杉田マリ、それ、うちの自慢の生徒です!!
1週間ほどお休みします。
後書にて詳細を書いてます。
「はあ……」
私は政府が提供する女性専用アプリの画面を見てガックリと肩を落とした。
わかってはいたけど、やっぱり画面を見る瞬間だけはいまだにドキドキする。
「ま、私みたいな行き遅れとわざわざお見合いしたいと思う男性なんているわけないよな……」
私は男性からのマッチング通知のページを閉じると、提供データの使用項目のページを見つめる。
あなたのデータが男性に使用された回数 1回
もう何度この画面を見た事か……。
どんなに落ち込んだ時も、この画面を見ただけでだらしのない顔になってしまう。
そしてこの項目をクリックすると、使用した人物のデータが表示される。
白銀あくあ
ああああああああああああああああ!
だめだ白銀! 私は先生で白銀は生徒だ! そんな事が許されるわけないだろう!
せめて卒業まで待ってくれ! な? そうしたら晴れて合法になるから!!
って、そうじゃない! 落ち着け私!!
もう何度も見ててわかってるはずなのに、いまだにこのページを開いただけで動揺する。
「夢を見ているような気分だ……」
振り返る事、数ヶ月前。
これは機械の故障だ。
そう確信した私は、データを管理する国家機密局に電話で確認した事がある。
『これ、何かの間違いですよね……?』
『少々お待ちください。ちょっと確認してみますね』
データを管理する国家機密局が、なんらかの人為的なミスを起こしてしまった。
私が三日三晩寝ずに考え出した結論がこれである。
うんうん、普通にあり得る話だ。それなら全てが腑に落ちる。
そうじゃなきゃ、私のどこにそんな魅力を感じる要素があるというのだ……。
『えっと……白銀あくあ様の担当官の方が居たので、ちょっと、お電話の方をお繋ぎいたしますね』
『は、はい』
え? え? 白銀の担当官だって!?
私は思わず携帯電話を落としそうになった。
『もしもし、お電話代わりました。国家機密局衛生保安課、特一級男性担当官の深雪・ヘリオドール・結です』
男性担当官……この国に住む全ての女子の憧れで、国家公務員の中でもエリート中のエリートである。
私も過去にそこを目指して頑張ったが無理だった。それほどまでに男性担当官になるのはハードルが高い。
しかもこの深雪さん、特一級となれば相当なものだ。
男性担当官にもランクがあり、特一級になれば自らの好みに近い男性の担当を提案されるという話を聞いた事がある。きっと彼女はものすごく勉強したんだろう。
その結果、深雪さんは自らの努力で、白銀あくあというこの世界で1番の男性を自ら手繰り寄せたんだ。
詳しい話を聞いてみたい。
だがそれを聞くのはマナー違反だ。何よりも教師として、自らの権力を使って教え子のプライバシーに踏み込む行為はやってはいけない事である。
私は一教師のプライドとして、色々と聞いてみたい欲望をグッと堪える。
『えっと……白銀あくあ様のクラスで担任を務めてる杉田マリ先生で間違いありませんね?』
『ハイっ!』
カタカタとパソコンのキーボードを打つ音が聞こえる。
『はい。再度こちらで確認したところ、間違いなく使用されてますね』
『え?』
私は驚きのあまり固まってしまう。
使用した? 誰が?
白銀が、私のを?
