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白銀あくあ、野戦病棟。

 白銀キングダムの中で夏風邪が流行した。

 俺は妊婦達に風邪がうつらないように直ぐに患者を別宅の病棟に隔離する。


「あくあ様、私の分も頑張ってください!!」


 えみりは悔しそうな表情で俺を見送る。

 俺は本気で看病したがってたえみりの肩をポンと叩く。


「大丈夫、えみりの分まで頑張ってくるから」


 隣に居たカノンが何故かジト目でえみりを見ていたのを疑問に思いつつ、俺は野戦病棟となった別宅へと向かう。

 本来であればこういう事はメイドの皆さんに任せるところだが、俺は日頃の感謝と迷惑をかけている事へのお詫びとして、みんなを看病する事を自ら申し出た。


「ここか……」


 別宅に到着した俺は、広間にある受付で隔離されている患者のリストを確認する。


 阿澄るな。

 来島ふらん。

 黒蝶揚羽。

 小雛ゆかり。

 鯖兎みこと。

 鞘無インコ/樋町スミレ。

 城まろん。

 月街アヤナ。

 白銀しとり。

 白銀結。

 白銀らぴす。

 ハーミー。


 まず最初にeau de Cologneの三人が感染し、まろんさん繋がりで小雛先輩とインコさん、ふらんちゃんつながりでらぴすやハーちゃんが感染。そしてしとりお姉ちゃんがらぴすから風邪のウィルスをもらって、揚羽さんや結に感染し、看病していたみことちゃんやるーな先輩が感染した。

 いや、みことちゃんは最初に倒れてたんだっけ? あれ? 俺の気のせいか? まぁ、細かい事はいいか。

 俺は他のスタッフ達が集まっているところへといく。


「それではみなさん、感染に十分気を付けて看病してくださいね」

「「「「「はい!」」」」」


 朝礼に混ざった後は、初期に感染したeau de Cologneの部屋に行く。

 4人部屋に入った俺は、1番手前の部屋にいるふらんちゃんの様子を伺う。


「あ……あくあ様」

「ふらんちゃん大丈夫?」


 俺はカーテンの内側に入ると、起きていたふらんちゃんに近づく。


「診察ですか?」


 ふらんちゃんはゆっくりと上半身を起こすと、パジャマのボタンを開けようとしたので、俺は慌てて制止する。


「ふらんちゃん。俺は看病に来ただけで、お医者さんじゃないから」

「あっ、そっかぁ……。ごめんなさい。黛さんのドラマで槙島先生がお医者さんとして潜入してた回があったので勘違いしちゃいました。えへへ」


 ああ……そういえばそんな話もあったなぁ。

 最初は驚いたけど、勘違いしてたなら仕方ないよね。


「食事は食べた?」

「はい。私は初期に感染してもうだいぶ良くなってきてるので、トレーもちゃんと自分で返しました。それよりもさっき、寝ていたまろん先輩がうなされてたので様子を見に行ってくれませんか?」

「わかった」


 自分の事よりもまろんさんの事を心配するなんて、やっぱりふらんちゃんは良い子だなと思う。

 俺はふらんちゃんの頭を撫でると、向かいのベッドで寝ているまろんさんが隔離されているカーテンの内側に入る。

 丁度、そのタイミングでまろんさんが大きく寝返りを打った。


「えへへ。肉まんがいっぱいだぁ」


 どんな夢を見ているのか知らないけど、パジャマに包まれた美味しそうな肉まんなら俺の目の前にも二つほど転がっているぞ。

 俺はその誘惑を振り払いながら、まろんさんの魅力的な体に優しく布団をかける。

 ふぅ……悪夢の世代がうなされる悪夢っていうのも興味があるけど、まろんさんが悪夢にうなされてなくて本当によかった。

 まろんさんのベッドから離れた俺は、奥にいるアヤナの様子を見に行く。


「アヤナ、起きてる?」


 俺は起こさないように小さな声で話しかける。

 ……反応がない。寝てるのかな?

