阿古さーん」
おそらく配信に遅延がついているのでしょう。
シロ君は顔を近づけてカメラを覗き込んだり、両手を振ったりしてコメント欄の方に反応がないかチラチラと視線を飛ばす。その姿が可愛くて私は身悶えたくなるのを必死に我慢する。
あああああ、無理、もう無理。この子をお姉さんのパソコンの画面の中で永久に飼いたいんですけど、どうすればいいですか?
『ああああああああああ!』
『聞こえませーん。だからもっと喋って!』
『映ってないよ? だからもっと近づいて!』
『首と目線をちょこちょこ左右に振るのがあざと可愛い……』
『シロくんはテイクアウトできますか?』
『シロくんはあくあ君ですか?』
『可愛いー! もっと動いてー!』
配信欄の反応も予々予想通りです。
後、Vに中の人の名前を聞くのはルール違反ですよ。お気持ちはわかりますが自重してください。
「あっ……そっか、少し遅延ついてるんだった。あ、はい……はい、わかりました。阿古さん」
シロ君は横に向くと、隣にいた社長と一言二言喋る。
普段は見れないであろうあくあさんの裏側の部分が少し垣間見えてドキドキした。
『社長、そこおるんかーい』
『あ、はい、わかりましたの下り、完全にあくあくんの声で素が出ててウケるw』
『阿古さーん! あくあ君をデビューさせてくれてありがとうございます』
『阿古さん、あくあ君を私にください。お願いします!!』
『やばい……こういう配信見るの初めてなんだけど、なんか距離感が近くてドキドキする』
シロ君は私たちの方へと視線を戻すと、コメント欄をチラリと見る。
どうやらようやく向こうのコメント欄に私達のコメントが流れたみたいだ。
おそらくこれは運営が、シロ君に見せたくない言葉を事前に弾くためだろう。
「あっ、みなさん、初めましてー! ベリルエンターテイメントVtuber部門所属の星水シロです。よろしくお願いしまーす!!」
画面の中のシロ君は改めて私に向けて手を振る。
正確に言えば画面の前の私たちに向けてなのだけど、そういう野暮なツッコミはしないでほしい。
配信を見ているみんなは、目の前の人物とマンツーマンの気分が味わいたいのだ。
「今日はお試し配信になるんだけど、みんなと雑談をしながらベリルエンターテイメントからのお知らせができればいいなって思ってます」
ふむ……星水シロからのお知らせでも白銀あくあに関するお知らせでもなく、ベリルエンターテイメントからのお知らせというところがポイントかもしれませんね。
『ベリルからのお知らせって何だろう?』
『雑談助かる』
『お姉ちゃんと、良いことしよ?』
『あくあ君の情報はありますか?』
『ベリルはHPのサーバーどうにかしてください! お願いします!!』
『シロくんは年上のお姉さんは好きですか?』
『自分、いいっすか?』
たまに怪しいコメントが混ざるが運営によって一瞬でBANされていく。
その中のIDに捗るさんがいたような気がしたけど、身内だと思われたら恥ずかしいので全力で見なかったことにする。
全く、あの子は自分に忠実すぎるんですよ。どうせ今だってだらしのない顔で配信を見ているんでしょう。その姿が容易に想像できてなんとも言えない気持ちになります。捗るさんはちゃんとした格好で、黙っていれば普通に超がつくほどの清楚系の美人さんなのに……。そう、黙っていれば……ね。本当に残念な子です。
「えっと……まずHPのサーバーだけど、実はスポンサーさんが決まったので近いうちに増強されるようです。サイトの運営もそうだけど、今は社長とスタッフの人が仕事の合間にやってくれている状態なんで、ちょっと大変なんですよね。近々、こちらも含めて色々とベリルから求人を出すみたいなんで、興味ある人は応募してみてください!」
私……ベリルに転職しようかな……。
でも、推しであるあくあさんと近づけるのは嬉しいけど……その反面で、やっぱり今くらいの距離の方がファンとしては適切なのかもと思うし、どうしようか悩みます。
『ふっ……どうやらついに私が就職する時がやってきたようだな』
『新卒で入った会社ブラックだし、転職しようかな……』
『悲報、履歴書が街から消える』
『10年ぶりに家の外に出ようと思う』
『書類選考だけで時間かかりそう……』
『サーバー稼働するならあくあ様のファンクラブも始動するのかな?』
これは大変なことになりそうですね。学生時代に買って余った履歴書、家に残ってたかな……?