頭の中がうまく整理できない。
『おめでとうございます』
『あ、ありがとうございます!』
少し声が上擦ってしまった。
『杉田先生、この後、少しお時間の方、宜しいでしょうか?』
『大丈夫です』
『本来であれば個人情報に当たる事なので、通常の場合では規定に伴いお伝えできない事なのですが……』
そこで深雪さんから聞かされた衝撃の事実に、私はまたしてもフリーズしてしまった。
普通ではありえない。今思えば白銀あくあという生徒は、この時から全てが他の男子とは全く異なる存在だったのかもしれない。
『みんなに集まってもらったのには理由がある』
後日、私はクラスの女子達にお話があるからと、放課後、教室に残ってもらった。
私はクラスの全員をゆっくりと見渡す。
みんな、もしかしたら自分達が白銀に何かやってはいけない事をしてしまったんじゃないだろうかと、不安げな表情で私の事を見ている。
大丈夫、みんなは何もしてないからと、私は笑顔を見せて教室の中の空気を柔らかくした。
学校が始まってまだ1ヶ月あまり。うちのクラスの女子達は大人しい方で、節度を守って白銀と接してくれている。担任としてはとても誇らしい気持ちだ。
『みんな目を閉じて、リラックスしてくれ』
私はみんなが目を閉じたのを確認すると、ゆっくりと落ち着いたトーンで、できるだけ優しく声をかける。
『この中で、自らのデータを白銀あくあ君に対して公開している人は素直に手を上げて欲しい』
うん、まぁ、全員、手をあげるよね。そこはわかりきっていた話だ。
教師陣ですら全員してるのに、若い女学生がしてないわけがない。
ん? いや、月街アヤナさんがいないな。そういえば彼女は今日仕事だからと帰宅したんだっけ。
『その上で、自分のデータを白銀あくあ君に使われたという人は、恥ずかしがらずに正直に手を上げてくれないだろうか? 大丈夫、先生は100%君たちの味方だ。私の退職を賭けてもいい。その証拠に今日は退職届を書いてきた。だから私の事を、1人の杉田マリという女を信じてくれ』
1人、また1人とみんな顔を赤らめながら手を挙げる。
うん、恥ずかしいよな。でも、ごめん。これは重要な質問なんだ。
『よし、それじゃあみんな目を開けて。大丈夫、先生を信頼して欲しい』
最初はどうしようかと戸惑っていた生徒達も、鷲宮さんの、皆さん先生の言うとおりにしましょうの言葉もあって、ゆっくりと目を開けていく。
『えっ?』
『え?』
『杉田先生……?』
みんな手をあげている私を見て固まる。
そしてゆっくりと周りへと視線を向けていく。
『ちょっと待って、つーちゃんも?』
『ののかちゃん、マジ!?』
『りっちゃん!?』
『え? 待って、これ……』
『う、嘘……』
『全員、手を上げてる……?』
教室に居た全員が、私も含めて手を挙げてた。
私も深雪さんからこの話を聞かされた時は驚いたが、なんと白銀は、わずか1ヶ月余りでクラス全員の女子を制覇してしまったのである。
なんという事だ。あの伝説のマスターチジョーこと掲示板の捗るにも負けてないんじゃないか。
『つまり、そういう事だ。どうやら、みんな自分が使われた事を周りの人に言ったりしていなかったみたいだな』
これは素直に驚きだった。
まず普通の高校なら、使われた女子がその事で他の女子にマウントをとってクラス内のカーストを形成していく。
でもこのクラスの女子達は、白銀や他の女子達の気持ちを考えてずっと黙っていたのだ。
私は思わず感動して涙を流しそうになる。
『今日、みんなに放課後に残ってもらったのは、このお話をするためだ』
みんな戸惑った表情を見せる。
大丈夫、そんなに緊張しなくても、誰も怒ったりなんかしないから。
『それでは今より私もみんなと一緒に、もしもの時のための課外授業を始めようと思う。講師として今日は国家機密局衛生保安課、特一級男性担当官の深雪・ヘリオドール・結さんに来てもらいました。拍手』
部屋に入ってきた深雪さんをみんなが羨望の眼差しで見つめる。
当然の反応だろう。女子がなりたい職業ダントツトップの男性担当官に憧れない女の子なんていない。
『こんにちは』
『『『『『こんにちは!!』』』』』
『乙女咲学園高校、1年A組のみなさま。初めまして。先ほど杉田マリ先生からご紹介いただいた国家機密局衛生保安課、特一級男性担当官の深雪・ヘリオドール・結です。今日はみなさまの貴重な時間を割いていただきありがとうございます』
ペコリと頭を下げた深雪さんを見て、みんなも慌てて頭を下げる。
『今からここにいる皆さんには、白銀あくあ様といつ何が始まってもいいように、杉田先生と一緒に事前学習をしてもらいたいと思っています』
どよめいた生徒たちはお互いに顔を見合わせると、はしゃぐような素振りを見せる。
うん、こんな事、私の教師人生でも初めての事だ。私も君達と同じ年齢なら、周りの席の子達と手を繋いで喜びあってたと思う。
