白銀あくあ、突然の招待状。
「あくあちゃん……重要なお話があります」
「……はい」
阿古さんと共に帰宅すると、玄関で母さんが仁王立ちしていた。
そうだよな……ちゃんとするって言ったのに、連絡もしないとかありえないよな。
ここはしっかりと怒られておこうと覚悟を決めた矢先、母さんは思ってもいなかったことを口にした。
「急な話で申し訳ないけど……あくあちゃんには1週間後、とあるパーティーに出席してほしいのです」
「へっ?」
俺はてっきり帰宅が遅れてしまったのに連絡を入れなかった事に対して、叱られるものだと思っていた。
隣にいた阿古さんも俺と一緒で怒られると思っていたのか、2人で顔を見合わせて目をぱちくりとさせる。
この反応からして、阿古さんも今回の話は知らなかったのだろう。母さんは困った表情でため息を吐いた。
「実はそのパーティー、お母さんが指導している生徒さん……秋山幸さんのご実家で行われるパーティーなのよ」
母さんは主に上流階級の子女に茶道や華道の指導をしている。
俺も何度か母さんが自宅で指導する時には手伝った事があるけど、みんな大人しくていい人たちばかりだ。
秋山さんはその中でも一際大人しく、スレンダー系の美人さんで儚そうな感じの人である。
「なるほど……」
母さんの言葉で何かを察した阿古さんが、キリッとした真剣な表情で母さんを見つめる。
「つまりあくあ君に、その方をエスコートして欲しいと?」
母さんは首を左右に振る。
「ううん、今回はその方の婚約披露宴だから、彼女をエスコートしてくれる男性はちゃんといらっしゃるの……でもね」
母さんは、はぁ、と小さく溜息を吐いた。
「そのパーティーに急遽参加する事が決まった人にパートナーの方がいなくってね。それでうちのあくあはどうかなって……」
「断ってください!」
阿古さんは一歩も引かぬと言った様相で、珍しく食い気味に母さんの言葉を遮った。
「仮にもあくあ君はアイドルです。クラスメイトの女子や、担当官の女性と触れ合うのは仕方ないでしょう。でも、デビュー前に特定の誰かをエスコートするのはちょっと……」
阿古さんの懸念は当然の事だろう。後々、スキャンダルの種になる可能性があるのは明らかである。
「うん、私も普通ならお断りするんだけどね。そのお相手の方が、かなりやんごとなき一族の方なのよ。既にこのお話は、私と幸さんだけの間の話を通り越えてしまったのよ。既にその方の筋から内閣府と外務省を通じて正式にお願いされてるから私如きの立場ではどうする事もできなくて受けざるをえないというか……。ごめんねあくあちゃん、それと天鳥さんも……」
やんごとなき一族? それってかなり偉い人ってことだよね?
予想だにしなかった展開に、俺も阿古さんも顔を見合わせた。
「外務省……つまり他国の方という事ですか?」
「えぇ、そうよ。それもスターズの宗主国、女王の一族に連なる方だと聞いているわ」
スターズはこの国よりもさらに西にある連合国家だ。
俺の居た世界では欧州連合と呼ばれていた組織だったが、男性の出生率が減ったこの世界では、戦争なんかしてる場合じゃなくなってしまった。だから西側諸国は、それぞれの民族の心を尊重する事を原則として、政治経済面では完全に統合されちゃったんだよな。そういう意味ではこの世界はとても平和だ。みんなで共存共栄をしようと国家の枠組みを通り越えて協力しあってる。まぁ、悲しい事に差別的な考えの人がいないなんてことはないだろうけどね。
「女王の一族……なるほど、スターズ結成における始まりの12カ国の一つ、現在の宗主国家を務めるかの国ですか……確か御息女の1人が日本に留学中とか」
「流石は天鳥さん。財閥系にお勤めされていただけあって理解が早くて助かります」
2人は頭を抱える。ようやく2人の会話の内容に思考が追いついた俺は言葉を発した。
「なんでそんな偉い人が俺に……?」
母さんは眉尻を下げて困った表情を見せる。
