桐花琴乃、スペシャルステージ。
歌合戦は序盤からすごい熱気でした。
出演したアーティスト達は素晴らしいパフォーマンスを披露し、SNSや掲示板は過去の歌合戦にはないくらい大きく盛り上がっています。
序盤の勢いをそのままに、歌合戦はスペシャルステージが予定されている中盤へと差し掛かりました。
「行ってくるわ」
舞台袖にいたあくあさんが、とあちゃん、黛さん、天我さんに声をかけて軽くハイタッチする。
ふふっ、ネットでも壁になれる権利は大人気でしたが、マネージャーをやってて良かったなと思うのは、毎日が壁になれるところではないでしょうか。
「桐花マネ、予定に変更は?」
「今の所はありません。時間の方も森川アナがうまく調整したので問題がないかと」
「了解。じゃあ予定通りに」
「はい!」
あくあさんは私とも軽くハイタッチすると、ステージの下に敷かれたレールの上に乗っかった運搬台で指定された場所へと向かう。
「さぁ、皆様……ここから先は、待ちに待ったスペシャルステージの時間です!!」
「「「「「わああああああああああ!」」」」」
友人として楓さんの事が最初は少し心配でしたが、彼女の明るさや勢いは今のこの流れにピッタリとフィットしました。何よりも、あの強烈な2人の大将、白銀あくあと小雛ゆかりの間に挟まれて、場をうまくコントロールし出した時は、私の隣に立っていた鬼塚アナが感動して倒れそうになったほどです。
人ってちゃんと成長するんですね。えみりさんも少しは成長してくれるといいのですが……。
「最初のスペシャルステージはこれだ!」
楓さんが拳を突き上げると、観客席も一体となって拳を突き上げる。
それに合わせて舞台が暗転すると、聞き覚えのある声がステージに響いた。
「お兄様……これからは3人、一緒ですよ」
観客席から悲鳴に近い叫び声が聞こえる。
おそらく多くの人たちのトラウマスイッチを押してしまったのでしょう。
「もう、こんな事はやめるんだ……! 沙雪!」
会場のスポットライトがあくあさんと小雛さんの姿を照らし出す。
2人が見せる生の演技に観客達も息を呑む。
「お兄様は、どうしてそんな事を言うの?」
暖房が壊れたんじゃないかなと思うくらい背筋が冷えました。
おそらくテレビの前の皆さんもエアコンのチェックをしている事でしょう。
「沙雪、あんまり焦っちゃダメよ」
2人の間に月街さんの演じる笠道莉奈が現れる。
ああ……つい最近まで、莉奈だけが癒しだなんて言ってた頃が懐かしくなりました。
「莉奈……!」
沙雪は莉奈に抱きつく。
もうクランクアップしてから3ヶ月近く経つというのに、完璧にテレビで見たままです。
「大丈夫よ沙雪、時間ならいっぱいあるから」
「うん……!」
2人は指先を絡めるように両手を握り合うとお互いを見つめる。
小雛さんの方が年上なのに、月街さんと並んでも同い年、むしろ終盤にあった立場逆転の演出以降は年下の妹のようにさえ見えるところがすごいです。
2人は同じ学年ですが、司先生の演出を見る限り沙雪の方が妹キャラという事なのかな。
『熱にうなされたあの夜に見た、君の大きな背中を今でも覚えている。冷たい雫が火照った頬を伝う、震える濡れた体』
月街さんの歌い出しで月9でも使われた曲が始まる。
心なしか月街さんの歌い方が大人びた気がします。
切ない歌声に胸の奥がキュッとする。
『どうやったら君に寄り添う事ができるのだろうって、苦しむ君の顔を見て側に居たいと思う。寂しさを埋めるように、求め合うように、締め付ける心と雨音。揺らぎ、終わりを告げるクラクション』
あくあさんのパートを小雛さんが歌い上げる。
歌手としては、あくあさんや月街さんと比べると落ちるけど、決して下手ではないしむしろ上手いと思います。
それに沙雪の雰囲気のままで歌ってるところなんかは、彼女にしか絶対にできないなと思いました。
『そっと唇を重ねた私たちを、熾火だけが照らしていた。夏の終わりに始まりを感じた気がした。ゆっくりと溶けていく心が、自分の恋心を自覚させる。抱きしめられた腕の中で幸せな夢を見た』
歌い終わった後、2人は顔を近づけてゆっくりと唇を重ねる。
このパフォーマンスには多くの人達が悲鳴をあげた。私もまさか、ここまでするとは思っていなかったです。
「こんなのは……こんなのは、間違ってる!」
聞き覚えのあるイントロが流れる。
あくあさんはマイクを手に取ると前に出た。
