天鳥阿古、決意。
本日2話目です。
私の友人でもあり幼馴染の小雛ゆかりはかなりの気まぐれだ。
そんなゆかりの突飛な行動に振り回された経験は1度や2度どころではない。
大人になったら少しは落ち着くかと思ったが、ゆかりは小学生の精神のまんま大人になってしまった。
子供の頃から子役としてドラマや映画に出ていたゆかりは、その他多くの子役達とは違って、消える事なく今もこの業界のトップランナーとして最前線を引っ張っている。
私が広告代理店に勤務した時も何度か現場で一緒になったが、その気まぐれな性格で多くの人を困らせていた。
では、なんでそんな彼女がこの業界で生き残っているのか? その理由は明白である。
あの若さでありながら唯一無二と呼ばれるその演技力。ゆかりに肩を並べる女優はこの国には片手で数えるほどしかいなかった。
「おいすおいすー、あこっち、いるー?」
そんな彼女が私の元を訪ねてきたのは、ゴールデンウィークより前の4月ごろだった。
連絡くらい入れてくれればいいのにとも思ったが、ゆかりにとってはいつもの事なので注意しても無駄だろう。
彼女の気まぐれは今に始まったことではないのでもう諦めている。
「おっひさー、なんか、面白いことやってるんだってー?」
扉を開けるといつものようにズカズカと部屋の中に入ってくる。
自分でも不思議だが、なんでゆかりと友達なんだろうって思う時がないわけでもない。
でも、ゆかりの神すらも恐れぬ傍若無人さは、私にはない部分でもある。
ゆかりは特別で、私はその他大勢、その事に気がつくのにそうは時間がかからなかった。
だからこそ私は、ゆかりのその自分にはない部分に強い憧れを抱いている。
現にゆかりのファンは少なくないし、この業界の製作陣にも信者が多い。
彼女達の多くは私と同じなのだろう。
『圧倒的な才能を前にしたら、それ以外のことなんてどうでも良くなる、そう思ってる業界人は多い』
以前、モジャさんこと小林さんとお話しした時も、同じような事を言っていた。
現にこの業界には彼女くらいトキシックな人間がいないわけでもない事を、広告代理店で勤務していた私は知っている。だから小雛ゆかりという女優は、こんな性格にも関わらず、仕事が途切れることはなかった。
「ふーん、これがあくあ君かー」
ゆかりはリビングに貼っていたあくあくんのポスターを見つめる。
目を見開き、まるで昆虫の標本でも観察するように、あくあ君のポスターを這いずるような視線で事細かに舐め回す。それは普通の女性が男性を見る視線とはまるで違うものだった。
「知ってるよー、あこっち、この子のために広告代理店やめちゃったんでしょ?」
「う、うん、そうだけど……」
嫌な予感がする。ゆかりの全てを見透かすような視線に、私は冷や汗が流れた。
私はゆかりからスッと目を逸らす。そして目を逸らした先のノートパソコンが、開きっぱなしになっていることに気がつく。
「ふーん、なるほどね」
まずい、そう思った時には手遅れだった。
ゆかりは私のノートパソコンを覗き込んで目を煌めかせる。
「おぉー、ドラマの収録したって聞いたけど、これの事かー」
嘘でしょ!? ドラマの撮影をしたのは昨日の事だ。
それなのにゆかりは、どこから仕入れたのかあくあ君が花咲く貴方へに出演した情報を知っていたのである。
知っていて、ゆかりは私のところに訪ねてきたのだ。
「ゆ、ゆかり、それはまだ表に出てない奴だから」
ゆかりがノートパソコンで見ていたのは、花咲く貴方へのあくあ君の登場シーンだ。
まだ放送前のその動画を、私はノートパソコンでチェックしていた最中だったのである。
「あこっちさ……悪いけど、ちょっと黙っててくれる?」
ゆかりはその大きな瞳をさらに見開き、瞬き一つもせずに画面に食い入るように見つめた。
「ふーん……ま、50点ってとこかな」
「なっ!?」
自らの握りしめた拳に自然と力が込められる。
あくあ君の演技が50点だと言われたことに、私はカッとなって人生で初めてゆかりに言い返してしまった。
「あくあ君の……うちの白銀あくあの演技が50点っていうんですか?」