 俺は様子を伺うために、カーテンをめくってアヤナの様子を伺う。


「……」


 あれ? 起きてるじゃん。

 上半身を起こしたアヤナはベッドに座ったままぼーっとした顔をする。


「アヤナ、眠いのに無理しちゃダメだよ」


 俺はアヤナを寝かしつけようと、彼女の体にそっと触れる。

 するとアヤナは、俺に甘えるように頭を俺に胸板にもたせかけてきた。


「あ、アヤナ……?」

「にゃー……」


 にゃにゃにゃっ!?

 アヤナは俺に甘えたそうに頭をぐりぐりさせてきた。

 くっ、国民的アイドルの猫プレイだと!? 俺の心の中でアヤナの可愛いが大渋滞を引き起こしている。

 俺はなんとか冷静さを保ちつつ、アヤナの体を優しく横に寝かせた。


「すぅすぅ……」


 アヤナは俺の手を掴むと、それを枕にして寝息を立てる。

 嘘だろ……!? あのアヤナがこんなに甘えてくるなんて。

 俺はゆっくりと自分の手を枕とアヤナの頭から引き抜くと、俺の手を掴んだアヤナの指を一つづつ解いていく。

 すまない。アヤナ……本当は俺だってお前の看病がしたいよ。でも、俺は他の人の看病にも行かなきゃいけないんだ!!

 俺は誘惑しかなかったeau de Cologneの病室を離れると、しとりお姉ちゃんとらぴすが隔離されている2人部屋に入る。


「あ、あーちゃん」


 部屋に入ると、起きていたしとりお姉ちゃんが俺の存在に気がついて微笑む。

 俺はその優しい微笑に引き寄せられるように、しとりお姉ちゃんのベッドに近づいていく。


「しとりお姉ちゃん、風邪の調子はどう? 辛いなら横になってていいから無理しないでね」

「大丈夫。それよりもあーちゃん、お願いがあるんだけどいい……?」


 もちろん! 俺は自分の胸を叩いて、どんとこいと了承の合図を送る。


「じゃあ、お願いしよっかな? んしょ」


 しとりお姉ちゃんはパジャマのボタンを外そうとする。

 ちょっと待ったぁ!! 俺はすぐにしとりお姉ちゃんの手を掴んだ。


「しとりお姉ちゃん、何するつもり?」

「汗をかいて気持ち悪いから、あーちゃんに冷たいタオルで拭いてもらおうかなって?」


 頬を赤くしたしとりお姉ちゃんが、汗ばんだ首筋を見せつける。

 こ、これは医療行為だ。仕方ない!! 俺は何度も自分にそう言い聞かせながら、タオルを手に取る。


「背中だけ! 前は自分でやってね!!」

「うん、わかった」


 無心になった俺は、冷たい水につけて固く絞ったタオルで、しとりお姉ちゃんの背中を丁寧に拭き取っていく。

 ふぅ……こ、こんなもんか。

 終わったと思ったら、しとりお姉ちゃんは手を持ち上げる。


「あーちゃん、腋もお願い。私、汗をかくとここにもいっぱい溜まっちゃうんだよね」


 おっふ……。

 目の錯覚だと思うけど、汗が蒸発する時にむわぁっと広がる白いモヤが見えた気がした。

 俺はタオルを固く絞ると、腋に溜まった汗も念入りに拭き取る。


「ありがとう。あーちゃん。それじゃあこっちも……」

「えっ?」


 振り向いたしとりお姉ちゃんがこちらに近づいてこようとする。

 その瞬間、目の前にあるカーテンがガラリと開く。


「姉様、何やってるんですか?」

「「あ」」


 そういえば隣にらぴすが寝てるんだった。

 ジト目になったらぴすが俺の手を掴んで引っ張る。


「兄様も騙されないでください。姉様も病み上がりなのに変な事したらぶり返しますよ!!」

「ごめんね、らぴす。元気になってきたからって、ちょっとやりすぎちゃった」


 えっ? 俺って騙されてたの?

