蘇深緑、呪いの言葉。
「シェンリュ……ごめんね。どうか貴女だけでも……生きて」
母が私にくれた最後の言葉。
幼かった私は、凶弾に倒れただ死にゆく母の姿を見ている事しかできないただの子供だった。
「生きる……」
前皇帝が後継者を決めずに崩御なされた事に端を発した政変。
極東連合では、皇位継承権を持った人間同士が殺し合い、更には政治家や軍部によるクーデターが相次いで起こった。
血で血を洗うような争い。それに巻き込まれた母は死に、私は母の言葉に従って逃げ続けた。
孤児の浮浪者を装うために何日もお風呂に入らないのは当然の事で、空腹に耐えきれずに泥水をすすった事もある。もちろん、孤児のふりをしていたので理不尽な暴力を受ける事だって珍しくなかった。
最終的に私以外の皇位継承権を持った人間は全てが死に絶え、軍部や政治家に対して民間人からの不満がたまっていた事で、最後まで生き残った私が周囲の人間から次の皇帝へと担ぎ上げられる。
私はただの傀儡でなければいけない。
そうでなければ殺されると思った。
なんのために私は生きてるんだろう? 「生きて」と言った母の最後の言葉が私を縛り付ける。
「あんたって本当に鈍臭いわよね」
侍女のリウ・ホンファは私に対して多くの嫌がらせをしてきた。
しかし、彼女の子供じみた嫌がらせのおかげで私の命は守られている。
「ほら、こっちにきなさい」
ホンファは私を土下座させて、その背中に足を置く。
ここは皇宮の最奥、奥の院。私とホンファ、そして、ホンファの実家であるリウ家の息がかかった侍女達しかいない。私はここから出られないし、助けを求めたところで誰も助けてくれないってわかってる。
だから無駄な抵抗をするだけ無駄だ。
むしろおしゃべりなホンファの機嫌を良くさせた方が、私にとっての有益な情報を饒舌に話してくれる。
「何も知らないあんたに良い事を教えてあげよっか?」
ホンファは私の背中から足をどかせて椅子から降りると、私の髪を掴んで強制的に顔を上げさせる。
「今、政治家達はあんたを男達に世継ぎを産ませるための道具にするか、不慮の事故で殺すか、このままここに軟禁して一生飼い殺しするかで悩んでるんだって。ねぇ? 貴女はどれがいい?」
どれも嫌だ……なんて言えない。
かといって他の選択肢を答えて、ホンファに変な勘ぐりをされるのも嫌だ。
となると、私に与えられた選択肢は3つ。
まずは最初の選択肢はなしだ。ホンファの性格からして、自分より下だと認知している私に男性が当てがわれる事を彼女は悔しがるだろう。
となると残された選択肢は2つ。その中でホンファが喜びそうな答えは後者だ。私がこのままここに、ホンファ様と一緒にいたいですと言えば、彼女は満面の笑みを浮かべるだろう。
しかし私がここで選択した答えは沈黙である。
「本当に鈍臭いわね。貴女……そんなのも選べないの?」
ホンファは呆れた顔をすると、興味を失ったかのように私を解放する。
ここにいるのはホンファだけではない。ホンファの息がかかった侍女達がいる。
そこからリウ家に報告されたら面倒だ。リウ家には、私が選択肢を選ぶ自我があると勘付かせたくない。
むしろホンファの報告通りにリウ家にも私が鈍臭いと思われている方がちょうどいいと思った。
いつかチャンスが巡ってくるその日のために。
「さぁ、来なさい」
傀儡の皇帝としての職務がある時だけ私は外に出られる。
この日は日本の華族六家、そのトップである皇くくり様、スターズ王家のカノン・スターズ・ゴッシェナイト王女殿下の2人が招かれていた事もあり、私も極東連合の面子を保つために懇親会への出席が許された。
「貴女、少しは自分の身分を弁えたらどうかしら?」
「なっ!?」
初めて見た皇くくり様は強烈だった。
私を蔑ろにして自ら会話に参加するホンファに対してくくり様が釘を刺す。
「貴女たち下がりなさい」
「くくり様、それは……」
くくり様は自らの部下たちに下がるように命じる。
もちろん彼女の部下達はその命令に対して渋るような表情を見せた。
「カノン王女殿下だって、こんなに周りに人がいると息が詰まるわよね?」
「ふふっ、そうですね。私達のような立場の人間がこうやって揃う事なんて滅多にないでしょうし……ペゴニア、下がってもらえるかしら?」