それがわかるから私も深雪さんも注意せずに、微笑ましい気持ちでみんなが落ち着くのを待っている。
『この課外授業では、女子がしなければいけない事前準備、実際に何かあった時の対応の仕方、男性への気遣い、その後の行動、男性との話し合い、国の保険制度やお祝い金、いわゆる社会福祉制度などについて学習してもらいます』
深雪さんは持ってきた冊子を全員に配っていく。
私も今回は生徒側なので月街さんの席を借りて授業を受けるつもりだ。
『本来であればこんな事は絶対にありえないのですが、その……この現状を見てもらえればわかるように、白銀あくあ様は他の男性とは明らかに違うようなので、今回は杉田先生と相談して、このような形をとらせていただく事になりました』
深雪さんも電話越しに言っていたけど、国家機密局始まって以来の総理や閣僚も交えた特級緊急事項会議が開かれたそうだ。
クラス全員だけじゃなくて私みたいな行き遅れの担任まで守備範囲とは、白銀は間違いなく教科書に掲載されるレベルの偉人だと思う。少なくともここにいる34人と1人の教師は間違いなく彼に救われた。
今後どうなったとしても、私達は今、この瞬間を忘れる事はないだろう。
私達はその後、2時間にわたってエキスパートである深雪さんから楽しい授業を受けた。
『最後に二つだけ、私の連絡先を杉田先生にお伝えしておくので、実際に白銀あくあ様と何かあった際には恥ずかしがらずにすぐに先生に相談してくださいね。ご両親やご家族に相談するときも、親御さんがパニックになるといけないので私か杉田先生がご同行しますのでご安心ください。大丈夫、皆さんは1人じゃありませんから、ね』
深雪さんは表情に乏しい方だが、とても頼りになる優しい人だった。
白銀の男性担当官が彼女で良かったと思う。
『そしてもう一つ、皆様のデータを使って採取された生殖細胞についてお話ししたいと思います』
深雪さんの真剣な表情に、緩んだ教室の空気感がピリリと引き締まる。
『採取された生殖細胞については、規則の関係で詳細をお話しする事はできません。しかし、今回の件については条件付きですが最初の一回が皆さんに行き渡るように手配しています』
思わずみんなが立ち上がった。もちろん私だって立ち上がったさ。
本当は叫びたかったが、みんな立ち上がった時点でなんとか理性を働かせる。
『ただ、これに関しては他言無用でよろしくお願いいたします。まだ正式に決まったわけではないので、みなさまの行動によっては受け取れなくなる可能性がある事も頭の中に入れておいてくださいね』
深雪さんはクラスの全員に釘を刺す。
『それでは、今日の課外授業はこれにて終了になります。みなさま最後までお付き合いいただきありがとうございました』
すごく丁寧で誠実な人だなと思った。みんなが教室から退室する深雪さんを拍手で見送る。
決して歴史の表に出る事がない偉業……これが私の知る限り、隠された白銀あくあ伝説の第一歩だった。
「杉田先生、どうしました?」
「え?」
私は突っ伏した机から顔を持ち上げると声の方へと振り向いた。
「し……白銀、どうした?」
私は何事もなかったかのように、1年A組の担任としていつものように接する。
「あ、いや……。これ、来月の出席についてプリント持ってきたんですけど……」
「ああ、そっか。ありがとう。預からせて貰うよ」
乙女咲で芸能活動や学外の活動をしている生徒達は、来月の予定を提出する規則がある。
これは、学びたいが時間のない生徒のために、足りない単位をオンライン授業などで取得するためだ。
ベリルだけが特別扱いというわけでもなく、私のクラスであれば月街や白銀の奥さんでもある白銀カノン、実家の手伝いをしているらしい千聖なんかもこの制度を使っている。
「先生、疲れてるなら無理しないでくださいね」
くっ……私の事なんかを気遣ってくれるなんて、白銀はなんて優しいんだ。
普通の教師ならここで勘違いして彼女面するところだぞ。
「それを言うなら私の方だ。白銀の方こそ、仕事を頑張るのは良い事だが、あまり無理をするんじゃないぞ。お前が倒れると悲しむ女の子が多いからな」
「はは……善処します」
夏休み中に熱を出したという話は聞いているが、あれが外に漏れたらきっととんでもない事になっていただろうな。
今、白銀がもし何かで倒れたら連日、朝から晩までそのニュースで埋め尽くされ、入院した病院がファンに取り囲まれ、世界各国の重鎮からお見舞いが殺到し、世界各地で祈りが捧げられ、世界屈指の医者が集まるんじゃないだろうか。
「ん?」
机の上に置いてあった携帯がチカチカと光る。
なんだろう? 私が通知を確認すると、そこには男性とマッチングしましたという文面が書かれていた。
え? え? なんで……? よく見ると政府のマッチングアプリじゃない?
