ティセ、聖女エミリー。
白銀カノン誘拐事件が解決した後、私は聖あくあ教に身柄を拘束された。
幸いにもここでの生活は部屋の中に監禁されている事を除けば良好で、私のような裏社会の人間でも人道的に扱ってくれる。
「はあ……私、一体、どうなっちゃうんだろ。お母さん、バカな事してごめんね……」
ベッドに寝転がった私は、安易な気持ちで裏社会へと足を踏み入れた自らの浅はかな行動を反省した。
もし、ここから出る事ができたら、裏社会からは足を洗って真っ当に働こう。
そんな事を考えていたら、この部屋に近づいてくる足音が聞こえてきた。
「おーい、起きてるかー?」
「あ、はい!」
私がベッドから体を起こすと、ゆっくりと扉が開いていく。
扉に向こう側に立っていたのは聖あくあ教の幹部、十二司教の1人、粉狂いと呼ばれている女性だった。
「よお、不便をかけてすまないな」
「いえ……」
粉狂い……本名、アニューゼ・テイラー・クゼシックは私でも知っている超有名人だ。
ステイツでも有名なe-sportsプレイヤーで、過激なパフォーマンスでファンを魅了するXスポーツの選手でもある彼女は、e-sportsプレイヤーとしては4つのゲームで世界チャンピオンに輝いており、現在までの獲得賞金は10億円を超えている。また、Xスポーツの選手としてはステイツやスターズの大企業と幾つも契約しており、動画投稿サイトyourtubeの登録者数は3億人を突破しているほどの人気者だ。
「あんたに面会だ。もしかしたら出られるかもしれないぜ」
「えっ!?」
もしかしたらここから出られるかもしれないと聞いて私は目を輝かせる。
私は彼女の後に続いて部屋を出ると、いつも使っている取調室へと向かう。
その道中で複数の女の叫び声が聞こえてきた。
「や、やめてくれー!」
「あひぃっ!」
「や、やめで! これ以上はあだまがおがじぐなる!!」
「ああああああああああああああっ!」
「おっ、おっ、おっ」
私が窓から部屋の中を覗くと、虚な目をした複数の女性たちが床に転がっていた。
ひどい……。口を両手で押さえた私は思わず後退りしてしまう。
「調香師のやろう。相変わらずやってんなぁ」
調香師……確か粉狂いと同じ十二司教の1人だ。
自由に匂いを作り出す事ができる彼女は、世界で唯一、白銀あくあの香りを再現できるという。
その擬似フェロモンはとても強烈で、耐性のない女性であれば白銀あくあのフェロモンを少し嗅いだだけで頭の中が彼の事でいっぱいになるらしい。
彼女は度重なる実験で白銀あくあの擬似フェロモンをさらに凝縮させ、それを強力な催淫兵器として使用しているらしい。
おそらく床に倒れている彼女達は、その濃厚な擬似フェロモンを嗅がされたのだろう。
「こいつらは四大聖人の1人、最弱の嗜みを誘拐した犯人達だ。こいつらは激しい責苦でフェロモンに依存させ、禁断症状が出るまで放置される。その後に取り調べを行うと、どんな人間であれ全てをゲロっちまうんだってよ」
なんて恐ろしい事をするんだ……。
部屋の外に漏れ出ている白銀あくあの擬似フェロモンの匂いを嗅いでるだけで私もおかしくなりそうなのに、こんなのを直に嗅がされたら脳細胞が白銀あくあフェロモンで満たされて一瞬で頭の中が彼でいっぱいになってしまうだろう。
それなのに十二司教の1人、調香師はこのフェロモンが充満する部屋の中で防護服やマスクもつけずに平然とした顔をしていた。
私は改めて自分が世界最恐の宗教組織、聖あくあ教に囚われているんだという事を自覚する。
「こっちだ」
「は、はい」
大広間に出ると、白銀あくあの大きな銅像が立っていた。
すごい……。なんて精巧なんだろう。
筋肉質な体を見て、私の頭の中がポーッとしてくる。
「あれは十二司教の1人、芸術家が作った作品だ。あの神像が巷のオークションに出れば国家予算が動くって言われている」
いや、国家予算がどうこうとかいう問題じゃない。
あんなのが世に出たら、それだけで第三次世界大戦、核戦争が起こる。
それとも元々無宗教が多いこの国の人間は、宗教で戦争が起こることを知らないのか?