「10年ぶりに外出る人は、太陽の光に気をつけて! 職場が忙しい人は、自分の体を一番に考えてあげてね。みんな、応募してくれるって言ってくれてありがとう! 星水シロのスタッフも募集してるみたいなんで、もしかしたら一緒に働くこともあるかもしれないねー、その日を楽しみにしてます!!」
シロ君のコメ返しもあって配信欄は大いに沸く。
『うぉぉぉおおおおお! あくあくんと同僚! これは誰かじゃないけど捗るぅ!!』
『あわ、あわわわわ、わ、私のゴミコメント、返してくれた……』
『私、上場企業の社長だけど今辞表書いてる。便所掃除でもいいからやらせてください』
『なんでもします! できればゴミ箱の掃除からやらせてください!!』
『あくあ君のマネージャー希望です!!』
『警備員募集してませんか? 24時間、あくあ君のお部屋を守らせてください』
そして案の定、怪しげな発言は秒でBANされていく。
分かっていても止められない女性としての本能に涙が出そうになりました。
「警備員さんは募集するみたいですよ。後、白銀あくあのファンクラブは8月中に先行募集して、9月には解禁だったと思うけど……あれ? これって言ってよかったんだっけ?」
ファンクラブの言葉に、思わず椅子から立ち上がりそうになってしまいました。
私の椅子の音に、遠く離れたテーブルの同僚たちがびっくりする。私が何したっていうんですか?
シロ君は横をチラチラと向いて、恐らくだけど近くにいる阿古さんに確認を取るような仕草をする。
『お漏らし? お漏らしですか!?』
『やったぁぁぁあああああ! ついにあーくん、本人に課金することができるぞ!!』
『星水シロくんの聖水……』
『ファンクラブ楽しみです!』
『ごくごく、ごくごく……』
『そのお聖水いくらで購入できますか?』
『一体、どういう内容になるんだろうか……』
『一桁ナンバーは熾烈な争いになりそう』
半分くらいのコメントが、すごい勢いでBANされていく……。
BANされると分かっていてもコメントする。なるほど、これはもう女としての業というやつかもしれません。
「ん、よかった、大丈夫だったみたい。心配かけてごめんねみんな。ファンクラブの内容は、一部の先出情報だったりとか、先行グッズ販売とか、毎月の壁紙とか限定メッセージボイスとか。ごめんね、実はまだそこらへんはあんまり詳しくは聞いてないから、覚えているところだとこんな感じだったと思う」
毎月画像やボイスメッセージが届くだけでも嬉しいのに、先出情報や先行グッズ販売は助かります。
毎月いくらかわからないけど、絶対に入ろう……。
「あ、それと、そろそろ配信終了の時間だから最後に告知しておくことがあって……画像出るかな?」
シロ君のすぐ隣に、夏コミのロゴが現れる。この時点で配信欄はざわつく。
「えっと……実はベリルエンターテイメントは、8月の夏コミの企業ブースに出展します!」
シロ君の発表とともに、配信欄は今日一番の盛り上がりを見せる。
私も間違えてテーブルの足を蹴飛ばしてしまった。そのせいで後ろの辺にいた同僚の女の子たちはそそくさと休憩室から出て行ってしまう。ごめん……ごめんね……。私、そういうつもりじゃなかったのよ。
『キタァァァアアアアア!』
『え、それ、エロいやつですか?』
『ちょっと大人向けのロムとかですか?』
『はぁはぁ……』
『穢れた女どもは自重しろ!!』
『おい、これ夏コミガチの死人出るぞ』
『ネタじゃなくなりそうwww』
『普通に嬉しい』
大半のコメントがBANされていく。
また捗るさんがBANされていたような気がしますが、もうここでは他人なのであんな恥ずかしい人は知りません。
「で、なんで、ベリルが出展するかっていうと……この度、ベリルエンターテイメントのVtuber一期生として、この人が加入してくれることになりました!」
シロ君の合図と共に、画面の外から見覚えのある猫耳のような髪の毛がひょこっと現れる。