あ……そっか、思い出したぞ。何年か前に一般の相談所で登録した奴だ。そういや退会するのを忘れていた気がする。
時間は1週間後、帝都ホテルか……。
「杉田先生、すみません。今、チラッと見えたんですけど、もしかしてお見合いですか?」
「え、あ……うん。大昔に登録していたのが、まだ生きていたみたいだ」
「へぇ、良かったですね」
「はは、ありがとう」
さて、どうしたものか。
最初は断ろうとも思ったが、こんな機会はまずない。
何よりも1人の先生として、1人の生徒ととしてちゃんと向き合うためにも、白銀へのこの想いを断ち切る必要があると思った。それならこの機会を生かすべきなんじゃないかと思う。
「ここがそうか……」
1週間後、目的の帝都ホテルに到着した私は、待ち合わせ場所となったロビーへと向かう。
一応今日のためにちゃんとエステやジムにも通って体を整えてきたし、今朝も美容院に行って藤百貨店で久方ぶりにちゃんとした服も買った。自分なりにできる努力はしてきたつもりである。
「杉本マリ子さんですね」
「あ、はい……杉田マリです」
「あ、すみません。ベストマッチメイキングの寺島と申します」
誰がどう見てもにこやかで清潔感のある笑み。私は何故か、ちょっと胡散臭いなと思ってしまった。
何より私の名前を間違えてるところが怪しさ満点である。
「どうぞこちらに。お相手の男性がお待ちですよ」
彼女は私をロビーの隅っこにある間仕切りのある区画へと案内する。
「こちらが今回、杉も……杉田様とのマッチングを希望された今村様です」
私がそちらへと視線を向けると、太々しい態度で椅子に座った男性がむすっとした表情でこちらを見つめていた。
一見すると態度は悪いが、もしかしたら体調が良くないのか、緊張しているのかもしれない。そう思う事にする。
「初めまして、杉田マリです。今日は面会を希望してくれてありがとうございました」
「……」
あまり口数が多いタイプではないのかもしれないな。
普通の男性はそうだし、あくまでもうちのクラスの男子がおかしいだけの話だ。
「早速ですが、杉も……杉田様。これから今村様とお話をするにあたって、前金をいただきたいのですが……」
「あっ、はい」
財布を出す前に冷静になった。あー、これは詐欺だなと……。
もし私も他の女性と同じなら、ここで普通に財布を出してしまっていただろう。
「すみません。そういう事なら、私はここで失礼致します」
私はバッグを強く握りしめると、その場から逃げ出そうとした。
「ま、まってください。杉本様! これを逃したら、もう2度と男性と会話する事なんてできないかもしれませんよ!!」
「例えそうだとしてもないな。あと、私の名前は杉田だ。顧客の名前も覚えられないような会社を信頼できるか!! 何よりも男性だからと言ってその態度はなんなんだ! そんな態度の男性なんて、断固としてこちらからお断りする!!」
言ってやった! 言ってやったぞ!!