「かしこまりました」
カノン王女殿下が気を利かせて自らの筆頭侍女を最初に下がらせた事で、くくり様の部下達も渋々と主人の命令に従う。こうなったら、ホンファを含めた侍女たちも下がらざるを得ない。
部屋の中は私達3人だけになった。
私はすぐに椅子から立ち上がると、顔を隠していた物を取り外套を脱ぎ捨てる。
「えっ? ス……スウ皇帝陛下?」
戸惑うカノン様に私は自らの体にできたあざを見せる。
この部屋には監視カメラも盗聴器もない。日本とスターズの両方が部屋を使う前にチェックしてるから大丈夫だという確信があった。
私の行動に最初はびっくりしたカノン様も、私の体にできたあざを見て声を失う。
「……やっぱり。だと思ったわ」
くくり様は私の状況をある程度予測していたのか大きなため息をついた。
「私達にその姿を見せるって事は、どんな事……例えば亡命したとしても、今の環境から逃げ出したいと思ってるわけよね?」
「はい」
おそらくこれが私にとっての最初で最後のチャンスだ。
政変で食べる物がなかった台湾に支援をしてくれた皇の当主であるくくり様なら、こんな状況からどうにかできるかもしれない。それがわかっていたからこそ、私はくくり様に全てを賭けた。
「どれくらい待てる……?」
「日本のサミット開催までは大丈夫だと思います」
サイクル的に日本が7〜8年置きにサミットの開催地になっているのは知っていた。
サミットであれば皇帝の私は確実に出席ができる。だから私が亡命できるチャンスがあるとすればそこだけだ。
「なるほどね……。そういう事か。カノン王女殿下、申し訳ないけど……」
「わかってる。ここで聞いた事は部外者の私は聞いてなかった事にするわ」
「ありがとうございます。カノン・スターズ・ゴッシェナイト王女殿下のノブレス・オブリージュに最大限の感謝を」
私はカノン王女殿下に頭を下げる。
結果的に私は彼女を巻き込んでしまったが、それでも見ないフリをしてくれた彼女には感謝の言葉しかない。
「いいのよ。何も出来ない代わりと言ってはなんだけど、スターズは極東連合に対して少し強気に出られるから、何か適当な理由をつけてお手紙のやり取りができるようにしましょうか」
「あら、いいわね。でも、手紙は検閲されるわよ?」
私もくくり様の言葉に頷く。
ホンファや侍女達は頭が悪いから問題ないけど、問題はそれ以前の検閲だ。
「大丈夫。私も日本に来て初めて知ったのだけど、掲示……んんっ、インターネットには縦読み、斜め読みの文化があるの。それと暗号文をうまく組み合わせて利用すればいいんじゃないかな?」
「なるほど、悪くはないわね。それじゃあ、今のうちに3人で縦読みと斜め読みに使う暗号文を考えましょうか」
それから一年以上の月日が流れた。
スターズが崩壊したと侍女達が話していたのを聞いた時はびっくりしたが、カノン様は無事に過ごされていると聞いてホッとする。彼女から送られてきた最後のお手紙には、結婚してスターズの王女ではなくなるので、これが最後の手紙になるかもしれないという事、暗号文としてはサミットの開催を待つのみと書かれていた。
「きゃあ、あくあ様よ!」
「素敵」
「その写真、私にも見せて頂戴」
「カノン様って本当にお人形様みたい」
「絵になる2人だわ……」
手紙に同梱されていた一枚の写真を巡って侍女達が争う。
どうやら、カノン様と結婚した白銀あくあという男性の事にホンファも含めた侍女達は夢中らしい。
どんな男性かは知らないけど、願わくば私に優しくしてくれたカノン様を幸せにできる男性であればと願った。
「いい? 余計なことはするんじゃないわよ?」
ついにこの日が来た。
私はサミットが開催される日本の広島へと足を踏み入れる。
亡命のチャンスは最終日。それはわかっていた。
なのに……。
「どうして、このタイミングで……」
昼食会が開かれた後、私は絶望する。
まさかこんなタイミングで自分の身体が大人の女性になってしまうなんてと思った。
幸いにもホンファはお話に夢中で私は放置されているこの隙にどうにかしなきゃ。
とはいえ、こんな事を誰に相談すれば……。
「楓パイセン、大丈夫っすかー?」
「イテテテテ、調子に乗って飯を食い過ぎた……」
誰かいる?
