白銀あくあ、夏の誘惑。
えみりの提案で自分用の大人なビデオを作る事になった俺は、クレアさんとの撮影が終わった後に白銀キングダム内にある公園広場に移動する。
「えー、それでは今回、撮影に協力してくれる、乙女咲高校元生徒会長でベリル所属の那月紗奈さんです!」
えみりの紹介を聞いた俺は、脳みその処理が追いつかずに1分近く固まってしまう。
「えっ? なつきんぐ!?」
「よろしく、あくあ君!」
いやいやいや! いまだにカブトムシを追っかけてるなつきんぐはこういうのにでちゃダメでしょ!
俺が言える事じゃないかもしれないけど、流石になつきんぐみたいなそういうのと無縁そうな子にまで手を出すのは気が引ける。
それとも清純……そうに見えていたクレアさんと一緒で、なつきんぐも実は純粋そうに見えて違うかったりするのか?
「あっ、見てみてあくあ君。セミの抜け殻だよ!」
いや、絶対にないだろ……。
目の前でセミの抜け殻を拾って喜んでるなつきんぐは、どう考えても中身が小学生から成長してない少女のようにしか見えない。
戸惑っている俺を不思議に思ったのか、なつきんぐが俺の顔を覗き込む。
「あくあ君、今日はあんまり元気がないみたいだけど、どうかしたの?」
「い、いや。大丈夫。ちょっとびっくりしただけだから」
うん。さっき、至近距離から見つめられて再確認したけど、女子高生から女子大生へと進化したなつきんぐは美少女から美女へと今まさに花開こうとしていた。
そもそも、シンプルな白ワンピに麦わら帽子なんていう王道アイテムに、黒髪ロン毛というこれまた王道中の王道の組み合わせがこれほどまでに似合うのは、単純に綺麗だからという理由しかない。
「ほら、セミの抜け殻、もう一個あったからあくあ君にもあげるね」
「あ、ありがとう」
流石の俺もクワガタやカブトムシなら喜ぶけど、セミの抜け殻で喜ぶのは小学生までだろう。
見た目だけはゆっくりと大人のお姉さんになっていってるけど、やっぱり中身はなつきんぐのままなんだなあと思うと、嬉しい気持ちと後ろめたい気持ちが混ざって何とも言えない感じになる。
「あ、あのさ、なつきんぐは今日、何するか聞いてるの?」
「ああ! 私とあくあ君が恋人同士のようなデートをして、それを撮影するんだろう?」
どういう事だ?
俺はえみりの方へと視線を向ける。
「あくあ様、ちょっとこちらへ」
俺はえみりに手招きされて、公園の草葉の陰に隠れてコソコソ話をする。
「実は脚本家の白龍先生たっての希望で、ちゃんとデートするところからやりたいと言われまして……」
「なるほど。アイは導入部に拘るタイプか」
確かに男性向けの作品にはそういう作品も多い。
男性受けは人によるが、基本的には多くの人がスキップする部分でもある。
俺は製作者への感謝を込めて最初からちゃんと見るタイプだけど、導入部は女優さんの気分をあげるためという側面もあると聞いた。
「あくあ様、デートのシーンだけでも別の用途、純粋なデート教材として我々女子にはとても需要があるので、フィニッシュまで行けなかったとしても撮影に協力してくれませんか? もしもの時は代わりにうちの白龍先生が一肌脱ぎますから!」
「そういう事なら……」
俺とえみりはコソコソ話を止めるとなつきんぐが待ってくれている場所へと戻る。
「2人ともおかえり。お話は終わった?」
「うん。なつきんぐ、今日の撮影はよろしくね」
「こちらこそ、よろしく! あくあ君」
俺は本郷監督に指示された場所まで移動する。
周囲を見ると、白銀キングダム内で働くスタッフさんがチラチラとこっちをみていた。
「すみません。今からデートシーンの撮影をするので、みなさんご協力お願いしまっす!」
「「「「「きゃ〜っ!」」」」」
やっぱり女の子ってこういうのが好きなんだな。
えみりは監督でありながら、ADのようにペコペコと頭を下げて撮影の協力をお願いしていく。
「はい、それじゃあシーン1。始めます!」
俺はえみりの合図に合わせて指定された方向へと走り出す。