本当は最初からずっとそう思ってたけど我慢してたんだ!
だって、誰がどう見てもあの男、私に対する好意が一切感じられない。
むしろ嫌悪感すら滲ませている。そんな男性、こっちだって願い下げだ!
わ、私にだってプライドはあるし、そんな安い女じゃない!!
それに白銀が女性解放宣言で女性達はもっと自分の事を大事にして欲しいと強く言っていたが、私も私の事を大事にしたいと思った。
何よりも私の体を見てため息をつくそこの今村とか言う男より、私の体を愛おしく優しい目で見てくれる白銀の方が100%いい!!
「そういうわけで、私はこれにて失礼させていただく」
そう言って私はその場から離れようとした。
その瞬間、今村とか言う男が椅子から立ち上がって私のことを睨みつける。
これはまずい。この男、私よりも体が大きくてパワーがありそうだ。
「おい! 聞いてた話と違うぞ!」
「い、今村様、どうか落ち着いて」
「煩い!! お前も! ババアの癖しやがって、俺に手間をかけさせやがって! 調子に乗るなよ!」
あっ! 私は咄嗟に回避しようとしたが、履き慣れてないピンヒールの靴を履いていたために足元がおぼつかず、男の伸びた手がモロに私の体を突き飛ばした。
くぅ……地面につき飛ばされた私は腰を強打してしまう。
男はそのまま綺麗にセットしたばかりの私の髪を鷲掴みにして引っ張り上げる。
「いいからとっとと金出せよ! ほら、この俺がこんなにも会話してやってるんだぞ。嬉し泣きしながら金出すって言うのが筋だろ!!」
周りの人がこの光景を見て声を上げる。
しかしそれを咄嗟の判断で止めたのは、ベストマッチメイキングの寺島だ。
「み、皆様、これは只の男女の諍いです! どうかお気になさらず!」
こう言われては誰も手出しができない。
ホテルの従業員も思わず動きを止めてしまった。
助けてくれと意思表示できればまだどうにかなるかもしれないが、声を出そうにも倒れる時にテーブルの角でお腹をぶつけてしまいうまく声が出せない。バックの中から財布を出してこの場を切り抜けようとも思ったが、さっきの衝撃でバックが遠くに飛んでしまった。
頼む。誰か、誰でもいい……。助けてくれなくてもいい、通報してくれるだけでいいから。私はそう願った。
「何をしているんだ……?」
え……?
聞き覚えのある声に私は戸惑う。
もしかして痛みで意識が朦朧としてきて、幻聴が聞こえてきたのかもしれない。
「もう一度だけ聴く。そこのお前、誰に、何をしているんだ?」
いつもより低い声。
それもいつも聞こえてくるような、優しげな声色でもなければ、楽しげな声色でもない。
ましてやドラマやライブで魅せるようなかっこいい声とも違う。
怒りを必死に堪えるような声だった。
初めて聞く声色にびっくりしたが、どうやら幻聴ではないらしい。
「し……白銀あくあ……。な、ななななんでこんな所に……」
寺島は驚きのあまり、その場にへたり込む。
周りに居たお客さん達や従業員の人達も、何が起こっているのか理解できずに目の前の状況をじっと見つめている。
白銀はゆっくりとこちらに近づいてくると、私の髪を掴んだ今村の手首を強く握りしめた。
「いてぇよ! 何するんだ!!」
「何をするんだって? それを聞きたいのはむしろ俺の方だ」
白銀は床にしゃがみ込むと、私の背中にそっと手を回した。
「杉田先生、喋れますか? 無理そうなら目だけでいいんで瞬きで俺に合図ください」
私は白銀の腕をギュッと掴むと、なんとか腹の底から声を出す。
「な……なんで、ここに……」
「すみません。見るつもりはなかったんですけど、あの時、一瞬だけ会社の名前が見えてしまったんです。それで、さっきとあや慎太郎と一緒にラーメン竹子でテレビを見てたら、その会社、詐欺かもしれないって国営放送のニュースで森川アナが言ってたから、慌ててここに来たんです。杉田先生、口に出して1週間後、帝都ホテルだって言ってたから……」
そうだったのか……。
くっ! こんな私の事を心配して助けに来てくれるなんて、なんて優しい子なんだ。
思わず涙が出てしまう。それを見た白銀は、何を勘違いしたのか、今村へと向かって怒りを抑えつけたような表情を見せる。
「ちょっと、あくあってば走るの早すぎ!」
「だが……そのおかげで、さらなる被害は防げたようだ」
嘘……でしょ……?