『わからない! 何もかも全てが曖昧で、本当の君を探して彷徨う俺の心は何を思う』
あ……私は最初の歌い出しで気がついてしまいました。
『今日の街の景色が昨日とは全く違って見える。ああ、本当の君は今どこにいる? 昨日まで見えていたモノがもう何も見えない』
あああああああああああ、そっか、これ最初の一也の気持ちでもあり、最終話が終わった後の一也の気持ちでもあるんだ。昨日とは全く違う。大好きな妹も、大好きな莉奈も変わってしまった。
『ふたりでひとつだったあの頃にどうやったら戻れる? ほんの少しのすれ違いで、もう俺の中に君はいない』
一也は2人にゆっくりと近づくと、話しかけるように歌い出した。
『君がいない心の中はもう何もなくて、孤独で死んでしまいそうになる。君が俺の生きる理由だった。君に俺は生かされてきた。月明かりがそうするように、君のことだけを照らしていたかった』
どんなに縋っても前の2人はもう帰ってこない。
そして、こうなっても一也が2人を思う気持ちは変わりません。
一也は両手を大きく広げて、今の2人を受けれました。
『そして私は甘く抱きしめられている』
莉奈が一也にそっと体を寄せる。
『たとえ何も知らなくても、愛しているずっと……』
次に沙雪が一也にそっと体を寄せました。
もう観客席の皆さんも気がついているとは思いますが、3人はあの最終回の続きをやっています。
藤テレビ全面協力とはいえ、よく許可が出たなと思いました。
もちろんこの脚本を書いてくださったのも司圭先生です。
「お兄ちゃん」
「お兄様」
一也はハイライトの消えた目で2人をそっと抱き寄せた。
たとえ変わってしまったとしても2人は一也にとって愛すべき妹達なのです。
「大丈夫、俺はどこにも行かないから。だから、な。3人で暮らそう。ひっそりと、誰にも迷惑をかけず……」
ハッピーエンドって言っていいのでしょうか?
掲示板じゃ、あくあさんが2人に挟まれて喜んでるからハッピーエンドだとか、とても頭の悪い話が飛び交ってましたけど、これでちゃんと一也も救われた事になるのかな?
ううん……でも最後、目のハイライトが消えてたし……ま、まぁ、深く考えるのはやめましょう。これはハッピーエンドです。そういう事にしておきましょう。
「モウ ダレモ シンジラレナイ……」
楓さん!?
さっきまでシャキッとしてて楓さんも成長したなぁって思ってたのに、どうしちゃったんですか!?
またいつもと同じようにホゲラー波が押し寄せてきてる気がするのは、きっと、私の気のせいですよね!?
「違うわ。あれきっと演技よ」
「鬼塚アナ!?」
演技……? あっ、そっか、この後のスペシャルステージは……。
「ウガアアアアアア! 私はチジョーの幹部、ホゲ・カワー! ホゲラー波でこの会場にいるみんなをホゲに感染させちゃうぞ!!」
「きゃああああああ!」
「いやああああああああああ!」
「ホゲ川と同じレート帯になりたくなぁい!」
「ちょっと! ホゲ川と同じレート帯になりたくないって言った子、いたでしょ! 声が聞こえた方向に念入りにホゲラー波送っとくんだから!!」
ふふっ、ホゲ……じゃなくて楓さんのパフォーマンスにみんなが歯茎を出して笑う。
最初のカタコトでゆうおにのトラウマがフラッシュバックしたのかと心配になったけど、なるほど、その後の本郷監督が書いた脚本に上手く繋げたんですね。
リハでもここの進行はかなりギリギリだったので、あくあさんが着替えるまでに時間を作るために咄嗟にそう判断したんでしょう。
「森川が……うちの森川楓が成長してる……!」
私は隣にいた鬼塚さんにハンカチをそっと差し出した。
「チジョーはどこだ!?」
おお! 派手なアクションで登場したのは小早川さんだ。その後ろからゆっくりと田島司令こと阿部さんも出てきた。これには観客席からも大きな拍手が飛び交う。もちろん私もステージの裏から拍手した。
「ミサ先輩! それに田島司令も、待ってください!」
SYUKUJYOの制服を着たとあちゃんの登場に大きな歓声が湧いた。
もちろん公式全面協力なので、みんなが着ている衣装も公式のものです。
「ゆけ! 我が同胞達よ!!」
楓さん……いえ、チジョーの幹部ホゲ・カワーの掛け声で、舞台の端から出てきたチジョーがSYUKUJYOのみんなを取り囲む。
どう見ても多勢に無勢、でも、この世界で戦ってるのはもうSYUKUJYOだけじゃない!
