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猫山スバル、私とおにぃ。

「おにぃ、ご飯だよ。ここに置いていくね」


 言葉の返ってこないドアの目の前に私はご飯を置く。

 こうやって声をかけるのは、もう何日目になるかな。

 私は自分の部屋に戻ると、扉を閉めてその場で泣き崩れた。

 ああ、どうしてこんな事になったんだろう。


「おにぃ、服を取り替えっこしよ!」

「うん! いいよ!!」


 おにぃと私はすごく仲がいい兄妹だった。

 服を取り替えっこしたり、お外で遊んだり、一緒にゲームしたり、買い物だっていつも一緒。

 だけど、あの日の事件以来、それが全て変わってしまった。


「初めまして。とあ君の妹のスバルちゃん……だよね」


 夢園繭子……。おにぃの事を襲った女。

 初めて会った時から嫌な感じがしたのを覚えている。

 私が1人で外に居た時に偶然を装って声をかけてきたけど、あれは絶対に偶然じゃなかった。

 だから、おにぃにはやんわりと警戒するように言っておいたのに……ああ、なんで私はあの時に、もっともっとおにぃに強く注意するように言わなかったんだろう。

 おにぃのクラスメイトの事を悪く言いたくない。それが後の、私の大きな後悔へと繋がった。


「本当にすみませんでした!!」


 あの日の事は良く覚えている。

 おにぃが通う学校の校長先生や担任の先生、教頭先生、学年主任の先生たちが来て、お母さんと私の前で頭を下げた。

 最初は意味がわからなくて、動揺して……でも、未遂で終わったし、明日になれば、きっと部屋から出てくるよね。

 でも、その明日が来る事はなかった。


「おにぃ、今日はおにぃの好きな甘口のカレーライスだよ。私も隣の部屋で食べるから一緒に食べよ」

「今日ね。お母さんがりんごのタルトを焼いてくれたんだ。おにぃ、覚えてるかな? 昔、一緒に作ったの。私……また、おにぃと一緒にお菓子作りたいな」

「おにぃ。クリスマスだよ。おにぃへのプレゼント、ここに置いておくから喜んでくれると嬉しいな」

「さっき、お年玉でゲーム買ってきたんだ。おにぃのも買ってきたから一緒にやろ? ここにゲーム置いておくから」

「おにぃ、私、中学生になったんだよ。今日は、サッカー部の見学に行ってきたんだ。おにぃとまたお外で遊びたいな。お家の庭でもいいからさ……」


 返事の返ってこない扉の前で話しかける日々。小学生だった私は中学生になった。

 そこで私はらぴすと知り合う。


「そっか、らぴすちゃんのお兄さんもお家に引きこもってるんだ」

「うん。だから、私、スバルちゃんとお友達になれてすごく嬉しい」


 同じ悩みを抱えるらぴすは、あの頃の……思春期を迎えた私にとっては物凄く救いだった。

 友達のみやこやお母さんにだって打ち明けられない悩みも、同じ境遇のらぴすには、素直に打ち明ける事ができたんだよね。

 少しずつ、ほんの少しずつだけど、その頃からおにぃの状況にも変化が訪れた。


「おにぃ……!」


 ある日の夕食、本当になんでもない日だったけど、今でもその日は私のカレンダーにマークしてある。

 部屋からリビングに降りてきたおにぃは無言だった。


「今日はカレーライスよ。りんごでたーっぷり甘くしたからね。デザートにはリンゴのタルトもあるから、みんな、おかわりして食べすぎないように!」


 やっぱりお母さんはすごいな。

 部屋から出てきたおにぃを見て、涙ぐんで一歩も動けなかった私と違って、お母さんはあの日、来なかった明日と今日をつなげるように振る舞った。

 一緒に食事を摂るようになってから、ゆっくりとだけど、おにぃと会話できるようになったんだよね。

