白銀あくあ、頼りになる大人たち。
「良いのがねぇんだよな……」
椅子にもたれかかったモジャさんは、組んだ腕を解いて自慢の顎髭を撫でる。
前髪の隙間から覗くモジャさんの真剣な瞳は、テーブルの上に置いたメモ書きを見つめていた。
「オメェにぴったりの曲を探してやろうと思ってたんだがよ。良い作曲家がいねぇ」
俺はあの日からモジャさんの暇な日にボイストレーニングをしてもらっている。
アイドルにとって歌は、誰かに想いを伝えるための重要なアプローチの一つだと俺は思う。
最近ではソフトやハードの進化のおかげもあって、ぶっちゃけ練習しなくても音源ではある程度の誤魔化しが効くようにはなっている。だけど、ライブは別だ。生歌が下手くそだと目も当てられない。俺はライブを重視するタイプなので、歌とかダンスにはやっぱり力を入れたい。
幸いにもモジャさんはこの世界の売れっ子プロデューサーの1人だ。指導に関しても的確で、最初の1週間はかなり扱かれたが、そのおかげもあって俺の歌唱力はメキメキと上昇している。
「いやな、良い曲がねぇわけじゃないんだが、オメェにあってるかってーと違うような、やっぱこう……なんつーかよ、もっとよ、あくあらしさを伝えられるようなそんな曲がいいんだよなぁ……」
モジャさんはテーブルの上のメモ書きを手に取ると、頭をポリポリと掻きながら、これじゃねぇよなぁと呟く。
おそらくあの紙には、俺が歌う予定の曲のリストが書かれているのだろう。
阿古さんやノブさんもそうだが、モジャさんも俺のことをとても真剣に考えてくれている。
だからこそ俺は、その想いにちゃんと応えたいと思った。
「悪いけどしばらくの間は待ってくれ。それと……最初に歌う曲は申し訳ねぇけど新曲じゃなくて、例のカバー曲になるかも知れねぇ。事務所の社長から話、聞いたか?」
「はい! 確か深夜ドラマの曲とか……」
嬉しいことに、俺は新人アイドルにも関わらず、デビュー曲からドラマの主題歌を務めさせて貰うことになりました!
そのドラマの監督がモジャさんの知り合いらしく、モジャさんに昔の曲のカバー曲を主題歌にしたいのだけど、誰かいい歌手はいないかと言われて俺を推薦したらしい。
モジャさんが俺を推薦してくれた事は嬉しいけど、本当に俺でいいのだろうか? 向こうの監督は、モジャさんの推薦ならそれでいいって特にチェックもしてないらしい。
実際に俺がカバーした曲を聴いてこれじゃないとか言われたらどうしよう……。いや、それならそれで何度も歌って、監督さんが満足してくれるまで何度も歌い直すまでだ。俺は弱気になりそうな自分の心に喝を入れ直す。
「くくっ、少しは不安げな表情見せたと思ったのによぉ、オメェのそういう負けず嫌いなところ、俺はわるかねぇと思ってる。だからまぁ……練習するぞ。練習は期待を裏切る時があるかも知れねぇが、自分に足りてねぇ部分が欲しけりゃ練習以外に埋める方法はねぇからな」
「ハイっ!」
その日の練習はとても熱が入った。いや……入りすぎてしまった。
気がつけば外は真っ暗である。
俺とモジャさんは、迎えにきてくれた阿古さんにしっかりと叱られた。
「モジャさん……一応、うちのあくあ君はまだ未成年なんです。練習に熱が入るのはいいですが、せめて私には、遅くなる旨を連絡をしてください」
「偲びねぇ……本当に申し訳ない。白銀、大人の俺がもっとちゃんとするべきだった」
「いえ、俺の方こそ、こんなに遅くまで付き合わせてすみませんでした」
阿古さんの視線が俺の方へと向けられる。
「それと、あくあ君」
「はい……」
「貴方は未成年です、しかも男性という事に危機感を持ってください。真っ暗になるとお外には全裸でお散歩している危険なお姉さんだっているんですよ? 遅れる時は私やご家族の人にちゃんと連絡をしてください。いいですか、貴方はアイドルになるんです。だから、ちゃんと自覚してくださいね」
「あ……はい、わかりました。そうですよね……本当にすみません」
真っ暗になるとお外を全裸で歩いているお姉さんというのがとても気になったが、そんな事を今の状況で阿古さんに聞けるほど俺の心臓は強くなかった。
「反省したのならよろしい。それじゃあ帰りますよ!」
携帯の画面を見ると、家族から死ぬほど連絡が来ていた。
俺は慌てて家族に謝罪の連絡を入れる。
家族に心配かけないって約束したのに、何やってるんだよ俺……。
俺はモジャさんに改めて今日のお礼を述べると、スタジオを後にして阿古さんの車の後部座席に乗り込んだ。
「ところで白銀君、私にもう一つ言う事はないですか?」
「え……?」
なんか言うことあったっけ?
