白銀あくあ、熱い夏がやってくる予感。
ゴールデンウィークが終わると直ぐに、阿古さんが俺の家にやってきた。
「実はあくあ君の元に、幾つかの仕事がきています」
阿古さんは手に持った書類の中から数枚の紙を取り出すと、俺の目の前に差し出す。
「まず最初に、連ドラの出演オファーです」
用紙に書かれてドラマの放送日時を見て俺は息を呑んだ。
月曜、夜9時……俗にいう月9のドラマである。
ちょい役かもしれないけど、ゴールデンタイムのドラマに出演できるだけでも凄いことだ。
「あくあ君には、主人公のお兄さん役としてのオファーが届いています」
俺は用紙に書かれた設定を見る。
主人公は高校生になったばかりの女の子で、俺はその子の二つ上のお兄さんという役柄だった。
同じ高校に通う高校三年生で生徒会長を務めている設定らしく、主にピンチになった妹を手助けする役まわりが中心らしい。
「最近の月9は、視聴率がすごく低迷していまして……いつもは社会人をテーマにした恋愛ドラマが中心なのですが、今回はちょっと若年層を取り入れようと趣向を変えたみたいです。局側の方針の転換もあって、今回はあくあ君に仕事のオファーがありました。配役の設定年齢はあくあ君の年齢と比べると2つほど高いですが、こういう機会は中々ないと思うので受けるのもありだと思います」
俺は首を縦に振る。
「そうですね。オファーが来るだけでもありがたい事ですし、俺としては受けたいと思っています」
俺の返答に阿古さんも力強く頷く。
基本的に俺は、阿古さんのとってきてくれた仕事はできる限り受けたいと思っている。
阿古さんはいつも俺の事を考えてくれているから、どの仕事もきっと俺のためになると思ってとってきてくれているはずだ。
「わかりました。それとこのドラマのオファーを受けてくれる場合、主題歌になるエンディング曲も歌っていいと、製作陣とテレビ局、スポンサーの各方面から許可を得ていますので、このドラマに、あくあ君のオリジナル曲を採用してもらおうと思っています」
今日はこの話が終わった後に、モジャさんのスタジオに行って、三人でオリジナル曲の選定に入る予定だ。
最終的にいくつかの曲には絞れたらしいけど、モジャさんもどれにするか決めかねているらしい。
まだ歌詞もついてない事を考えたら、こちらも急がなければいけないだろう。
「それではこの案件については、お受けする方向で動きたいと思っています」
阿古さんは書類の中から、さらにまた数枚の資料を取り出して俺の目の前に提示する。
「そしてあくあ君にはもう一つ、日曜の朝8時の子供向け特撮番組の主演の話が来ています」
俺は書類に書かれたタイトルを見て目を見開く。
マスク・ド・ドライバー、ヘブンズソード。
小さい時、親のいなかった俺は、よく学校の同級生がドライバーの玩具で遊んでいたのを横で見ていた。
もちろん俺には玩具を買う余裕はなかったから、ただひたすらに羨ましかった記憶しかない。
ただ、一度だけ……そう、たった一回だけ、近所でたまたま見たヒーローショーは、今も俺の胸の底の熱いところにしまってある。
「この枠は本来、女性の主人公が変身して悪と戦う子供向け番組でした。しかし、放送開始40年を記念して、一度でいいから男性でやってみたいと製作陣とスポンサーの双方からの強い要望があったそうです」
やはりというべきか、この世界は俺の居た世界とは違って、男性ではなく女性がドライバーに変身して怪人と戦う設定に変わっていた。
「故に今作の予算は潤沢ですし、タイアップのイベントも多い。それにこの時間帯のドラマに出演できれば、親子層のファンを取り入れる事ができると考えています。問題はOP曲のオファーも受けているので、月9の主題歌以外にもう一曲用意する必要があること、それに加えて撮影スケジュールが過密なことや、早朝や深夜の撮影が多い事でしょうか。現にこのお話があくあ君に回ってきたのは、男性の俳優に断られ続けられて他に当てがなかったと聞いています」
