白銀あくあ、アドリブはダメですか?
「あくあくん、緊張してる?」
前屈みになった阿古さんは、俺の顔を覗き込むように見つめる。
「少しは……でも、大丈夫です」
俺は笑顔でそう答える。実際、緊張はしているのかもしれないが、それよりもワクワクとした気持ちの方が強かった。
殿下をエスコートしてから数日後。俺は阿古さんと一緒に、カバー曲を提供する深夜ドラマの撮影現場に来ていた。
花咲く貴方へ。
原作は八雲いつき先生、かなり昔の漫画だが、今でも人気を誇る少女漫画の一つである。
今年30周年を迎える同作品の記念イベントに合わせて、リバイバル企画で深夜ドラマ化される予定だ。
しかしこのドラマ、他のイベントとの兼ね合いもあってあまり多くの予算を割り当てられていない。
現に今も制作が押していて、放送が3日後に迫っているのにも関わらず、未だにクランクアップされていないのである。俺がこのドラマの主題歌を急遽歌う事になったのは、このギリギリまで主題歌が決まっていなかった制作進行のぐだぐだ感のおかげと低予算なのも関係していると言えるだろう。
放送は3日後から全4回の予定で、なんと俺は、幸運にもこのドラマにちょい役として出演することになった。
「白銀さん、そろそろ撮影の方大丈夫ですか?」
「あ、はい!」
阿古さんの方を見ると、頑張ってと小さな声で応援された。
俺は手を上げて、行ってきますと一言伝える。
「夕迅役、白銀あくあさん入られます」
「よろしくお願いします」
俺はスタッフの人たちに挨拶すると、ガムテの貼ってある位置に立った。
花咲く貴方へという作品を平たく説明すると、金持ちのお家に生まれた女の子が4人の男性から自らのパートナーを選ぶというお話である。
2回目の放送に急遽ちょい役で出る事になった俺は、原作の漫画に出てくる主要キャラの1人に抜擢されてしまった。
主要キャラであるにも関わらず何故ちょい役なのかというと、放送がたった4回しかないというところと、低予算なところにポイントがある。まず、その少ない放送回数で4人の男性キャラクターを掘り下げることは普通に考えて難しいだろう。それに加えて、低予算では4人の男性をキャスティングする事はほぼ不可能だ。
そこで監督は、1人のメインの男性だけを実際の男性にオファー。もう1人は女性が男装、残りの2人は過去の他の映像から男性を引っ張ってきたりCGとかで誤魔化そうとしたらしい。この話を聞くだけで、もうこのドラマがどれくらいやばいのかをあらわしている。そこでうまく話を持っていってくれたのが阿古さんだ。
俺は阿古さんの提案もあって、CGで出る予定だったキャラクター、夕迅・ムスターファを担当することになったのである。
夕迅はスターズの貴族、伯爵家とこの国の女性との間で生まれたハーフで三男坊、19歳という設定だ。
原作を読み込むと、母親が自らの出産の影響で亡くなってしまった事で心に闇を抱え、愛人だった母親が平民だったことで伯爵家でもうまく馴染めなかった事から、放蕩癖のある影のあるキャラとして描かれている。
難しい役どころではあるが、原作を読み込めば読み込むほど俺は挑戦して見たいと強く思った。
それにしても元よりハーフという設定もあって、再現不可とCGにされてしまった夕迅であったが、本当に俺で大丈夫なのだろうか?
「夕迅様……!」
声がする方向に視線を向けると、監督の後ろにいた高齢の女性が大泣きしていた。
隣では少し若い女性が、その女性に対して涙ながらに声をかけている。
一体、どうしたんだろう……もしかして、似てなさすぎて、こんなの夕迅じゃないって泣かれてしまったのだろうか。
夕迅はプラチナブロンドの髪だから、俺は今日の放送に合わせて髪や眉の色を染めている。目もコンタクトで誤魔化したりして、スタッフの人たちがすごく頑張ってくれたけど、やっぱり難しかったのかもしれない。
「それでは撮影を開始します」
スタッフの人の声に俺はスイッチを入れる。
例え似ていなかったとしてもその分は演技力でカバーするしかない。俺をここに立たせるために頑張ってくれた人たちに報いる事ができるのはそれしかなかった。
俺は夕迅、そう思い込むように、白銀あくあの皮を捨てて夕迅の中へと自分を落とし込んでいく。
「5.4.3……」
2.1……。
俺は、ゆっくりと前に向かって歩く。
歩くといっても、ただ普通に歩いているだけではダメだ。
母を亡くし実家からも疎まれている夕迅は、愛情というものを知らないから誰のことも信頼していない。
それに加えて自分が生まれる時に、母が亡くなってしまった事を父親に叱責された経験から、自分の命には価値がないと思っている。
俺もまた夕迅と同じく前世では母を亡くした。だからその気持ちはほんの少しだがわかってしまう。
幸いにも俺はアイドルに救われたが、きっと夕迅はこの年齢になるまで誰にも救われてこなかった。
自暴自棄になった彼を体現するように、俺はどこも見てない虚無の瞳で目の前にいた主人公を捉える。
「ねぇ、そこの君、こんなところでどうしたの?」
主人公は相手役の男性と喧嘩して、街中でしょぼくれていた最中という設定だ。
夕迅はそんな彼女を見て、今夜の寝床に使えそうだと思ったのだろう。
