92、推しに接客される。
本日2度目の更新です。
その日は、年甲斐もなく前日の夜からとてもソワソワしました。
何と言っても今日は、あのあくあさんと思い出の喫茶店で会える日なのです。
喫茶トマリギのオーナーさんから聞いた話によると、あくあさんは今日をもってカフェのバイトを辞めるそうだ。
段々とあくあさんが遠のいていっているような気がして寂しくも感じますが、これからのあくあさんのご活動を考えたら仕方のない事なのかなと思います。
そんなことを考えていると、予定していた時間より早めにお店に着いてしまいました。
「あっ、おかえりなさい!」
ご迷惑をおかけしてしまったのではと心配になりましたけど、あくあさんとオーナーさんは快く私を出迎えてくれました。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「は、はい……」
相変わらず距離感が近いあくあさんに、女子高生だった頃のようにドキドキさせられてしまいます。
私は、勘違いしちゃダメよと、自分の心に何度も言い聞かせました。
「お好きな席にどうぞ」
私は空いている一番端っこの席に座る。この席が空いている時、私はいつもここに座ってコーヒーを注文していました。流石にカウンター席に座る度胸はありませんし、私みたいなおばさんには端っこの席くらいが丁度心地がいいのです。
「ご注文はどうされますか?」
「えっと、それじゃあホットコーヒーとナポリタンで」
「了解です!」
私はカウンターへと向かったあくあさんの後ろ姿を目で追う。
鈍い私はその時になってようやく一つの違和感に気がつく。
なんとトマリギには、あくあさんの他にも男性の従業員さんがいました。
一人はすらりとした体型の知的なメガネ男子です。そしてもう一人はやたらとかっこよくポーズをとっている大学生くらいの男子でした。
ただでさえあくあさん一人でキャパオーバーなのに、他にも男子がいるなんて聞いていません。
確かちょっと前まで、ここで働いていたのは不定期のあくあさんを除けば女子ばかりのはず……。
もしやこの喫茶店、男子を惹きつける何か……はっ!? もしやこのコーヒーの匂いに、男の子を誘い出すような蠱惑的な匂いが!! ふむ……ここは検証班として、帰りに豆を買って帰る必要がありますね。
そんなことを考えてると、カウンターの奥からウェイトレスの格好をした女の子が手にナポリタンを持って出てきた。私はその女の子の顔を見て大きく目を見開く。
何故ならその女の子は、あの聖書の中であくあさんの隣に写っていた女の子だったからです。
「はい、あくあ君、注文のナポリタンだよ」
私は彼女の声を聞いてますます固まってしまった。
た……ま……ちゃん?
彼女の声は、あれ以来、私が掲示板の管理者権限をもらってサポートしているVtuberの大海たまと、全くと言っていいほど声がそっくりだったのです。
「ありがとう、とあちゃん」
あくあさんは、とあちゃんと呼んだ女の子からカウンター越しに熱々のナポリタンを受け取ると、私のテーブルの前に置きました。
「すみません、さっき聞きそびれちゃったけど、コーヒーはいつもみたいに食後で大丈夫ですか?」
「あっ、はい!」
あくあさんがそういう細かい所も覚えてくれているのだと思うとすごくキュンとしました。
「それでは、ごゆっくり」
私はフォークにナポリタンを絡め取ると、ゆっくりと口の中へと運ぶ。
最初は戸惑いましたが、徐々に落ち着いてくると色々と腑に落ちてきました。
大海たまとあくあさんが知り合いだったことを考えると、全てがしっくりときます。
しかしその一方で、私の心はすごくソワソワしました。
も、もしかして、お二人はお付き合いしているとか……?
いえ、別にあくあさんとお付き合いができるとか、そんな事も思ってませんし、あくあさんみたいな素敵な男子に彼女がいても不思議ではありません……。でも……でも! 私はその事がとても気になりました。
そんなことを私が考えていると、喫茶店の扉に付けられたベルがカランコロンと音を鳴らす。
「いらっしゃいませー」
喫茶店の中に入ってきた女性と目が合う。
少し野暮ったい服装と、変装用のマスクとメガネ、普段はしないポニーテールで誤魔化してはいるが私は彼女が誰なのかひと目で気がついた。アナウンサー森川楓さんことティムポスキーさんです。
「あっ、この前はありがとうございます」
「こちらこそ」
ティムポスキーさんはあくあさんと軽く挨拶を交わすと、私の対面のソファに腰掛けた。
「お、お久しぶりです。姐さん」
「うん、久しぶり」
ティムポスキーさんは小さな声で私と挨拶をする。
そしてオーダーを取りに来たあくあさんに、ナポリタンとかき氷のマンゴー味を注文した。
そんな温かい物を食べた直ぐ後に冷たいものを食べて、お腹を壊したりしないのでしょうか?
