杉田マリ、夏休みに問題を起こす生徒。
夏休みが来て嬉しいのは生徒だけじゃない。
一昔前の学校の先生は大変だったが、羽生総理の教育改革のおかげもあって学校の先生も分業化が進んでいる。
特にここ、私立乙女咲学園では、学校の先生にもしっかりと夏休み期間が設けらている上に、緊急事態でもない限り夏休み中に学校から呼び出される事もない。
つまり、夏休み中に学校からかかってくる電話は全て緊急事態なのである。
『すみません。杉田先生、2Aの生徒が問題を起こしたらしくて、その……』
家でだらけていた私は、学校からの電話に表情を引き締める。
誰だ? うちの生徒に問題を起こす生徒なんていないと思うが、盲目的に100%ないとも言い切れない。
いや、何もうちの生徒が問題を起こしたパターンとも限らないし、その逆もありえる。
ま、まさか、猫山か黛が襲われたとか!?
いや……もしかしたら、また、千聖が奇行に走ったのかもしれない。
うちのクラスの千聖クレアは誰がどう見ても真面目な生徒だが、何か大きな悩みというか、ストレスを抱えているように見える。思春期という事もあり、私達、大人がちゃんと見ておいてあげないとな。
私の電話を持つ手に汗が滲む。
『誰ですか?』
『えーと、白銀あくあさんです』
あ、うん。白銀なら襲われる事は100ないか……。
いやいや、そういう先入観はよくないな。
白銀だって男の子だ。女の子に襲われる可能性だって微粒子レベルで存在してる……はず!
『白銀あくあさんが汗だくで日課のランニングしてたところ、すれ違った女性達がフェロモンと笑顔の挨拶にやられてバタバタと倒れたみたいです』
くっ! なんで白銀は家でジッとしていないんだ!!
あいつは自分の危険性が全くと言っていいほど分かってない!!
『まぁ、それは良かったんですが、その後、町内会のラジオ体操に参加したのですが……』
ま、まさか、ラジオ体操に参加していたご老人達が、白銀の刺激の強さにやられて心停止したとか!?
『その話を聞きつけた町内会の人が全員参加したらしくて……そのせいで公園の外にも人が溢れちゃったから、近くを通りかかった人が心配して、白銀あくあさんの保護をお願いしますと、警察に通報されちゃったみたいです』
そ、そっちかぁ〜。
私は頭を抱えつつも、ご老人達の命が無事で良かったと胸を撫で下ろす。
『それでその……杉田先生、非常に申し訳ないんですけど、警察で保護されている白銀あくあさんの身元引受人として、警察署に向かってもらえますか? 実はご家族の方じゃなくて、担任の先生に来て欲しいらしくて……』
『あ、はい。わかりました』
私は急いで車を走らせると、白銀が保護されている警察署へと向かう。
警察署の中に入ると、白銀も緊張しているのか、神妙な面持ちで椅子に座っていた。
「やっぱりミニスカの婦警さんはいいな。このまま1泊して帰ろうかな」
私は思わずズッコケそうになる。
「あ、杉田先生。すみません。せっかくの夏休みなのに、迎えに来てもらって」
「い、いや、お前が無事なら、別にいいんだ」
私は、白銀と事件の詳細について話をする。
ふむふむ。なるほどな。ラジオ体操のラジカセが壊れて困っている人が居て、偶然通りかかった白銀が代わりに音頭を取ったら大変な事になったと……。
「それは仕方ないな。むしろ、困っている人を見過ごさずに、ちゃんと助けた白銀の事を私は担任の先生として誇りに思うぞ。うん」
「杉田先生……! ありがとうございます!!」
私は白銀の頭を優しく撫でると、警察の人達に2人で揃って迷惑をかけてすみませんと頭を下げる。
「いえいえ、むしろ、あくあ様はそのままでお願いします!」
「ちょっと人が増えすぎちゃったから心配した人が通報しただけで、押し合いになったりとかはしてませんから」
「あくあ様のおかげで逆に犯罪率がグッと下がって、私達もすごく暇なんですよ」
「それに、次の通報はいつかなって、私達の仕事も捗りますから!」
「ただであくあ様と出会えるなんてむしろご褒美ですから」
はは……。私は表情を引き攣らせながら、白銀と2人で警察署を後にする。
「そ、それじゃあ、うちに行こうか」
「はい!」
白銀……なんでお前はそんなに嬉しそうなんだ……。
幸いにも犯罪を犯したわけではないので、白銀に保護観察処分がつかなかったのは良かったが、その代わりに、引き取りに来た私の家で大人しく今日1日を過ごす事になった。
「おー、ここが杉田先生のお家なんですね」
「あ、ああ」
自宅に白銀がいる……。
さっきまでは意識しないように運転に集中していたけど、非日常的な現実に心の奥がそわそわする。
「あ、アヤナのポスターだ! それに俺達BERYLのポスターも貼ってくれてるんですね!!」
白銀はリビングに貼ったカモフラージュ用のポスターを見て嬉しそうな顔をする。
それを見た私は、一刻も早く、自室のアレを片付けなきゃいけないと思った。
私の部屋には去年の文化祭で生徒達に促されて制服を着た私と、制服姿の白銀が一緒に写った写真を引き延ばしたものが飾られてある。
誰がどう考えてもこんな写真を飾っているのが生徒にバレたら一発で退職だ。
いくら白銀が優しくて色んな事に寛容でも、「先生ってそういうのが好きなんですね」なんて、蔑んだ目で冷たく私を突き放すかもしれない。
「あっ、もしかして、こっちが杉田先生の部屋ですか!?」
そっちはだめぇ!
