小雛ゆかり、バカだバカだと思ってたら本当にバカだった。
母と折り合いが悪くなったのはいつ頃からだろう。
『あんた、そんなんで世の中やっていけると思うてるの?』
『別にいいじゃない! 私の勝手でしょ!!』
いつの日からか、口を開けばお小言ばかりの母と毎日のように口喧嘩をしていた。
そうだ……思い出した。あれは確か、私の第二次性徴が始まった頃だったと思う。
華族の子供たちが集められるパーティーで、男の子が女の子の髪を引っ張っていた。
周りに居た子供達はもちろんのこと、大人たちだってそれを注意したりなんてしない。
そんなの明らかにおかしいと思った。
『ちょっと! あんた何してんのよ!! そんな事したら痛いじゃない!』
私が男の子に注意をすると、周りでコチラを見ていた大人達が騒ぎ出す。
その騒ぎを聞いた母が別の場所から慌ててこっちにやってきた。
『ゆかり、何してはるの!?』
『何って、そんなの見ればわかるじゃない! こいつがこの子の髪を引っ張ってたから注意したんじゃない!』
私の言葉に頭を抱えた母は、髪を引っ張った男の子やその親に頭を下げて回る。
今になって思えば、入嫁だった母はパートナーで家長であった私の父母を亡くした事で、誰よりもこの家を守ろうと気を張っていたのだろう。
自分が大人になって、その辺は納得できた部分がある。
でも、だからといってそりが合うかどうかは別の話だ。
もし、この記憶を持ったままあの頃に戻れたとしても私は胸を張って同じように注意をしただろう。
『あんたはズケズケものを言わはるんやから、今日は端っこの辺で大人しくしときいって言うとったでしょ!!』
『何よ! じゃあ、私に見過ごせっていうの!? そんなの嫌よ!!』
あの男の子は女の子の髪を切ろうと手にナイフを持っていた。
何かあってからじゃ遅いのよ。
『そないな事、言うてへんでしょ! もっとうまく……』
『あーあー! お小言なんて聞きたくなーい!』
もっと上手くやれって言っても、小学生の私にそんな事が理解できるわけもない。
そもそも今だって上手くやれてるかどうかなんて自分でもわかってないのに。
こういう事が幾つも積み重なって、私は母との折り合いがだんだん悪くなっていった。
母はそんな私を見て、お嬢様ばかりが通う全寮制の学校に入れようとする。
私はそれが嫌で家出した。
【今まで育ててくれた事には感謝してる。さようなら】
確かこんな内容の書き置きをしていったんだっけ。
私はありったけのお小遣いをかき集めて東京行きの深夜バスに乗り込んだ。
『ぐへへ、お嬢ちゃんかわいいね』
ほんと、今思い出しても笑えるわ。
東京はやばい人が多いって聞いてたけど、バスを降りて3分後に遭遇するなんて思ってもいなかったけ。
まぁ、ただ小学生の私が1人で居たのを心配して、声をかけてくれただけだったんだけどね。
『わー! わー! ちょっとネタでグヘっただけだから! お願い、防犯ブザーだけは押さないで!!』
私が防犯ブザーに手を置くと、その大人は急に慌てたそぶりを見せる。
この時に遭遇した情けのない大人が、後に自分が所属する事務所、越プロの社長だった。
今思えば、あの時の私はやっぱり子供だったんだと思う。
子供だけじゃネカフェにも泊まれないし、警察に捕まったら簡単に補導されて実家に連れ戻されていた。
『行くとこないなら、私のお家に泊まる?』
おそらく、うちの社長はこの時、私の母に連絡を入れていたんだと思う。
そうじゃなきゃ、あの時にすぐに東京で暮らしているお婆ちゃんが迎えにきたりしなかった。
『はぁ……全く誰に似たんだか。うちの女はどうしてこうも跳ねっ返りが強いのばっかりなんだろうねぇ。まぁ、いいさ。ほら、帰るよ。それとちゃんと助けてくれたお姉さんにお礼はいいな! うちに来るなら、どんなに自分が不機嫌でも挨拶とお礼は絶対! そのルールが守れないならすぐにでもあの子のところに送り返すわよ!!』
お婆ちゃんは一言で言って母よりもすごく厳しかった。
でも、母と違ってどういうわけか、お婆ちゃんとは上手く行ったのよね。
多分だけど、私を華族の子女という型にはめようとしたお母さんと違って、お婆ちゃんは私の自主性を認めてくれていたからだと思う。
こうして私の東京での生活が始まった。
「んん……」
目が覚めた私は上半身を起こすと、しょぼしょぼした目を擦る。
はぁ、久しぶりに子供の頃の夢を見た気がするわ。
私は大きな欠伸をすると、隣にあくあが居ない事に気がついた。
ああ、そういえば昨日も一緒に寝たんだっけ。
「で、肝心のあいつはどこに行ったのよ?」
ん? トイレからあくあが話す声が聞こえてきた。
私は物音を立てないようにベッドから降りると、トイレの扉の前で聞き耳を立てる。
「お願いします! どうか俺のために滋賀県まで来てもらいますか?」
んん? 滋賀県に来る? 一体誰と話をしてるのよ。
「ええっ? 俺のために行くのは嫌!?」
ぷーくすくす!