 それから、おにぃとは一緒にゲームしたり、勉強したりできるようになったけど、お外に出かけたり、お庭で遊ぶのは無理だった。


「ごめん。本当にごめん……」


 玄関の前で、外に出ようとして何度も何度もおにぃがへたり込む姿を見た。


 別に家から出なくても、楽しい事なんていっぱいあるし、このまま引きこもっててもいいよ。


 辛そうにするおにぃを見て、何度もこの言葉が出そうになっては引っ込めた。

 それ以上に、おにぃが自分から変わりたそうに、ううん、元に戻りたそうにしていたのがわかってたから。

 私が中学生にに入学して1年。私は2年生になった。

 そして、中学3年だったおにぃは、オンラインでの学習のできる乙女咲高校に進学する。


「らぴす、どうしたの? 今日、すごく嬉しそう」

「実は昨日、兄様に髪を乾かしてもらったんです!」


 年明けにらぴすのお兄さんが階段から転けて入院したって電話がかかってきた時はびっくりしたけど、無事に回復して、退院した後は昔の優しかった頃のお兄さんに戻ったと聞いた時は驚いたっけ。

 まさか、そのお兄さんがうちのおにぃと同じ乙女咲に進学してるなんて、その時は思いもしなかったけどね。


「あの……さ。今度、クラスメイトの男の子と一緒にお出かけしようと思ってるんだけど……」


 その話をおにぃから聞いた時はすごくびっくりした。

 白銀……って、らぴすちゃんのお兄さんだよね?

 私の親友のお兄さんが、私のおにぃを部屋から連れ出してくれる。

 すごく、すごく、ドラマチックでロマンチックな展開だと思った。


「うっ……あ……」


 おにぃがデートをする日の朝、外に出ようとしたおにぃは再び玄関の前でへたり込む。

 無理しないでいいよ。日を改めよう。おにぃは十分頑張ったよ。

 色んな言葉が思い浮かんできたけど、そのどれもが違うと思った。


「が、がんばれ……!」


 私の声に、おにぃは肩をぴくりと動かせる。


「がんばれがんばれ!」


 一緒に見守っていたお母さんもおにぃにエールを送る。

 私達は家族で、私もお母さんも、おにぃが頑張りたいんだってわかったから。

 だから声が枯れるくらい2人で応援した。


「はは……太陽ってこんなに眩しかったんだね」


 おにぃが玄関を開けて、一歩外に出た時、私とお母さんは抱き合って泣いた。

 私とお母さんは、その後おにぃに付き添って3人で待ち合わせ場所へと向かう。


「ね、ねぇ。スバル。せっかくだから、最初だけでもちょこっと見てみない?」

「う、うん」


 おにぃにはちょっと悪いかなって思ったけど、ちゃんと合流するところまで見てないと不安だよね。

 ううん、そんなのは体のいいただの言い訳だ。

 私もお母さんも、単純におにぃが外に出るきっかけを作ってくれた男の人が、どんな人か知りたかった。


「ごめん……待った?」

「いや、俺も今来たところだから」


 お母さんと一緒に声をあげて叫びそうになるのを我慢する。

 め、めちゃくちゃかっこいい……。

 私が見た事のあるどんな男性よりも、テレビに出てる俳優さんよりも遥かにカッコよかった。

 周りで見ている女の子達が瞬きもせずに呆然とした表情で立ち尽くすほどの美男子。

 こんな人が、この世界に存在するんだって思った。


「お母さん……おにぃって結構、面食いだったんだね」

「いや、あれはもうそういう次元を超越してると思う。カッコよくて、女の子にも優しくて、オスみがあって……えっと、スバル……あの人って人間だよね? パナソニーとかのCGや、最近流行りの非実在青少年とかじゃない? お母さん、変な詐欺とか、新しいタイプのオレオレ詐欺に遭ってないよね?」