神像を見上げる私たちの元に、誰かがゆっくりと近づいてくる。
「あら、どこの子供が本部に紛れ込んでいるのかと思ったら、粉狂いじゃない」
「げっ、聖農婦かよ」
十二司教が1人、聖農婦……。確か本名は那須秋那だったか。
この国の最大野党でもあり、世界各国に根を張る聖女党の議員の1人だ。
「お前、臨時国会はどうした?」
「それなら午前中に全部終わらせちゃった。ほら、うちの総理と大臣、議員達って有能じゃない? だから午後の会議はみんなで事件中のあくあ様の映像を見て、どこが良かったかを議論するんだって張り切ってたわ」
くっ……! いくらなんでもふざけすぎだろ!!
どこの国の議会よりも優秀だからって、余り時間で好き放題やってるにも程がある。
「で? お前はなんで参加してないんだよ? 聖女党の戦いはそこからだろ!!」
「ふふっ、私も本当は参加したかったんだけどね。ほら、これがあるでしょ」
聖農婦はポケットから一本のナスを取り出す。
それを見た粉狂いが全身の毛を逆立てて身震いした。
「尋問か……」
「そういう事、最初にフェロモン漬けにされちゃった子達はそろそろ仕上がっている頃合いだしね」
あの大きなナスで一体何をやるつもりなんだ。
それとも何かを示唆するような隠語なのか?
自然と私の体が身震いする。
「ほら、そういうあなたこそ、ここで油を売っていていいの? そこに居る子が外に出てるって事は、誰かのところに連れて行ってる最中じゃないのかしら?」
「ヤベッ、そうだった。じゃあ私達は行くわ。聖農婦……ほどほどにな」
「はぁい♡」
私達はその場を離れると、広間の右側にある通りを突き進んで行く。
カチッ、カチッ、カチッ……。
なんの音だ? 私は音が聞こえてきた方向へと視線を向ける。
すると真顔でずっとスイッチを押し続ける女が立っていた。
彼女を見た瞬間、私の体が自然と震える。
な、にゃに、これぇ……。私は思わずその場にへたり込む。
「おい、大丈夫か?」
「こ、腰が抜けて、あの……」
粉狂いは心配そうな表情で私の顔を覗き込むと、体を引き起こそうとそっと手を伸ばしてくれる。
ギザ歯で猫目、見た目はきつそうに見えるけど、第一印象と違って彼女は私なんかにもすごく優しく対応してくれた。
逆にさっきスイッチを押していた子は、ぱっと見、そこら辺にいる普通の女子高生にしか見えない。
でも、それが余計に恐ろしく思えた。
だって、あんな負のオーラを普通の女子高生が醸し出せるわけないもん。
彼女を見たら、私が今まで見た裏社会の人たちはペーペーだってわかる。
一体、あの子は何者なのだろう? 粉狂いはその疑問に答えてくれた。
「アレはうちのナンバー1、十二司教の監督官だ」
「監督官……ワーカー・ホリック!?」
私の言葉に粉狂いは首を縦に振る。
聖女エミリーの側近とされている十二司教の中でも監督官、ワーカー・ホリックはステイツの要警戒最重要人物の1人だ。
やっぱり……ただの女子高生のように見えたけど、それはフェイク、擬態だったのね。
本当にやばい人ほど見た目は普通だって、教官が言っていた事を思い出した。
「どうやら今は深い瞑想中のようだ。あまり邪魔しないようにしよう」
「あ、はい……」
私たちはそこから離れてさらに先に進んでいく。
するとすごく豪華そうな部屋の前で1人の見覚えがある女性が立っていた。
「待っていたで候」