途中、時計を見て時間を確認する素振りを見せた俺は、指定されたポイントの直前でスピードを落とすと、膝に両手をついて少しだけ息を切らせた。
いい俳優は涙だけじゃなくて汗までコントロールできる。
俺もこの演出のために、撮影を開始する前に少しだけ体を動かした。
俺は軽く汗を拭う素振りを見せると、顔を上げて正面にいるなつきんぐに真剣な眼差しを向ける。
「ごめん。待った?」
「ううん。今、来たとこ」
俺は軽く息を吐くと、その言葉を聞いて安堵するように表情を緩める。
それを見たなつきんぐが手を伸ばすと、俺の唇に人差し指を当てた。
「嘘。本当は楽しみすぎて朝の4時から待ってた」
なつきんぐの女の子らしい気持ちが表情に出て、俺も一瞬だけドキッとする。
その瞬間、俺は小雛先輩から言われた話を思い出した。
『私たち役者はみんな演技か、演技じゃないかわからない境界線を目指してるの』
『なんですかそれ?』
俺は意味がわからなくて、小雛先輩の隣でラーメンを啜る箸の動きを止めた。
『あんたってさ、ドラマや映画を見てる最中にこれが演技だって、作り物のドラマだって気がつく瞬間ない?』
『あー、確かに演技が拙かったりする時とか?』
石蕗さんには悪いけど、はなあたは本当に酷かった。
いくらスタッフが良くても、主演女優の綾藤さんが良くてもキャストに1人でも下手な人がいると、その瞬間に視聴者は現実に引き戻されるのである。
新人だから、男の子だから、目の肥えた視聴者や、ただ純粋にドラマを楽しみたい視聴者はそれで許してはくれない。だから小雛先輩のような周りのキャスティングにも口を出せるレベルの大女優は、へたな人を使わないようにプロデューサに釘まで刺していた。
残酷だけど、役者の世界はそういうものだ。
誰かの育成のためにドラマがあるんじゃないし、テレビに出る以上は、映画に出る以上は最高のクオリティのものを出さなければいけない。そのプレッシャーの中で戦っていけるやつだけが本物の役者なんだ。
『そうね。それもあるけど、演技ができすぎていてもそれはそれで作り物感が出ちゃうのよ。だから、スターって呼ばれる人、特にあんたの母親の雪白美洲なんかが人気あんのは、その演技を本物にする才能があるからなの』
『本物……』
俺は口の中に残っていたラーメンを一気に飲むと、箸をおいて小雛先輩の方へと顔を向けた。
『そう。理詰めで演技をしているあくまでも女優であってスターじゃない私が、どんなに努力しても手に入れたくても手に入らなかった才能。それがあんたにはある』
『え……? でも……』
女優、小雛ゆかりが出演する作品が世間一般や業界から評価されているのは、その完成度の高さと没入感からだ。
それこそ俺は、小雛先輩の演技を見て本物かどうかなんて考えない。
だからこそ小雛先輩の言っている意味がわからなかった。
『だから、私の場合は全部理詰めでって言ってるじゃん。美術品に本物以上に評価されてる贋作があるように、本物だって錯覚させてしまえばいいのよ。私はあんたとか美洲みたいな頭の構造までシンプルな作りじゃないの』
『あれ? 俺って今、シンプルに只の悪口を言われました?』
『あら。それに気がついてるならあんたはバカだけど阿呆ではないわね。偉いわよ〜。これが成長ってやつね。よしよし、よしよし』
いやいや、子供みたいにヨシヨシされても俺は誤魔化されませんよ!
個人的にはちょっと……いや、だいぶ嬉しいけど!!
『ていうのは冗談で、役者にとって頭の中がシンプルなのはいい事よ。むしろ褒め言葉ね。だって私みたいにごちゃごちゃ考えなくていいし、すぐに役に入り込めるし、入り込みすぎて本物になれるんだから。あんたのそれは才能だからちゃんと大事にしなさい』
小雛先輩に普通に褒められて、どう反応していいかわからなかった俺はそっぽを向いた。
『ふふっ。そういうところがまだガキなんだから』
『いや、だって俺、まだ子供だし』
『ああ、そうだったわね! あんたがまだお酒も飲めないお子様だったのを今、思い出したわ!』
いやいや、料理は百歩譲って仕方ないとしても、お掃除できない貴女が大人だっていうのも俺は信じてないですけどね!!