「あ、あのぉ……姐さん、もしかして怒ってます?」
「え? 別に怒ってないけど……」
ティムポスキーさんは何故かビクビクしていた。
元々、私は目つきが悪いせいか、会社でも後輩に怯えた目で見られることが多い。
高校の時、バレー部の部長をしていた時もそんな感じでした。
「そんな事より、ほら、あれ……」
私はティムポスキーさんに対して、男の子たちがいる方を見るように促す。
「えっ……!?」
ティムポスキーさんは、やはり私同様にあくあさんの事しか視界に入ってなかったのか、男の子たちを見てびっくりする。
「しかもあの子、雑誌の……って」
ティムポスキーさんは何かに気がついたのか、多少前屈みになって私に小さな声で囁く。
私はあくあさんが他に来店してきたお客さんに対応しているのを確認しつつ、ティムポスキーさんの話に耳を傾ける。
「姐さん……あの子、男の子ですよ?」
「はぁ!?」
しまった。私が大きな声を出したせいで、皆さんがこちらを向いてしまった。
「あ、すいません。なんでもないです」
私は一度立ち上がってお辞儀をすると、ゆっくりとソファに腰を下ろした。
そして、たまちゃんの方を食い入るように見つめる。
どっからどう見ても女の子にしか見えないけど、ティムポスキーさんが言っている事は本当なのでしょうか?
「間違いないです、姐さん。声は可愛いですけど、間違いなくあれはもう1人のあの子から出てる声です。お稲荷さんソムリエのプロ資格を保持してる私が断言するのだから信じてください」
お稲荷さんソムリエのプロ資格ってなんなのよ……と思って、ネットで検索したらちゃんと存在した上に、結構お堅いところがやっていました。
そんな資格がある事にも驚いたが、そんなものを取得しているティムポスキーさんにも驚く。そしてそれ以上に、たまちゃんが男の子だという事実に私は一瞬強く動揺し、それを振り切って逆に冷静になる。
「え、じゃあまって、あそこ一面、全員男の子ってこと?」
「はい、間違いなくあそこにはお稲荷さんが4つ存在します。まぁ、その中でも一番大きいのはやっぱりあくあ君ですけどね。この前握手した時に気がつきましたけど、あの手は間違いなくデカい人の手です」
え、え? どうしよう……それって、あくあさんは最低でも……長茄子……ってことよね?
あの時、嗜みさんがみんなから揶揄われて言い出せなかったけど、私のだってそんな大きいのなんてきっと無理……。だって、まだ未使用なんだもん。
「姐さん?」
はっ!? 反応のなかった私を見て、ティムポスキーさんは心配そうな顔で見つめる。
「だ、大丈夫、なんでもないから」
私は気を取り直して、コップに入った水をごくごくと飲む。
すると喫茶店の扉が開いて、またもや私の知っている人物が中に入ってきました。
「あっ、いらっしゃいませー」
どっからどう見てもヨボヨボのお婆さんの姿だけど、私は彼女の事をよく知っている。
嗜みさんこと、カノン王女殿下の特殊メイクを用いた本気の変装姿だった。
「お好きな席にどうぞ」
嗜みさんは迷いなく一直線に進むと、入り口側の端っこのカウンター席に座った。
あの位置であれば、接客をするあくあさんの姿がよく見えるでしょう。
「さすが嗜み……私たちに気がついていたのに、ここじゃなくて一番至近距離であくあ君が見れる席に座りましたね」
「嗜みさんが欲望に忠実なのは、今に始まった話ではないですから。でも私、そういう嗜みさんのこと嫌いじゃないですし、羨ましいとさえ思ってます」
案の定、嗜みさんは私たちと同じナポリタンを注文していました。
なんと言ってもここのナポリタンは、茄子とベーコンのナポリタンですから。
ええ、別に深い意味はありませんよ。
「それにしても結構人増えてきましたね」
気がつけば、喫茶店の中の席がほとんど埋まっていました。
みなさん、見たことのある常連さんばかりです。
私たちの隣のテーブルにも、見覚えのあるOLさんの女の子4人組のグループが座ってました。
「ねぇ……あれって」
「うん、間違いないよ、私、お稲荷さんソムリエの資格持ってるし」
「嘘……あの子、男の子なんだ」
「え? それなら許す。でもあー君は気がついているのかな?」
隣の席のグループの女の子たちは、とあちゃんの方をチラチラと見ながら会話に花を咲かせていました。
それにしてもそのお稲荷さんソムリエの資格は流行ってるのでしょうか? 私も取るべき?