 しとりお姉ちゃんは何事もなかったかのようにすぐに横になる。はっや!

 らぴすに手を引かれた俺は、そのままらぴすのベッドがある方へと行く。


「らぴすはどう?」

「私は大丈夫です。あ……でも、私の体も拭いてくれますか?」


 そういう事なら任せろ!

 はい、後ろ向いて〜、手あげて〜。ん、これで終わり!


「げ、解せません!!」


 えっ? なんで?

 俺は真面目にやったつもりなのに、何故か不貞腐れたらぴすが布団を被る。

 2人の病室を離れた俺は、通り道にあったインコさんの部屋を覗く。


「ご臨終です」

「ちーん!」


 ええっ!?

 俺が慌てて部屋の中を覗くと、顔に白いタオルをかけられたインコさんの前で数人が手を合わせていた。

 すると次の瞬間、蘇ったインコさんが頭の上に被せていた水タオルを手に取る。


「お前ら、本気で殺すつもりか!!」

「あっ、インコ先輩。まだ生きてたんですね」

「よかったよかった。それだけ元気そうなら大丈夫ですね」


 確かアレは見舞いに来てた同じ事務所の人たちだっけ。

 冗談にしてはいくらなんでもブラックがすぎるけど、いいのかな?


「だって、インコ先輩が配信で入院した時は、関西の鉄板ネタであるこれはやって欲しいって言ってたじゃないですか」

「うんうん。しかもさっきツッコミ入れる時にちょっと嬉しそうにしてたし」

「そうですよ。インコ先輩がやってくれっていうから、私たちは付き合ってあげたんですよ。むしろお礼を兼ねて早く元気になってください」

「インコさん、それだけ元気ならもう乙女ゲームできますよね?」

「インコ先輩って風邪ひくんですね。バカじゃなかったんだ……」

「おい! お前のそれは普通に悪口やろ!! あと、マネージャーは本気でうちを殺そうとしてないか!?」


 うんうん。俺はインコさんの言葉に頷く。

 そういえば、加藤さんも風邪ひいて自宅で療養してるんだっけ。

 という事は悪夢の世代で打ち上げをした時に感染したのかもしれないな。

 俺は1人だけ元気そうにしていた楓の事からそっと目を逸らす。


「皆さん、ここは病室で候。他の患者さんの迷惑になるから、あまり騒がないようにしてもらえるでござるか?」

「「「「「すみません」」」」」


 病室で騒いでいたホロスプレーの皆さんは、ナース風メイド服のりんちゃんに怒られて反省する。

 俺はインコさんの病室から離れると、次の病室へと向かう。

 えーと……隣の部屋は揚羽さんと結か。

 俺は2人が眠る病室の中に入る。


「んっ、あくあ君?」

「あっ……あー様」


 うおおおおおおおおおおおおおおおおお!

 結が揚羽さんに覆い被さってる姿を見た俺のテンションが爆上がりする。

 2人とも……元気になったのなら俺を混ぜてもらってもいいかな?