そういえば先程の昼食会で食事をドカ食いしてた2人がいた事を思い出す。
私はトイレの扉を開けると、そっと顔を出した。
「ん?」
「あ……」
すごく綺麗な人。あのカノン様に負けてないくらい美しい人が立っていた。
とてもじゃないけど、さっきの会話の内容からは想像できないくらいに。
「も、もしかて漏らしたのか!?」
「漏らしてません!」
自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。
それこそ、こんなに大きな声を出すのは生まれて初めてかもしれない。
この人、完全に見た目詐欺じゃないですか。なんで、こんな綺麗な女の人が恥ずかしげもなく、そんな事を言うのよ!?
「そうじゃなくて、その……」
「あっ、なるほどね。わかった。つまり……」
私はお姉さんの言葉にコクコクと頷く。
察しのいいお姉さんで助かりました。
「そういう事ならちょっと待ってろ」
お姉さんは一旦トイレから出ると、色々と持って猛ダッシュで戻ってきた。
「歳の近い子から借りてきたから大丈夫だと思う。使い方はわかる?」
私は無言で首を左右に振る。
すると綺麗なお姉さんは丁寧に使い方を教えてくれた。
「こ、これって証拠が残りますよね……」
「あー、うん。そうだな」
どうしよう。ホンファが私の身体を改める時に初潮がきている事がバレたら、最終日の参加自体がなくなってしまうかもしれない。
私は藁にもすがるつもりで綺麗なお姉さんに対して自らの素性と、どうしても侍女にバレたくないと伝えた。なんとなくだけど、この人は悪い人じゃない気がする。私の直感がそう言っていた。
「うんうん、わかるぞ。カノンも恥ずかしがっていたからな。ぐへへ……。おっと、なんでもないです。わかった。そういう事ならこの私、雪白えみりに考えがある!」
雪白……? それじゃあ、この人が華族六家の一つ、雪白の……。
雪白えみりさんはトイレから出てきた森川楓さんをそこらへんのソファにポイと投げ捨てると、私にここで暫く待ってから会場に戻ってくるようにと言った。
「スウ皇帝陛下?」
「は、はい」
突然、男性の声で話しかけらた私はびっくりして返事をしてしまう。
誰かと思って振り返ると、そこにはカノン様をエスコートしていた白銀あくあさんが立っていた。
「こんなところで、どうされたのですか?」
「……侍女長のホンファが戻ってくるのを待っています」
そういえば、放っておいてくれると思った。
「その方でしたら、会場でお見かけしましたよ」
白銀あくあさんは私に向かって優しげな笑みを向ける。
良かった。カノン様はお優しい人と結婚できたんだと思った。
「……そう、でしたか。ありがとうございます。それでは……」
私は椅子から立ち上がると、1人で晩餐会の会場へと戻ろうとする。
そろそろ戻っても大丈夫だと思ったからだ。
「よろしければ、私にエスコートさせてもらえますでしょうか?」
「え……でも……」
目の前に差し出された手に私は戸惑った。
どうしてこの人は、こんなにも私に優しくしてくれるんだろう?