幸いにも容姿に優れていた夕迅は、女の子と一夜を過ごす代わりに家に転がり込む結構な遊び人だった。
最初はアイドルにこんな役無理です、他の役にしてくださいと阿古さんは監督に交渉したらしい。
でも監督たっての願いと、俺自身が作品を読み込んでこのキャラを演じてみたいと阿古さんにお願いしたら、阿古さんは俺がやりたいならと許可を出してくれた。
「悪いけど……私、彼氏いるから」
主人公は、キッパリと夕迅の誘いを断る。
ここからが俺の仕事だ。夕迅は本当に魅力的で、こんな難攻不落な女の子でもときめかせる事ができるキャラクターである。
「へぇ、そうなんだ。でもその彼氏、こんな時間に君を1人にするなんて、ろくな奴じゃないんじゃない?」
俺は女の子の目尻の涙を拭うようにそっと指先を近づける。
しかし彼女は、俺が触れるより前にその手をはらった。
そして彼氏の事を悪く言われた事が腹立たしく思ったのか、俺のことをキッと睨みつける。
「ふぅん」
俺ははらわれた手を見つめる。
そして今度は、先ほどまでの何も見ていない目とちがって、少し興味深い視線を彼女に向けた。
「なぁ、そんな男より俺にしとけよ」
俺が一歩前に出ると、彼女はびくっとした。
はっきり言って、この台詞の後の行動に台本はない。完全にアドリブだ。
台本通りならこの台詞の後、彼女は断ってそこで俺の出番は終わりなのだが、流石にそれで終わりでは原作でこのキャラクターが好きだった人には物足りないんじゃないのかとそう思ったのである。
俺は彼女に近づくと、乱れた髪にそっと触れた。
「っ!?」
彼女は俺の予定外のアドリブに戸惑った表情を見せる。
本来、この夕迅というキャラクターは、彼女に袖にされたことで強く興味を持ってしまう。その後、何度か彼女と触れ合ううちに自分の生きている意味を見出し、その遊び人な性格で彼女に迫ってはドキドキさせるキャラクターだ。
ドラマではカットされてしまった夕迅のその後、それを連想させる行動を俺はアドリブで間に挟み込んだのである。
突き飛ばして。
俺はカメラに映らないように、彼女の耳元で声を発せずに口だけを動かす。
幸いにも彼女は俺の唇の動きを見ていたので、一瞬で理解してくれたのか、俺の事を両手で突き飛ばして脚本通りに俺の元から去っていった。
しかしここで終わりじゃない。俺はふっと息を小さく吐くと、面白いものを見つけたと言わんばかりの視線で、去っていく彼女の後ろ姿を見つめた。さっきまで虚無だった夕迅の瞳は、今も去っていく彼女の姿を追っている、それは今後の夕迅と主人公のストーリーを見ている人たちに想像させる事ができるのではないかと俺は考えた。
「……はい、カット!!」
静粛の中、スタッフの声だけが響く。
その数秒後、撮影場所が拍手に包まれた。
周りを見ると、椅子に座っていたスタッフさんも全員立ち上がって拍手を送ってくれている。
どうやら俺のアドリブは許されたらしい。
「ひっく……ひっく……」
撮影前から監督の後ろで泣いていた高齢の女性は大号泣していた。
隣に居た若い女の人が、よかったですね、先生とその高齢の女性を慰めている。
え? 先生ってまさか……この作品の原作者の八雲いつき先生!? いや、まさか、そんなことないよね?
か、勝手にアドリブとか入れたけど大丈夫だったのかな? 自分のやってしまったことが急に不安になってきた。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
監督さん的にはオッケーだったのか、何度も何度もお礼を言われた。
俺は勝手にアドリブ入れてごめんなさいと、監督や相手役の女優さん、そして原作者の八雲いつき先生に謝罪して回る。ただ、やった事に関しては自信を持ってるし、作品がよくなると思ってやった事だ。少しでも原作のファンの人にこのドラマを見て良かったと思ってもらいたい。なんたって30周年ってことは、それだけ長い期間、この作品は多くの人たちに支えてもらっていたのだから。もし、これでアドリブがダメなら、スタッフの人たちの手間になって申し訳ないけど2回目の撮り直しは普通にやろうと思っていた。
でもみんな、あのアドリブよかったよと言ってくれたので、やっぱりやってよかったのだと思いたい。自分は新人で、ちょい役だから普通であればこんな暴挙は許されないだろう。それでも、こうした方が、この少しの演出をすることで、夕迅というキャラクターに報いたかったし、夕迅を楽しみにしていた人たちにも何かをしてあげたかった。
「あくあ君、良かったね」
「はい!」
阿古さんは俺と一緒に謝罪してくれた。
事前にアドリブを入れたいと相談したら、私が一緒に謝るからやってみよう。そう言ってくれたのは阿古さんだった。背中を押してくれた阿古さんのためにも、一発で成功しないといけない。そのプレッシャーの中で、アドリブは成功し、監督やスタッフ、原作者の人たちにもそれを受け入れてもらった事が何よりも嬉しくなった。
あとは放送日本番、どれだけのファンの人が俺の演じた夕迅を受け入れてくれるかだろう。
もしかしたら叩かれるかもしれない。それでもほんの少しでもいいから、よかったと思ってくれる人がいたらいいなと俺は思った。