声の方に視線を向けると、そこには息を切らして駆けつけた猫山と黛の姿があった。
猫山と黛は私の姿を見ると、表情を強張らせる。
どうやら私はそれほどまでにひどい状況らしい。
「杉田先生、少し体を持ち上げますよ」
白銀は私の体をすっと抱き上げる。
ちょ、ちょっと待ってくれ、こっ、これは、あの伝説のお姫様抱っこでは!?
あまりの衝撃に痛みなんて秒で吹っ飛んでしまう。
「し、白銀様、どうかこちらに」
状況に気がついて下に降りてきた帝都ホテルの支配人が近くの長ソファへと案内する。
どうやらちゃんと対応できる人をスタッフさんが呼んでくれたみたいだ。
「対応が遅れてしまい申し訳ありませんでした。今、ホテル専属のお医者様を手配していますので、少々お待ちください」
「は、はい」
正直、最初、腹にテーブルの角が思いっきり入ったせいで声が出にくかっただけで、今は結構大丈夫なように思う。
「杉田先生、痛かったら無理せずに言ってくださいね」
「だ、大丈夫、大丈夫! こう見えて先生は頑丈なんだぞ」
白銀は私を長ソファに下ろすと、跪いてそっと靴を脱がしてくれた。
いったぁ!
「杉田先生、もう一度言いますが、絶対に強がったり、無理しないでくださいね」
「あ、う、うん。わかった」
白銀はいつもと変わらず笑顔だったが、すごく怖かった。
普段、怒らない分、絶対に怒らせちゃダメなタイプだと把握する。
「あの、これ……」
「あ……」
ロビーにいた他のお客さん達が飛び散ったバッグの中身とか、バッグを拾って持ってきてくれた。
「ごめんなさい。最初、何が起こってるのかわからなくて」
「私も、びっくりしちゃって、ごめんなさい」
「ううん。大丈夫。ありがとう」
私が話していると、その隣を猫山がスタスタと通り過ぎていく。
「で……君は何をしていたのかな?」
「と、とあ様……」
猫山は今村に近づくと、蔑んだような凍えた目つきで見下ろした。
あ、あれ? なんかちょっといつもと様子が違わないか?
「僕達の大事な先生を傷つけたりする奴は絶対に許さない。今の僕があるのも、あの時、杉田先生が手を差し伸べてくれたおかげだからね」
猫山……。ダメだ。痛みなんかより嬉しくて涙が止まらない。
「全く同じ意見だ」
黛は逃げ出そうとした寺島の進行方向を塞ぐように立ちはだかった。
「杉田先生が居たからこそ、僕も乙女咲に進学した。そこであくあやとあと出会わなければ、僕が変わる事もなかっただろう。それに……今のクラスの事は結構気に入っているんだ」
黛はトレードマークのメガネをクイッと持ち上げると、寺島達に凄んで見せた。
「だから、お前達が僕達の、1年A組のみんなが大切に思ってる杉田先生を傷つけると言うのなら、僕は……お前達の事を絶対に許さない」
寺島は黛に気圧されたのか、その場にへたり込んで動かなくなった。
もしかしたら彼女は黛のファンだったのかもしれない。
「くそっ、そんな不細工のババアに、お前らバカじゃねーのか!!」
「は……?」
うっ……。
さっきの黛や猫山の比ではない。
私の人生の中でも間違いなく初めて聞いたんじゃないかって思うほどの冷えた声が、帝都ホテルのロビーの中を静かに響き渡っていく。
「杉田先生は、とても素敵な人だ」
し、白銀!?
