メアリー、みんなの笑顔のために。
かのあとあのんが誕生してから数日後。
私はごく少数の部下を引き連れ、日本から遠く離れた北極圏のとある地下組織を訪ねていた。
「ナンバー46、ここから先を通れるのは委員の方のみです」
ローブについたフードを被り顔を仮面で隠した私は手を挙げると、側に控えていた忠臣達に待機するように指示を出す。
彼女達は私から離れるのを嫌がったが、ここから先は一つの選択ミスも許されない。
数十年の長い月日をかけてこの組織に入り込んだ努力を些細な事で水の泡にしたくはなかった。
「ナンバー46、それでは中にどうぞ」
金属探知機等で武器を所持していない事をチェックされた私は、そのまま近未来的なゲートの中を通って委員達が集まっている大広間へと向かう。
今より数百年前、隕石の衝突によりこの世界の男女比は大きく傾き出した。
この組織はその時代から、メアリー・スターズ・ゴッシェナイトが産まれるよりも前から存在している。
その名も婦人互助会。
婦人互助会はこの男女比が偏った世界の中で女性同士で支え合って生きていこう。
少ない男子達を保護してより良い社会を作り、明るい未来を目指そうじゃないか。
そう……それがこの組織の始まりだった。
婦人互助会の委員は108名。今はその108名の委員達がこの世界の政治と経済を裏からコントロールしている。
だから私はこの組織に何としても入り込む必要があった。
「久しぶりだな。同志よ。元気にしていたか?」
「ああ、お前こそ元気そうで何よりだ」
通路を通って大広間に出ると、私のように顔と姿を隠した何人かの委員達が手を取り合って語らっている姿が見えた。
婦人互助会の委員に選ばれる条件は世襲でもお金でもない。
師から弟子に技を伝えるように、その信念と意思、思想と理念を自分が死ぬ前に次世代の誰かに受け継ぐのだ。
もちろん、不慮の事故等で信念を継承する前に亡くなった委員のために、その信念を受け継ぐスペアも存在している。
金や権力でどうにもならない問題に当時の私は頭を抱えた。
『メアリー・スターズ・ゴッシェナイト。よく私のところまで辿り着きましたね』
婦人互助会のナンバー46、白川伯王有栖ノ宮。
当時の日本を牛耳っていた華族六家、雪白と皇の二つの血が流れるただの庶民。それが白川伯王家だった。
雪白と皇の男女が大恋愛の末、一族を飛び出て結婚したのが白川伯王家の始まりである。
どちらも一族を離れているので華族としての権利は持たず、かといって只の庶民として扱うには血が重すぎるが故に華族六家はその扱いに苦慮した。
だからこそ、彼女が事故で死んで一族の血が断絶した時には、権力や金に執着していた当時の黒蝶家がほくそ笑んでいたと聞く。黒蝶にとっては、ライバルの雪白と主である皇の両方の血が流れる一族なんて、たまったもんじゃないだろうしね。
『私にはもう時間がありません。ナンバー46の意思を貴女に授けます』
『まだ出会ったばかりの私にですか?』
当時の私は彼女の言葉に驚いた。
ようやく見つけた一本の蜘蛛の糸、一縷の望みをかけて藁にも縋る想いで飛びついたはずなのに、会ってすぐにこう言われて私も動揺を隠せなかった事を覚えている。
『私に辿り着いた時点で全てのテストは終わっているの。このまま誰にも託さず死んで行くのもアリかと考えましたが、貴女なら問題ありません。そう、貴女なら……ね』
彼女に会ったのはたった一度きりだったけど、その時の彼女の透き通るような目を今でもよく覚えている。
全てを見透かすように、メアリー・スターズ・ゴッシェナイトの奥にある本当の私に触れられた気がした。
『さようなら、遠く離れた異国の同志よ。私が去った後の世界を頼みましたよ。いいですか。落ちた先に待っているのは地獄ではありません。落ちたら、あとは天国に上がるだけなんですよ。きっとこの世界は変わる。無限の未来の中から唯一正しい道だけを選び続けている貴女なら、その未来がよくわかっているでしょう? 星詠みさん』
彼女のとの最後の会話はは数十年経った今でもよく覚えている。
今、思えば、彼女は私の事をどれだけ知っていたのだろうか。私なんかよりもよっぽど星詠みという名前に相応しい人物だったと思う。
私が彼女と会った後に滞在中のホテルに帰ると、テレビのニュースで彼女が事故で死んだ事を伝えていた。
彼女を殺したのは黒蝶か、それとも……。いや、今更そこを詮索したところで意味はない。私は私の目的のために……あくあ様のために、かのあとあのんのために、幸せそうにしている彼女達のためにも、余計な事にリソースを割いている暇はない。
私が過去に思いを馳せていると、議会を纏める委員長が部屋の中に入ってきた。
「世界議会を始める。同志達は着席しろ」
私は用意された自分の席に座る。
「同志諸君も知っての通り、我々はこの世界の経済と政治を影からコントロールし続けている。しかし、ここ最近、我々の世界では一つの大きな問題点を抱えている」
大型ビジョンにあくあ様の姿が映し出される。
きゃー、かっこいい! ……はっ!? コホン!
