桐花琴乃、真昼の熱気。
「次の準備、急いで!」
「次の衣装ない!! どこ!?」
「その衣装ならこっちで手直ししてます! あと1分……30秒まってください!」
「早くして!!」
「ツアーで来てた白龍先生を簀巻きにして拉致って来ました!!」
「よーしよしよし、すぐに最後の台本を書き直させて!!」
「あっ、あくあ君の案を黛君が纏めてくれたやつならここにあります!!」
私の目の前を簀巻きの状態で俵抱きされた白龍先生が通り過ぎていく。
4月29日、DAY2の昼。私は忙しく走り回るスタッフ達の背中を見守る。
本音を言うなら、私も彼女達に混ざって動き回りたい。
でも、彼女達に経験を積ませるためにも、ここは上司の立場としてグッと我慢しなきゃ。
それに、妊娠しちゃったから、流石に前のように走り回るのは不味いわよね。
カノンさんと比べて私はつわりが重かったから、本当に大変だった。
「あっ」
誰かが声をあげた瞬間、スタッフ達の視線が一斉にモニターへと向けられる。
どうやら何かが起こったみたいだ。
私はすぐにモニターを見ていた子に声をかける。
「どうかした?」
「今、とあちゃんと黛君がぶつかりそうになって……」
私はサブモニターで画面を巻き戻して確認する。
「ここですね」
異変に気がついた天鳥社長も駆けつける。
映像を確認すると直前に気がついたあくあさんがとあちゃんの手を引いてくれたおかげで、なんとか衝突は回避できたかのように見えます。
「黛さんの様子がおかしいですね」
「それに気がついたあくあ君が一人で前に出て、ダンスをソロパフォーマンスに切り替えたみたいです」
私は医療スタッフが待機しているかどうかを確認する。
「この後の曲は黛さんのソロよね?」
「はい、その後に黛君とあくあ君の二人で華火を歌唱する予定です」
私は頭の中で状況を整理する。
まずは怪我をした黛さん、それと衝突してないように見えたけど、とあちゃんの状態の確認をしたいからこの二人は一旦後ろに下げなきゃいけない。
それに加えてあくあさんは最初の曲からもうずっと出続けてるし、この後の準備のためにもここで一旦下げないといけません。
私は直ぐにモジャPに相談する。
「ここで一旦、天我さんのソロパフォーマンスいけませんか?」
「それしかないだろうな。曲の流れもぶち壊さねぇし、今できる手の中じゃ一番悪かねぇんじゃねぇか」
私はすぐにインカムをつけると、みんなに指示を出す。
「次、天我さんのインストを入れます。他の3人は一旦、舞台袖に引っ込んでください! 頑張って!」
私は指示を出すと舞台袖に向かう。
すると甲斐さんが、何かあった時のために会場に置いてあった車椅子を借りてきてた。
さすが甲斐さん、気が利いてる!
「曲、終わりました。みなさん戻ってきます!!」
3人が歩いて戻ってくる。
黛さんは足を痛めたのか、階段を降りるなり膝に手をついた。
マネージャーの花房さんがすぐに駆け寄る。
「黛君、大丈夫ですか?」
「はい。少し足をくじいただけだと思います」
黛さんはまだいけますという素振りを見せる。
どうやらそこまで重症ではないようだ。
でも、だからといってここで続行させるわけにはいけません。
「黛さんは医療スタッフの治療を、今はドーパミンが出てて痛みに鈍くなってるだけかも知れません。この後のライブをやり切るためにも、そして明日のライブに駆けつけるファンのみんなのためにも、悔しいでしょうが先にちゃんと診察を受けてください」
「……はい!」
黛君は悔しそうに声を絞り出す。
「ごめん、慎太郎。僕が少し突っ込みすぎたかも」
「いや、そもそもタイミングがずれそうになって慌てた僕が悪い」
二人のそばにあくあさんが近づく。
「とあ、唇切れてる」
「あっ……」