あっ、たまちゃんだと、私はこの時点ですぐに気がついた。
『は?』
『あ、たまちゃんだ!!』
『たまちゃん、あくあくんと一緒に配信してたからなぁ』
『ベリル移籍おめでとうー!』
『この展開は、マユシン君もワンチャンある?』
『誰? 誰?』
『たまちゃんいつも配信見てるよー!』
『たまちゃん、こんにゃー!』
配信欄の雰囲気は思ったよりも好意的だった。
事前に男疑惑が出ている事もあって、それのおかげがあるのかもしれない。
なお、コメントでそれを書こうとした人は、さっきよりも早いスピードでBANされていく。
「えっと……一応はじめましてです。この度、ベリルエンターテイメントのVtuber一期生に、加入することになった大海たまです。よろしくお願いします」
たまちゃんは挨拶が終わるとペコリとお辞儀する。相変わらず可愛い……。
私は頑張ってとコメントした。
『たまちゃん緊張してるのか借りてきてるネコみたいw』
『ダウナーな感じだけど、今日はもしかして寝起き? それとも緊張してる?』
『よくみると、たまちゃんの上から羽織ってる黒のジャージの袖、白字でBERYL ENTERTAINMENTって書いてる。芸が細かい』
『何、そのジャージ欲しい……』
そのコメントに二人が反応する。
「あー、そういえば確かにそうだね」
「シロ君も背中に書いてあるよ」
「えっ、うそ?」
シロ君はくるりと背中を画面に向ける。
『あ、本当だ!』
『背中くるり可愛い!』
『こっちは白パーカーに黒字でBERYL ENTERTAINMENTなんだね』
『どっちも欲しい……』
確かに……。
「なるほどね、分かった、阿古さ……社長に伝えておきます」
シロ君の言葉に、みんなが配信欄でありがとうの言葉を送る。
もちろん私もそれに続いた。
「そういうわけで、話が少し脱線しちゃったけど、大海たまと星水シロはベリルエンターテイメントVtuber部門の第一期生としてこれから活動していくことになります! そして夏コミでは、先行して大海たまちゃんのグッズの販売と、二人のちょこっとしたイベントがある予定なので、公式SNSを引き続きチェックしてください。残念ながらジャージはまだ準備してないそうです。それと、星水シロのグッズはもうちょっと待ってくれると嬉しいかな」
たまちゃんのグッズ……欲しいけど買いに行けるかな。流石に無理っぽいし、どうしようか悩む。私ですら悩むくらい夏コミは過酷だ。過酷すぎて救急車で運ばれて迷惑かけるわけにもいかないですしね。
でもシロ君の、あくあ君のイベントがある以上、私にいかないという選択肢はないのかもしれない。
「これからベリルエンターテイメント所属の人は増えていくと思うので、引き続きそちらの方もチェックしてくれれば嬉しいです。今日はみんな突発的なのに、テスト配信に来てくれてありがとう!! またねー!」
「またね」
元気よく腕全体で手を振るシロ君と、小さく手を振るたまちゃん。
そこのギャップ差がまた可愛い。
『またねー!!』
『次の配信、楽しみに待ってます!!』
『こんなに距離感が近いとは思いませんでした! また、見ます!!』
『え? 他?』
『ありがとう、ありがとう! ありがとう!!』
『仕事サボってみた甲斐あった、助かる!』
『マユシン君クルー?』
『夏コミ行きます!!』
『イベント楽しみにしてます!』
『まさか男ばっかりとかないよな?』
すごい量のコメントが流れると、画面が真っ暗になって配信が終了する。
時刻を見ると、1時間よりちょっと前でした。
私はイヤホンを外してノートパソコンを畳むと、ルンルンとした気分で自らの机へと戻る。
なんでもその時の私の表情が怖かったらしく、帰る前に上司に呼び出された時に、誰を殺した白状しろと言われたので、この会社を辞めようか本気で検討しようかと思います。
帰りにどこかで履歴書売ってたらいいなと、淡い希望を抱きながら私は会社のビルを後にした。




