雪白美洲、譲れない争い。
「後半まだかなー? ワクワク! ワクワク!!」
隣に座っているまりんちゃんが嬉しそうな顔でテレビを見つめる。
ふふっ、相変わらずまりんちゃんは可愛いな。
楽しそうなまりんちゃんの笑顔に釣られて、私もポワポワした気持ちになった。
「あっ! ミクちゃん、そろそろ始まるよ!」
「うん」
私も気持ちを役者モードに切り替えると、テレビへと視線を戻す。
休憩時間が終わると、シーンが切り替わって暗い部屋の中にいる道満がテレビに映し出される。
道満を演じる天我アキラ君は身長が高く、最近は筋力トレーニングにも励んでいるのか初期のヘブンズソードでヒョロヒョロだった時と比べて胸板が厚くなって、肩周りとか全体的にがっちりした印象を受けた。
あくあ君もそうだけど、2人とも鍛えているから和装がとてもよく似合ってる。
私達女性が男性役を演じる場合はタオルなど詰め物を入れたりして体型をカバーしているけど、それにだって限界はあるし、やはりこうやって見ると男性役は男性が務めた方が違和感がない。
『晴明……』
過去への回想に入ったのか、テレビには幼い道満の姿が映し出される。
道満は生まれた時から親がおらず、街で浮浪する孤児の1人だった。
食事をする事すらままならなず、ただただ終わりを待って生きるだけの日々。
そこに救いなどない。でも、そんな道満を救った人物が居た。玄上である。
気まぐれだったのか、それとも何か理由があったのか、玄上は道満に食事を与え、寝床を用意し、ちゃんとした教育を施した。
『あれが安倍晴明だ』
ある日、道満は玄上に連れられて陰陽寮を訪ねた時、遠くから安倍晴明の姿を見た。
なんと美しいのだろう。それが蘆屋道満にとって初めて見た安倍晴明の第一印象だった。
晴明はただ見た目が美しいわけではない。所作から感じられる優雅さ、余裕のある雰囲気、それはどんなに道満が望んでも手に入らないものだった。
道満は晴明という自分とは生まれも育ちも全く違う天上の存在に憧れ、焦がれ、彼と同じ陰陽師を目指す。
同期として陰陽寮で苦楽を共にする道満と晴明。しかし近くにいればいるほど、道満は悟ってしまう。自分は永遠に晴明には並び立てないのだと……。挫折した道満の前に、再び玄上が現れる。
『道満……呪術を学んで見ぬか?』
道満はそれがきっかけで玄上の元で呪術を学び始める。
その呪術で誰かが不幸になると分かっていても、道満はなんとしても晴明に並び立ちたかったのだ。
もはやここまで来ると、この願い自体が呪いのような気さえする。
多分だけど、玄上が道満に晴明を引き合わせたのは偶然じゃない。そんな勘が働いた。
『晴明、何かわかったか!?』
再びシーンが切り替わると、次に映し出されたのは崇明だ。
はなあたの時と違って、この役者は荒削りだがいい味を出すようになったと思う。
正直、あくあ君以外には全くと言っていいほど興味がなかったのだが、これには本当に驚かされた。
『ああ』
晴明は袂から一枚の札を取り出すと、それを崇明へと手渡す。
お札を受け取った崇明は、不思議そうに手を顎に置き首をほんの少しだけ傾ける。
『これは……何かのお札か?』
『ああ、おそらくは呪詛が刻まれている。四の姫様の部屋にあった壺の内側にこれが貼られていた』
『呪、呪詛ぉ!? おおお、お前、そんなもんを俺に触らせるんじゃない!』
崇明を手に持ったお札を慌てて晴明に返そうとする。
『心配するな。もう呪詛は祓っておる。こんなものはもうただの紙切れだ』
『そうだとしても、これは心の問題だ!』
石蕗のコミカルな演技と2人の絶妙な掛け合いに笑い声が漏れる。
なるほど……少しだけトリックがわかってきたな。
この役者は確かに上手くなったと思う。でも、この絶妙な間を作り出しているのは、あくあ君だ。
わかりやすい演技で今、来い。ここで反応しろというタイミングで、さりげなく彼を誘導している。
これは完全に小雛ゆかりさんの影響だな。彼女はこういう全体をコントロールする術に長けているから、あくあ君が誰の影響でこれをやっているか直ぐに気がついた。
なるほどなるほど、トリックがわかってさえいれば納得できる。
つまらないなと思ってしまった。これはトリックが解けた事で、彼への興味が薄れてしまったからだろうか。いや、それだけじゃないな。あくあ君が小雛ゆかりさんの演技に影響されていたからだ。
あくあ君は間違いなく私の、いや、雪白のスター性を100%余すところなく受け継いでる。その才能を殺してまで、周りを引き上げる意味があるのだろうか? わからない。自分が輝けば、あくあ君が輝けば、それだけで見ている人も満足するんじゃないの?