「真面目な杉田先生の事だから、今日だって、きっとこの日のために、ちゃんと準備をしてきたんだろうと思う」
白銀は私の乱れた髪を指先に絡めると、優しい手つきで綺麗に整えてくれた。
「それだけじゃない。俺は、俺達は、杉田先生の心が綺麗だって知ってる。もちろん外見だって、俺からしたら普通に綺麗なお姉さんだ。だからこの俺が保証するよ。杉田先生は、お前には勿体無いくらい綺麗だって……」
白銀は私をそっと抱き寄せると、どこかのお嬢様やお姫様にするみたいに、私の手を優しく手に取った。
え? え? これ、はなあたじゃん……。あ、あれ? もしかして私、ヒロインでした?
いやいやいや、いやいやいや、正気に戻れ! 杉田マリ! お前は乙女咲の、1年A組の先生だろ! しっかりしろ!!
「さぁ、先生、行こうか。ここだと何だし、帝都ホテルの支配人さんが部屋を用意してくれたみたいだから」
白銀は私の体をまた優しく抱き上げる。
いいんだろうか……。1日に2回もこんな思いをしてしまって……。
「お、おい……」
「それ以上喋るな。お前の汚い言葉で杉田先生を汚すんじゃない」
白銀は私の方を見つめるとニコッと笑った。
「ね? だから、杉田先生は俺の声だけ聞いていればいいから」
あ、はい。もう白銀以外の声なんて聞きません。
いや、流石にそれじゃ授業できないだろ! と、自分でツッコミを入れた。
「そういう事、だからもう2度と、杉田先生に関わらないでね?」
「ああ、杉田先生はお前に勿体無いくらい素敵な女性だからな」
あれ? 八雲いつき先生の作品から白龍アイコ先生の作品に変わりました?
ていうか私なんかがいいのだろうか……。
こんな史上最高の男子を3人も侍らせて。何かの法に触れてなければいいけど……。
「あくあ……あいつの事、1発くらいぶん殴っておかなくていいの?」
「あんな男を殴った手で、杉田先生に触れたくないからな」
そういえばさっき、白銀は男の手首を掴んだ後にハンカチで手を拭いていたな。
ただ単に汚れたからとか、そういう理由じゃないんだ……。
ていうか、なるほど。うん……これはもう無理だと確信する。
これで好きになるなって方がまずないでしょ。うんうん、無理無理。
諦めて好きだって事は認めるよ。うん、そっちの方がはるかに気持ちも楽だ。
認めた上でみんなの担任として我慢する。それが最善の手だと思う。
「あくあ、あいつらを放置していいのかな?」
「ああ、慎太郎。あとは警察の人が対応すると思うから大丈夫。もう警備の人も来てるから逃げ出せないでしょ。他にも被害者はたくさんいるだろうし、あとは法の裁きに委ねるよ」
その後、私は駆けつけたお医者様に手当してもらい、駆けつけた警察の人に事情を説明した。
「すまない。私がもっとしっかりと調べていれば……生徒のお前達を危険な目に遭わせてしまった責任は取るつもりだ。責任を取って教師を辞する覚悟もできている」
「先生……僕達の話、ちゃんと聞いてた?」
「ああ、僕達はそんな事を望んではいない」
「猫山、黛……すまない。では、他に何か償える事はないだろうか?」
2人はそう言ってくれたが、生徒達を自分の事で危険に晒してしまったのは事実だ。
「それじゃあ、俺から一つだけお願いがあります」
白銀はゆっくりと私の方へと近づいてくると、ポケットの中に入れていた封筒を私に渡した。
何が入っているんだろう? 私は封筒の中を開けて、びっくりする。
「これは……クリスマスのライブチケット……?」
「はい。先生に俺達のライブを見て欲しくて、よかったら来てくれませんか?」
「ああ、もちろんだとも……でも」
これは罰にならないだろうと言おうとしたら、白銀がそっと私の唇を人差し指で塞いだ。
え、あ、う……は、はははは白銀の指先が私の唇にいいいいいいいい!