十二司教が1人、くの一こと、風見りん。
私の祖国でもあるステイツが恐る最強の忍者にして、白銀あくあと聖女エミリーを守る最大の戦力とされている。
「じゃあ、あとは頼んだぜ。あんたも、二度とこんなところに来るんじゃないぞ」
「はい、ありがとうございます」
私はここまで案内してくれた粉狂いにぺこりと頭を下げる。
「中に入るでござる。もう少しで聖女様も来るで候」
くの一の言葉に私は体をびくりとさせる。
聖女エミリー……前代未聞、空前絶後の世界最大宗教派閥にして、全世界の宗教統一を目論む聖あくあ教のトップにして謎の人物。
面会相手が大物中の大物だと知って、私はカチコチに緊張する。
すると外からドタバタといううるさい足音が聞こえてきた。
「めんごめんご! 家を出る時に姐さんに見つかっちまってよ。また、おかしな事をしてませんよね? ってジト目で睨まれちまった」
は!? 私は目の前に座った人物を見て固まる。
「相変わらず姐さんは警戒心が固くて仕方がねぇ。だから私は言ってやったんだよ。女が固くしていいのは……って、んん?」
そう言って彼女は星空よりも綺麗な目で私を見つめる。
まるで芸術品のように美しい顔、女性であれば誰もが恨むようなそんな美しさを持つ女性。
私は、いや、私でなくても、この国の国民であれば誰しもが彼女の事を知っている。
ステイツでも有名な日本の大女優、雪白美洲の親戚で、白銀あくあが侍らせている嫁達の1人。
「雪白……えみり……」
彼女があの聖あくあ教のトップ、聖女エミリーだったのか……。
ていうかこんなのもう偽名ですらじゃないか。なんでこれでステイツの諜報員が誰も気が付かなかったんだと逆に驚愕する。
いや……自分だってさっきまでその事実を知らなかったんだ。
なんだろう。今まで頭の中にかかっていたモヤが一気に晴れてきたような感覚がある。
まさかこれが日本の中にしか飛んでない謎の電磁波、ホゲラー波によるホゲウェーブの影響だというのか!?
「あれ?」
私の顔を見た聖女エミリーが私の顔をまじまじと見つめる。
「お姉さん……前に私と会った事があるの覚えてない?」
なんの話だ!?
私は雪白えみりと会った事なんて一度もない。
いや、私の記憶にないだけで、私達はどこで会ったことがあるのか?
「ああ、そっか。あの時は変装してたから……。しゃっす! ラーメン持ってきましたー! って、声に聞き覚えはないですか?」
あー! あー! あー!!
思い出した……というよりもわかってしまった。
この声は間違いなく、組織のサポートとして雇われていたあの連絡員の声だ。
「あ、あの時の」
「そうそう」
はは……ははは……!
私は呆けた顔で口を半開きにする。
こんなのステイツといえど勝てるわけがない。
今、私の目の前にいる聖女エミリーこと雪白えみりは、最初から全てがわかっていたのだ。
最初から全てを理解した上で、うちの組織に潜り込み自ら下っ端の連絡員をやっていたのである。
普通に考えてこんな大きな組織のトップであり、あの雪白一族のご令嬢がバイトするわけなんてないもん。
私は全てが聖あくあ教の……いや、聖女エミリーの手のひらで踊らされていたのだという事に気がつく。
その瞬間、私の体が恐怖で震える。
「どうしました?」
聖女エミリーは心配そうな表情で私に近づいてくる。
白白しい! 最初から全部わかってたくせに!!