私やあくあ君、それにレイラちゃんは、小雛ゆかりさんとは違う。
小雛ゆかりさんは平均よりも身長は低く、顔もどちらかというと幼い。これは役者にとって大きなハンデとされている。何故ならやれる役が限られてしまうからだ。
それでも彼女は高い演技力と、周囲のレベルを引き上げて作品の完成度を上げる事で、役者として高い評価を得ている。
実際、私が出演した作品よりも、彼女が出た作品の方が評価される事が多い。ただ、女優としては別だ。
私と彼女が同時期にドラマや映画に出演した時、主演女優賞を取るのはいつだって私である。
だからあくあ君が彼女の真似をするのが理解できなかった。あくあ君が真似るべきは彼女ではなく、私じゃなきゃいけない。
『相変わらず、お前は落ち着きがないのう』
ほら! と、思わず本人の前でいいたくなった。
さっきの柔らかな目つきで微かに笑うシーンだけでも全てを物語っている。
あくあ君は他の有象無象とは違う。
圧倒的な存在、溢れ出るスター性、全てを黙らせ納得させてしまうほどの説得力があくあ君にはある。
さっきのように、1シーンを切り取っただけでも明らかな違いに気がつくほどだ。
ヘブンズソードで剣崎ならなんとかしてくれるという共通認識は、主人公が白銀あくあだから成立しているのと一緒である。本郷監督は私が知る限り、白銀あくあについて1番理解している監督だ。余す所なくあくあ君の魅力を引き出している。だからヘブンズソードは人気なのだ。
雪白美洲ができるのが私しかいないように、白銀あくあができるのはあくあ君しかいない。私が雪白美洲である事を望まれているように、きっとみんなだってあくあ君が白銀あくあである事を望んでいるはずだ。
『このお札に書かれた文字には見覚えがある』
『ほ、本当かっ!?』
晴明は目を細める。その瞳にはどこか悲しげな雰囲気と複雑な感情が漂っている。
たったこれだけの事で、視聴者の感情まで掴んでしまう。それが私やあくあ君なのだ。
『ああ……だからまた近いうちに仕掛けてくるだろう。それも直接な』
晴明は手に持ったお札を握りつぶす。
彼の中にあるやるせない感情が見え隠れした。
『玄上! またしくじったな!!』
声を荒げた二の姫はヒステリーを起こす。
周りにいた女御達はそれに怯えて、ただ遠巻きに見ているだけである。
二の姫は元より美しい容姿に生まれ、親である帝からも寵愛され、婚約者が決まっていた。
順風満帆だった彼女の人生は、その美しい顔に傷がついてしまった時から変わってしまう。
婚約者に逃げられ、帝からも見向きもされなくなり、そしてやがて彼女は病んでいってしまったのだ。
そして彼女が内に抱えた行き場のない怒りは、自然と帝の寵愛を受け周りから可愛がられる四の姫に向いていく。
まぁ、よくある話だ。
『次こそは必ず』
『当然じゃ! 次の失敗はないと思え!!』
再びシーンが切り替わると、先ほどとは対照的に穏やかな雰囲気が漂う。
『四の姫様……』
『先生、今は2人きりなんだから、私の事は前のように白菫と呼んでくださいませんか?』
夕暮れ時、縁側で晴明に寄り添う四の姫は、ほんの少しだけ女の香りを漂わせる。
これは意図したものではないな。中の役者が未熟であるが故に、あくあ君に対しての慕情を完全に消しきれてないからだ。
とはいえ四の姫自身も晴明に対して父性を感じて甘えているのか、それとも生徒として憧れの先生に恋焦がれる乙女になっているのか、はたまた女として、男としての安倍晴明に懸想しているのかわからない節がある。だからこの演技でも違和感がない。
やはり特筆すべきは、その感情を利用するように誘導しているあくあ君の演技力だ。