「わからないわ。最初は幸さんのお話を聞いて断ろうとしたのだけど、すぐに外務省と内閣府の人たちが家に来てね。とてもじゃないけど、彼女たちもすごく必死で断ることなんてできなかったわ」
母さんは悔しそうな表情で唇を少し噛んだ。
「ごめんなさい。あくあちゃん……私、貴方のお母さんなのに、ちゃんと貴方を守る事ができなくって……」
俺は母さんの言葉に首を左右に振った。
「母さん、そんなことないよ。俺は別にエスコートすること自体は苦痛じゃないし、それに……」
俺は母さんの唇に親指でそっと触れると、血が滲んだところを指先で拭った。
「そうやって母さんが俺を守ろうとしてくれたことが何よりも嬉しいから」
「あくあちゃん……!」
俺は飛びついてきた母さんを抱き止めると、落ち着かせるように優しく背中を摩ってあげる。
「それよりも阿古さんの方が……」
俺は阿古さんの方に視線を向ける。
この問題に関しては俺の気持ち云々よりも、さっき阿古さんが言ったように、アイドルとしてはどうなんだの問題の方が強い。
「相手が国賓クラスなら仕方ないとも言えるわ。寧ろそんなお方のエスコートに選ばれるのは、男性にとってもかなり名誉な事よ。それに、あえてこれを利用して……うん、ありかも知れないわね。あくあ君、こっちは大丈夫、後のことは私にどーんと任せておいて!」
阿古さんは顔を上げるといつになく強気の表情を見せる。
「どうやら私は、私が思っていた以上に負けず嫌いだったみたい。ふふっ、これもあくあ君の負けん気がうつっちゃったのかな? だからね、大丈夫。後のことは私に任せて、あくあ君は1週間後のパーティーの事だけに集中してください」
「阿古さん……ありがとう!」
阿古さんの事を、本当に頼りになる人だと思った。俺は改めて阿古さんに感謝する。
そんな阿古さんの期待に応えるべく、俺はこの日からパーティーに必要なマナーを母さんに叩き込んでもらった。
そして運命の1週間後。
俺は急ピッチで仕上げてもらったオーダーメイドのスーツに袖を通す。
普段であれば1ヶ月待ちの予定だったが、政府の仲介もあって寝ずの作業で1週間で用意してくれたらしい。
俺は作ってくれた人たちに感謝しつつ、鏡の前で仕立てのいいプリーツの入ったシャツに蝶ネクタイを結ぶ。
「完璧です……!」
髪をセットしてくれた美容師の女性は、自分の仕事に感動したのか身を震わせた。
「ありがとうございます」
「ひゃ……ひゃい! 嘘……まさか本当にお礼を言ってくれるなんて……」
流石に俺もこの反応に慣れた。世の男性たちよ……頼むからもっと女の子にお礼を言ってあげて欲しい。
美容師さんにお礼を述べた俺は、控室を出て今日エスコートしなければいけない女性のいる待ち合わせ場所へと向かう。少し緊張はしているが、これもまた自分にとってはいい経験になるはずだと自らに言い聞かせる。マナーを指導してくれた母さんのためにも、手伝ってくれたしとりお姉ちゃんやらぴすのためにも、今日はいつも以上に完璧にしないといけない。
そう思っていた矢先、俺は噴水のある綺麗な庭園に目を奪われた。
いや……正確には、その噴水の前にいた1人の女性に視線が奪われてしまったのである。
どんな高価なアクセサリーよりも光輝く金色のロングヘアー、宇宙に瞬く星の海すらも閉じ込めたような深い蒼の瞳、身に纏った上質なドレスすらも霞むほどの穢れのない完璧な肢体、黄金比で造られた美しさを体現する顔は、綺麗でありながらもどこか愛嬌を感じさせる。まるでそこだけが違う世界のようだ。二次元からそのまま出て来たみたいな非日常感……もはや彼女を照らす太陽の光すらも、その美しさを彩るための照明器具にしか過ぎない。
俺は事前に写真を見ていたにも関わらず、初めてみる生の彼女の美しさに息を呑んだ。
カノン・スターズ・ゴッシェナイト。
俺がこのパーティーでエスコートする予定になっているスターズの宗主国の女王陛下の御息女は、なぜか待ち合わせ場所ではなく噴水の前で1人佇んでいた。
「あ……」
