杉田マリ、生徒達のお手本。
「杉田先生、白銀あくあさんから男女間教育実習の指名が来ています」
息を切らして職員室に入ってきた事務員の一言で、室内が騒然とする。
ついにこの日が来たか……。
いつ白銀からの接触があってもいいように、新学期が始まってから毎日心構えだけはしていたが、いざ、この日が来ると頭の中が真っ白になるものなのだな。
私が固まっていると、周りにいた先生達から大きな拍手が送られる。
「杉田先生、おめでとうございます!」
「この日が来るのをいつかいつかと待ち続けていました」
「おめでとう、杉田先生」
「生徒から指導を求められるなんて、教師としては最高の誉ですよ」
「くっ、私もあくあ君だなんて贅沢は言わないから、男子生徒に指導を求められたい!!」
次々と祝福の言葉を投げかけてくる先生達に、私は何度も感謝の言葉を返す。
しかし、それを見ていた事務員の方がすごく微妙な顔をしていた。
一体、どういう事だろう?
「あ、あの……非常に言い難い事なのですが、実は備考欄に、女子の見学者自由の項目にもチェックマークが入っていまして……」
事務員さんの一言で、職員室の中が再び騒然とする。
「なっ! 女子という事は、女生徒だけじゃなくて私達職員も参加していいって事だと!?」
「な、なんだってーーーーー!?」
「おい! 今すぐ休んでいる職員達や女子生徒達にも電話をかけろ!」
「後で見……病欠している生徒達のために録画の許可が取れればいいのですが……」
「先生! 興奮しすぎて本音が先に出てますよ!」
「こんな事してる場合じゃない! 今すぐに自分のクラスの生徒達に知らせてあげないと!!」
「私も行ってきます! 授業どころじゃねぇ!」
ちょ、ちょっと! みなさん冷静に!!
ああ……私が制止するよりも早く、先生方は職員室から飛び出ていく。
職員室に取り残された私は、連絡を伝えにきてくれた事務員さんに視線を向ける。
「私も準備があるのでこれで失礼します。今から、体育館のステージを改装しないと……」
「えっ?」
体育館のステージ? 私、そんなところで白銀と男女間教育実習をするんですか!? 嘘でしょ……。
事務員さんは呆けている私の肩をポンと叩く。
「GOOD LUCK!」
事務員さんはそう言って職員室を出ていく。
何なのよもう!!
それから数時間後、私は落ち着かない時間を何時間も過ごしついに男女間教育実習が行われる時間を迎えた。
「杉田先生、ステージにはマジックミラーが張られてる区画があるので、その内側に作られたセットの中に入ってください」
マジックミラーという事は、外から中が見えないような仕様になっているのか。
私は少しだけホッとする。
「ちゃんと、中から外が見えないようになってるので、2人きりの空間を楽しんでくださいね!!」
は……? 外から中が見れないんじゃなくて、中から外が見れないって意味あるんですか!?
「それでは、杉田先生。すでに白銀あくあさんがマジックミラー部屋の中で待っていますから、行ってあげてください」
「は、はひ……」
ええい! ここまで来たらもう気合いだ!
おばあちゃんも女は度胸って言ってたし、既に部屋の中で覚悟を決めている白銀を、私の生徒を待たせるわけにはいかない!!
覚悟を決めた私は、みんなに見られながら白銀の待っているマジックミラー部屋の中に入る。
「杉田先生、きてくれてありがとうございます」
「い、いや。教師として当然の事だ。気にするな……」
で、えっと……この場合、どうしたらいいんだ?
私が部屋に入ってまごまごしていると、白銀が座っているソファの隣を叩く。
あそこに座れって事か? 私はカクカクした動きでソファに近づくと、白銀に言われるままストンとソファに座った。
「すみません。杉田先生、こんな事に付き合ってもらって」
「だ、大丈夫だ。気にするな」
ええと……確か、白銀は男女間の触れ合いについて練習したいんだっけ。
ううっ、私が男女間教育を習った時の教科書には、そんなやり方は一切書いてなかったぞ。
いや……思い出せ私! 確か白銀の書いた新しい男女間教育の教科書には色々と書いてあったはずだ。
教師である私がちゃんとリードしてあげないと!!
そんな事を私が考えていると、白銀は自然な感じで私の手を握ってきた。
「先生、今日もお仕事お疲れ様」
「ふぁっ!?」
これは夢か幻か!?
マジックミラーのせいで外の様子は全く見えないけど、教職員達の悲鳴が部屋の外から聞こえてきた。
「いや、今は2人きりの時間なんだから、先生は違うよな。マリ……って呼んでいいかな?」
あっ……私の頭の中が一瞬で真っ白になって、声すら出す事ができなかった。
甘い声で私の名前を囁いた白銀は、男子高校生が出しちゃいけない色気のある視線で私の目を見つめる。
いつもと同じようにオスみがあるのに、いつものような欲を孕んだ目つきじゃない。
いや、いつものような視線もいいけど、こんなかっこいい目で見つめられたら、ただでさえ今日一日情緒がおかしくなっていた私の心と体が余計におかしくなっちゃう。
「マリは授業に集中しろって怒るかもしれないけど……授業中、俺が目で合図を送ったの気がついた?」
えっ? い、いいいいいいいつ送ってたんだ!?