『しばらく見ない間に随分と大人になりましたね。白菫』
『先生……』
さっき小雛ゆかりさんが、安倍晴明は性格が悪い。あくあ君の方がいいというニュアンスの事を言っていたが、確かにあくあ君は素直でいい子だと思う。
でも役者としての白銀あくあは、貴女に似て相当性格が悪いぞと言いたくなった。だって1人の女の子の恋心を、作品をよくするために使っているのだから。
『コホン……!』
2人の距離感を見た蜜姫がわざとらしく咳をした。
名前は知らないけど、彼女もヘブンズソードに出てた気がする。
なるほど……君もうちのあくあ君が好きなのか。
あくあ君は私に似て顔がいいし、まりんちゃんに似て隙があるし、押せばどうにかなりそうな雰囲気があるから、女の子がワンチャンスを狙いにいってしまう気持ちもわからなくはない。
ただ、こちらはその感情を自分でわかっていて演技に使ってる節がある。つまりは先ほどの四の姫の役を務める女性より彼女の方が演技レベルとしては上だ。
『晴明様』
『わかっておる。そろそろだな』
地平線の向こうで微かに瞬いていた太陽の光が完全に隠れる。
それに合わせて、篝火や行燈などの光が晴明達を中心にして波状的に消えていく。
晴明が見つめる先、庭の片隅にあった木の側に人影が見えた。
『やはり来たか……道満』
晴明の言葉を無視するように、道満は袂に入った札を取り出すと直ぐに攻撃を仕掛けた。
その攻撃を2人の間に入った蜜姫が防ぐ。
前回のCGを使った動きの少ないアクションとは違い、天我君を中心に動きのある派手なアクションが繰り広げられる。
もしかしたら彼はアクション俳優を目指しているのだろうか?
男性でここまでアクションができるとなると、あくあ君くらいのものだろう。今よりももっと筋力をつければ身長もあるしステイツでも受けそうな気がした。
その2人の攻防に動じる事なく、晴明は手元の茶を優雅に啜る。
『私と戦え! 晴明!!』
『させません!』
晴明によって強化された人形の蜜姫は、道満と互角の攻防を見せる。
残念だな。せっかくあくあ君を起用しているのだから、白銀あくあらしく派手なアクションを見せるべきだ。
きっとみんなだってそれを望んでいる。
確かに天我君も頑張ってはいるけど、あくあ君とは比べ物にならないよ。女性では絶対にできないあくあ君のアクションシーンは唯一無二だ。
だからこそ私は折を見てあくあ君をステイツに誘おうと思ってる。
ステイツであればあくあ君のアクションとスター性を100%余す所なく発揮できるからだ。
あくあ君のための作品を用意して、あくあ君のためのキャスティングをする。それだけであくあ君はきっとステイツでも天下を取れるだろう。ファンだって白銀あくあらしいあくあ君を見て喜んでくれるはずだ。
『ならば!!』
『くっ!』
呪術を使い蜜姫を拘束した道満は晴明に攻撃を仕掛ける。
しかし四の姫の隣に座っていた晴明は、身代わりの人形だった。
ただの人形に戻った晴明を見て道満は悔しそうな顔を見せる。
『晴明! 私と戦え!!』
『道満、お前の目的は四の姫ではないのか?』
『そんなものはお前と戦うための口実でしかない!!』
天我君のアクションは悪くなかったが、演技の方はまだまだ学ぶべきところが多いようだ。
もう少し道満の中にある晴明への愛憎を理解した方がいいだろう。
道満は晴明をただ憎んでいるだけ、嫉妬しているだけではない。その才能に憧れた焦燥感のようなものを表現できるともっといい役者になれるだろう。
猫山とあ君や黛慎太郎君もそうだが、彼らのような役者こそ、小雛ゆかりさんのような役者に指導を仰ぐべきなのだ。
