白銀あくあ、戦友と書いてライバルと読む。
夏休み、ついに本格的にドラマの撮影が始まった。
月9ドラマ、優等生な私のお兄様。
主人公の佐田沙雪が兄である佐田一也が務める生徒会長の後任になる事を目指して、ライバルの笠道莉奈と競い合うのが大まかなストーリーの内容だ。
俺は主人公佐田沙雪の兄である佐田一也を演じることになっていて、同級生の月街アヤナさんは沙雪のライバルである笠道莉奈を演じる。
最初の頃は、主人公の沙雪を演じる小雛ゆかりさんのみんなを引っ張るような演技のおかげで、撮影はとても順調だった。
もとよりキャストに演技が下手な人が一人もいなかったということもあり、リテイクなしの一発撮りが続いたおかげで撮影スケジュールは想定より遥かに前倒しで進んでいったが、ある日を境にリテイクが増えていく。
その原因は、沙雪との共演シーンの多い俺は、小雛さんの演技力についていけなくなったからだ。
「はぁ……」
撮影現場付近の人気のあまりいないところで、俺は一人、壁にもたれた状態で地べたに尻をついて大きなため息を吐く。
俺は2度目のリテイクの後、監督から休憩時間を言い渡された。
監督は、過密スケジュールで疲れているせいかもしれないから、ちょっと時間空けようかと言ってくれたけど、それが原因でないことは演じている俺が一番にわかっている。
「小雛さん、ぱねぇわ……」
演じている時の小雛さんは、まるで別人のように凄かった。
みんなが頭に描いた理想の佐田沙雪を具現化させる演技力だけではなく、圧倒的な主人公力を見せつけるほどの華に、演技力で劣る俺や月街さんの存在感自体が画面上でも目に見えて霞んでしまうのである。
最初は何とかついていけていたものの、撮影を繰り返すたびに演技を深めていく小雛さんに俺はついていけなかった。小雛さんの演技についてこれなかったのは、俺だけではない。小雛さんと共演シーンの多い月街さんも、最初は良かったけど、回を重ねるごとに同じようにリテイクを積み重ねていった。
「2人はとてもすごくよくやってると思うわ。でも……私から小雛さんに言って、演技のクオリティを少し下げてもらうこともできるけど、2人はどうしたい? 特にあくあ君、君は男の子だし十分な演技はできてるのだからあまり無理しなくていいのよ」
監督に呼び出された時の俺と月街さんの答えは即答だった。
「いえ、頑張らせてください!」
「私も、いい作品を作るためにもっと頑張ります!!」
悔しかったし、情けなかった。
十分な演技とは言われたが素晴らしい演技だとは監督からも言われていない。
だから俺は勢いよく啖呵を切ったのだが、その後の連続リテイク……情けないにも程がある。
それでも監督やスタッフはすぐにフォローしてくれた。
あああああ……穴があったら入りたい。
頭を抱える俺の目の前に、誰かペットボトルを差し出した。
「水分補給、倒れたら意味ないから」
俺に水の入った冷たいペットボトルを差し出してきたのは、月街さんだった。
「あっ、ありがとう」
ペットボトルを受け取った俺はお金を払おうとしたが、月街さんに自分が買うついでに買っただけだからいいと拒否されてしまった。
月街さんはペットボトルのキャップを外すと、腰に手を当ててボトルに口をつけてゆっくりと傾ける。
木葉の隙間から落ちてくる太陽の光に照らされた月街さんの少し汗ばんだ表情は、まるで清涼飲料水のCMの一幕のようだ。
俺もこの世界に来て色々な女の子を見てきたが、カノンと月街さん、妹のらぴすは、この女性の容姿のレベルが高い世界でも間違いなくトップ3の美少女だと思う。
「……腹が立つわ」
「え?」
月街さんの不穏な一言に、俺は思わず聞き返してしまう。
「監督が求めるレベルの演技ができない自分にも腹が立つし、小雛先輩の足元にも及ばない自分の努力の至らなさにも腹が立つ。何よりもここで貴方に対して、そんな弱音を吐き出してる甘えた自分に腹が立つわ」
月街さんはすごく向上心の高い人だ。
初顔合わせだった読み合わせの時から、月街さんが陰ながらに努力している姿を俺は何度も見ている。
こういう仕事に対して真摯な人だからこそ、ただ男だからという理由だけで演じている人を、月街さんは許せないんだと思う。現に俺も、勉強になるかと思って幾つかの男性の演技を見たけど、長く続けている人には、かろうじてまともな人もいるものの、若い男性役者のほとんどは本当にひどいものばかりだった。
「……ごめんなさい」
月街さんは俺に向けて頭を下げた。
俺はびっくりして固まってしまう。