もしかして、朝、何も知らなかった私に挨拶をした時か!?
それとも授業で目が合った時に、私が意識しすぎて視線を外した時か!?
いや……食堂でバッタリと遭遇した時にヨソヨソしくしてしまった時か!?
ぐわああああああああああああああ!!
女としての経験値が少なすぎて、何もわからない……!!
「朝のSHRでプリント回収した時にだよ」
ああああああああ! そっちかあああああああ!
確かに目が合った気がしたけど、私の気のせいかと思ってた。
「ごめん、嘘。俺が一方的に視線送ってただけ」
えっ? 嘘ぉぉぉおおおおお!?
じゃあ、さっき私の中にフラッシュバックしてきた記憶は私の幻想か妄想が作り出した何かって事!?
「プリント回収した時に目があったのは一昨日ね。マリ、もしかして疲れてる?」
よかったあああああああ!
その記憶が幻だったら一瞬どうしようかと思ったけど、ちゃんと現実であった事だった。
「おいおい。最初からあくあ様無双じゃねぇか……」
「私たちは一体何を見せられているの!?」
「やばい。こんなの見せられたら、カノンさんの事をいじれなくなっちゃう」
「これが2人きりになった時のあくあ君なの!? ふぁ〜っ!」
「私たちには半世紀くらい早すぎる!!」
「杉田先生がんばれ、超がんがれ!!」
「だから言ったのにね。ね、アヤナちゃん」
「うんうん。みんな2人きりになった時のあくあの破壊力を知らなさすぎるんだよ」
「全くですわ。見ているわたくしまで恥ずかしくなってきましたもの……」
「うんうん。あくあ君って急に雰囲気変わってドキドキさせてくる時あるよね」
「へぇ〜。リサちゃんやうるはちゃんもやっぱり2人きりになると甘えてるんだ」
「ふーん、旦那様は私といる時は甘えてくるばかりなのに……私もお願いしてみようかしら」
「ふひひ、さすがは邪神あくーあ様。初手から攻め攻めだぁ」
外がすごくざわついてる気がするけど、外を気にする事ができないくらい私には余裕がなくなっていた。
はっ!? も、もしかして、これも白銀の手の内なのか!?
「ねぇ、マリ。さっきから一言も喋らないけど、もしかして疲れてる?」
「あ……いや……」
しどろもどろになる私を見た白銀が、自分の膝の上をポンポンと叩く。
えっ? 何、そこに座れって事? そんな……男性の膝の上に座っちゃったら、何かの間違いが起きちゃうかもしれないじゃないか!
「ほら、マリ。ここに頭のせて」
ほっ、膝の上に私が座るのじゃなくて、頭を載せろってことか。
それなら問題ないな。って! 問題ないわけがあるかーーーーー!!
私は白銀の膝の上に頭を乗せた後に、心の中で誰にも聞こえないように叫び声を上げる。
「杉田先生、すごい……」
「私なら耐えきれなくて失神しちゃうかも」
「教育者の鑑ですよ。先生!!」
「杉田先生がんばれ、超がんがれ!!」
「杉田先生、いいなぁ〜」
「私もらぴすちゃん達ちびっ子組が膝枕してもらってる時にお願いしたら、膝枕してくれるかな……」
「えっ? ミルクディッパーのみんなってそんな事してもらってるの!? うちのフェアリスも、あくあ様がプロデュースしてくれないかな。もういっそ事務所ごと買収されに行く?」
「いやいや、私もベリル所属だけど、そんなの初耳なんだけど!?」
一旦、深呼吸だ。
ヒッヒッ、ふー! ヒッヒッ、ふー!
いいぞ、落ち着けマリ!
「ふぁっ!?」
私がなんとか心を落ち着けようとしていたら、不意に白銀が私の頭を撫でる。
そのせいで変な声が漏れてしまった。
「マリは今日もお仕事頑張ってえらいね。えらいえらい」
あっ、あっ、あっ!
私の教師としての理性が一瞬で崩壊しそうになる。
「すみません。おトイレ行ってきます!」
「わ、私も!」
「これ見て堕ちない教師おりゅ?」
「私もお仕事頑張った後に、お家で歳下の男の子に甘やかされたーい!!」
「女性教師の願望が煮詰まったプレイをしてくれるあくあ様相手に、杉田先生はよくやってる方だと思いますよ。私ならもう暴走してますよ」
「わかります!」
ううっ、戸惑う私に対して白銀は更に一歩を踏み出してくる。
「疲れてるなら、マッサージしてあげよっか?」
マッサージぃ!?
私は白銀の一言に視線をぐるぐるさせる。
ま、待て。ここにそんなスペースはないはずだ。セ、セーフ!!