『どうした、道満。俺と戦いたいのではなかったのか?』
『くっ……』
あくあ君は優雅な所作で華麗なアクションシーンを表現し、これまでとは違ったパターンを魅せる。
晴明のキャラクターを壊さないために、少ない動きでそれを表現しきった事は素晴らしいと思う。
やはり他の役者達とは格が違う。これも基礎がちゃんとできてるおかげだ。
小雛ゆかりさんは基礎がちゃんとしてる人だから、きっと彼女が指導してくれたのだろう。その事には感謝したい。でも、それもここまでだ。ここから先は私があくあ君を導く。白銀あくあにこれ以上の小細工はいらない。
『うぅ……っ』
ああ……なんと美しいのだろう。地面に伏した道満を前にして、月明かりの下で佇む晴明。
月の光さえも、星の瞬きさえも、他のキャストや、スタッフでさえも、白銀あくあという絶対的なスターを照らすための道具でしかない。そのためにそれらが存在しているのだとわからせてくる。
周りの様子を伺うとみんなが晴明の姿に心を奪われ見惚れていた。
こんな状況で冷静にこの絵面を見れているのはあくあ君本人と私、それに小雛ゆかりさんくらいしかいない。
レイラちゃんですら、あくあ君の姿に私を重ねて見惚れている。
『む?』
空を見上げる晴明。
雲で月が翳り、夜の空に暗雲が立ち込める。
シーンが切り替わると、玄上が呪術を唱えてるシーンが映し出された。
その目の前には二の姫が横たわっている。
なるほど、彼女の怨念を利用して大きな呪術を唱えたようだ。
『てぇへんだ! てぇへんだ!』
聞き覚えのある少し間の抜けた声に反応して、何人かが噴き出した。
街中にシーンが変わると、慌ただしく走り回る火消しの格好をした森川さんが映し出される。
さっきちょい役で出るってみんなに言ってたけど、ここだったのね。
『火事だ! みんな逃げろ!!』
ちょい役の割に地味に上手いのがなんとも言えない。
あとなんだろう。なぜ彼女は目を惹く。い、いや、まさか、そんな事はない……はず。うん、これは何か気の迷いだろう。私は森川さんの中にある何かに気が付かなかった事にした。
『晴明!』
馬に乗った崇明が晴明達のところへと駆けつける。
崇明は晴明からもたらされた情報を精査し、今回の事件に二の姫が絡んでいるのではないかと思い、事情を聞くために帝の許可を取り彼女の寝所に踏み込んだ。
しかしそこは既にもぬけの殻。玄上は二の姫を拐い、どこかへと隠れていた。
『聞け! 崇明!! 京の都のどこかにこの呪術を引き起こした張本人がいる! おそらくそこには、呪術の呪具にされた二の姫がいるはずだ! お前にこの札を預けるから、それを使い、この天災を止めるのだ!!』
『お前はどうする!?』
『この天災から京の都の人々を守れるのは俺だけだ! だからそちらは頼んだぞ! 崇明!!』
『わかった! こっちは任せておけ!!』
馬に乗った崇明が晴明から札を受け取ると、その後ろに蜜姫がふわりと腰掛ける。
『蜜姫殿!?』
『崇明様、私であれば呪術の気配を辿る事ができます!!』
『おお! 助かる!!』
崇明は蜜姫の指差した方向へと馬を駆け出させた。
それを見た道満は歯軋りをする。これは良い対比だ。
安易に呪術に頼ってしまった道満が本当に欲しかった景色がまさにこれだろう。
『道満、お前はこれで良いのか?』
打ちひしがれる道満に対して、晴明が声をかける。
『このままでは、京の都は甚大な被害を受けるだろう。そうなれば、お主のように親を失い孤児になる子供達だって増えるはずだ。それはお主が望むところか?』
晴明の言葉を受け立ち上がる道満。
『今回だけだ』