「す、すみません。私が足を滑らせちゃって」

「結さん、大丈夫? 私こそちゃんと受け止められずにごめんなさいね」


 ああ。そういう事か。

 俺は2人をそれぞれのベッドに寝かせる。


「あー様……ご迷惑をおかけしてすみません」

「いいって。気にするなよ。結」


 俺は仰向けになった結のおでこに手をおく。

 ちょっとだけ高いな。多分まだ熱があるんだろう。


「結、あんまり無理しちゃだめだよ。すぐに俺か他の人を呼んでくれていいから」


 結も揚羽さんも極力、誰かに迷惑をかけたがらない人だから、熱が出てても自分でやっちゃいそうだもんな。

 だから俺がちゃんと釘を刺しておかないといけないなと思った。


「あー様の手……すごく冷たい」

「じゃあ、結が眠るまでこうしておいてあげる」


 俺は結に優しげな笑みを向ける。

 すると結は、安心したように目を閉じて寝息を立てはじめた。

 俺は結のおでこからそっと手を離す。


「結……もっと俺やみんなに甘えてくれていいんだよ」


 俺は結のベッドから離れると、揚羽さんの様子を見にいく。


「って、揚羽さん。何してるんですか!?」


 スーツを着ようとしていた揚羽さんを見た俺は、もう一度彼女の体を寝かせる。

 ふぅ……。まさか、熱が出てるのに政務に行こうとするとは思わなかった。


「あくあ君、私は大丈夫だから。ね? みんなにうつさないように1人で仕事するから」

「大丈夫じゃありませんって。ちゃんと治してからじゃないと、余計に悪化しますよ!」


 揚羽さんが真面目なのは良いところだけど、だからといって自分を顧みないのはだめだ。

 俺が言えた事じゃないけど、俺だって俺が無理をしてる時は周りの人が言ってくれる。

 だから今度は俺が揚羽さんに言ってあげる番だ。


「ともかく、今はしっかりと休んでください。羽生総理からもそうお願いされてますから」

「総理から……そう、それじゃあ仕方ないわね」


 俺は揚羽さんが逃げ出さないように指を絡めて手を繋ぐ。

 それが恥ずかしかったのか、揚羽さんは顔を真っ赤にした。


「あ、あくあ君。わ、わわわ私、子供じゃなくてもう大人だから、手を握ってくれなくても1人で寝れます」

「だーめ。ちゃんと寝るまでそばで見てるから」


 俺は揚羽さんの目を見つめ返す。

 揚羽さんも結さんと同じで、幼少期に親御さんに甘えた経験がほとんどない。

 この2人とヴィクトリア様が甘え下手なのは、おそらくそこに起因している事だろうと思う。

 だったら、この俺がそれ以上に甘やかせば良いのだ!!


「うう……」


 羞恥心がマックスに到達した揚羽さんが、布団の中に完全に潜ってしまう。

 それからしばらくして寝息を立てる声が聞こえてきた。

 ほらね。やっぱり体の方は休みたいってすごく素直だ。

 俺は布団を少しだけ捲って揚羽さんの顔を出すと、彼女の頭を優しく撫でる。


「おやすみ揚羽さん。おやすみ結」


 俺は2人の病室を後にすると、隣の病室で寝ているみことちゃんとるーな先輩の様子を伺う。

 どうやらるーな先輩は完全に寝ているみたいだ。


「るーな先輩、布団を飛ばしちゃだめですよ」


 俺はるーな先輩の体に布団をかけようとする。

 すると、るーな先輩に腕をガシッと掴まれた。


「抱き枕……げっとぉ……」

「るーな先輩、抱き枕じゃないです」


 くっ、からめた腕を解こうとするがすごいパワーだ。

 そういえば、るーな先輩もパワー教の信者だっけ。

 さすが尊敬している楓とイリアさんのサインを壁に飾ってるだけの事はある。


「この匂い……好き」

「ありがとうございます。でも、俺の腕を絞めて技をかけようとしないでください」


 このままじゃ確実に寝技に持っていかれる。

 俺はなんとかしてるーな先輩から逃れると、彼女の体に布団をかけた。


「ふぅ……」


 助かった……。

 俺はるーな先輩から離れると、隣で寝ているみことちゃんの様子を伺う。


「うわっ!」


 みことちゃんが寝ているベッドの周りを、桶の中に入った氷柱が取り囲んでいた。

 こんなに冷やして大丈夫なのかな?