「貴方の演技を見たわ。どうせ男の演技なんてと思って見てなかったけど……貴方の夕迅の演技は、本当に素晴らしかったと思う。ちゃんと見てもいないのに、最初から男だからといって貴方の事を邪険にしていた自らの行動を恥じるわ」
月街さんは頭を下げたまま姿勢を崩そうとしない。
俺は立ち上がると、謝罪は受け取ったので頭を上げて欲しいとお願いした。
「いや、月街さんの言う事はわかるよ。俺も何人かの男性の演技を見たけど酷いものだったよ……。それこそ、月街さんが初めて出たドラマの奴とか……」
俺が見たドラマのいくつかには月街さんが出ていたが、はっきり言って共演する男がひどくて本当に見ていて可哀想になるレベルだった。それも1回で済めばいいものの、月街さんは運がないのか、これは酷いという男性役者ばかりを何度も引き当ててしまったのである。
その一方で小雛さんとかメインの女優の役者さんの演技のクオリティは総じて高かった。
「だから、月街さんが男の役者に思うところがあっても仕方がないと思うよ。俺だってああいう事が続いちゃったら……ね」
「……そうだとしても、最初から知ろうとせずに貴方の事を遠ざけてた私にも問題はあるわ。本当にごめんなさい」
再度、俺に頭を下げる月街さん。
なんとなくだけど、おそらく彼女は自分で自分のやったことを許せる人じゃないんだと思う。
だから俺は、あえて月街さんに提案することにした。
「だったら、謝罪の代わりに月街さんにお願いがあるんだけど……いいかな?」
「いいわ。私にできることなら何だってするから」
月街さん……君のような美少女が男の前で、そんな不用意なことを軽々しく言っちゃダメだよ。
俺はコホンと軽く咳払いすると、改めて月街さんの顔を見つめる。
「演技の特訓に付き合って欲しいんだ!」
このままじゃダメなのはわかっている。
かといって一人でもがくより、共演シーンの多い月街さんとお互いの演技を見て指摘する事で、二人の演技力がより向上できるのではないかと思った。
俺はペットボトルを持った手に力を込める。
「悔しいのは俺だって一緒だ。監督に、小雛さんに頼んで演技の質を落としてもらおうかと提案された時、本音を言うと俺だってすごく悔しかったんだよ。何よりも求められているレベルの演技ができない自分にすごく苛立った。俺だって月街さんと一緒なんだよ」
あくまでも俺の本業はアイドルかもしれないけど、役者として仕事を受けた以上は妥協したものを作りたくないし、アイドルだという事を言い訳にはしたくはなかった。小雛さんと俺とでは役者のキャリアだって違うのかもしれないけど、それだって言い訳にしたくないと思っている。
正直、今の俺が小雛さんの横に並び立つ演技をしようと思う方が、烏滸がましいのかもしれない、だけどここで、俺が諦めたら、ダメなような気がする。諦めるのは簡単だけど、諦めたら……もっと何か大きなものを失う気がしたんだ。
だったら自分にできる努力は全部しなきゃいけない。
そう思ったからこそ、共通の目標、目的がある月街さんに俺は提案した。
「……そっか、貴方も私と同じなのね」
「そうだよ。俺だって悔しいと思うし、自分の事に苛立つ時もあるさ」
このままじゃ終われない。俺がそう思ったように、同じ悔しさを抱えている月街さんもそう思っているはずだ。
「わかったわ。私でよかったら一緒に頑張りましょう。白銀くん」
「ありがとう月街さん。それと……これから一緒に練習する仲なのに、そんなかしこまった感じじゃなくていいから」
俺がそう言うと、月街さんは表情を崩して笑みを見せる。
その自然な柔らかさに俺はドキッとさせられた。
「うん……わかった。それじゃあ改めて、これからは同じ役者として頑張りましょう」
「こちらこそよろしく」
俺と月街さんは硬い握手を交わす。
すると月街さんは、俺の手を自らの方へとぐっと引っ張る。
「言っておくけど、私が負けたくないのは小雛さんだけじゃないから」
「えっ?」
大胆不敵に戦線布告をした月街さんは、俺から手を離す。
「貴方の演技は認めるわ。だからこそ、貴方にだって負けないんだから!」
「わかった。俺だって月街さんに負けないからな!」
俺たちはリテイクになったシーンをその場でやり直して、お互いにダメだったところを指摘する。
そのおかげもあったのか、休憩後の取り直しは満足のいく演技ができた。
「はい、カット! 二人ともすごくよくなってたわよ!!」
興奮した監督の様子を見ても、自分達の演技が良かったことがよくわかった。
俺は隣の月街さんと顔を見合わせると、お互いに満足げな表情でグータッチする。
この日、俺と月街さんはお互いにライバルであり、共通の目標である小雛さんを越えるための戦友になった。