「ふっ! 我、参上!!」
手にカリバーンを携えた天我さんがかっこよく登場する。
岩成さんの体幹トレーニングの甲斐もあって、アクションだけじゃなくて、止まっている状態のポージングもどんどんよくなってる気がします。
「甘いぞドライバー!」
トラ・ウマーの登場で会場が盛り上がります。
彼女が登場したという事は、すかさず彼が現れるというフラグでもありますからね。
「甘いのはお前だ。トラ・ウマー……!」
黛さんはトラ・ウマーが出てきたのと同じ方向から出てくる。
これにより、チジョー達はSYUKUJYO、橘、神代達に挟まれて逃げ場を無くしてしまいました。
「ふっ、まさか勝ったつもりじゃないだろうな? さぁ、お前達、出てこい!!」
今までに散っていたチジョー達全てがみんなを挟み込むように両端から登場する。
ロ・シュツ・マー達の再登場に観客席も盛り上がります。
優勢だった状況が一転して、今度はみんながピンチに陥りました。
それにしても、こんな豪華なヒーローショーがあっていいのでしょうか?
いや、そもそも歌合戦でヒーローショーとか前代未聞にも程があります。
「ふはははは! 今日がお前達にとって最後の日だ! 覚悟しろ、SYUKUJYO、そして、ドライバー!!」
トラ・ウマーの中の人、淡島千霧さんは物静かな美人さんだ。
普段の彼女を知っていると、トラ・ウマーの演技にはとても驚かされます。やっぱり役者さんってすごいんだなって改めてそう思いました。
「琴乃さん、私、行ってきます! 森川の成長に報いるためにも、このステージを見てくれてる皆さんのためにも!」
「鬼塚アナ!?」
鬼塚アナは私の横を通り過ぎてステージの方へと向かう。
最初は驚いて戸惑ったけど、この後の脚本と楓さんの状況を思い出して私は彼女の行動の真意に気がつく。
「観客席のみんな〜! そしてテレビの前にいるみんな〜!」
ここは本来であれば楓さんがいうセリフでした。
でも楓さんがスペシャルステージを上手く繋ぐために、あくあさんが再登場する時間にゆとりを持たせるために、アドリブでチジョーになったから、本来予定されていたセリフが遂行できなくなってしまったのです。
それに気がついた鬼塚さんが咄嗟にステージに出てカバーに入ったのだと気が付きました。
「お願い! みんなの力を貸して! 彼なら、そうきっと彼なら、この絶望的な状況をどうにかしてくれるはず! さぁ、みんなで彼の名前を呼びましょう! 私たちのヒーローの名前を!!」
会場に鳴り響く剣崎コール!
もうどっからどう見ても完全にヒーローショーです。
大人達が本気になってやるヒーローショーに胸が熱くなりました。
きっとカノンさんも今頃は、立ち上がって熱狂しているのではないでしょうか。
「みんな……待たせたな!」
あくあさんの登場に観客席も大きく盛り上がりました。
なんとか間に合ったと喜び合っている衣装スタッフの皆さんに、私達、他の裏方のみんなが拍手を贈る。
表には表のストーリーが、裏には裏のストーリーがあります。
お給料をもらって壁になれるなんて、やっぱりベリルに就職してよかった。
「でも……流石に数が多すぎるな」
苦笑いを浮かべた剣崎は一瞬だけ本音を漏らす。
お茶目な剣崎に、空気がほんの少しだけ緩むと、会場から笑い声が溢れました。
「お母さんが言っていた」
そんな緩んだ空気をもう一度引き締めるように、定番のおかいつが飛び出しました。
この後、こんな状況でも諦めない。それがドライバーだって言って、変身するんだよね。
私はそのセリフをワクワクした気持ちで待っていました。
「ドライバーはずっと戦い続けてきた。それこそ何年も何十年も……」
脚本にないセリフに驚く。
本郷監督も知らなかったのか驚いた表情を見せる。
いつものようにあくあさんのアドリブかなって、最初はそう思ってました。
「初代ドライバーからヘブンズソードまでずっと紡がれてきたこの想いは、熱は、決して俺達だけのものじゃない!!」
あくあさんの掛け声に合わせて、舞台の後ろから見覚えのある人達が登場しました。
それを見た観客席から驚いた声が上がる。
あ、あ、あ……私達知ってます。この人たちの事をとてもよく知っている!!