「先生が居たからこそ、今の俺達があるんですよ。だから……その目で俺達のやってる事を見て確認する。幸いにもライブの当日はお休みですよね? いやー、休みの日に、生徒がちゃんとやってるのか確認するために休日出勤しなきゃいけないなんて、先生はかわいそうだなぁ」
私がポカンとしてると、猫山と黛が白銀の話に乗った。
「うんうん、休みの日にまで、僕たちの面倒を見なきゃいけないなんて、先生かわいそう〜」
「ああ、全くだ。先生、休みの日にまですみません」
そんなの罰じゃないだろ!!
って言いたかったけど、生徒達の思いを汲み取るのも教師としての勤めだ。
「そうか……わかったよ。全く、せっかくのお休みだったのにな。ふふ、当日、ちゃんと最初から最後までじっくり見てやるからな!」
あ、でも……他の生徒達に申し訳ないなとモヤモヤした気持ちになる。
そんな事を考えていたら、白銀からクラスメイト達には、その次のイベントを良い場所から見られるように手配してるから大丈夫ですよと言われた。
それから数日後。
私はクリスマスの日に目一杯おめかしをして、コンサートホールへと向かった。
なぜならチケットには、みんなおしゃれしてきてねって書いてあったから。
「うわぁ、まだ2時間前なのに、今から楽しみだよ!」
「うんうん。この日をどれだけ待ち望んだことか」
「クリスマスにデートしてるみたいでほんと嬉しい!」
「ねー。こんなかっこいい男の子達と一緒にクリスマスを過ごせるなんて最高だよ!」
もう会場の前には多くの人達が詰めかけていた。
それ、うちの自慢の生徒達です!
私はそう叫びたくなるのを我慢して、コンサートの入り口へと駆け足で向かっていった。
おまけ
ここから先はその後の帝都ホテル、くくり様視点。
「くっそ、離せ! 俺に触れるな!!」
暴れる見苦しい豚を見て思わずため息が出そうになる。
「臭いわね」
私がそう呟くと、その場にいた誰しも静かになった。
「くっ、くくくくくくり様!?」
支配人は体をガクガクと震わせて、私の事を怯えた目で見つめる。
「なんだ、おま……」
私が手を挙げて指示を出すと、お付きのボディーガードが男を地面に這いつくばらせた。
「せっかくあくあ様が吐いた息で帝都ホテルのロビーに漂う空気を綺麗にしてくれたというのに、お前のようなゴミが吐いたドブみたいな匂いの空気で汚すな」
私は地面に頭を擦り付けた男の顔の目の前に足を振り下ろした。
「ヒィッ!」
私はもう一度支配人の方へと視線を向ける。
「このゴミは、こっちで処分するから別室に連れていっておいて。あくあ様の障害になりそうな奴は、ちゃんと排除しておかないと……。って言おうと思ったけど、もう手遅れね」
「へ?」
私は指を鳴らしてボディーガード達についてくるように指示すると、帝都ホテルの入り口に向かって歩き始める。
カチッ、カチッ、カチッ……。
何かのボタンを押すような音が、静かになったロビーの中に響き渡る。
「ここ……ですか?」
ナンバー1、ワーカー・ホリックこと、千聖クレアが、クイズ番組で使うような赤いボタンをカチカチと押しながらロビーの中に入ってきた。
あのボタンは彼女の精神安定のために教団が別途用意した偽物である。
「後は任せたわ。ここ、私のホテルだから、好きにしていいわよ」
私はそれだけ言うと、帝都ホテルを後にした。
あの男は、きっと私に殺されていればよかったと思うくらいの地獄を味わう事になるだろう。
だが、そんな事はどうでもいい。そもそも、あくあ様の大事にしているものに手を出した奴が悪いのだから。
来週から数日間、入院して手術する事になりました。
14日の日曜にまた復活できればと考えています。
早かったら12日金曜とかに復活できるかもしれません。
すみませんが、数日ほど更新をお待たせします。
Twitterアカウントです。作品に関すること呟いたり投票したりしてます。
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fantia、fanboxにて、本作品の短編を投稿しております。
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