私はヘブンズソード並のスピードで自室の扉をブロックするように、白銀の前に体を滑り込ませる。
「すみません。別に入るつもりはなかったんですけど……」
「あ、いや、いいんだ。その……慌てて行ったから、服とか散らかってて……」
近い近い近い近い!
咄嗟に白銀と自室の間に入ったら、想定していたよりもスペースがなくて、お互いの吐息が触れ合うような隙間しかなかった。
こんな距離感、大人の少女漫画でもあり得ないぞ!!
私はすぐに呼吸を止める。少しでも息を吸い込んだら膨らんだ胸が白銀の体と触れそうだったからだ。
なんとかその体勢から横を向いた私は、軽く息を吸い込む。
「と、ともかく、私はちょっと用事があって出かけるが、今日一日、ここが自宅だと思ってゆっくりしてくれ」
「わかりました! 杉田先生が留守の間は、俺がしっかりとこの家を守っておきますね」
「あ、ああ。昼は出前を取るなり、好きに冷蔵庫の中身を使ってくれていいから」
「わかりました!!」
少し不安だが、私は本当に用事があったので、白銀を残して外に出かける。
「あら、みんな。マリちゃんが来たわよぉ」
「マリちゃん、元気してた?」
「ねぇねぇ、マリ姉って、乙女咲の先生やってるんでしょ? あくあ様の事教えて!!」
「マリ姉、あくあ様と乙女ゲーみたいなイベントあった!?」
「マリ姉、マリ姉、アヤナちゃんってリアルもあんなに可愛いの?」
「マリちゃん、嗜……カノン様って実際のところどうなの?」
久しぶりに会う親戚一同の押しの強さに私は一瞬だけたじろぐと、軽く咳払いする。
「すまないが、生徒達のプライベートな事に関しては話せない」
「えー」
「マリ姉のケチー」
「まぁまぁ、それがマリちゃんのいいところだから」
「やっぱりあくあ様を守れるのはマリ姉だけなんだよ」
「本当にねぇ。学校の先生になるって聞いた時は、お堅いマリちゃんが男子生徒を受け持つなんて大丈夫かしらって思ったけど、ちょうどいい具合のところに収まったわよね」
「あくあ様の担任やってて手を出さないなんて、この世界にマリ姉くらいだよ」
「本当にね。普通の先生なら秒で生徒指導しちゃってるよ」
こら! 生徒指導を隠語のように話すな!!
そ、そういうのが許されるのは、大人の漫画の中だけだからな!!
私は久しぶりの親戚との会合を楽しむ。
「えー!? マリ姉、もう帰るの!?」
「もっとお話ししようよー!」
「マリ姉、ゲームしよ!」
「こらこら、マリちゃんだって忙しいんだから、ね」
「ふーん、マリちゃんってば、いつもは一泊するのに……もしかして、男できた?」
「え? マリちゃん彼氏できたの!?」
「まさか、あくあ様とか!?」
「えっ、あくあ様と同居!?」
どうしたらそこまで飛躍できるんだ!?
私は一瞬だけドキッとしたが、うまく煙に巻いてその場からなんとか逃げ出す。
「ふぅ、思ったより疲れたな……」
流石に日帰りはきつかったか。
私は自宅の扉を開ける。
「ただいま」
「あ、杉田先生。お帰りなさい」
いつもは帰ってこない返事なのに、白銀からの返事が帰ってきて心臓がとくんと跳ねる。
うわつくな。この、ばか!! 私は心の中で自分のほっぺたを往復ビンタしてなんとか自らの精神を保つ。
ん?