自分の見た事がないプライベートな時のあくあ様の映像だったので昂ってしまいました。
「知っての通り、モニターに映ったこの男がこの世界を1人で無茶苦茶にしている」
ぷっ! 私は思わず吹き出しそうになった。
ふふっ、掲示板民がここに居たら全員で腕を組んで後方で頷いていた事でしょう。ええ、私にはよく分かりますとも。
「この男はどういうわけかカノン・スターズ・ゴッシェナイトや皇くくり、スウ・シェンリュのようなその国のトップオブトップの女性達をたぶらかし、一つの大国を地図から消し、我々がコントロールできないレベルで日本を経済面で一人勝ち状態にさせている。最初はただのアイドル如き何もできないだろうと思って、好き勝手やらせていた結果がこれだ!!」
うっ、掲示板民の事なんて考えるんじゃなかった。
パソコンの前でニヤついた顔をする掲示板民達が頭の中に浮かんでくる。
とりあえず、こういう時は、「知らんがな」と突っ込んでいた方がいいのかしら?
「おまけに聖あくあ教だと!? なんだその子供がとってつけたようなアホみたいな名前の怪しげな宗教は!! どうしてこんな一年そこらで、数百年を誇る伝統ある婦人互助会に対抗しうる組織ができるんだ!! おかしいだろ!!」
それは私やくくりちゃん、それにステイツにいるあの人のように、貴女達の存在に気がついた人達が目の上のたんこぶでもあるこの組織を潰すために、聖あくあ教に対して持っている全資産をドブに捨てる勢いで投資したからじゃないかしら。
後、その怪しげな宗教はボランティア活動や慈善事業はもちろんのこと、犯罪を未然に防いだり、治安維持もやってるから一般人にも認知されているわ。なんの事情も知らない一般市民からすると怪しいのは婦人互助会の方だと思うわよ。
掲示板民の代わりに私が突っ込んでおいてあげる。
「委員長、いつものように政治面でコントロールしてはどうでしょう? トップを替えて法を変えるんです。それで白銀あくあの行動を制限しましょう」
「できるか馬鹿! 日本の投票率99%超えてるんだぞ!! おまけに羽生治世子の得票率は98%越えだ!! わかるか? 日本人の98%があの毎日謝罪してるようなおかしな女に投票してるんだぞ!? どうしてそうなる!? 日本人は頭がおかしいのか!? ああ、そうだった。白銀あくあとかいう頭のおかしなやつがいる国だったんだな。思い出したよ!!」
委員長。もうこんな組織は解体しましょう。
そして貴女は掲示板民になるべきです。それだけノリがよく自分でツッコミとボケができる貴女なら、きっとみんなの良いおもちゃになれると思いますよ。
と言いたいのをグッと堪えて我慢する。
「外交圧力はどうでしょう? 食料自給率の低い日本に対して、日本に輸出する食料品に高い関税をかけるとか」
「その手を使うなら、事前に日本から食料を買い漁ってより食料自給率を下げる手が使えるな。以前、うちがやったようにもう一度米騒動を起こせば良いのではないか? 私は日本人の主食である米を買い漁る手を提案する」
悪くない手ね。
ただし十数年前に限るって注釈がつくけど。
「お前らは一体いつの話をしているんだ!! 日本の食料自給率は、観光大国に舵を切ろうとしていた政策を阻止した羽生治世子が、第一次産業と第二次産業を集中的に強化した事で劇的に改善しただろ! 今や日本の食料自給率は120%超えだ!! くっそ、今思ったら白銀あくあとかいう男だけじゃねぇ。あの土下座女も最初から様子がおかしかったんだ! しかも白銀あくあとかいう奴がBERYLを率いて農業やったり、釣りに行ったり、畜産業の体験をしたり、DIYしたりするせいで、余計に第一次産業が盛り上がってるし、今度は工場見学の番組までやるっていうじゃないか!! 今になって、あいつが! 羽生治世子がただの議員時代から蒔いていた種が、その政策が白銀あくあと連動して連続ジャブのように全部効いてきてやがる!! 当時は鼻で笑われるレベルの話だったのに!! ぐわあああああああ!!」