晴明と道満、2人が協力して天災の対応に当たる。それもあって被害は最小限に抑えられていた。
その一方で、蜜姫の協力もあって崇明は玄上がいる場所へと踏み込む。
しかしそこにはもう玄上の姿はなく、横たわった二の姫だけが取り残されていた。
崇明は晴明から手渡されたお札を使って二の姫に纏わりつく呪を祓う。
『二の姫様! ご無事か!?』
崇明の呼びかけによって目を覚ます二の姫。
このシーン、今、思えば、はなあたでもあったシーンだ。
お互い今回は主演ではないが、あの時のやり直しを見せられているような気持ちになる。
『崇明様……! ああ、こんな姿を貴方様には見られとうなかった』
『二の姫様、何を言っておられる。貴女はこんなにも美しいではないですか』
『崇明様……!!』
全く、本当に何を見せられているんだろうね。
結局のところ、二の姫が四の姫に嫉妬した理由は、四の姫と崇明を結婚させるのではないかという噂話を聞いてしまったからだ。
『つまり、全てはお前の女癖の悪さが祟ったわけだ。ほらな、最初から私が言った通りだったであろう?』
『いや、今回ばかりは私のせいではないだろ!!』
団子屋で茶を啜る晴明と崇明の和やかなシーンが映し出される。
崇明が団子の串をとろうとした瞬間、伸びてきた別の手が団子の串を奪い取った。
『日頃の行いというのもあります。崇明様は、少しは女御の尻を追いかけ回すのをやめた方がよろしいですよ』
『蜜姫殿まで!!』
和やかな笑い声、そんな楽しげな3人の姿を少し離れた場所から見つめる者が居た。
道満である。道満は天災の対応にあたった後、そのどさくさに紛れて逃げ出した。
彼は3人に背を向けると、どこかに向かって歩き出す。
ここでラテン調のイントロと共に、番組の終了を告げるEDのテロップが流れる。
【無限の炎】
作詞:酒井ミキコ
作曲:鈴木秀美
歌:白銀あくあ
アップテンポな曲に乗せた俺様な歌詞とカッコつけた歌い方に、何人かの女性が酔いしれる。
EDが終わり、これで終わりかなとみんなが思った瞬間、朝廷の中を歩く晴明の後ろ姿が映し出された。
トイレに立とうとした子達もそれを見て、すぐに座り直す。
『晴明』
聞き覚えのある声に晴明が振り返る。
『これはこれは、お久しぶりです。師匠』
晴明が振り返った先に居たのは、目隠しをつけていない玄上の後ろ姿だった。
ここで画面が暗転すると、注意書きのこの番組は実際の団体とは何ちゃらというお決まりの文句が画面に表示される。
「えっ? 待って? これ、ここで終わりなの!?」
まりんちゃん、気持ちはわかるよ。
部屋の中がガヤガヤと騒がしくなる。
私は席を立つとトイレへと向かった。
「どうだった?」
トイレの帰りに声をかけられて振り向くと、そこには小雛ゆかりさんが立っていた。
「作品としては良かった。でも、あくあ君の無駄遣い。あくあ君を早くステイツに連れて行くべきだと思った」
私は率直な感想を述べると、小雛ゆかりさんに近づいて頭を下げる。
「貴女には本当に感謝している。ありがとう。でも、ここから先は同じ役者として私があくあ君を導く」
そうするのがあくあ君にとっても1番良いと思ったからだ。
何よりも役者としての才能しかない私が、あくあ君のためにしてやれる事なんてそれくらいしかない。
「本当に何にも分かってないのね。貴女は……。役者としてよりも、その前に母親としてアイツとちゃんと向き合いなさいよ」
小雛ゆかりさんは何やらボソボソと呟くと、一歩前に出て私の事を見上げるようにキッと睨みつける。
「私も本当はそうするべきだと思ってた」
「なら……」
「でも、ムカつくからやめる」
「は?」
ムカつくからやめる?