少し残念だった気もするけど、私はホッと胸を撫で下ろす。
「おいおい。男子からマッサージとか全女子の夢かよ……」
「私も男の子にマッサージされたーい!」
「今日も……? それは昨日もマッサージしてくれたって事ディスカー!?」
「お前、興奮しすぎて語尾がヘブンズソード初期の黛君化してるぞ! 早く帰ってこい!!」
「ねね、白銀キングダムにいる子達ってあくあ君にマッサージしてもらってるのかな?」
「ま、マジ!?」
「そういえば、カノンさんもマッサージしてもらったって雑誌で言ってなかったっけ!?」
「わ、私だけじゃなくてみんなもしてもらってるもん!」
「そういえば昨日、ゆかり先輩もしてもらってたなー」
「小雛ゆかりさんって、毎日ゴロゴロしてるのにいつも誰かにマッサージしてもらっているような気がするんだけど……」
「うん。ココナもそれ見た事ある。この前は楓さんにしてもらってたよー」
「わたくしもその光景を見ましたわ。体をグキッとされて、あんた、力強すぎんのよ! って言ってましたわね」
「ふふっ、その光景を見た旦那様もお喜びになっていましたね」
「そういえば、邪神あくーあ様のために開発していた電動マッサージ機が完成していたと連絡がありましたね。後でえみりさんに連絡しよっと」
このままじゃダメだ!
教師として、白銀の担任の先生として、私は白銀に何も教えられてあげてないじゃないか!
私はなんとか根性と気合いで上体を起こすと、白銀の方に視線を向ける。
「まっ、マッサージより、もっとしたい事があるんじゃないか?」
よく言った。よく言ったぞ、私!!
初手でやられてしまったけど、まだ挽回できる時間帯だ。
ここからは私が白銀の手綱を握って、年上の経験豊富な……経験は皆無だけど、教師として白銀をリードしてあげないといけない。
「ああ、そうだね」
白銀は私の両手を握ると、その破壊力満点な顔を私に近づけてくる。
ま、待て待て待て待て! いくらなんでも近づけすぎだろ!!
まさかこのままするつもりなのか!? ううっ、男性とキスした事ないからわからない!!
ええい、ままよ! 女、杉田マリ、目を閉じて覚悟を決める。
すると白銀から壮大な肩透かしを食らった。
「お腹空いたでしょ。ご飯食べようか」
そう言って、私に笑顔を向けた白銀は、ソファに残された私の頭を撫でてお部屋のセットの中に作られたキッチンへと向かう。
か……勝てない。
まぁ、普通に考えたらそうだろうな。
こんな行き遅れの男性との交際経験もない喪女が、女性との交際経験が豊富な白銀に勝てるわけがないんだ。
「ほら、一緒に食べよう」
白銀はテーブルの上にお手製の料理を並べる。
ちょっと待て、この料理はどうしたんだ!?
えっ!? 一つ前の家庭科の授業で作ったって!?
白銀、やっぱりお前すごいな……。
「今から、2Aの生徒達が家庭科で白銀君が作った料理の余りを配りまーす。みんな少しずつだけど受け取ってくださーい」
「うおおおおおおおおおお! 人生初の男子からの手作りだああああああ!!」
「あくあ様と2Aの生徒は神か!?」
「カノンさんの入れ知恵かな? カノンさんって、こういうところが気が利いているよね」
「一般生徒を餌付けしてちゃんと主導権を握ってくるところが、マウントの取り方を知っているカノン様らしい。正妻としてちゃんとあくあ様の周りをコントロールしてる」
「これは嗜みちゃん大勝利案件では?」
「うっ、うっ、一口だけど今までに食ったどの料理よりもうまい」
「私、この思い出だけで一生自慢できる」
「ありがとう。本当にありがとう」
白銀は私の椅子を引くと、そこに座るように促してくる。
嘘だろ。普通は女子がそうやってエスコートしなきゃいけないのに……。
私が椅子に座ると、白銀はスプーンでシチューを掬って私の方へと向ける。
「はい、あーん」
その瞬間、私の脳みそが超新星爆発した。
私はそのままテーブルの何も置いてない位置に顔を突っ伏す。
女、杉田マリ。1人の教師として、2Aの担任として、みんなを卒業まで見送れない事には未練があるが、女性としての一生にもう悔いはない。
「せ、先生!?」
心配した白銀がスプーンを置いて私の体を揺さぶる。
おいおい。そんな顔をしてどうした?
私は今すごく幸せなんだ。だからお前も笑顔で私を見送ってくれよ。
「ヤベっ。最初から飛ばし過ぎた。真面目な杉田先生には刺激が強過ぎたのかも。ああ、もう。小雛先輩とえみりが真顔で最初からフルスロットルで行けっていうから……、杉田先生ー! 大丈夫ですかー? しっかりしてくださーーーい!!」
手放していく意識の中で、慌ててメディカルスタッフを呼ぶ白銀の姿が見える。
白銀、みんな、ごめんな。先生として何一つお前達にお手本を見せる事ができなかった。
本当に不甲斐ないと思う。でも、私にしては頑張った方なんだよ……。本当にごめん。
こうして私と白銀のハジメテの男女間教育実習は、行くところまで行く前に終わってしまった。
Twitterアカウントです。作品に関すること呟いたり投票したりしてます。
https://x.com/yuuritohoney