 とりあえず寝てるみたいだし、起こさないようにしてそっとここから離れよう。

 俺はみことちゃんから離れると、隣の病室で寝ているハーちゃんの元に向かう。


「パパ……」

「ハーちゃん、調子はどう?」


 ん、どうやら熱はあまりないようだ。


「だいぶ良くなった。ちょっと寝過ぎて退屈かも」

「それじゃあ眠くなるまで少しだけお話ししよっか」


 俺はハーちゃんが一連の事件の話を聞きたいというので、子供にもわかりやすいように、刺激的な部分を取り除いてお話ししてあげた。


「……きっと、ステイツじゃない。極東連邦も、どっちも利用されて嵌められてるだけ」

「ん? 何か言った?」


 俺がゴミを片付けていると、ハーちゃんが何かをボソボソと呟いた。


「ううん、なんでもないよパパ。……多分、おばあちゃんが気がついてる。だから、大丈夫」


 あれ? やっぱり、何か言った? えっ? 言ってない?

 おかしいなー。俺の気のせいか……。

 頭を左右に振ってうつらうつらし出したハーちゃんを寝かせた俺は最後の患者が待っている病室へと行く。


 小雛ゆかり。


 もちろん誰かに迷惑をかけるといけないので1人部屋だ。

 正直、俺も帰りたいけど誰かが様子を見に行かないとな。

 仕方ない。入るか。


「小雛先輩、生きてますかー?」


 病室に入ると、小雛先輩が眠そうな顔で起きてきた。


「すみません。起こしちゃいましたか?」

「ううん……大丈夫」


 結構きつそうだな。

 どうやら今日は冗談を言い合う余裕もなさそうに見える。


「何か食べましたか? 朝食は食べてないって書いてましたけど……」

「ううん。お腹空いた……。でも普通のご飯は欲しくないかも」


 こんな事もあろうかと俺はリンゴを持ってきていた。

 俺はビニール袋から取り出したリンゴを小雛先輩に見せる。


「りんごでよかったら」

「食べる」


 俺は持ってきた果物ナイフでリンゴをカットしていく。


「うさぎちゃんじゃなきゃやだ」

「はいはい。わかってますよっと」


 俺はいつものようにウサギの形にカットしたリンゴをお皿に乗せる。


「食べさせて」

「仕方ないなあ。はい、アーン」


 俺は小雛先輩にリンゴを食べさせる。


「もぐもぐ、もぐもぐ……ごっくん。このリンゴ……甘いけど硬い。喉が痛いからすりおろして」

「はいはい。全く注文が多いんだから」


 こんなこともあろうとすりおろし器までちゃんと持ってきてる俺、えらい!!

 俺はリンゴを擦り下ろすと、今度はそれをスプーンですくってアーンする。


「冷たくて美味しい……。んっ」

「はいはい、もう一回、アーンね」


 普段もこれくらい素直だと良いんだけどなあ。

 俺はそんな事を考えながら、小雛先輩を餌付け……じゃなくって食事させる。


「服、着替えたい」

「はいはい。えーと替えのパジャマはここだったかな」


 俺はクローゼットの中から着替え用のパジャマを取り出して小雛先輩に手渡す。

 って、小雛先輩、着替えないんですか?


「あっち向いてて」


 小雛先輩は珍しく顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにする素振りを見せた。


「あれ? もしかして恥ずかしいんですか?」

「ばか……私だってちゃんと恥ずかしいに決まってるじゃない」


 いや、でも、かなり前にあんたに見られるくらいどうって事ないって言ってませんでしたっけ?

 俺の気のせいだったかな……。


「くしゅん」


 おっと、俺はくしゃみする小雛先輩を見て一旦病室を出る。

 危ない危ない。看病している俺が患者の風邪を悪化させてどうするよ。


「もういいわよ」


 俺はもう一度病室に戻る。


「小雛先輩、あとなんかして欲しい事ありますか?」

「……添い寝して。あとついでに子守唄歌って」


 本当に、注文が多いな!