電話越しに断られているあくあを想像して私は笑い声をあげそうになった。
ふぅん、どこの誰と電話しているのか知らないけど、あいつに靡かないなんて良い女じゃない!
「そこをなんとか! 小雛先輩のためだと思って!!」
ちょっと!? なんでそこで私なのよ!!
あんたも知ってるけど、私はそんなに人気ないんだからね!!
「えっ? 来るって? わかりました! 滋賀県でお待ちしています!!」
えぇっ!? も、もしかして私のファンの子なの!?
さ、サインとか握手とか記念撮影とかしてあげた方がいいのかしら?
あっ、それともハグくらいする? えー……女の子ならいいけど、男の子とかあくあ以外とハグするなんて絶対に嫌だし、って、そうじゃなぁーい!!
あくあの通話が終わったのを確認した私は、慌ててベッドに戻る。
「あれ? 小雛先輩、お……起きてたんですか?」
あんたとえみりちゃんと楓とインコって絶対に嘘つけないよね。
私があんたら4人が好きなところってそういうところよ。
「今起きたところだけど、どうかした? もしかして、誰かと電話してたの?」
私は軽くあくあの通話相手に探りを入れてみる。
「え、えっとぉ……」
こいつ、本当に嘘つくの下手くそすぎでしょ。
目が完全に泳いでるじゃない!!
「カノンさんと電話でもしてたの?」
「あ、ああ! はい、そうです!!」
絶対に嘘でしょ。
さっきの通話相手……もしかして浮気相手じゃないでしょうね!?
誰かとお付き合いするなら、まずはみんなに紹介しなさいって言ってるでしょ!
カノンさん達に内緒で付き合うのは絶対にダメよ! あんた、騙されやすいんだから!!
私はじとりとした疑り深い目であくあを見つめる。
「そ、そんな事より、朝ごはん食べに行きましょうよ。俺、お腹すいちゃって」
「そうね。せっかくだからどこかにモーニングを食べに行きましょうか」
まぁ、いいわ。滋賀県まで行けば、誰と浮気しているのかわかるでしょ。
私は気を取り直して、あくあと一緒にホテルを出る。
「小雛先輩! ここのカフェにしましょう!」
「いいんじゃない」
ちょ、ちょ! ミニとはいえ食パンが塊で出てくるなんて聞いてないんですけど!?
これなら焼きおにぎりセットにしておけばよかったかも。
でも、意外とすんなり食べられたわね。備え付けのメープルシロップが美味しかったおかげかも。
「写真、どうですか?」
「まぁまぁね」
投稿した写真はぼちぼちの評価だったけど、旅の資金はもう十分に貯まってる。
昨日は夜遅かったから一泊したけど、あとはゴールをするために移動をするだけだ。
「それじゃあ、滋賀県に行きましょうか」
「はい!」
私とあくあは電車に乗ると、そのまま岐阜市から滋賀県に移動した。
本当はもう少しゆっくりしても良かったけど、あくあが明日学校なのよね。
それに、ベリベリのスタッフがゴールに辿り着いただけで終わりだとは思えない。
こいつらの事だから、目的地に辿り着いた後に、何かしろと言うだろうなと思った。
「で、ゴールに辿り着いたけど、これで終わりじゃないんでしょ?」
「はい!」
ニヤけた顔をしたベリベリのスタッフが出てくる。
「せっかくなので、お二人には100%を出してほしいなと……。あ、もちろん、無理だったら無理でいいんですけどね」
「わかったわよ。やればいいんでしょ。やれば!」
私とあくあは滋賀県内を観光して色んな写真を撮る。
でも、何をどう撮っても100%は無理だった。
【月街アヤナ:小雛先輩、顔! 顔!】
【白銀カノン:2人とも顔が死んでる……】
【桐花琴乃:せめて表情くらいは作りましょう】
そんなこと言ったって、急にいい写真なんて撮れないんだもん。
私は携帯端末の画面をスワイプする。
【森川楓:ちゅーしろ! ネットが炎上しても私が許す!!】
【雪白えみり:キース! キース!】
はいはい、スルースルー。
私はバカ2人のコメントを無視するように素早く指先を動かす。
【鞘無インコ:あかん! タテジマーズが優勝してまう!! ステイツのドヤーズより強いんちゃうか!?】
それとインコ、あんた、投稿先を間違えてるわよ!!