俺に気がついた殿下は薄く笑みを浮かべる。
おそらくは多くの人が、彼女のこの笑顔だけで恋に落ちてしまうだろう。
「貴方が白銀あくあ様ですね」
「は、はい……」
せっかくあんなにも練習していた挨拶すらも簡単に吹っ飛んでしまった。
らぴす、しとりお姉ちゃん……ごめんな。あんなに一緒に手伝ってくれたのに、肝心な時にポンコツで申し訳ない。
「初めまして……それと今日は、私の祖国があくあ様とそのご家族の方に対して、大変なご無理を言ってしまった事を謝罪させてください」
殿下は謝罪の言葉を述べると、そのまま俺に対して首を垂れようとした。
「ま、待ってください」
俺は慌ててそれを押しとどめようとしたが、殿下は俺の静止すらも振り切り頭を下げた。
「私は立場上、公式の場所で誰かに対して頭を下げることはできません。ですから、この場所であくあ様のことをお待ちしておりました。身内が勝手にしたことと言っても、全ては私に起因する事なので、謝罪したとして許される事とは思っておりませんが、どうかこの謝罪の言葉を受け取ってください」
「はい、わかりました。謝罪の言葉はちゃんと受け取りますから、もう頭を上げてください」
俺はなんとか殿下を立たせると、ほっと胸を撫で下ろす。
どうやら今回の事は、殿下というよりは本国の人が働きかけた結果、なぜか俺がエスコート役に選ばれてしまったという事だった。
「ふふっ、そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。だって私もあくあ様も、同じ16歳のただの学生ではないですか」
「は、はい……でもなんか恐れ多くって……」
殿下は俺に顔を近づけると、つま先立ちで足りない身長をカバーして俺の耳元で小さな声で囁く。
「それじゃあまずはお互いに敬語をやめましょうか。さっきも言いましたけど、ここは非公式な場所、それも2人きりではありませんか」
「え、ええ……じゃなくって、うん、わかりました……わかった」
最初は緊張していた俺だったが、殿下はこういう事にも慣れているのか、会話を重ねていくうちに俺の緊張を解して自然と言葉を交わせるようになっていく。
「へぇ……それじゃあ、あくあは、男性でありながらアイドルを目指しているのね。すごい事だと思うわ」
「う、うん、だから今はデビューに向けて、毎日レッスンしたりしてるんだ」
殿下ははっきり言って聞き上手だ。
思わず俺は自分がアイドルを目指していることまで喋ってしまう。
一応念のために口止めはお願いしたけど、これに関しては別に隠さなくていいと阿古さんから聞いているので、話しても大丈夫な事だ。
「それじゃあ、デビューするときは教えてね。ライブは見に行けないかもしれないけど、必ずチェックするから」
俺は殿下と自然にお互いに連絡先を交換し合った。
自分でもこんな事になるなんて思ってもいなかったけど、殿下は妙に会話の持って行き方がうまい。
なんだか殿下の手のひらでコロコロと転がされているような気がしたが、俺の気のせいだよな、うん。
「ん? どうかした?」
殿下は俺の顔を覗き込むように少し首を傾ける。
普通に可愛い子がやればあざとい仕草なのかもしれないが、殿下がやっても俺の胸の奥がキュンとするだけだった。
「い、いえ、なんでも……」
誰もいない庭園、俺たちは少ない時間を使って他愛もない会話に花を咲かせた。
気がつけばそろそろ秋山さんの婚約披露宴が始まる時間である。
「それでは改めまして、本日はエスコートよろしくお願いしますね。あくあ様」
殿下は一瞬で表情を切り替えると、俺の目の前に手を差し出す。
俺はその細くて白い手を取ると、軽くお辞儀をした。
「本日は殿下をエスコートする大役を承れた事を、恐悦至極に存じ上げます。それでは会場の方に参りましょうか」
「はい!」
いきなり畏まったお互いの態度がおかしかったのか、顔を見合わせた瞬間に表情を崩して笑い合う。
俺は殿下の手を取ると、ゆっくりと会場に向かって歩き出した。