女の子たちの会話に気がついたメガネをかけた男の子が、ゆっくりとOLさんのグループのいる席へと近づく。
「あの……」
小さな声で話しかけてきた男の子の声を聞いて、私はすぐに気がつく。
この声……マユシン君だ! 思わずティムポスキーさんと顔を見合わせたけど、彼女もどうやら気がついたようです。
「あの子が男だってこと、黙っててもらえませんか? その……白銀はまだ知らなくて、すみません。理由は言えないんですけど、お願いします」
女の子たちは、お互いに顔を見合わせると、穏やかな表情でマユシン君に小さな声で喋りかける。
「うん……わかった、事情は知らないけど頑張ってね」
「ごめんね、お姉さんたち少し煩かったよね。後でお詫びになんでもしてあげるから、連絡先、教えてもらえるかな?」
「もしかしてあーくんと同じ高校生かな? バイトできるなんてえらいね、何か欲しいものでもあるの?」
「ところで君の名前教えてもらってもいいかな? なんなら、君が欲しいものお姉さん達が買ってあげようか?」
はい、アウトー。完全にメスの顔をしていた女子たちに、私は心の中でホイッスルを鳴らす。
男子高校生に話しかけられて興奮しちゃったのはわかるけど、節度は守らなきゃダメですよ。
「コホン」
私は隣の席に聞こえるくらいの咳払いをして、こちらに視線を向けてきた女子4人組に、それ以上はダメですよと視線で警告する。
「「「「ヒィッ!」」」」
女の子達は私と視線があうと急に大人しくなった。
どうやら私の無言の警告に気がついてくれたようです。
若気の至り、誰にでもあることなので、こういうのは気がついた年長者が止めてあげなければなりません。
私だって一応は女性、彼女達のテンションが上がってしまった事には共感できますから。
「姐さん……ガチで……いっす……冷え冷えっす」
なぜか私の目の前のティムポスキーさんがガタガタと震え出した。
ほら、熱々のナポリタンの後に、そんな冷えたかき氷食べるからお腹冷やしたんでしょ!
全くもう仕方がないわね。
「あの……ありがとうございました」
マユシン君は、私たちのテーブルのところに来ると小さな声でお礼を言ってくれた。
やっぱり、あくあさんのような優しい人の周りには同じような人が集まるのでしょうか?
男性からお礼を言われて私もティムポスキーさんも、お互いに間の抜けたような表情で顔を見合わせました。
「ううん、大丈夫よ。それよりもホットコーヒー、追加で注文しても大丈夫かしら?」
「あっ、はい、畏まりました」
マユシン君は小さくお辞儀すると、ナポリタンを食べ終わった後のお皿を持ってカウンターの奥へと引っ込んでいきました。
「ほら、ホットコーヒー頼んでおいたから、それ飲んで体を温めなさい」
「ありがとうございます、姐さん……でも体が冷えたのは姐さんの殺……いえ、なんでもありません」
チラリとカウンター席に目を向けると、嗜みさんがあくあさんの事をガン見してました。
全くあの子ったらもう……世話の焼ける。
私は携帯を開くと嗜みさんに向けて、そんな血走った目をしているお婆さんなんていませんよとメールを送りました。すると嗜みさんは私のメールに直ぐに気がついたのでしょう。こちらの方を見てありがとうございますと返信してきました。
「そういえば捗るこないですね」
「あぁ……確かに」
全く、あの子はあの子でこんな大事な日に一体何をやっているのでしょうか。
もしやとは思いますが、寝坊したとか……ああ、捗るさんなら普通にあり得ます。
ティムポスキーさんもその事に気がついたのか、微妙そうな顔をしていました。
「はい、ホットコーヒー2つ、お待たせしました」
私たちのテーブルにコーヒーを持ってきてくれたのは、あくあさんでした。
「よくわからなかったんですけど、さっきは黛の事を助けてくれたみたいでありがとうございます」