本気でわからなくて悩んでいると、赤信号で車が止まった後に、運転席に座っていた阿古さんが剣呑な目線で後ろに振り返った。
「……ゲーム配信、Vtuber」
「あっ! ……え?」
ゲーム配信でVtuberといえば、この前とあちゃんの配信を手伝った事だろうか?
あれ? なんで阿古さんがそんな事を知ってるんだ?
「大海たまさんでしたっけ……言っておきますけど、あれに参加してた1人があくあ君だって、ちゃんとバレてますからね?」
「うっ……」
俺は自分で白銀あくあとは名乗らなかったが、阿古さん曰くIDを見て声を聞いたらモロバレだったようだ。
どうやらあの配信は、ネット上ですごく噂になっていたらしい。
俺は基本的にSNSとかチェックしないんだよなぁ、エゴサだっけ? そういうのは絶対にしないように、前のアイドル研修生時代に嫌というほど教え込まれた。だからあの配信が話題になっていたのも今知ったくらいである。
「ダメ……でしたか?」
「ダメじゃないけど、ちゃんと一言言ってほしいの。だって私はあくあ君の事務所の社長で、貴方のマネージャーなのだから。例えプライベートの事だとしても、公に自らを発信するときは事前に一言くらいは言って欲しかったです」
俺は今になって、自分があまりにも考えなしに行動していた事に気がつく。
「私ね、あくあ君のそうやってズンズンと前に進んで行くところ好きだよ。だから応援しようと思ったし、支えようとも思った。あくあ君がしたい事をちゃんとできるようにしてあげたい。だからあくあ君には、私の事をもっとちゃんと信頼して欲しいの。事後報告でもいいから、一言も相談がないのは結構悲しい事なんだよ」
阿古さんの悲しげな表情が強く胸に刺さる。
あの時は、とあちゃんの背中を押してあげることと、黛が配信する事で手助けになれるんじゃないかという事しか考えていなかった。
いや、ただ単純に楽しそう、面白そうだからと俺が安易に乗っかっただけで、2人を理由にしちゃダメだろう。
あの時には俺はもう阿古さんと一緒に事務所をやる事が決まっていたのだし、いくらプライベートな事とはいえ、不特定多数の人に公に何かを発信する事に対して、阿古さんに一言も相談もしなかったのは大きな問題である。
そんな事にも気が付かずに、調子に乗っていた自分の事がとても情けなくなった。
「すみませんでした」
俺が心から謝罪の言葉を口にすると、阿古さんはその後に続く俺の言葉を遮るように言葉を発した。
「うん。それじゃあこのお話はこれでおしまいね。では、ここから先はこれからの話をしましょう」
阿古さんは優しげな表情で、俺のこれからを楽しそうに語っていく。
「あの配信を見て、私、あくあ君が配信やるのって面白いって思っちゃったんだよね。それに今、配信ってすごく人気あるでしょ? 特にゲーム実況勢はすごくて、若い子の間ではトレンドのメインストリームになりつつある。いっそアイドル白銀あくあとは切り離して、別人設定で受肉してVtuberやるのもありだと思ったんだよね。そうすればアイドル白銀あくあには三次元の男の子が好きなファンがつくし、Vtuberで受肉したあくあ君には二次元の好きな女子が食いついてくれると思うんだよね。ねぇ、本気でやってみない?」
「阿古さん……」
人は明らかに悪い事をしてしまった時、誰かに叱られる事で心の中の罪悪感を軽くしてもらっている。
安易に叱って俺を甘えさせてくれないところに、阿古さんのアイドル白銀あくあへの愛情を強く感じる。ちゃんと何がダメなことかを諭してくれて、アイドルとしてだけではなく人としての俺に成長を促してくれているのだと思う。
初めて阿古さんと会った時、彼女はもっと弱々しい人かと思っていた。
だけど人っていうのは、最初の印象が全てじゃないんだと思い知らされる。
阿古さんは知れば知るほど、俺が思っていたよりも遥かに強い人だった。
「ありがとうございます」
俺はただただ阿古さんに、お礼を述べることしかできなかった。
今後どんな事があっても俺は阿古さんの信頼を裏切らないと心に誓う。
阿古さんと一緒に成功して、阿古さんが白銀あくあと一緒に仕事ができてよかった、俺との仕事が良いものであったと思わせたい。そのためには、もっともっとアイドルとしても、人としても俺は成長するのだと決意を新たにした。