野球見ながら適当にコメントするな!!
「そもそも、こんなどこまで行っても琵琶湖が画角に入ってくるところで何を撮れっていうのよ!」
「ちょっと、小雛先輩!? いきなりの暴言はやめてもらえますか!?」
あくあは慌てた顔で地団駄を踏む私を抱え込んで止める。
「それじゃあ、どうするっていうのよ! これ以上頑張っても無理なものは無理でしょ!」
「いえ、俺はまだ諦めてません!!」
あくあは自分の頬をペチペチと叩くと気合を入れ直す。
もー、そういうあんたの諦めの悪いところは好きだけど、流石に今回は無理があるでしょ。
それこそ、楓が言うようにキスシーンくらい撮らなきゃ……って、あんたまさか!?
「本気でキスするつもりなの!?」
「はい」
ちょ、ちょっと待ちなさいよ!
いつもみたいなキリッとした顔ならまだしも、そんなガチな表情で私に近づいてくるな!!
「でも、無理強いはしたくないから、小雛先輩が俺にキスをしたくなるように頑張ります」
「ふーん、面白そうじゃない。でも、どうやって頑張るのよ? 言っておくけど私は手強いわよ」
あくあはニヤッと笑うと、私を指さした。
な、何よ! まさか宣戦布告でもしようってわけ!?
私が身構えていると、あくあは顎をあげて後ろを振り向くように合図を送った。
「後ろ? 後ろに誰がいるって……」
私は首を後ろに向けた瞬間に目を見開いた。
「あ……」
こうやって顔を合わすのは10年振りだろうか。
私が最後に見た時よりも少し老けていたけど、そこに立っていたのは私の母親だった。
「ふーん……そういう事」
どうやってあんたが、うちの母親と知り合ったのか知らないけど、こればかりは流石に無理だ。
今でこそ、母が父母のいない家を支えるために、華族の家長であろうとした事は理解できるけど、大人になった私は水と油が永遠に交わる事なんてないって事を知っている。
「賭けは私の負けでいいわ。キスしてあげるから、さっさと帰りましょう」
「いいえダメです」
あくあはこの場から離れようとした私の腕を掴んで制止する。
「ほら、うちの言うたとおりになりましたやろ。この子はうちの顔なんてみとうないんやって」
……別にそこまでは言ってないけど。あんただって私の顔なんて見たくないんでしょ?
私たちの反応を見たあくあは真顔でとんでもない事を言い出した。
「もし、2人が話し合ってくれないなら……俺が琵琶湖の水を止めます!」
「「はあ!?」」
び、琵琶湖の水を止めるって、あんた何をバカな事を言ってるのよ!?
えっ? 待って、それって京都に流れる琵琶湖の水を止まっちゃうって事よね?
「あ、あんた、急に何バカなことを言うてはるん!?」
「そ、そうよ! あんたちょっとは冷静になりなさいよ!!」
私と母が声を上げるも、それを掻き消すほどの大歓声が上がった。
ちょ、ちょ、どうしたのよ!?
周りで撮影を見学していた滋賀県民達が一斉に握り拳を天に突き上げた。
「やったあああああああ!」
「どうやら合法的に琵琶湖の水を止められる日が来たようだな」
「いいぞいいぞあくあ様!」
「あくあ様の命令ならガチで止められる!」
「京都府民相手に琵琶湖の水を人質に取るなんてさすがはあくあ様、分かってらっしゃる」
「ふふふ、どうやらついに我ら滋賀県が関西の覇権を握る時が来たようですね」
「だから私は掲示板でいつも京都府民に言ってたんだよ。琵琶湖の水を止めるぞ!! ってね」
こいつら頭おかしいんじゃないの!?
私は真剣な顔であくあの顔を見つめる。
「……本気なの?」
「はい」
「……言っておくけど、どうなっても知らないわよ」
「それでも、ここは俺のためだと思ってお願いします!!」
はぁ、仕方ないわね。
そういえばこの前のマラソンのご褒美もまだだし、一回くらいは言う事を聞いてやってもいいか。
私と母は顔を見合わせると、大きなため息をついてお互いに渋々と話し合う事を承諾した。
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