資料に書かれた撮影時間を見ると、その過酷さは一目瞭然である。
それでも俺は、この番組に出たいと強く思った。
「はっきり言って、私は断るべきかとも考えました」
阿古さんから出た言葉に驚いた俺は、顔を見合わせる。
「放送は9月開始の予定ですが、現時点でも撮影のスケジュールはかなりタイトだと思います。本来であれば5月初旬から撮影を開始する予定ですが、この段階でまだ主役も決まっていない事を考えると、私としてはあまりあくあ君に無理をして欲しくはありません」
真剣な眼差しの阿古さんに対して、俺も自らの熱い想いを伝える。
「阿古さん、俺はこの特撮ドラマにすごく出たいです。撮影スケジュールもすごくタイトだし、場合によっては阿古さんに迷惑をかける時があるかもしれません。でも……この書類を見ていると、スタッフの人たちの熱意は本物なんだってわかりますから」
事細かく記載された設定、細部まで作り込まれたドライバースーツのデザイン、そのどれしもが熱意に溢れて本気だって伝わって来る。もし、俺が断れば、ますます納期が遅れて、完成する頃にはこのクオリティを下げざるを得ないかもしれない。そうなった時の、日曜の朝にドライバーを待っている子供たちの悲しい顔を思い浮かべると心が痛くなる。
俺はアイドルだ。
アイドルはみんなを笑顔にしなきゃいけない。
それなのに、子供達を笑顔にできなくて何がアイドルなんだ。
「お願いします、阿古さん。俺にこの仕事を受けさせてください!!」
俺はソファから立ち上がると、阿古さんに頭を下げた。
最初は反応がなかったが、数秒後、阿古さんは小さく息を吐く。
「わかりました。私としてはあくあ君がやりたい事をサポートするのがお仕事ですから、あくあ君がやりたいのであれば断るつもりはないです。でも、絶対に無理だけはしないでくださいね」
俺は一体、どれだけ阿古さんに助けられているのだろう。
さらに深く頭を下げた俺は、感謝の気持ちを伝える。
「ありがとうございます……!」
「はい、あくあ君からの感謝の気持ちはちゃんと受け取りました。なので、もう頭を下げるのは止めてください。そんな事をしなくても、ちゃんと伝わってますよ。それに、私は白銀くんより大人なんですよ? もっとお姉さんを頼ってくれてもいいんですからね」
胸を張る阿古さんに俺は笑顔を返す。
「ありがとう、阿古さん」
阿古さんの支えに対して、俺は再度言葉に出して感謝を伝える。
「こちらこそ、ありがとう、あくあ君。あくあ君のおかげで、私も今すごくお仕事が楽しいの」
阿古さんの心からの笑顔に癒される。
喫茶店での最初の出会いは疲れていてあまり元気がなさそうだったけど、一緒にお仕事をやり出すと、この明るくて元気な性格が本来の阿古さんのものなのだろうなと俺は気がついた。
「えっと、ドラマの仕事はこの二つに集中するとして、次からは歌に関するお仕事の話です」
阿古さんは更に俺の目の前の一つの書類を差し出す。
「あくあ君は、スターズのデュオ音楽ユニットのトラッシュパンクスをご存知ですか?」
俺は首を左右に振る。不勉強で申し訳ないと思いつつも、音楽シーンはまだ日本の曲すらまともに把握できてないのが現状だ。
「5年に1回くらいしか新曲をリリースしないんですけど、この夏にフェスで来日する時に、あくあ君をフィーチャリングした新曲を発表したいそうです」
資料を見ると、フェスの予定は夏休みの終わり頃に記載されていた。
しかも幾つかの会場に分かれているフェスのメインステージ、それも最終日の大トリである。