「へぇー……いいね、あこっち、あくあ君の事になると、ちゃんとそういう顔できるんだ? うんうん、これはいい傾向だねぇ。でも50点なのは覆らないよ。だってこの子はもっと上が目指せる子だもん」
ゆかりは私が怒ったのを見て、何故か満面の笑みで喜んだ。
「じゃあ、聞くけどさ、私の演技を知っているあこっちは、あくあ君の演技を見て、これがこの子のマックスの演技だと思ってる?」
ゆかりは私に胸をぶつけるくらいの至近距離まで近づくと、さっきのような大きく見開いた目で私の瞳を覗き込む。
「っ……!」
直ぐにでも言い返さなきゃいけないのに、私は一言もゆかりに言い返せなかった。
あくあ君のような、役柄に自分を落とし込むタイプの人間は憑依型の役者だと言われている。
ゆかりは……女優、小雛ゆかりの演技は、その憑依型の役者として、国内の女優として間違いなく一番の役者だ。
だから彼女はこの性格でもこの業界で生き残れたし、小雛ゆかりの演技に魅入られた視聴者は多い。
私もその一人だ。だからこそ知っている。小さい時からずっと小雛ゆかりを見ていた私には、あくあ君のこの演技のさらに先がある事を……。そして、あくあ君の今の全身全霊の演技を持ってしても、今、目の前にいる女優小雛ゆかりの本気の演技には勝てない事も。
「でも、あくあ君が目指してるのはアイドルであって、役者じゃ……」
「そんなの関係ない。だって、あこっちはさ、この演技を間近で見たんでしょ?」
ゆかりの言いたいことはなんとなくわかってる。
私は少し悔しげに唇を噛んで無言で頷く。
「あこっちはさ、完成された役者としての白銀あくあの姿を見たくないって言える?」
そんなの見たくないわけないじゃない!
だって、あくあ君のこの演技だけでも、きっと多くの女の子たちは幸せになる。でもこの演技より上が、役者としての白銀あくあの完成形がもっと先にあると聞かされて、心が揺さぶられた。
「あこっちさ、次の月9、私のお兄ちゃん役にあくあ君をねじ込んでおくからよろしく。あと日曜の朝だけど、男の俳優探してるって言ってた、あの監督はおもしろいから声かけてみるといいかも」
「ま、待って」
ゆかりの口から出た突飛な話に私は驚く。
「なんで待つの? あこっちだって気が付いてるでしょ」
ゆかりの顔が強張り、先ほどまで見開いていた目が鋭い視線へと変わる。
「この子の演技は私と同じタイプでしょ。だったら変な奴に当たるより、あこっちの友達であくあ君の上位互換の私が面倒見た方がいいんじゃないかな? それとも、あくあ君が役者としてちゃんとモノになる前に、あの女狐とか、あの女帝とかに、あこっちの大事な大事なあくあ君を食い散らかされてもいいの?」
私はゆかりの言葉に、びっくりする。
ゆかりの言う女帝や女狐とは、この業界におけるこの国の大御所たちのことだ。
彼女達と共演して、星の瞬きの如く消えていった男性俳優は少なくない。
それでも彼女達が支持されるのは、ゆかり同様、彼女達の演技にファンが多いからだ。
「言っておくけど、あくあ君の存在に気がついてるのは、もう私だけじゃないんだからね」
ゆかりの言葉に私は息を呑む。
おそらくゆかりはその事を知っていて、警告も兼ねて私のところに訪ねてきたのだろう。
大御所達が動くのは、まだもうちょっと先だろうと思っていた自分の甘さに反吐が出そうになった。
「なんで……なんでゆかりは、あくあ君に、そこまでしてくれるの?」
いくら鈍感な私でも、ゆかりがあくあ君のために動いてくれた事はわかった。
もしかしたらゆかりもあくあ君の事を……。
「知ってるでしょ、あこっち、私、面白いことが好きなの」
ゆかりはほんの少し悲しげな表情を見せる。
「だから最近すごくつまらないんだよね。若い子だとアヤナちゃんのストイックな性格とか、私的には好きなんだけど、アヤナちゃんは女優としては凡人だし、そもそも私とはタイプが違うからなー」
ゆかりの言うアヤナとは、アイドルの月街アヤナのことだろう。
最近の若手の中でも勢いのある彼女だが、ゆかりのような本物の天才から言わせると彼女はただの凡人らしい。
「そこで天才のゆかりちゃんは思いついたのです。あぁ、いないなら自分で育てればいいんだって」
育てる? 誰が? ゆかりが? 嘘でしょ?