「さぁ、共に行こう! 今まで戦ってきたすべてのドライバー達よ!!」
まさかの歴代ドライバー全員登場に会場のボルテージもマックスです。
私は年甲斐もなく戻ってきた鬼塚さんと手をつなぎ合って飛び跳ねました。
だってだって、私たちがハマった青春時代のドライバーと今のあくあさん達が共演しているんですもの。
「「「「「「「「「「変身!!」」」」」」」」」」
ベリルのクリスマスナイトパレードで使用された最新のARシステムを使って、みんなの衣装がドライバーになる。
もうこのショーだけでどれだけお金がかかっているのか……。そもそも変身は4人だけの予定だったのに、よくこれだけの人数の変身を処理できましたね。やはりこれもベリルのスーパーAI、3510だからこそ成せる技なのでしょうか?
さっき見たら掲示板が旧鯖ちゃんに戻ってたし、多分リソースも全部こっちに使ってるんだと思います。
「マスク・ド・ドライバー! スペシャルメドレー。行くぜ! お前達!!」
うわあああああああああ!
あの曲も、その曲も、この曲も、全部! 全部!! 知ってます!
「琴乃さん、これ……知ってたの?」
私は首をブンブンと左右に振る。
「多分、天鳥社長は知ってたと思います。でも、多分、きっとこれは……」
私は審査員席にいる本郷監督に視線を向ける。
本郷監督は涙を流しながら瞬きもせずにステージをずっと見つめていました。
ドライバーが好きで、ドライバーに憧れて、本当にドライバーを作ってしまった本郷監督、これはきっとあくあさんが、彼女のためにだけに贈った特別なプレゼント。いや、彼女だけじゃない。本郷監督の後ろでは松葉杖部長で有名な松垣部長も泣いていました。
「本当……あくあさんは、何でもやる事が派手なんですよ」
でも心はポカポカと暖かくて、すごく心地よい気分です。
それはきっと、このサプライズに優しさしか詰まってないから。
あくあさんはいつだってそうです。だから私は、好きになった。
ううん、私だけじゃない。カノンさんも、結さんも、白龍先生もそうだし、天鳥社長や、とあちゃん、黛さん、天我さん、小雛さんも、楓さんも、えみりさんも、みんなみんな、あくあさんの事が大好きなんだ。
「やっぱりあくあってすごいな」
近くで見ていた月街さんが呟く。
その表情は少し複雑そうに見えました。
「こんなすごいドラマ、とてもじゃないけど私には作れないもの」
優しさと嬉しさ、悔しさと寂しさの入り混じった表情。
私と違って月街さんは、同じ1人の役者として何か思うところがあるのかも知れません。
「これはもうドラマとは別よ」
「え?」
小雛さんは、ステージに目を向けたまま月街さんに話しかける。
「だってヘブンズソードは、この作品は剣崎総司が、ううん、白銀あくあが現実にしちゃったの。だから、もうこれはドラマじゃない。本当に壁をぶち破って幻想の世界から現実の世界に飛び出してきたのよ。だからあなたはあなたで私と一緒に幻想の中で足掻きなさい。こんなのできるの……世界中を探したってこいつ1人だけよ。それも本郷弘子っていうとんでもないドライバーバカな女が居て、猫山とあ、黛慎太郎、天我アキラっていう頭のイかれたあくぽんたんに付き合うことができる阿呆どもが居て、それを信じて後先考えずに人生賭けてベリルって会社を立ち上げた天鳥阿古っていう不器用な女が居て初めて現実にできたの。こんなの雪白美洲にも玖珂レイラにも女帝、睦夜星珠にだってできない。そんなとんでもない事に張り合う方がバカらしいわ」
……これ、掲示板で言ったらすごく盛り上がるだろうな。
言いたい。言いたけど我慢しなきゃ……。
「ま、それをいうなら、こんな来るかどうかわかんない絵に描いた餅みたいな未来を信じて、この瞬間が来るまで耐えに耐え抜いた奴らが一番どうかしてるけどね。どれだけ我慢してきたのよ。あまりにもイカれすぎてて逆に尊敬するわ。本当、どうかしてる」
小雛さんは審査員席に視線を向けると小さく笑みをこぼした。
本当に嬉しそう。多分、きっと彼女も待っていたんだ。自分と同じ領域で共演できる男性のキャストを。
「オーバークロック! 俺達のこの願いは世界すらも加速させる!!」
ショーの終盤、もう半分くらいの人が泣きながら笑ってました。
このシーン、絶対に帰った後に録画を見返して1人で泣きます。
「はっ!? わ、私は一体何を!?」
チジョーから人間に戻ってきた楓さんの演技が結構上手くて、みんなが普通に笑ってしまった。
「ありがとうドライバー! この世界を、私を、私達を助けてくれて、本当にありがとう!!」
「ありがとおおおおおおおおおお!」
「ありがとう!!」
楓さんは感謝の言葉を叫びながら後ろに向かって大きく手を振る。