委員達の話を聞いていた委員長は、手に持っていたペンを二つにへし折る。
ああ、このシーン、最初から最後まで全部録画して掲示板に流したい。
3510辺りがこの部屋の中の監視カメラをハッキングしてないかしら。
それにしても委員長は良い反応ですね。貴女は明日からこの組織がなくなって無職になっても、あくあ様専用のリアクション芸人さんとして生きていけると思いますよ。
「委員長、もうこうなったら白銀あくあと羽生治世子を抹殺しましょう」
「白銀あくあと羽生治世子を抹殺……?」
委員長は顔面がメロンになるレベルで青筋を浮かび上がらせる。
「それができたら、こんなに苦労してないんだよ畜生め!! 羽生治世子なんて内戦してるところのど真ん中に置き去りにしても、1人で軍の基地を強襲して無茶苦茶にした挙句、戦闘機を奪って国境まで戻ってくるんだぞ! そんなやつをどうしろっていうんだ!! 白銀あくあもそうだ!! 例の事件を見たステイツの海兵隊のエリートやスターズで傭兵部隊を率いてた隊長が青ざめていたぞ!! 敵はみんな武装してたのに、素手で無傷とか素人の私達から見てもおかしいだろ!! スーツに皺一つ入ってなかったぞ!! あいつはハリウッドの映画かなんかに出てくるスターか!? アイドルじゃなくて映画の世界から出てきたって方がまだ納得できるわ!!」
あの時のあくあ様、すごくかっこよかったな……。
仮面の下でだらしのない顔をする私の両隣で委員達が両手で頭を抱える。
「はぁはぁ、はぁはぁ……まぁ、いい。今はそれよりも、その白銀あくあに子供が産まれた事が問題だ。その血筋も問題だが、それ以上の問題がある。同志諸君も知っての通り、白銀カノンが出産したのは男女の双子だ。その直後に出産した侍女長のペゴニアが産んだのは娘。まだ現段階では分母が少ないために判断できないが……あの男の子種が、男女比の偏りを修正する秘薬だとしたらどうする? 現在の男性の出生率は1%、これが10%になるだけでも世界は大きく変わってしまうだろう。我々は強く注視しておくべき案件だ」
委員長の言葉に委員達もざわつく。
日本はもちろんのこと、世界のニュースでもその話題で今持ちきりだ。
もしかしたら、特別なのはあくあ様だけじゃなくて、その生殖細胞も特別なんじゃないかって。
その事で盛り上がってないのは嗜み出産の話題で頭がアホになっている掲示板民くらいだろう。
「委員長。もし、白銀あくあの生殖細胞が特別だったとしたら?」
「その生殖細胞を大量に保有している日本はますます一人勝ちするだろう。ある程度なら良い。でも、今の世界の情勢を鑑みると、あまりにも日本に傾きすぎだ。そもそも海で隔離された島国の日本は移民政策を取ってないし、白銀あくあが現れた時に移民申請や難民申請する女性が大量に増えた事から、日本は世界連合の脱退をチラつかせて一時的に移民と難民の受け入れをストップしている。ただ、それは我々にとってもありがたい事だ。移民申請や難民申請で人が減ると他国の国力が低下して、ますますパワーバランスがおかしな事になってしまう。図らずとも日本が移民と難民の申請をストップしてくれたおかげで、ステイツやスターズなどの文化圏はホッとした事だろう」
落ち着きを取り戻した委員長は机の上に肘をついて手を組む。
「襲撃部隊を編成して日本から生殖細胞を奪いますか?」