「うぎゃああああああああ!」
「助けてくれえええええええ!」
何かに怯え助けを求める女性達の声がこの部屋の中にも響いてきた。
それを聞いた聖女エミリーが恍惚とした表情を見せる。
「やってんなぁ……」
あの嬉しそうな顔、私も今から酷い事をされるのかもしれない。
私はこれから怒る事を想像して、体を強張らせる。
「というわけでティセちゃん。改めてありがとな」
「えっ?」
まさか聖女エミリーからお礼を言われると思っていなくて私は固まる。
「ティセちゃんのおかげで、カノぽんを助ける事ができた。白銀キングダムに忍び込もうとしたのは良くないけど、理由を聞いたら納得したよ。それに、ワインを受け取ったアイビス様からもちゃんと確認をとってるから」
「えっと……じゃあ……?」
私は聖女エミリーの顔を見上げる。
「一応容疑は晴れたって事。まぁ、元々無罪のつもりで扱うように言ってあるから」
そっか、私、何かされたりするわけじゃなかったんだ。
心がホッと落ち着くと、堰き止めていた涙がまた溢れ出てくる。
「ほら、ハンカチ」
「ありがとうございます」
私は聖女エミリーの渡してくれたハンカチで目元を拭う。
うっ、うっ、ハンカチなのにものすごく良い匂いがする。
さっき抱きしめられた時も思ったけど、やっぱり美人って匂いからして美人さんなんだ……。
「ただ……」
「ただ?」
聖女エミリーは申し訳なさそうな表情を私に見せる。
「完全に解放したら、今度はティセちゃんが裏社会から狙われる可能性がある」
「あ……」
そっか、私って何も考えずに裏社会に入ってきたけど、普通はそうだよね……。
私って本当に何も考えずにこういうのに手を出しちゃったんだと自分に絶望する。
「だからさ。白銀キングダムで働いてみない?」
「はい?」
私は聖女エミリーが言っている言葉の意味を理解できなくて固まる。
「今、丁度、人手が足りないんだよね。私の推薦で1人くらいならねじ込めそうだし、カノンにだけは事情を説明してるからさ。うちで働いてくれるって言うのなら、ある程度の自由は保証するよ。外に出る時はティセちゃんの安全を考えて当面の間、うちの組織の誰かと一緒になっちゃうだろうけど」
「あ、え……で、でもお母さんが……」
私はそれで良いとして、本国に残してきたお母さんが心配だ。
裏社会に入る時に身分証を提示したし、私のお母さんを人質に取られる可能性がある。
「ああ、それなら大丈夫。ステイツに行ってる闇聖女がティセちゃんのお母さんを確保したって言ってたから。今、闇聖女と一緒に飛行機で日本に向かってるから安心してくれ」
「あっ、あっ、ありがとうございます!!」
良かった。本当に良かった……!
お母さんが無事だと聞いて私は心の底から安堵する。
「で、もう一回聞くけど、白銀キングダムで働いてみない?」
「はい、喜んで!」
答えに悩む必要なんてなかった。
外に出られて、裏社会からも足を洗えて、私だけじゃなくてお母さんまで守ってくれるなんて、これほどの事はありません。
でも……良いのかな? それなら私が二重スパイって事にした方が聖あくあ教にとってもメリットがあるはずだ。
それなのに聖女エミリーは、自分達の利を無視して私を守ってくれると言う。
全てを手のひらで転がしていた彼女がこの事に気がついていないわけがない。
いや……だからこそ、二重スパイなんかいなくても良いって事なのかもしれないと思った。
聡明で叡智に溢れた彼女の頭の中では、ステイツという大国すらも完全にコントロールしているのだろう。
タイミングのいい大統領選挙、ステイツに侵食する聖あくあ教と聖女党、そして今回の事件が死傷者ゼロで解決した事。それらのピースがパズルのように当てはまっていく。
こうなるとフォーミュラの映画の撮影やレセプションパーティーまで、すべて彼女の計画の内なのじゃないかとさえ思ってくる。いや、きっとそうに違いない。
確かフォーミュラの映画に聖あくあ教が抱えているフロント企業の一つ、セイジョ・エナジーと呼ばれるエナジードリンクを作ってる会社が出資をしていたはずだ。
「っと、ヤベェ。次のバイトの時間だ。じゃあ、そういう事で話を進めておくから。あっ、言っておくけど向こうじゃ初対面で頼むぜ」
「はい、わかりました」
私は慌てて部屋を出ていく聖女エミリーを見送る。
バイトの時間だと言っていたけど、これも何かの暗号文だろう。
だって、あんな人がバイトなんてしてるわけないもん。
それから数時間後、私は聖あくあ教の本部から解放され白銀キングダムへと護送された。
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