って、それは置いといて。あれ? じゃあ、なんで小雛先輩は俺を弟子に取ったんだ?
役者として純粋にタイプが違うのに……。
『じゃあ、なんで自分を私の弟子にしたのかって思うでしょ?』
俺は無言でコクコクと頷く。
『見たかったのよ。私も大概の役者馬鹿だから、役者としての完成形を。雪白美洲の才能と私が磨いてきた全て。この二つがミックスされたあんたは役者として最高の頂に登る可能性があるわ。幸いにも見た目だって悪くない……まぁ、普通に良いし、身長もあって海外の女優や俳優の隣に立って見劣りもしないでしょ。アイドルだけじゃなくて声優やVtuberでも通用するくらい声だっていい。もちろん歌やダンスだってできる。誰だって役者として欲しいもの全部をあんたは持ってるのよ。あんたはアイドルだからライブとか歌番組を中心にやりたいんだろうけど、きっとこの経験はアイドルとしてのあんたにだって意味のある事だから。ね、悪い話じゃないでしょ。それについては、アイドルを本気でやってる、偶像を本物にしようとしているあんたが一番分かってるんじゃない?』
確かに……。それは一理あるなと思った。
でも、俺はこの人に一生勝てるんだろうかって気もする。
『あ、あんた今、私に勝てるかどうか考えたでしょ? 言っとくけど、あんた私に勝てると思ってるの? さっきはああ言ったけど、一生、あんたの上で漬物石になって舌出しながらベロベロべーしてあげるわ!! だって、そっちの方が楽しそうだもーん!』
小雛先輩は両手を広げると、目を上下させながら舌をベロベロと上下に動かした。
ガキかよ! って、小学生の子供だってそこまではやらない気がする。
『ぐぬぬ!』
あの時、あまりにも大人気ない小雛先輩を見た俺は、半分呆れつつも悔しい思いをしたっけ。
「さ、流石に朝4時は早すぎたかな?」
なつきんぐが俺の事をチラチラと見る。
流石に朝の4時は早すぎだろなんていう無粋なツッコミはしない。
白龍アイコ先生の描くお話はそういうものである。
さっきの小雛先輩の話で思い出したが、なつきんぐもタイプとしては俺や美洲お母さんと同じだ。
なつきんぐはえみりと一緒で頭がいいけど、理詰めで演技をやるタイプじゃないのは実際の演技を見たらわかる。
「そんな事ないよ。そんなに楽しみにしてくれてたんだって思ったら、俺が嬉しくなっただけ」
俺はなつきんぐの目線がこちらに合うのにタイミングを合わせて、自然と表情を崩すと素の照れた笑顔を見せる。次の瞬間、俺の表情を見たなつきんぐの目の光が煌めき、頬の色が自然な感じでゆっくりと赤みを帯びていく。
そう、まるで本当の恋に落ちたみたいに。
でも、これはなつきんぐが自分でやった事じゃなくて、俺の演技で引き出したなつきんぐのナチュラルな表情だ。
小雛先輩に魔改造された俺だからこそできる新しい領域。自分だけを輝かせたスター雪白美洲の才能の結晶を、自分以外の全ても輝かせる小雛ゆかりの努力の結晶を組み合わせた俺にしかできない究極の演技。
俺は俺の本物を周囲に感染させる。
これが俺のたどり着いた新しい領域だ。
もちろん、まだ狙ってできるわけじゃない。
できても、なつきんぐのように俺とタイプが近い感じの良い人の演技を引き出す事くらいだ。
「さぁ、行こ」
「う、うん」
俺は自然な感じでなつきんぐの手を取ると、そこでえみりが「カット」と声を上げた。
「いやー。えみりちゃん監督、白龍先生、もうこれ月9です。月9で流しましょう」
「本郷監督、えみりちゃん、もうこれは普通にやって良いんじゃないですか?」
うんうん。
もう正直、クレアさんで満足した感があるから、個人的にはどっちでもいいよ。
えみりは2人の前で人差し指を左右に振る。
「だからこそです!! 次のシーンもどんどん撮っていきましょう!」
俺となつきんぐは白銀キングダム内を普通にデートする。