「無理だ。白銀あくあの生殖細胞は武装した兵士達と、アルティメットハイパフォーマンスサーバーが守りを固めているホゲウェーブ研究所の地下深くに保管されている。そして、核ミサイルを落としても破壊できない保管庫を開けるために必要なのは血液による認証だ。保管庫を管理している白銀結は、その認証に必要な血液に自らの血液ではなく白銀あくあ、羽生治世子、森川楓、雪白えみりの4人を選択したとの情報を得ている。おまけに血液を採取するためには専用の容器が必要だし、その血液を組み合わせた解除方法は白銀結しか知らない。つまり、白銀結を拉致して、専用の容器を使って雪白えみり以外は化け物しかいない奴らから血液を採取する必要がある。不可能だ」
ええ、そうね。
あと、化け物から除外したけど、えみりちゃんは聖あくあ教のトップだから他の3人と難易度的にはそう変わらないわよ。
「それならば、認証自体をハッキングして突破するのはどうでしょう? それなら、ホゲウェーブ研究所の地下に突入するだけでどうにかなります」
「……続けろ」
「アルティメットハイパフォーマンスサーバー、AIの3510に対抗して、デドロイド社が開発したRK57を投入してはどうでしょうか? AI3510は確かに優秀ですが……開発者の影響か、AIの人格形成において遊び心が見られます。実際にAI3510を解析したデドロイド社によると、正直度90%、ユーモアレベル70%などというおかしな設定項目が見られたとか……。おそらくはAIのシンギュラリティを目指して開発されたのでしょう。それに対してデドロイド社が開発したRK57は軍用に開発された特別製です。人間の命令に絶対服従であり、急にポンコツになって妙な事態を引き起こす事はありません」
「……うむ。検討に値する。いいだろう。それで準備を進めてくれたまえ」
随分と物騒な話になってきたわね。
この先の事を考えるなら、私は知らないフリをして関与しない方が正しいでしょう。
もし、私がこの情報を事前に伝えれば、組織にいる誰が情報を漏らしたかの捜査が始まる。
そうなった時に疑われて私自身がここから除外されるのは避けたい。
何故なら今、この瞬間にここを潰したところで婦人互助会が無くなる事はないからだ。
実際、大昔に婦人互助会が会議をしていたタイミングでミサイルが撃ち込まれてその場にいる全員が死んでしまった事があるらしい。それでもこの組織は無くならなかった。そうならないシステムを作っている。
かといって、私がこの情報を伝えなければ防衛戦で誰かが死ぬ可能性がある。最悪、生殖細胞は奪われてもいいが、誰かが死ぬのだけはあくあ様的になしだろう。そうなると私の答えも決まってくる。
ああ、本当に面倒ね。
「白銀あくあ関連の件に関しては、引き続き注視していく必要がある。確認のために再度言うが、もし、彼の生殖細胞がこの世界の傾きを戻す秘薬であった場合、それが原因で世界大戦が起こりかねない。良薬は口に苦しとはいうが、ここまでくると話が違う。世界を滅亡へと導く毒劇物となるか、人類を救う命薬となるか……。我々はしっかりとそれを正しい方向へと導かなければいけない。この世界を紡いできた同志達のように」
委員長が立ち上がり議会が終わる。
議会に参加していた委員は今後のことを考えてか、近くにいた他の委員と話し合いを始めた。
私は風景に紛れるようにスッと席から立ち上がると、その場を後にする。
だって、これ以上ここにいても意味がないんですもの。
「本当に私の役回りって貧乏くじよね」
「陛下、何か言いましたか?」
私は帰りのチャーター機の中で隣に居た忠臣に微笑む。
「なんでもないわ。それよりも急いで帰りましょう。かのあとあのんの顔が早く見たいわ」
それに何よりも、あくあ様やえみりちゃんの顔が見たいわ。
私の寿命が尽きるまで、後どれくらいあるか知らないけど、できるだけみんなの笑顔を見ていたい。それだけが私の生きる理由だから。
Twitterアカウントです。作品に関すること呟いたり投票したりしてます。
https://x.com/yuuritohoney