私の鼻腔を食欲のそそる匂いが擽る。
なんだろう? 私は匂いの元を辿るために、リビングにひょっこりと顔を出す。
「すみません。今、手が離せなくて」
うおおおおおおおおおおおお!
エプロン姿の白銀がこちらに振り向く。
私は心の中で自分の両目をつぶして、見なかったことにした。
「この匂いは……」
「あ、今から帰るって連絡があったから、お夕飯作ってたんですけど、ご迷惑でしたか?」
私は首を左右に振る。
白銀が料理だと? 誰のために? わ、私のために!?
私はロボットのようなぎこちない動きで自分の席に座る。
「残っていたお肉の消費期限が近かったのとお野菜が傷み始めていたので肉じゃがとコロッケを作りました。それときんぴら大根に、揚げ茄子の味噌汁になります」
あれ? ここって小料理屋だっけ?
私は頭が混乱したまま、白銀の作ってくれた手料理を摘んでいく。
白銀、学校を卒業をしたら先生と結婚しよう。
もう少しでこの言葉が出そうになったが、私は教師としての理性でなんとか踏ん張った。
はぁはぁ、はぁはぁ、これでも1年間以上、あの問題児しかいない……じゃなくて、少し特殊なクラスで担任をやってたんだ。私の精神力の強さを舐めるなよ!!
「なんかこうやって先生と2人でご飯食べてると、先生と結婚したみたいで少しドキドキします」
「ブフォッ!」
ゲホッ、ゲホッ!
白銀……「先生、大丈夫ですか?」って顔でこっちを見てるけど、お前、今、確実に先生の事を殺そうとしただろ? 白状しなさい。先生はちゃんとわかっているからな!!
「あ、食べ終わったらこっちに持ってきてください。洗い物しますから」
白銀には、「洗い物は自分がするから」と言ったが、「お世話になってるんだから、これくらい俺がしますよ」と笑顔で言われた。
よく見ると、リビングもダイニングがすごく綺麗になってる……。
テレビのリモコンが斜め置きできっちりと角が揃えられているのを見て、完全にプロの仕事だと思った。
私は一旦、心を落ち着けるために自室へと帰る。
「あ……」
部屋の中に入ると、自分のベッドの上に、折り畳まれた服が置いてあった。
どうやら私がやり忘れた洗濯を、白銀がしておいてくれたみたいだ。
私は一番上に置かれたお気に入りの下着を見てなんともいえない気持ちになる。
なんで昨日、私はこんなクタクタな使い込んだ下着じゃなくて、新品のかわいい下着を穿かなかったんだ。
ヘブンズソードみたいに時を遡れるなら、そこからやり直したい。
私は添えられたメモ書きを手に取る。
【洗濯しておいたので片付けだけお願いします。それと、シャツのボタンが取れそうだったので、ボタンつけ三級の自分が直しておきました。あと、杉田先生の下着は、全日本ランジェリー協会名誉総裁の俺が念入りにちゃんと手洗いしておいたので安心してください!!】
ボタン付け三級……そんな資格があるのか。おいなりさんソムリエといい、この世の中は広いなと思った。
私は服を自分のクローゼットに片付ける時に、ふと何かに気がついて立ち止まる。
「ん? この服がこの部屋にあるという事は……」
白銀が私の部屋に入ったんだと気がつく。
つまり、白銀本人に、学生服を着た私と白銀の写真が見られたという事である。
よく見るとクローゼットの中に置いてあった、私の学生服にちゃんとアイロンがかけられていた。
あああああああああああああ!
私は羞恥心に負けてベッドの上をゴロゴロする。
こんな事なら制服にアイロンをかけて片付けておけばよかった。
なんでよりにもよって昨日の夜に、制服を着て「まだ、いけるな」なんて確認しちゃったりしたんだろうと自分の行動を深く反省する。
「も、もしかして……」
青ざめた私は、自分の本棚を覗き込む。
【うちの生徒が私なんかにグイグイきます】
【お見合い相手が教え子でした】
【女教師とアイドルの熱い夏休み】
【教師だって、学生服を着たいもん!】
【校内恋愛、私と彼の秘密の合図】
【先生に恋愛の仕方を教えてくれますか?】
【体育館倉庫に閉じ込められたら。〜先生と生徒の長くて短い1日〜】
【担任の先生だけど、生徒と恋愛しちゃってもいいですか?】
【ヤンチャすぎる生徒が私の事を熱のこもった目で見てくる件について】
【夢の同棲生活。実は私、生徒と結婚してます。〜新人教師の新生活編〜】
うわあああああああああああああああああああああ!