 私とお母さんは後ろ髪をひかれつつも、おにぃに悪いと思って2人のデートを見届けるのをやめた。


『今、俺はこの世界の誰よりも目の前にいる友達に心から笑って欲しいと思っている』


 お兄さんの言葉と、割れんばかりの歓声に私はハッとする。

 どうやら再現VTRを見ている途中に、自分の中にある記憶の中に深くダイブしていたみたい。


『何かを打ち明けようとすることは勇気のいることだと思う。何かを乗り越えようとすると痛みを伴うことだ。それでも……それでも! あえて言わせて欲しい! その分厚い壁をぶち破って俺のこの手をとってくれ!』


 ああ……やっぱり、あくあ様は世界で一番かっこいいな。

 おにぃを外に出してくれた時から、おにぃにはこの人しかいないって思ってた。


『1年……A組……猫山、とあ……です。白銀君、僕と……僕と……友達に、なってくれませんか?』

『ああ、もちろんだとも。俺は1年A組、白銀あくあだ。今日からよろしくな、とあ! あと俺のことはあくあでいいぞ。嫌だって言っても俺もとあって呼ぶからな』


 おにぃとあくあ様のやりとりを見たえみりさんと楓さんが涙を流す。

 あそこの2人だけ、最初からずっと感情の起伏が激しいけど、妊婦さんなのに寝なくていいのかな?

 興奮して騒ぎ過ぎたら、また琴乃さんに怒られちゃうよ。


『ねぇ、僕の事、いつから気が付いてたの?』

『何度かプリント届けた時にさ、名前に猫山とあって書いてるのが見えて気がついたんだよ』


 そっか、おにぃはずっとその事を気に病んでたけど、あくあ様は最初から全部知ってたんだ。

 やっぱり、あくあ様はすごい。

 らぴすや家族のみんなに黙って、聖あくあ教の集会に隠れて行った時、シスターさんから「まだ引き返せる。私みたいに巻き込まれる前に、早くここから出なさい」って説得されて入らなかったけど、やっぱり私も聖あくあ教に入った方がよかったかな?


『あ……じゃあ、なんで……?』

『ん……もしかしたら言いたくない理由があったりするんじゃないかなと、ほら、最初会った時も女の子の格好してただろ? だからとあが言ってくれるまで知らないふりをしておこうと思った』


 はぁ……気が付いてても黙ってて、おにぃのタイミングを待ってくれてるなんて、あくあ様って本当に優しくてかっこいいよね。

 観客席や舞台袖にいるスタッフさん達の半数が、錠剤の入った瓶の蓋を開けて中身を一気飲みしていた。

 あのお薬を飲んでる人、去年あたりから増えたよね。聖クラリスでも結構な人数の女子が飲んでるのを見た事がある。


「くっ!」


 テレビの映像を見ていたアヤナさんが胸を押さえて苦しみ出す。

 アヤナさん、大丈夫かな? しばらくしたら自力でどうにかしてたけど、我慢せずにお薬もらいに行ったほうがいいよ。


「ねぇ。カノンさん、念の為に聞くけど、あくぽんたんって、とあちゃんの事、どう思ってるの?」


 誰も聞けなかった質問をするなんて、小雛ゆかりさんって凄い。

 全員の視線がカノンさんに集中する。


「し、知らない。私も聞いた事ないし……」

「ふーん」


 そっか、カノンさんも知らないんだ。

 でも、私は少しだけ聞いた事がある。


「あくあ様って、おにぃのこと最初は女の子だって思ってたんですよね?」

「あ、ああ、うん」


 初めは軽い気持ちだった。

 おにぃは私によく似ている。

 だから、おにぃを通して私の容姿があくあ様の好みかどうかを知りたかった。


「その……もし、おにぃが本当は女の子だって言ったら、どうします?」

「エェッ!? ここにきてまさかの衝撃の事実……いや、これは、もしや!?」


 あくあ様は首を振って周囲を注意深く観察する。

 えっと……どうかしたんですか?