 まぁ、今回の件といい何時もお世話になってるし、病人だから仕方ない。

 俺は小雛先輩と添い寝すると、ゆっくりと子守唄を口ずさむ。


「麗かな雪解けの季節。いつもと変わらない1人の帰り道。この蕾はいつ芽吹くのだろうか」

「ん……」


 子守唄は、小雛先輩が好きな村下孝江さんが作詞作曲してくれた振り子細工の心を選んだ。

 大手アイスメーカーのCMとタイアップしたこの曲を聴いて、少しでも熱を冷まして欲しい。


「行き場を失った想いがただ積もるだけ。初めての恋に感情が弄ばれる。揺れる恋心はガラス細工」


 小雛先輩は俺の服を両手でギュッと掴むと、その小さな頭を俺の胸元に埋める。

 はは、さっきアヤナにもされたけど、こういうところは師弟でそっくりだなと思った。


「夕暮れの帰り道、君は笑っていた。俺は遠目から、そんな君の後ろ姿を見つめていた。募るばかりの想いに、心が蝕まれていく」


 俺は小雛先輩の頭を優しく撫でる。

 さっき裸にした時も思ったけど、こんなに小さな体で小雛先輩は頑張ってるんだよな。


「春の風が吹く雪の果て。いつもと同じ1人の帰り道。まだ俺の心は雪の中」


 俺は男だし、おまけに身長や体格だって俳優陣の中じゃトップクラスだ。

 それなのに小雛先輩は、自分の不利な部分をものともせずに美洲お母さんやレイラさんにも勝ってしまった。


「囚われた心が激しく掻き乱された。初めての恋に感情が弄ばれる。揺れる恋心はガラス細工」


 この小さな体のどこにそんなパワーがあるのだろう。

 俺は小雛先輩の肩にそっと触れる。


「君の後ろ髪が揺れるだけで、胸の奥が掻き乱される。辞書を開く度に、恋という文字が目に止まった。焦がれるほどの想いが、心を蝕んでいく」


 目を閉じた小雛先輩の顔を俺はジッと見つめる。

 この人を超えたい。そう思った。


「夕暮れの雑踏で、君と目があった気がした。それなのに俺は、恥ずかしくて目を逸らしてしまう。積もった恋心は、まだ解けない」


 小雛先輩の寝息が聞こえてくる。

 俺は彼女の指を解くと、そっとベッドから体を抜け出した。


「小雛先輩……」


 俺は小雛先輩の切りすぎた前髪から覗くおでこを優しく撫でる。

 きっとステイツに進出する時、身長が低くて童顔な小雛先輩は苦労するだろう。

 いくら高い演技力があるとはいえ、小雛先輩の特徴はあちらの国ではあまりにもアウェーだ。

 だから今度は俺が引っ張っていく。この人を、世界最高の高みへと。


「にゃま意気いってんじゃにゃいわよ……。ばーか、あくぽんにゃん……むにゃむにゃ」


 一瞬起きてるのかと思って俺は小雛先輩の顔を覗き込む。


「全く……寝てる時まで俺の心を読まないでくださいよ」


 ははっ、そうだよな。俺は穏やかに眠る小雛先輩の顔を見て苦笑する。

 この人はどんなに最悪な状況下であったとしても、自分の足で這い上がってくるような人だ。

 全く、少しくらいは俺にカッコつけさせてくださいよ。


「小雛先輩、早く元気になってくださいよ」


 しおらしい小雛先輩も悪くはないけど、俺が好きなのはいつもの小雛先輩だ。

 俺は小雛先輩の体に布団をかけなおすと、足音を立てずにそっと部屋から出ていく。

 すると向かいの病室から大きな声が聞こえてきた


「よっしゃあ! いけぇ!! させ! させ!」

「インコさん! 病室で競馬に熱狂するのはやめてください!!」


 俺は受付に行くと、インコさんはもう退院させても大丈夫そうですよと伝えた。

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バカは風邪を引かないって都市伝説やなって(゜д゜) 誰とは言わんけど!
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