いつも乱雑に突っ込んでるだけなのに、全部、あいうえお順に並べられてるうううううううううう!
私はその場に悶え死ぬ。
ああ、ここで死んでいればどれだけ楽だったんだろう。
私は荷物を置くと、何事もなかったかのようにリビングに戻る。
何も知らなかった事にしよう。そうだ、私は何も気がついてない!!
「って、白銀は?」
リビングに白銀がいない。どこに行ったんだ?
私が周囲をキョロキョロとすると、お風呂場から白銀が出てきた。
「あっ、お風呂を沸かしてるんで、どうぞ先に入ってきてください」
「先に入ってくださいぃ!?」
それって、今から抱くから綺麗にして来いって事ですか!?
違う! そうじゃないだろ! しっかりしろ、私!!
「いや、私は白銀の後でも……」
「俺は杉田先生の後でごくごくするので」
ごくごく? 私は聞きなれない単語に首を傾ける。
「いえ、なんでもありません。杉田先生の方が疲れてるでしょうし、どうぞお先に」
「あ、ああ」
私は白銀の言葉に甘えて先にお風呂に入る。
何もないと思うが、いや、確実に何もないけど!! 一応……そう、一応、念入りに体を洗っておこう。
生徒に……ううん、白銀に先生、汗臭いって思われたくないし……。
「ふぅ……」
私は念入りに体を洗った後に、髪をドライヤーで乾かして寝巻きに着替える。
普段ならメイクなんてしないけど、流石にすっぴんのまま出るのは私が無理だ。
私は少しだけ化粧をして外に出る。
「無防備なヘソちらタンクトップにショートパンツから生足だと!?」
ん? 白銀、今、なんか呪文のような言葉を囁かなかったか?
「それじゃあ、俺も風呂入ってきます」
少し前屈みになった白銀がお風呂に入る。
私は少しだけそわそわしつつ、白銀がお風呂から出てくるのを待った。
「お、お待たせしました」
お風呂上がりでスッキリとした顔の白銀が出てくる。
んん? なんか少し様子がおかしいような……。私の気のせいか。
私はせっかくだから、白銀と学校の話をしながら、何か悩みを抱えてないかを探る。
「どうだ? 白銀、学校は楽しいか?」
「はい!」
白銀は私に対して、本当に嬉しそうに学校の話をする。
よかった。ちゃんと心から学校を楽しんでくれているようだな。
「さてと、そろそろ寝るか」
「はい!」
流石にリビングのソファに白銀を寝かせるわけにはいかないよな。
もう、どうせ部屋の中を見られてるんだから、私のベッドで白銀を寝かせるか。
「白銀、私のベッドを使ってくれ」
「いやいや、そんな、申し訳ないですよ!」
「何を言ってるんだ。生徒の白銀をソファに寝かせて、私だけがベッドに寝るなんてできるわけがないだろ!」
「いやいや、それをいうなら俺だって……」
何度も同じやり取りをした後、私と白銀は一緒に私のベッドの中で寝ていた。
どうしてこうなった!?
いやいやいやいや! あの流れからどうしてこうなったのか意味がわからないまま、私はベッドの中で目をグルグルさせる。
白銀の匂いで頭がくらくらしそうだ。それに体が大きい! 顔がいい! うわああああああああ! 今まで、見ないようにしていた事が急に見えてきて目がギンギンに冴える。
ええい! 煩悩退散!
私は心の中で陰陽師のテーマソングを大熱唱する。
「お、おはようございます」
「あ、ああ。おはよう」
なんだろう。私だけじゃなくて白銀も寝ていないような顔をしていた。
私たちは一緒に起きると、2人で黙々と朝食を食べる。
「えっと、それじゃあ、その……お世話になりました」
「あ、ああ。白銀、夏休み、楽しめよ」
私は玄関で白銀を見送った後、自室のベッドに入る。
寝よう……って、寝られるわけあるかあああああああああ!
白銀、頼むから残りの夏休みは、もう大人しくしておいてくれよ。
で、でも、たまになら問題を起こして先生のお家にきてもいいからな。
私はそんな事を願いながら、ベッドの上でゆっくりと意識を手放した。
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