 ベリベリのドッキリ? あ、大丈夫ですよ。そういうんじゃないです。


「えっと、もし……もしもだけど、おにぃが女の子だったら、あくあ様って付き合ったりするのかなあって聞いてみたかっただけなんです。その……興味本意で……」

「スバルちゃん……」


 真剣な顔つきをしたあくあ様を見て、私はとんでもない事を聞いちゃったと思った。

 嘘の興味本位でこんな事を聞いちゃダメだよね。

 あくあ様に謝ろう。私がそう思った瞬間、あくあ様の方が私よりも先に口を開く。


「スバルちゃん……誰かを好きになるのに、性別ってそんなに重要かな?」

「えっ?」


 まさかの答えに、びっくりした私は固まる。

 で、でも、よく考えたら女の子同士でも結婚したりするし、男の子だって珍しい事じゃないのかな? そんなの聞いた事がないけど……。


「スバルちゃん、世の中には木と愛しあう人がいるって事を知ってるかい?」

「えぇっ!?」


 そんな変な人がいるんですか!?


「俺はそれを聞いた時、性別、年齢、人種なんかの理由で誰かの事を好きになれないのは、ただの甘えだったんだって気付かされたんだ。未来はいくつもあるように、好きになれる可能性がたくさん居た方が世の中、もっと楽しく生きられる。だって、この世の全員と恋愛できる可能性があるなんて、最高に幸せだろ? だから俺は最初から自分の可能性を自分で狭めたりなんてしない」


 すごい。それを甘えの一言で纏めるなんて、あくあ様はどこまで行ってもストイックなんだって思った。

 そっか、あくあ様の中じゃ、そんな事ですら些細な問題なんだ。


「スバルちゃん、俺はいつか地球と、いや、このコスモと愛し合える男になるんだ!」


 きゃー! あくあ様、かっこいい!!

 勢いに誤魔化された私が手を叩いて拍手をしていると、私達の後ろから足音が聞こえてきた。


「あくあ……何を言ってるのか知らないけど、スバルに変な事を吹き込むのだけはやめてよね」


 おにぃにジト目で睨まれたあくあ様が口笛を吹いて誤魔化す。

 あくあ様って、絶対に嘘をつけないタイプだよね。

 おにぃが私達から離れた後、あくあ様は私の耳元で囁く。


「スバルちゃんは優しいね」

「えっ?」


 どういう事だろう?

 私は首を傾ける。


「誤魔化さなくていいって、とあの事が心配だったんだろう?」


 ごめんなさい。そうじゃないんです。

 本当はあくあ様におにぃを通して私の容姿が好みかどうかを知りたかっただけだけど、私はコクンと頷いた。


「心配しなくても、とあと俺はずっと一緒だよ。俺はあいつを置いて行ったりなんてしない。俺たちはずっとBERYLだから、安心してくれ」


 やっぱりあくあ様は世界で一番かっこいいよ。

 あくあ様は人差し指を唇当てると、「2人だけの秘密な」って、釘を刺した。

 私が再び過去の回想から戻ってくると、丁度再現VTRも終わったタイミングだったみたい。

 テレビの画面には、走っているおにぃの姿が映し出された。


「おにぃ……がんばれ」


 元々おにぃは運動が苦手じゃなかったけど、1年前までは家に引きこもっていた。

 アイドルをやり始めてからは体力作りをしてるけど、それでもこんな長距離を走るのは初めてだろうし絶対に辛いと思う。

 私が不安そうにテレビモニターを見つめていると、誰かが私の右手と左手を優しく握ってくれた。


「スバルちゃん、大丈夫。絶対にお兄さんはゴールできるよ」

「だから私達は信じて待とう」

「らぴす……みやこ……」


 2人は私の顔を覗き込むと笑顔を見せる。

 そう……だよね。私は首を左右に振って不安を振り払うと自らを奮い立たせて気合を入れ直す。

 アイドルの私がしょんぼりした顔でステージに立つわけにはいかない。


「それを信じて私達も頑張りましょう。さぁ、次は私たちのステージよ!」


 くくりちゃんの言葉に全員が頷く。

 おにぃとあくあ様なら絶対にゴールしてくれる。

 私達はそれを信じて、みんなでステージに飛び出た。

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