「70年代から80年代の曲をフィーチャーしているアーティストで、ノスタルジックでいて近未来的な曲調がトラッシュパンクスの持ち味です。何故かこの国の要素を取り入れる事が多いんですけど、今回は初めて日本人アーティストをフィーチャリングしたいと言う事で、真っ先に候補が上がったのがあくあ君だったそうです」
阿古さんによると、トラッシュパンクスはユアチューブに上がった俺の歌ったカバー曲を聴いたそうだ。
この国の古いシティポップが好きらしく、たまたま俺の動画の再生数が伸びていたのでクリックしたのがきっかけらしい。
「はっきり言って私は、この仕事は受けるべきだと思いました。トラッシュパンクスは海外の音楽賞を何度も受賞していますし、本国も含めて新曲が出ればチャートも一位の常連、2人にフィーチャリングされる事はアーティストであればかなり名誉な事です。男性歌手だからといって誰でも受けられるわけではありませんし、売れっ子だからと言ってオファーが来るわけでもありません。2人の琴線に触れる事ができた、ただ一握りのアーティストだけに与えられるギフトのようなものです」
俺は阿古さんに差し出されたイヤフォンを耳にはめて、トラッシュパンクスの過去の曲を聴く事に集中する。
はっきり言って衝撃だった。古臭い何十年も前の要素を取り入れているのに、その音楽はまるで最先端の流行を走っているかのようにお洒落で洗練されている。他にはない唯一無二の音楽性だと感じた。
「俺、受けます」
実際に曲を聴いてみて、この人達の曲を歌ってみたいと思う気持ちが強くなった。
トラッシュパンクスが紡ぎ出す作品の世界観、それを表現できる一つのパーツに自分が協力できるのだと思うとすごくワクワクする。
「わかりました。それと、先ほど少し話に出ましたが、月9ドラマの放送開始前後くらいに音楽番組にライブ出演する事となります。まだ先になりますが、その事も頭の中に入れておいてください」
阿古さんの話によると、場合によってはドライバーのOP曲で音楽番組に出る可能性もあるらしい。こっちはまだ未確定なので、現時点ではなんとも言えないそうだ。
「そして最後に、アイドルフェスティバルの事はご存知でしょうか?」
俺はコクリと頷く。
この国、最大級のアイドルフェスで、8月初旬に開催されるこのお祭りは、多くのアイドルが参加する一大イベントだ。
「実は不祥事を出したアイドルグループがいて、代わりに出演してくれないかというオファーを受けました。本来であればあくあ君と相談してから決める事なんだけど、その場で返事が欲しいとのことでしたので、誠に勝手ながら受けるという方向で返事をしています。問題なかったでしょうか?」
「はい、以前にもお話ししましたが、ライブはアイドルにとっても重要ですし、こんな大きな舞台への出演を取り付けてくれて本当にありがとうございます」
阿古さんから渡された資料に目を通すと、俺の出演枠は夕方の第三ステージだった。
この時間帯はメインステージに超有名アイドルが出るので、おそらく第三ステージにまで見に来る人は少ないだろう。それでもアイドルフェスに参加できる事が嬉しかった。
「阿古さん、ありがとう」
俺は改めて阿古さんに感謝の言葉を述べる。
「ふふっ、その感謝の気持ちだけで、頑張った甲斐がありました」
ここまで阿古さんにお膳立てされたら後は俺が頑張るだけである。
俺は再度、自分の心を奮い立たせるように気合いを入れ直した。
「他にも色々とありますが……そろそろお時間なので、スタジオの方に行きましょう」
「はい!」
早ければ今月からはドライバーの撮影、そのすぐ後くらいから月9の撮影に入る。
8月初旬にはアイドルフェスに参加し、中旬以降のフェスでトラッシュパンクスとの新曲ライブ。
9月には俺が主役の新作ドライバーの放送開始、その前後くらいに音楽番組に出演し、10月からは月9がスタートという事だ。
アイドル、白銀あくあ、本格デビューまで後3ヶ月。
俺の熱い夏が始まろうとしていた。