本当だ。
あくあさんはとあちゃんの唇についた血を親指で拭う。
「とあも治療してもらって、メイク直してもらったほうがいい。さっき、俺が思いっきり腕引っ張ったしな」
「で、でも、それじゃあ次の曲はどうするのさ」
黛さんもとあちゃんも出れないし、天我さんもこの後の事を考えたら次は引っ込めなきゃいけません。
「次の華火は……ヒスイちゃん、いける?」
全員の視線が祈さんへと向けられる。
彼女に限らず今日のライブには、コーラスやダンスのサポートとしてオーディションメンバーのみんなが帯同しています。
「はい!」
祈さんは元気よく返事を返す。
気負った感じもないし、見た感じは大丈夫そうね。
「祈さんすぐ服着替えて!」
「はいっ!」
「歌詞わかる!?」
「はいっ!!」
スタイリストや他のスタッフ達が一斉に祈さんの所に集まる。
その一方でとあちゃんと黛さんの二人は、治療を受けるためにすぐに医務室へと向かう。
あくあさんの決定で、すぐにみんなが自分ができる最善を目指して動き出した。
ベリルの仕事をやっていて、この瞬間が一番たまりません。
「あくあさん」
私は隙をみてあくあさんに話しかける。
「琴乃、大丈夫。なんかあっても俺がどうにかするから、安心して見てて」
あくあさんは私に向けて微笑むと、集中した表情で前を向く。
その緊張した面持ちに、私は違和感を覚える。
いつものあくあさんなら、ここで急遽歌う事になった祈さんに声をかけるはずです。
それなのにこの表情は、まるで小雛ゆかりさんと一緒にやる時のような……。
「そろそろ天我先輩のパフォーマンス終わります!」
「祈さんの準備できました!」
準備のできた祈さんがあくあさんの隣に立つ。
その二人の背中を見た時、さっきまで騒がしかった舞台裏が急に静かになった。
雰囲気があるっていうのかな。二人が並んでいる姿を見た時、今から何かすごい事が起こるんじゃないかって思った。
「ヒスイちゃん、合わせようなんて思わなくていいから。今の君が出せる全力を俺にぶつけてくれ」
「は、はい! 頑張ります!!」
先輩としてその全力を受け止める……と、そう解釈するのが正解なんだと思います。
でも、私には、そうとは思えませんでした。
「それじゃあ、行ってきます」
天我さんと入れ替わるようにしてあくあさんが先にステージへと向かう。
「きゃあああああああ!」
「あくあくーん!」
「あくあ様ーーーーー!」
私はモニターに映ったあくあさんをジッと見つめる。
『北海道の皆さん、改めてこんにちはー!!』
「「「「「こんにちはー!」」」」」
あくあさんはファンのみんなに向けて笑顔を見せる。
『北海道と言えば思い出しますね。あの地獄の日帰りラーメンツアーを……』
あくあさんが遠い目をすると、観客席から笑い声が起こる。
小雛ゆかりさんがラーメン食べたいからって理由で決行した日帰りで行ったラーメン弾丸ツアーは、同行した本郷監督が撮影したものが地上波で流れました。
『そういえば煩い先輩に函館ラーメンをお土産に買ってくるようにって言われたんだけど、さっきお腹が空いて我慢できなかったから、お土産で買ったやつを先に一個食ったんだよね。5個入りだったんだけど、これ、言わなきゃバレないよね? 最初から4個入りでしたで誤魔化します!』
言ったらバレるでしょ。
まぁ、バレてもいいから言ってるんだろうけどね。
『ところで、4月になって環境が変わった人もいると思うけど、みんなはもう慣れたかな? 俺は1週間も停学してたから、一人遅れて初登校した時はちょっと気まずかったです』
再び観客席からファンの笑い声が漏れる。
その間に、祈さんが所定のポジションへと向かいます。