私は小雛ゆかりさんが言っている言葉の意味が理解できなかった。
「今、思い出したわ。私はワガママ大女優で有名な小雛ゆかりさんなの。だからアイツは……白銀あくあは貴女だけには、雪白美洲にだけは絶対に渡さない!」
曇り空から顔を覗かせた月の光が私ではなく小雛ゆかりさんを照らす。
今までに彼女から感じた事のない何かに押されて、私は思わず一歩後ろに下がってしまう。
「美洲様、こんなところにいたんですね。って、2人ともこんな所で何しているんだい?」
横から現れたレイラちゃんを見た小雛ゆかりさんは、悪い顔で笑みを浮かべて親指を逆さまに向ける。
「はっ! 相変わらずあんたの頭の中は大好きな雪白美洲の事ばかりね。そんなのだからいつまで経ってもあんたは雪白美洲の下なのよ」
「は?」
小雛ゆかりさんのわかりやすい挑発に、レイラちゃんが不快な表情を見せる。
「レイラちゃん抑えて」
「ほらね。レイラちゃんなんて舐めた呼び方されてる時点で、あんたはこの自分の家族の事も何一つわかってないバカ女に舐められてるのよ。あんたは1人の女優としてそれでいいの、玖珂レイラ?」
私が家族の事を何もわかってない?
だったら何がわかってないのか教えて欲しいと思ったけど、それくらい自分で考えなさいよと言われる気がして聞けなかった。
「だってそうでしょ。あんたの演技って雪白美洲のコピーばっかりじゃない。ちょっとは自分のオリジナリティってのものを出してきなさいよ。その才能はただの持ち腐れなのかしら? そんなのだから、ステイツでも雪白美洲2世なんて呼ばれるのよ。私なら絶対に嫌。そんなのお断りよ。私は私、小雛ゆかり1世になるの。あくぽんたんだってそう。アイツは絶対に雪白美洲2世なんてつまらないもんじゃない。わかったら、あんたはそこで指を咥えて、私が雪白美洲を超える瞬間を見てなさい」
小雛ゆかりさんが私を超える?
彼女は何を言っているんだろうと思った。
確かに小雛ゆかりさんは素晴らしい役者だし、出た映画のどれも面白く、外れがない。
だからと言って、私と小雛ゆかりさんでは大きな差がある。現に今までだって、私は彼女にもレイラちゃんにも一度たりとも主演女優賞を譲らなかった。だから私が彼女に負けるとは思えない。
「どうせ、あんた達にも例の映画のオファー、白銀あくあとの共演の話がきてるんでしょ?」
例の映画……ああ、例のフォーミュラーを題材にした作品か。
私だけに来ているのかと思ったけど、レイラちゃんや小雛ゆかりさんにも話が来てるんだ。
「だったら、アイツのパートナー、先輩ドライバーの役を賭けて勝負しましょうよ。今度ある映画大賞、私達はそれぞれが主演を務める映画で、主演女優部門にノミネートされているわ。そこで優勝したやつが白銀あくあのパートナーを務める。それでどうよ?」
そんな事で良いのだろうかと思った。私が負けるわけないとわかっているけど、それでも良くないんじゃないかな?
私は隣にいるレイラちゃんへと視線を向けるけど、彼女は私の方へと視線を向けてくれなかった。
「何? それともあんた達、わざわざステイツくんだりまで行っておいて、この私に負けるのが怖いの?」
安い挑発だ。でも、ここまで言われたら私だって受けざるを得ない。
「その勝負を受けよう。その代わり小雛ゆかりさん、私が勝ったら、その時は私の好きにさせてもらう」
「悪いけど……私も負けられない理由ができたわ。白銀あくあは誰のものでもない。アイツはあんたも私も全部超えて、この世界で最強で最高の白銀あくあになるの。そのための覚悟を今、決めた。あの子が……ううん、あの子達が私から1番を奪い取る日のために、私は貴女を超えてその先に行くわ。スターズだろうがステイツだろうがかかってきなさいよ!! 全部倒してこの私が、小雛ゆかりが日本で1番の女優になる!! 私は、日本の大女優、小雛ゆかりよ!!」
私はこの時に気がつくべきだったのだと思う。
あくあ君が小雛ゆかりさんのおかげで成長したように、小雛ゆかりさんもまた、あくあ君との出会いが、私が予想できないほど彼女を大きく羽ばたかせていた事を……。そのことに気がついたのは、この数日後、私が彼女の出演した映画を見終わった時だった。
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