観客席もそれに続くように、ドライバー達に手を振って感謝の言葉を叫んだ。
流石にもうこれでスペシャルステージも終わりかな。
うん、普通ならそう思っちゃうよね。
でもそうじゃない。この舞台はまだまだ続きます。
「国民の皆様、どうもこんばんは」
ステージの中央にスポットライトが当たると、そこには羽生総理が立ってました。
え? 待って、台本には場繋ぎトークって書いてたけど、総理が出てくるなんて聞いてませんよ!?
てっきり楓さんが場繋ぎのトークをするのだと思っていた私は、羽生総理の登場にびっくりしました。
「皆さん、歌合戦は楽しんでますか?」
羽生総理の優しい問いかけに皆さんも楽しい、楽しかったと答える。
「知っての通りゆうおにもヘブンズソードも国営放送ではなく他局の作品です。それでもみんな、このステージを盛り上げようと、多くの人たちが協力してくれました」
実際、裏番組の事を考えると、普通なら協力してくれません。
そこになんらかの取引はあるのかも知れませんが、それでもみんなの心は一つなのです。
最高の白銀あくあを、ベリルをみんなに届けたい。
この思いがみんなの心の中にあるからこそ、どこの放送局や出演者も声をかけた段階で喜んで協力してくれました。
「世の中は決して綺麗事だけでは回りません。それでも……夢くらいは見たっていいんじゃないですか? この楽しくて宝物みたいな時間がどれだけ続くかは誰にもわかりません。それでもできる限りこの楽しい時間を続けるために、私も黒蝶議員も、みんなが頑張っています」
羽生総理は手に持ったマイクに力を込める。
「だって、男の子達が私たちに夢を見せようと頑張ってくれているんですよ! だったら私達もそれに応えるべきではありませんか! 今こそ、私達女子も男子の心に寄り添うべきなのです。男子も女子も普通に生活できる世の中にするために! 傾いた男女比は戻せなくても、この国の在り方は私達次第で変える事ができるのですから!!」
みんながじっと総理を見つめる。
失言が多くても、お茶目なところがあったとしても、この人は真剣にこの国の行末を考えてくれていると誰しもが知っているからです。
「さぁ、国民の皆さん。私達の力で、思いで、願いで、この熱で、この国をもっとよくしていきましょう!!」
総理は拳を振り上げた後、観客席に向かって頭を下げた。
「そのためのサポートをどうか私達にさせてください!」
そんな総理の演説に対して、最初に立ち上がって総理に拍手を贈ったのは、政治の師でもあるメアリー様でもなければ、藤堂紫苑さんの妹でもある藤蘭子会長でもありません。
黒蝶揚羽さんはこの場にいた誰よりも最初に立ち上がり、総理の演説に対して大きな拍手を贈った。
そして無言で総理と同じように観客席に対して頭を下げたのです。
それを見たみんなから自然と拍手が溢れる。
「ねぇ、そこの君、こんなところでどうしたの?」
おそらくこの国の人間ならもう何万回と聞いたセリフです。
後ろに倒れそうになったメアリー様を、慌てたえみりさんが全力で支えていました。
今頃、画面の前にいるカノンさんも同じように卒倒しているでしょう。
「夕迅様……!」
私は後ろに倒れそうになった鬼塚アナを支える。
あの日、あの時、私達が見た夕迅様、そのままの姿で、あくあ様はゆっくりとステージの中央に進む。
「今までよく頑張ったね」
夕迅様はそのまま羽生総理を抱きしめて背中をポンポンと叩いた。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
この包容力、甘えさせてくれる感、余裕のある雰囲気、遊び慣れた手慣れた感、完璧に夕迅様です。
これはまたベリル全面協力で完璧なはなあたを見たいという熱が、みんなの中で再燃してしまうのではないでしょうか。
「君は……君達は、決して1人じゃない」
夕迅様はステージを降りると、審査員席の人たちを1人ずつハグしていく。
そして周りの観客席に向かっても同じような事をした。
これにはお客さん達も悲鳴に近い叫び声をあげる。
「みんな恋に堕ちるなら、俺にしとけよ」
答えなんて一つしかありません。
みんながうっとりした顔でハイと答える。
もちろん夕迅様が歌うのは乙女色の心です。
色気のあるメロディを、大人びた歌声でしっとりと歌い上げる姿にみんなが穏やかな時間を過ごした。
近くにいた月街さんは恋する乙女のようにステージの上を見つめ、いつもは煩い小雛さんもじっと曲に耳を傾けています。そういえば小雛さんは、あくあさんが歌う曲の中じゃこの曲が一番好きだって言ってたっけ。あ……鬼塚アナもこの曲が一番好きなんですね。わかりますよ。多分、あの審査員席に座ってる人たちもそうですから。
『この年末歌合戦の特別な夜に』
あっ、あっ、あっ!