私はゆかりの言葉に混乱した。
ゆかりが人を育てられるのかという疑問はあったが、それと同じくらい自分如きでは、役者白銀あくあを育てる事ができない事は自覚している。
「だから安心してあこっち。私があくあ君を重鎮どもに美味しく食べられないように、ちゃんと本物にしてあげる」
そう言うとゆかりは、私の目の前にスッと手を出した。
私はゆかりからのこの提案を受けていいのか頭を悩ませる。
事務所の社長である私が、あくあ君にしてあげられる事はそんなに多くはない。
実際に現場に出た時、カメラを前にしたあくあ君は一人だ。
役者として演技の事に悩んでも、それを相談できる先輩もこの事務所にはいない。
私だって悩みを聞いてあげる事くらいはできるだろうけど、それだけだ。
実際に役者として現場に立ったことのない私にとって、役者である白銀あくあを一人で守ってあげられるのだろうか。私はゆかりの手を掴むべきかどうするべきか心を揺らした。
「あー! もう、こんなこと、本当は恥ずかしくて言いたくないんだけどなぁ。でも、あこっちは言わなきゃわかんなそうだし……仕方ないかぁ。もー、一回しか言ってあげないんだからよく聞いてよね」
ゆかりは大きくため息を吐くと、私の皺の入った眉間を軽く指先で小突く。
「あこっちはどう思ってるか知らないけど、私にとっては、たった一人の友達なんだからさ。もっとこの業界の先輩でもある私の事を頼りなさいよ。私は性格クソかも知んないけどさ、あこっちのこと、私がたった一度でも裏切ったりとかした事ある?」
ない……それどころか、ゆかりは私が子供の時、ちょっとした事で男の子にいじめられそうになった時に、助けてくれたたった一人の友人でもある。
今思えば、あの時からゆかりは変わっていた。女の子なのに、男の子には媚びず、それでいてしっかりとした自分の意見を持っていて……私にとってのヒーローだったと言っても過言ではない。
「わかった……ありがとう、ゆかり」
私はそう呟くと、ゆかりの手を握って握手を交わした。
「あと……あの子、そこはかとなく美洲様に似てる気がするんだよね」
「ん? ゆかり、今なんかいった?」
「ううん、なんでもないなんでもない」
「ゆかり……一応言っておくけど、事務所の社長として、あくあ君に手を出すのは許しませんからね」
私は念のために一言付け加えておく。
「大丈夫、大丈夫! 私、別に男としてあくあ君のことは狙ってないから安心して。それにさっきも言ったけど、別にあくあ君の事を、食い物にしたくて気にかけてるわけじゃないんだからね」
本当かな? でもゆかりは昔からそうだったし、さっきも言ったように嘘をつくことは基本的にない。
それならば安心かと私がそう思った瞬間に、ゆかりは爆弾を落とす。
「でも、私の好みで言うと、あくあ君の性格はまだ会ってないから知らないけど、顔の好みは私的には100点だから、向こうから誘われた分には普通にホテルいっちゃうけどいいよね?」
私はお笑い芸人のようにその場でズコーッとこけそうになる。
「ダ・メ・で・す。相手は未成年ですよ。ゆかりも、もう大人なんだからちゃんと自重してください!」
「はいはい、相変わらずあこっちはうるさいなー、そんなんだからいつまで経っても処女なんだよー」
なっ!? デリカシーのないゆかりの発言に私の顔が赤くなる。
「貴方だってまだ処女でしょうが! 一緒じゃないの!!」
「えーっ、だってゆかりはあこっちと違って普通に男の子にお付き合いしてくださいって言われたことあるし。ただ好みじゃないからついてかないだけなんだもーん」
ぐっ……そういえば、ゆかりはそういう奴だった。
私はゆかりと小学生の時のような押し問答を繰り返す。
そしてその日は、お酒を飲んで朝まで語り明かした。
「わかってると思うけど、手出したらダメだからね」
「わかってるってー、もー、あこっちは相変わらずお母さんみたいに煩いなー」
本当にわかっているのか多少の不安はあったが、私はあくあ君をゆかりに託す事に決めた。
あくあ君には誰よりも輝いてほしい。役者として演者として、白銀あくあは遅かれ早かれこの目の前の女優、小雛ゆかりにいつかはぶつかるだろう。それが少し早まっただけだ。でもあくあ君の才能なら、小雛ゆかりにだって負けてないって私は信じている。
私は、白銀あくあのマネージャーとして、そして最初のファンとして、あくあ君の成長に期待した。
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