私が極東連合の皇帝だから? 私が傀儡だとあの会場にいる誰しもが知ってるはずなのに?
ううん、この人は王女のカノン様じゃなくて、只のカノン様を攫ってでも幸せにしようとした人だ。
くくり様やカノン様、そしてさっきの雪白えみりさんと同じ。地位とか立場とか、お金とか名誉とか、そんなものよりも彼にとっては大事なものがあるんだと思う。
「お立場的に流石に1人で会場に戻るのは良くないかと思われます。よければ俺の事を利用してください」
「……何から何までありがとうございます。心優しき貴方と日本国に感謝を」
温かな手だった。ほんの少しだけお母さんの事を思い出した。
「あはははは!」
会場に戻るとホンファの高笑いの声が聞こえてきた。
私がそちらへと視線を向けると、ホンファの側に居たえみりさんと目が合う。
なるほど。どうやら雪白えみりさんは、ホンファにお酒を勧めて彼女を泥酔させたようだ。
私の体を改められるのは侍女長であるホンファだけである。つまり彼女を酔わせて寝させる事で、なんとか今晩の身体改めを回避させるつもりなのだろう。
えみりさんが咄嗟に考えてくれた付け焼き刃の目論見は完全に成功した。こんな事、長くは続かないけど誤魔化せばいいのは今晩だけだ。
全ては明日、そこで私の命運が決まる……。
「極東連邦の民を統べる皇帝として、国際連合の常任理事国に与えられた拒否権を発動し、この議題そのものの破棄を検討する事を提案します。しかしこの提案は共同代表、極東連合を実効的に支配しているオレーニャ・アンジェル代表の意思とは反するものであり、私は現時点をもって、自らの命と体、心と魂を守るために日本国への保護と亡命を緊急要請いたします」
くくり様は言っていた。
日本国内閣総理大臣の羽生治世子という人間は自分にメリットがある事なら私に手を差し伸べてくれると。
だから、私が使える手の中で最大限の手を使った。
サミットの投票を行えるも、拒否権を使えるのもその国の為政者だけ。つまりは、この私だけです。
私は自ら先にカードを切る事で、彼女に保護を求めた。
どのみち私にとってもうこれ以上は後がない。ここで彼女に拒否されたらそこまでだと思った。
「了解した」
彼女が瞬時に私の提案を受け入れていくれてホッと胸を撫で下ろす。
アンジェル代表から隔離され、別室に案内された私はそこで初めて大きく息を吐いた。
助かったの……? 実感はあまりない。それはまだ自分自身が緊張しているからだと思う。
ただ、今はやれる事をやり切ったという実感があった。
『生きて』
母の最後に残した言葉が私を締め付ける。
私のとった道はこれで正しかったのだろうか。
わからない。でも、私が人としての尊厳を失わずに生き残るにはこの手しかなかった。
「国籍不明のドローン戦闘機がこちらに迫っています! みなさん、今すぐにシェルターに避難してください!!」
せっかく手に入れた安息、しかし、それも長くは続かなかった。
避難をするために部屋を出た私の目の前に1人の女性が立ちはだかる。
「スウ皇帝陛下。よろしければ、他国の代表達と共に我が国の空母へと避難しませんか?」
ステイツのヘンリエッタ・F・ローゼンベルグ大統領は私に向かって微笑む。
私にはわかる。これは善意ではないと……。
「結構よ」
私が断るよりも早く、誰かがローゼンベルグ代表の提案を断る。
その場に居た全員の視線がその女性へと注がれた。
「シスター服に虎の半面……誰だ?」
「聖あくあ教十二司教が1人、No.10の奉仕者と言えばわかるかしら? ステイツの大統領さん」
自ら奉仕者と名乗ったその女性は私を庇うように前に出る。
「例え相手が友好国だろうと敵対国だろうと関係ないわ。ここは日本よ。この日本で好き勝手振る舞うのは、この私が絶対に許さない。ただの1人の日本人として!!」
そう言って彼女は、ステイツの大統領に対して真正面から喧嘩を売った。
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