今さりげなく歌詞を変えました。
夕迅様が茶目っけたっぷりにウィンクすると、うっとりとしすぎたみんなが溜息を漏らします。
「また、会いに来るから、その時までいい子にしてなよ」
夕迅様は、観客席とカメラに向かって投げキッスをして去っていきました。
あー……メアリー様、大丈夫かな。えみりさん頑張って。
こうなると友人であるカノンさんの事も心配になります。ペゴニアさんがどうにかしてくれてると良いのですが……。
「あくあ君、すごく良かったよ!」
「ありがとうございます。ありがとうございます!」
「最高だった!!」
ステージ裏に戻ってきたあくあさんをみんなが拍手と歓声で出迎える。
本当に大きな仕事をやり遂げたと思います。
「みんなありがとう。鬼塚アナ、咄嗟のカバーありがとうございます!」
「ど、どういたしましてぇ!?」
あくあさんにハグされた鬼塚アナは慌てる。
うんうんわかりますよ。目の前で見てる私もびっくりしました。
「ごめん。夕迅が抜けなくって」
「い、いえ、むしろありがとうございます」
あくあさんは私の方へと視線を向けると優しく微笑んだ。
「桐花マネは大丈夫? 疲れてない?」
「私は全然大丈夫です。それよりもあくあさんこそ疲れていませんか?」
「大丈夫。桐花マネの嬉しそうな顔を見たら元気出たから」
「もう……私に対して、そんな事を言うのはあくあさんだけですよ」
前の会社に居た時なんか、私の顔を見ただけで疲れるって同僚の人達は言ってたのに……。
そんな事を考えている隙に、あくあさんはそっと私の耳元に顔を近づける。
「じゃあ、俺が頑張るために、俺の為に笑ってよ、琴乃」
思わず両手で真っ赤になった顔を隠してしまいました。
さっきまで桐花マネだったのに、急にそういうのやめてもらえますか?
私、年上だけどあくあさんと違って経験豊富じゃないし、そういうの慣れてないんですよ。
「終わったら後でハグするから残り半分がんばろ。ま、俺がハグしたいだけなんだけどね」
あくあさんは私の後頭部をポンポンと叩くと、衣装さんのところへと向かいました。
本当は年上の私が甘やかしてあげなきゃいけないのに、どうしてもこうなっちゃうんですよね。
白龍先生や結さんとお話ししても皆さん同じ事を言ってたし、一体誰ならあくあさんは甘えられるんだろう……。
う、うーん、私には思いつきません。あくあさんが甘えられる人なんて、本当にこの世界にいるのでしょうか?
「なんかいい感じになってるけど、ただ単にあくぽんたんがどことは言わないけど大きい女の人とハグしたいだけよね。ほら、今ハグしてる衣装の子とか、さっきの鬼塚アナとかも大きいし」
「しーっ! 小雛先輩、しーっ! それでやる気がでるんですから、気がつかないふりをしてあげましょうよ!」
後ろで小雛さんと月街さんが何かを話していましたが、違う事を考えていた私には聞こえませんでした。
だからこそ気がつかなかったのです。あくあさんが唯一甘えている存在がこんなに近くに居るって事を。
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