「ううん、気にしなくていいのよ。さっきの子たちも、男の子に話しかけられちゃって、ちょっと興奮しちゃっただけだろうから、許してあげてね」
「はい、もちろんです。黛も気にしてないって言ってたんで」
友達の事を心配するあくあさんや、あの状況で女性の事を嫌いにならないでいてくれたマユシンくんの優しさに、私たちの心がぽかぽかと暖かくなります。
「あ、それとですね……これ、よかったら」
あくあさんはリボンのついた透明な袋を私たちに手渡す。
受け取った袋をよく見ると、中にはクッキーが入っていました。
「実は昨日、森長さんのお仕事でクッキング動画を撮ったんですけど、いっぱい作ったんで良かったらもらっていってくれませんか? 一応、プロの人の指導の元で作ったんで、味とか衛生とかも大丈夫なはずなんで安心してください」
「あ……はい。ありがとうございます」
袋の中のクッキーをまじまじと見つめると、ほんの少し歪な所がある手作り感を感じられるクッキーだった。
私は自然とバッグの中に入った財布を取り出して、全財産を差し出しそうになる。
しかし、目の前のティムポスキーさんも同じような事をしようとしていたのを見てお互いに我へと返った。
「それじゃあ、ごゆっくり」
私はもう一度目の前のティムポスキーさんと顔を見合わせて、手元に握りしめたクッキーの袋へと視線を落とす。
「え……これって永久に保存できたりとかしませんか?」
「いや……さすがに無理でしょ。手作りじゃなかったら冷凍庫入れればまだ日持ちはするのかもしれないけど……」
よく見ると、袋の中に小さく折り畳まれた紙が入っている。
私はクッキーの入った袋の紐を解くと、中に入っていた紙を取り出して開いた。
『桐花さんへ。何度もお店に足を運んでくれてありがとうございました! 最初は不慣れでお水をこぼした俺に、桐花さんが優しくしてくれたことを今でもよく覚えています』
なんとあくあさんは、私と初めて会った日の時の事を覚えててくれました。
それだけでも嬉しかったのに、あくあさんからの手紙には続きがあったのです。
『そういえば以前、桐花さんは自分の目つきがあまり好きじゃないと言っていましたが、俺は桐花さんの芯の通った強い目つきに憧れます。それに、水をこぼした時、桐花さんはとても穏やかな目で俺の事を見守ってくれていました。その優しさのおかげもあって、俺はここでのバイトを長く続けられたのだと思います。だからそんな素敵な目を嫌いになんてならないでくださいね!』
私はこぼれ落ちそうになった涙を根性で堰き止める。
ここで泣くわけにはいけません。
目の前をチラリと見ると、同じく手紙を読んでいたティムポスキーさんも涙を必死に堪えていました。
おそらく彼女もまた、あくあさんになんらかのメッセージをもらって感動したのでしょう。
「姐さん……私、私……」
「わかってるわ。でも……泣くのは店を出てからにしましょう」
私たちはなんとか涙を堪えて、会計を済ませてお店の外へ出る。
お互いに近くの公園で抱き合いながら涙を流していると、大泣きした嗜みさんも慌ててこちらへと向かってきました。私たちは年下の彼女を慰めつつ、みんなであくあさんの話をして和やかに会話する。
気がつけばみんなあくあさんの話ばかりしていて笑顔になっていました。
「それじゃあ、そろそろ帰りましょうか」
「はい、今日はありがとうございました。姐さん」
「ところで……捗るは?」
嗜みさんの一言に、私たちは顔を見合わせる。
すると、慌ててお店の方へと向かっていく捗るさんの後ろ姿が、私たちのいる公園の通りを横切っていったのです。
私たちはあまりにもタイミング良く現れた捗るさんの姿を見て、申し訳ないと思いつつも顔を見合わせて笑いあいました。後から連絡がきましたが、私たちのコールのおかげで目が覚めた彼女はなんとか間に合ったようです。
良かったですね捗るさん、でも、次からはちゃんと目覚ましをつけておきましょうね。
次回更新は21時になります。