『そろそろもう学校に行きたくないなー、会社に行きたくないなー、仕事場に行きたくないなーって思ってる人いるでしょ? でも、皆さん思い出してください。後数ヶ月で夏が来るんです!! 夏になれば海水浴にプール、フェスやイベント、そして花火大会があるんですよ。だから少し早いけど、みんながこれから夏までの間を乗り切れるように、この曲を歌いたいと思います』
うまいなぁ。手慣れてるなぁって思う。
あくあさんの言葉で、次の曲が何の曲か察したファン達が沸く。
『ヒスイちゃん……行くよ』
『はい』
祈さんが出るとわかって観客席が一瞬ざわつく。
でも、イントロが流れると、みんなが曲を聴こうと一瞬で静かになる。
『熱に浮かされたあの夜に見た、君の大きな背中を今でも覚えている。冷たい雫が火照った頬を伝う、震える濡れた体』
祈さんはオーディションを受けた時、声は良くてもまだそれにテクニックや声量が追いついていませんでした。
それなのにプロの指導が入っただけで、こんなにも変わるんですね。
『雨風が窓を叩く度に、私の心が大きな音を立てる。暗闇に灯った月明かりの雫が、君の顔を照らす』
裏で審査してた時はそこまでじゃなかったけど、ステージの上だとここまで映えるのか。
AQUARIUMのステージ審査でもわかってたけど、あくあさんはこの才能を事前審査の段階から見抜いていたんですね。
『そっと君から視線をそらして、熾火を見ていた。だってこの気持ちに気がついたら、今まで頑なに閉ざしていた心が溶けてなくなる気がしたから。このまま、時が止まればいいのになと思った』
私の背筋がゾクっとする。
この前まで中学生だったのに、ふとした時にすごい色気がある子だなって思った。
触れそうで触れない。まるでそこに存在しているようで存在してないかのような。なんとも奇妙な感覚に襲われる。
『どうやったら君に寄り添う事ができるのだろうって、苦しむ君の顔を見て側に居たいと思う。寂しさを埋めるように、求め合うように、締め付ける心と雨音。揺らぎ、終わりを告げるクラクション』
こっちはこっちで、色気マシマシだ。
大人びたあくあさんの歌声に、観客席に座ったファン達も頬をピンク色に染めて聴き入る。
『初めて君の名前を呼んだ。確認するようにまた呼んだ。その名前を呼ぶ度に君が愛おしくなった』
ドキドキしすぎた心臓が破裂しそう。
そんな事あるわけないってわかってるのに、でもそれくらいあくあさんの歌声は、私を……ううん、私達の胸を締め付ける。
こんなの反則ですよ。歌ってるその姿と声だけで、全世界の女子を一瞬で恋に落とすんだもの。
『そっと抱きしめた君の体を見ないように、熾火を見ていた。この熱は夏のせいだろうか。それとも二人の体温なのかな。重ねた身体、触れ合った肌、心が溶け合って一つになる。ゆっくりした時間の中で、本当は君のことを見つめていた』
あくあさんの声で名前を呼ばれただけで、ううん、声をかけられただけでその日1日が楽しくなる。
あくあさんのその手に触れられただけで、真夏の夜みたいに全身が熱に浮かされます。
あくあさんに見つめられただけで、もう彼から一瞬たりとも目が離せなくなる。
アイドル白銀あくあを知ったら最後、もう誰もこの沼からは抜け出せないんだと思います。
『揺らめく炎が』
『暖かな火が』
あくあさんと祈さん、二人が交互に歌うパート。
私達は二人の色気に当てられて顔を赤くする。
『顔を照らした』
『顔を照らす』
ただ、交互に歌いあってるだけなのに、抱き合って囁き合ってるように聞こえる。
『心が揺れる』
『心が揺れた』
心を揺らされてるのは、この歌を聞かされている私達の方だ。
『側にいて』
『側にいたい』
私はここで祈さんの異質さに気がつく。
『あと少し』
『ほんの少し』
あのあくあさんの隣で歌ってるのに見劣りしない?