一緒に釣り堀で釣りをしたり、スポーツしたりと、あんまり女の子とのデートって感じがしなかったけど俺としてはすごく楽しかった。
「ほら、見てみて、大漁大漁!」
「うわー、負けたー。紗奈は釣りがうまいなぁ」
俺はバケツの中に溜まった魚を自慢げに見せるなつきんぐの笑顔に癒される。
釣りは慎太郎ともできたけど、こうやってデートでするのもいいなと思った。
俺たちはスポーツができる場所に移動をすると、一緒になってテニスを楽しむ。
「やったー! あくあくんから初めて1ゲームとったー!」
「くっ、やられた」
なつきんぐは嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる。
この世界では鍛えてる男が少ないから男同士で一緒にスポーツしたりとかあんまりできない事もあって、スポーツ全般が上手いなつきんぐとなら一緒にスポーツが楽しめるのが良いなと思った。
それこそ天我先輩は鍛えてるけど、運動神経はあんまり良くないんだよな。それでもアクションを頑張ってる天我先輩は凄いと思う。
「それでは最後のデートシーンです。ここからのシーンは、私たちは隠れた画角から撮影してますから!」
最後のデートシーンは公園だ。
俺はなつきんぐと一緒に公園を歩く。
「あっ、見て。あくあ君、小さな噴水だよ」
「本当だ」
なつきんぐは俺と繋いだ手をパッと離すと、無邪気にサンダルを脱ぎ捨てて小さな噴水で水遊びを始める。
無邪気に遊ぶなつきんぐの表情を見た瞬間、手のひらから消えていくなつきんぐの熱と相反して、焦がれるような気持ちに締め付けられた胸の奥が熱くなっていく。
自分で言うのもなんだけど、カノンといい、アヤナといい、俺が恋に落ちるのってこういうタイプなんだよな。
鈍感な事で一定の定評がある俺も、流石に自分の事がなんとなくわかってきた。
「紗奈、あんまり走ると危険だよ」
台本には戻ってきた公園の噴水ではしゃぐと書いてあるけど、流石にちょっとはしゃぎすぎじゃないかと心配になる。
「大丈夫大丈夫。あっ」
あぶなーい!
足を滑らした紗奈を俺が抱き止める。
ふぅ、いつも楓がドジをした時のカバーをしてるおかげで咄嗟に反応できた。
「こら。だから、走っちゃダメって言っただろ」
「ごめん……」
どうやら少しは反省しているようだ。
俺はしょぼんとしたなつきんぐの頭を撫でる。
さて、こけるなんて台本には書かれてなかったから、ここから先はアドリブだぞ。
「でも、帰りたくなくって……」
悪くないアドリブだ。
なつきんぐは顔を見上げると、俺の事をジッと見つめ返してくる。
「俺も帰りたくなんてないよ」
噴水をバックにジッと見つめ合う俺となつきんぐ。
俺は視線でなつきんぐに合図を送る。
今からするけど、嫌だかったらかわすかとめてくれて良いから。
「紗奈」
「あくあ君……」
俺となつきんぐの顔がゆっくりと近づく。
その瞬間、俺は演技中にも関わらず何かの強烈な気配に視線を引っ張られた。
「あ、あくあ君、それに紗奈ちゃん」
俺となつきんぐは声がした方向を見て固まる。
「2人とも、私に内緒でもうそういう関係になってたんだね!!」
え? 待って、これも脚本の演出か?
俺は草葉の陰にすぐ隠れた撮影班のみんなへと視線を向ける。
すると三人とも顔を真っ青にして、首を左右にぶんぶんと振った。
あれ? もしかしてこれって……かなりのピンチなのでは?
羽生総理は完全にフリーズした俺の肩をポンと叩く。
「あくあ君、紗奈ちゃん。2人とも、ちょっとそこのお店で今までの経緯を聞かせてもらおうか」
「ふ、ふぁい」
だ、誰か、助けてくれー!!
俺は羽生総理に引きずられながら、草葉の陰から敬礼をしていた3人に向かって助けを求めるように手を伸ばした。
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