『こうしてていい?』
『こうしていたい』
そもそもこの曲は月街さんとあくあさん、男女のトップアイドルであるあの二人だからこそ成立した曲なのです。
それなのにあくあさんの隣で歌う祈さんは全くと言っていいほど、見劣りがしてません。
『二人きりの夜、誰もいなかったあの世界。今も大事にしている記憶と、触れた掌の熱』
私にはわかる。
あくあさんに恋に落ちて、彼と結ばれて結婚したから。
だからこの歌を聴いた時、月街さんはあくあさんに本気の恋をしているのだと気が付きました。
女性のトップアイドル月街アヤナが、そのカリスマ性と歌唱力、そして自らの恋心まで利用して歌い上げたお見合いパーティーでの渾身の一曲、祈さんはあくあさんへの恋心なしでその領域に迫っていく。
『そっと唇を重ねた私たちを、熾火だけが照らしていた。夏の終わりに始まりを感じた気がした。ゆっくりと溶けていく心が、自分の恋心を自覚させる。抱きしめられた腕の中で幸せな夢を見た』
見事に歌い切った二人に対して観客席から大きな歓声が送られる。
そう、私はあくあさんに恋をしていたからわかるんだ。
祈さんは、あくあさんの事を好きだし尊敬している。でも、その気持ちは恋じゃない。
それなのに彼女は、ただの月街アヤナがただの白銀あくあに向けた恋心を理解してこの曲を完璧に歌い切った。
背筋がゾクゾクする。あの白銀あくあの隣に立っても殴り合える女の子が他にもいるんだって。
「祈さん……」
舞台裏の端っこからモニターを見ていたらぴすちゃんや那月さん達が真剣な顔を見せる。
なるほど、今日のこのステージは彼女達にはいい刺激になったのかもしれません。
あくあさんの事だからそれも狙いだったのかもしれませんが、あの時のあの表情は……。
「とあちゃんと黛君、準備できました!!」
私は思考を止め、入口の方へと視線を向ける。
よかった。二人とも無事みたい。
それに、黛君もやる気に満ち溢れた顔をしている。
私は、隣にいたとあちゃんの真剣な表情を見てびっくりした。
「とあちゃん」
私は思わずとあちゃんに声をかける。
「琴乃お姉ちゃん、さっきの見てた?」
私はコクンと頷く。
どうやら火がついたのは彼女達だけじゃないようだ。
「すごいよね、祈さん。月街さんみたいにあくあに恋してるわけじゃないのに、あくあへの恋心を理解して歌って見せたんだから」
とあちゃんは、月街さんがあくあさんの事が好きだって事に気がついてたんだ。
本人より先に気がつくってどういうこと? って、思ったけど、ただ単にとあちゃんの勘が鋭いだけかな?
「だけど、僕だって負けてないんだから。月街さんにも、えみりさんにも、祈さんにも……もちろん慎太郎にだって負けたくない。アイドル白銀あくあの隣で歌うのは僕だ。その席だけは絶対に譲らない」
BERYLの中でも、あくあさんの次に、ううん、もしかしたらあくあさん以上に負けず嫌いなのがとあちゃんだと思う。
「それじゃあ、僕も行ってきます」
「うん、頑張って!」
私は両手で握り拳を作ってとあちゃんにエールを送る。
「天我先輩、僕たちも頑張りましょう!」
「うむ!」
とあちゃんの後ろ姿を後方で見ていた黛さんや天我さんも気持ちの入った顔を見せる。
それを見た私は、男の子っていいなって思った。
私は、あくあさんのすぐ隣に立って共に戦ったり、時には競い合ってお互いを高めたりなんてできないから。
だから彼らの事をすごく羨ましく思います。
「あくあ君が戻ってきます!」
とあちゃんと入れ替わるようにして、あくあさんが舞台裏に戻ってくる。
あくあさんは私の顔を見ると、ポンと頭を叩く。
「スタッフのみんな」
あくあさんの言葉に、スタッフ達が反応する。
作業をしながら視線を向ける人、耳だけ傾ける人、全員があくあさあんの言葉を聞き逃さないようにしていた。
「ここからが大変だろうけど、ラストスパートまで一気に走り切ろう! 俺達がやれるのは、いや、ファンのみんながライブに来て夢を見れるのは、スタッフのみんなのおかげだからな! いいか、ファンもスタッフも全員で最後まで一緒に全力疾走で走り切るぞ!!」
「「「「「はい!」」」」」
もしかして、私が考えていた事を見透かされていたのだろうか?
普段は察しが悪いのに、それってなんかこう……ずるい。
あくあさんは私の頭をもう一度ポンポンと叩くと、おでこを人差し指でツンとした。
そして口パクで、ちゃんと見とけよって囁く。
あぁ、ダメだな……。これは勝てない。
「よしっ!」
自分でも知らないうちに少しナイーブになってたのかもしれない。
私は自らの両頬を叩くと気合を入れ直す。
「甲斐さん、二人の準備はできてますか?」
「はい! 丸男と孔雀、いつでもいけます!!」
ラストはヘブンズソードのメドレーだ。
二人はそこでバックダンサーをする予定です。
「甲斐さん、最終確認行くわよ」
「はい、先輩!!」
心のどこかに役員だから現場には口を出さないようにしなきゃって思ってたのかもしれません。
私は裏からあくあさん達を支えるために、ファンの人達に楽しんでもらうために、そして、このステージを成功させるために、甲斐さんを連れて二人の元へと向かった。
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